6月15日(日)
日本一時帰国の滞在も、残すところ4日となった。
気がつけば日本を離れる日も近い。
18日の早朝には、名古屋を発っている。
最後の日曜日に「Ito-san歓送ガムランライブの夜」を開催することになった。
5月24日の歓迎会は、再会を楽しんで盛り上がるうちに過ぎ、バリの話があまりできなかった。
バリの話をもっと聞きたいという声があり、急遽、歓送イベントの開催が決定した。
今回も水野さんが中心になって動いてくれた。
私は、ガムラングループ「スアラスクマ」と舞踊家「大西由希子」を紹介したかった。
豊田地方に、バリ芸能を広めたいという考えもある。
《スケジュール》
◎一部:トークライブ「伊藤さんを囲んでバリ島を語ろう」
芸能の解説、その背景にある出来事、 24年間のバリ島暮らしで経験した あれとかこれ。
ガイド本には掲載されないディープな バリ島、その文化の魅力をUBUDの 案内人・伊藤さんが語り尽くします。
衣装替えをライブで、そして踊るかも?
◎二部:「バリ芸能を堪能してもらおう」
■出演:演奏・スアラスクマ
舞踊・大西由希子
□「スアラスクマ」
迫り来る躍動感、空気をも変えんばかりの音のうねり。
多くの人々を魅了する、インドネシア・バリ島の民俗音楽<ガムラン> 。
2001年、名古屋で松井氏を中心に結成された実力派ガムラングループ。
時に静かに解きに激しく「スアラスクマ/魂の音」の名のとおり魂に響く音色をお届けします。
http://www.geocities.jp/suara_sukma/
□「大西由希子」
バリ舞踊家。
古典舞踊を女性舞踊から男性舞踊まで踊り分ける一方で、創作や即興、他ジャンルの表現者とのコラボレーション、演劇の舞台への参加なども意欲的に行う。
1993年バリ舞踊に出会い、以後舞踊を学ぶためにバリ島通いを始める。
1996年〜1999年インドネシア国立芸術大学デンパサール校に留学。
舞踊の研鑽を積む一方で「タルナ・ジャヤ(女性による男性振りの舞踊)」の踊り手として寺院での奉納舞踊も数多く行い、バリ島各地のガムラングループと共演する。
2000年より日本での活動を開始。
これまで全国各地の劇場、寺院、ライブハウスなど様々な場所で公演活動を行うほか、ワークショップ、劇団等への指導・振り付け、各種学校での講義などにも取り組んでいる。
バリ舞踊の根っこにつながる新しい表現を志している。
http://www.cilidewi.com/index.html
■会場:豊田市にある料理屋「如庵」のカラオケホール。
(〒471-0034 愛知県豊田市小坂本町1丁目4−14 )
テーブルが片付けられた広さ8坪ほどのカラオケホールの床に、ガムランとメンバー6人がスタンバイしている。
壁際の備え付けベンチと用意されたいくつかスツールには、開演を待つ本日のお客様達がいる。
「スラマット・ダタン!」
「本日は、忙しい中、ようこそお越し下さいました」で始まった。
一部は、私のおしゃべりを中心にして進めることになっている。
見渡すと、腰掛けているお客様のほとんどが友人だった。
それもバリに何度も通っているバリ通たちだ。
バリに詳しいツワモノたちに、私の浅い知識を披露しても意味がないように思えた。
彼らの知らないディープなバリはないものか・・・考えながら話を始める。
スラマット・ダタンはインドネシア語です。
スラマットは感謝、ダタンは来るという意で「いらっしゃったことに感謝します」と訳す。
日本語の「歓迎」、英語の「WELCOME」と同じですね。
朝の挨拶「スラマット・パギ」は「朝の感謝」、夜の挨拶「スラマット・マラム」は「夜に感謝」するという意味になる。
ほかにもスラマットがつく言葉はたくさんある。
私は、このありがたさを感じて謝意を現す「スラマット」というインドネシア語が好きだ。
バリ人同士は、通常バリ語で会話をしている。
出会った挨拶に「オム・スアスティ・アストゥ=幸運を」、お別れのには「オム・サンティ・サンティ・サンティ・オム=平穏を」とバリ語を使う。
インドの影響が強く残るバリには、サンティ(寂静)以外にも、サクティ(宇宙的根源力)、バクティ(信愛)など、サンスクリット語の多くがバリ語に含まれている。
挨拶に「マトゥール・スクスモ=ありがとうございます」を使うこともある。
バリ語で、挨拶すると喜ばれるので使ってみよう。
今日の私の衣装を説明しょう。
古くバリ人の普段着は、男女とも腰巻き一枚に上半身裸だったようです。
現在は、上着を着るようになっている。
このはちまきはウダンと言う。
腰巻きの上にもう一枚サプットと呼ばれる布を巻き、これを正装とする。
結婚儀礼・火葬儀礼・寺院祭礼など各種儀礼や行事に参加する時の男性の衣装です。
伝統衣装とも呼ばれている。
バリでは、腰布はカマンと言う。
カマンはバリ語で布のこと、インドネシア語ではカインです。
サロンと言う人もいますが、サロンは筒状になった腰布のことで、主にイスラム教徒が着用する腰布を指す。
バリ人は、アニミズムと仏教とヒンドゥー教が混在した「よろずの神」を信仰している。
絵画、彫刻、音楽、舞踊など、バリの芸能は、神々への奉納であった。
政治と宗教儀礼が密接に関係していたバリ王国時代、芸能が王様の威厳を庶民に普及させる手段として使われた。
王政を美化した物語が、寺院祭礼の奉納で演じられた。
舞踊劇(アルジョ)、仮面劇(トペン)、影絵芝居(ワヤン・クリッ)がそうだ。
こんな話をしながら1時間が経過した。
続いて踊りの衣装に着替えるところをライブで見てもらいます。
仮面舞踊の衣装です。
仮面は、インドネシア語でタップールと言う。
寺院祭礼などの儀礼に使われるタップールは、トペンと呼ばれる。
トペンをつけて踊られる舞踊をタリ・トペン(トペン舞踊)と呼ぶ。
バリの舞踊は、寺院で神々に奉納するもの。
寺院内には、控え室がないので、衆目の中で着替えることになる。
踊り手は、バリ島内では芸能人。
村人の興味津々の眼が突き刺さる。
女性の踊り子さんも同様。
若い女性の踊り子さんは、穴のあくほど見つめられることになる。
着替えが終わると、ガムランの演奏をお願いした。
15年ぶりに踊る。
道化の仮面「トペン・ゴンブラン」をつけて、踊る。
1分ほど踊っただけで息が切れている。
続いて「トペン・ムニエール」。
すっかり振り付けを忘れているので、即興で踊ることになる。
ガムランともまったく合っていない。
今の私に合わせる技量も意識もない。
二部は、客席に廻り鑑賞。
会場を提供してくれた「料理屋・如庵」女将の友人が大勢押し掛けてくれた。
女将は、私の元妻だということを、ここで発表しておきます。
皆さん、楽しい《ひととき》をありがとう。
2014年06月30日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック