その昔。
昔と言っても、私が訪れた1990年にはあったという話。
ニュークニン村とシンガクルタ(Singakerta)村を結ぶ橋。
今、当然のように通行している橋は、1997年2月の完成。
バリで始めてのS字型架橋だそうです。
このS字型架橋が完成する前は、渓谷に下りて、岩と岩とを繋いだ竹の橋を渡っていた。
それが「サーカス・ブリッジ」と呼ばれた橋だ。
ツーリストは「bali path finder」を頼りに歩いた。
私は日本語訳小冊子「バリ島・海のない村へ」を役立たせていただいた。
ウブド西チャンプアン橋を越えて、ペネスタナン村からシンガクルタ村へ。
シンガクルタ村から「サーカス・ブリッジ」を渡りニュークニン村へ。
ニュークニン村からモンキーフォレストを抜けてウブドに戻る、3〜4時間の散歩コース。
「サーカス・ブリッジ」は、大人ひとりが通るのにやっとの橋で、自転車は担いで渡る。
橋のたもとは、村人のマンディ場。
巨大な岩の間で小エビを採る子供たちの姿も見られた。
渓谷にホテルがオープンして、マンディする村人が減った。
久しぶりに「サーカス・ブリッジ」のあったあたりを散策してみよう。
まずは、ニュークニン村側から降りてみます。
S字型ブリッジが出来る前は、ニュークニン村南端の雑木林だった。
そこを切り拓いて橋を架けた。
「日本料理店・影武者」からS字ブリッジに向かう。
ホテル「バリ・スピリット」とブリッジの間にある小道を辿っていく。
ブリッジの下に出る。
ニュークニン村側からのマンディ場。
写真の中央あたりに「サーカス・ブリッジ」はあったはず。
ちょっと記憶が曖昧。
左上の流木を覚えておいてください。
のちほど、シンガクルタ村側からの写真で、「サーカス・ブリッジ」のあった位置を検証(使い方可笑しいけど許してください)できます。
戻り道、地元のオジイさんと遭遇した。
首にタオルを巻いていたので、マンディに行くのだろう。
「スラマッ・ソレ」挨拶をすると、「どこへ行って来た」と訊かれた。
「竹の橋があったとところを見に」と答えると、「昔はよかったな」とつぶやいて降りていった。
杖を片手にしたオジイさんの脳裏に、今のニュークニン村はどう写っているのだろか。
言葉ができれば、聴きたかった。
◇
シンガクルタ村側からは、村はずれの突き当たりに、渓谷に降りられる小道があった。
今は、ホテル「LABAK RIVER HOTEL」横のコンクリート階段になっている。
目印は、入口の祠。
階段は60段ほど。
マンディ場。
左上の流木が、ニュークニン村側4番目の写真に見られたと同じ流木。
写真の手前が、竹の橋が架かっていた場所のはず。
こちらの方は、記憶がはっきりしている。
サーカス・ブリッジが、映像となって瞼の裏に浮かんだ。
写真が残っていなくて残念。
あなたも心地よい川風を感じてみませんか?
「日本料理店・影武者」にお寄りの際は、ちょっと足を伸ばしてみるのも良いのでは。
こちらも、昼間に限りますがね。
ベジ寺院ニュークニン村のオダラン(71)と同じ〆でゴメン。
※写真(1995年)が出て来たので掲載します。

竹の橋が架かっていた場所は、写真手前ではなく、写真中央の一段高くなった岩でした。
水かさが違うのでわかりにくかったようです。
水の音を聴きながら、昼寝をしたい場所です。