理解できないのは、当然かもしれない。
これは年数の問題ではないだろう。
自分自身のことすらわかっていないのに、他人のことなどわかるはずがないのだ。
人には、それぞれ性格があり、違って当たり前。
十人十色、百人百色、千人千色、人の数だけあると言ってもよいだろう。
実にバラエティ豊かな人間性がある。
文化や習慣、社会構造が違えば、さまざまな価値観が生まれてくる。
挨拶の仕方、感謝の気持ちの表し方、約束の果たし方、ジョークの使い方、友だちとのつき合い方などなど、あげたらきりがない。
バリ島がオランダに領地された時代に形成された、バリ人の性格もあるかもしれない。
環境要因も加わり、また、年とともに性格は顕在化してくる。
ここで言うバリ人は、男性のことです。
女性に関しては “洋の東西を問わず” 、私には不可解な生き物なので始めから除外しています。
成人した男たちは、集落組織・バンジャールの影響が大きいようだ。
環境によって培われた性格や生まれ持った気質が混ざりあって、今のバリ人を作っている。
育って行く過程で形成される性格・人格と言った方が正しいかも。
バリの民族音楽「ガムラン」に、目立たない精神が集約されている。
「ガムラン」には、決まったリーダーがなく、どのパート楽器も重要で、どの一つが欠けても音楽は奏でられない。
コンダクター(指揮)役としてクンダン(太鼓)やガンサ(鍵盤楽器)があるが、これもソロとして目立つ存在ではない。
どれかが目立ってはいけないのだ。
目立ってソロを奏でる者は嫌われため、テクニックを見せびらかすことはしない。
調和が、素晴らしい音楽を創っていく。
すべてが同じ力で演奏されることによって音が調和する。
これは、人間社会の協調性と同じだ。
舞踊も同じだ。
同じレベルで、踊ることが重要である。
技量の優れた人が、他の踊り手の技量に合わせる。
この協調性が、バリ人の性格を形作っている。
彼らは同じような絵を描いたり、同じような商品を作ったり、同じような商売をする。
これも、同じことをすることで他人より目立たないとする、彼らの気持ちの現れだろう。
同じ村で、同じ商品を創っているのも、バリ人のそんな性格が原因のように思われる。
石彫のバトゥブラン、竹細工の村のボナ、銀製品のチュルク、木彫のマス、ウッド・カービングのテガララン、アタ・バッグのトゥガナンなどがそうだ。
バンジャールの活動も協調性が重視される。
ある日本人が「彼らに、創造性が乏しいからだ」と言った。
確かに、そんな一面もあるので反論はできない。
◇
ひとくくりにするのは強引だと思うし、それをバリ人の性格として押し込めてしまうには無謀だろう。
わかっていますって。
ここでは「私が接したウブドっ子の多くはこんな感じでした」と、一塊にしてみることにした。
ウブドっ子は「他人より目立ちたくない・みんなと同じが良い」という考え方を持っている。
よく言えば〈奥ゆかしい〉、悪く言えば〈日和見主義〉。
他人より目立つことを嫌う。
他人と争わない。
他人より抜きんでることが好きではないようだ。
某レストランで、勤続年数も長く勤務態度も良い統率力のある男性に統括主任を任命しようとした。
しかし、彼は「みんなと同じでいい」と断ってきた。
ウブドでは、よく聞く話だ。
そんな考えが、チョットくつがえされる事件が起きた。
ふらっと入った、プリアタン村にある知人のワルン。
知人はいなかったが、奥さんが店番をしていた。
コピ・バリを注文して、長椅子に腰をおろした。
背中に視線を感じて振り返ったら、そこには見たことのある顔があった。
壁の大きなポスターに、知人の顔が写っていたのだ。
無いはずの前歯が、写真修正で綺麗に揃っている。
何で、こんなものが壁に飾ってあるんだ!
どういう趣味だ!
思わず叫びそうになった私に、奥さんの笑顔が冷静さを取り戻してくれた。
彼は、どちらかというと個性的過ぎて、見方によっては怖い顔だ。
この写真で、顧客が増えるとは想像できない。
それなのに何故?
サテ・イカンのワルン《マデ・ロイ》の入り口にも、主人の顔写真POPがある。
自分の写真を伸ばして店に飾る神経が、わからない。
〈他人より目立ちたくない〉と言いながら、この矛盾する行為。
バンバンやマデ・ロイさんが、特別の人ではないと思う。
バリ人って、自己愛が強かったのかな。
一層、バリ人が理解し難くなっていったのである。
憧れの3D ito-sanに幸運にもお会いできて、伊藤さん繋がりで、思いがけなくお友達もできました。ありがとうございました。コロンビアへはいつ発たれるのでしょう、幸運がありますように。
バリ料理教室、ご一緒できず残念でした。
コロンビアは来年2月出発予定です。