24日深夜、FacebookにNabiちゃんから一番乗りの「祝・誕生日」のメッセージが届いた。
その後、続々と祝いの言葉が続いただろうと思う。
ネットの都合で、数人しか確認できずに寝床についてしまった。
今年も誕生日がやってきた。
何度も言っているが「67才」になる。
普通の67才なら、地球上で起こっている理不尽な事件や戦争、祖国日本政府の愚行に提言を述べられるのだろう。
関心はあるが、残念ながら、私にはそんな能力はない。
そして、高尚な人生訓も披露できない。
少ない知識で言えることは、言いたいことは「原発はいらない」だ。
そして「戦争はいらない」だ。
節目の誕生日には、できるだけイベントをしようと思っている。
大きくは10年単位で。
20才の時には、ナホトカ航路で一年間の放浪の旅に出た。
30才の時は、名古屋大須の「ライブハウス・コマンド」で盛大な誕生会を開いた。
40才の時は、雑用の忙しさでイベントした記憶がないほど、人生で最悪の時代だった。
42才でバリ島「ウブドに沈没」したのが、遅ればせながら40才のイベントだったのかもしれない。
人生で最悪の時代が40才前後だった。
50才と60才の時には、アグン山に登った。
67才に、これと言った感激はない。
何才で人生を終えるかわからないが、その通過点の67。
嬉しくも、悲しくも、寂しくもない。
あらたまって、何かをするつもりもない。
普段の一日、一年が続くのだろう。
終焉で見られるかもしれない走馬灯に、浮かび出される思い出が少しでもあればいいな。
70才の節目には、何かしたいと思っている。
「昨日、私の誕生日だったよ」とパチュン君に伝えると、「なぜ言わない。わかっていれば供物料理を作ったのに」と残念がっていた。
「西暦の誕生日だし、67才は私にとっては普通だからいいんだよ」言うと、奥さんのマデは「ご免なさい。覚えていたら供物を用意したのに」と恐縮していた。
優しい家族に守られて生活しているという実感がした場面だった。
バリ人の誕生日は、ウク暦によって祝われる。
ウク暦は、7日を単位とする30の週(ウク)によって成り立っている。
7日×30週=210日、これがウク暦の1年。
■7日の単位(かっこ内はインドネシア語)。
月=COMA(senin)/火=ANGGARA(selasa)/水=BUDA(rabu)/木=WRASPATI(kamis)/金=SUKRA(jumat)/土=SANISCARA(sabutu)/日=RADITE(minggu)
■30の週。
1)SINTA 2)LANDEP 3)UKIR 4)KULANTIR 5)TULU 6)GUMBREG 7)WARIGA 8)WARIGADIAN 9)JULUNGWANGI 10)SUNGSANG 11)DUNGGULAN 12)KUNINGAN 13)LANGKIR 14)MEDANGSIA 15)PUJUT 16)PAHANG 17)KRULUT 18)MERAKIH 19)TAMBIR 20)MEDANGKUNGAN 21)METAL 22)UYE 23)MENAIL 24)PRANGBAKAT 25)BALA 26 )UGU 27)WAYANG 28)KELAWU 29)DUKUT 30)WATUGUNUNG
誕生日は、オトン(オトナン)=oton & otonanと呼ばれる。
私のオトンは、KULANTIR(4番目の週)ーSUKRA(金)ーPON。
今年は4月4日と10月31日の2度ある。
このように西暦の月日と違ってくる。
子供は、誕生してから3回目(210日×3回=630日)のオトンまでが重要とされ、その後は、供物を捧げるだけで終わっているようだ。
最近の子供たちは、西暦の誕生日も祝っているようだ。
日本人と同様に、バレンタインデーやクリスマスと同じノリなのだろう。
ウク歴に基づいて生活しているバリ人は、西暦の誕生日を知らない人がほとんどだった。
自分が何才であるかという概念が希薄だ。
インドネシア政府からKTPとよばれる身分証明書を持つように義務付けられ、記憶をたどり生年月日を思い出そうとする。
誕生年は思い出しても、月日までは無理。
頭の中には、オトンしかない。
そこで適当に書き込むことになる。
誕生年が1〜2年曖昧な人。
月日は1月1日だったり12月31日とわかりやすくする。
オトンの組み合わせで、運勢を占う人がいる。
バリヤンと呼ばれる呪術師だ。
性格から適した職種を判断したり、どのオトンの人と相性がいいかもわかる。
ブラックマジックに悪用されると言う話も聞く。
自分のオトンを知りたい人は「アパ?情報センター」にお立ち寄りください。
インドネシア語で書かれたオトンについての冊子が保管されております。
生年月日を提示すれば、ワヤン君が丁寧に教えてくれますよ。
どんな仕事に向いているか。恋人の相性も訊くこともできます。
節目ではないが、来年(2015年)は南米コロンビアに行く予定でいる。
これは、私の人生におけるビックイベントの一つになるだろう。
67才は、どう生きるか模索の一年かもしれない。
2014年07月29日
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