“授かり婚(おめでた婚)” “駆け落ち婚” のことを書いておいて、正真正銘の結婚についてお伝えしないのはよろしくない。
と言うことで、いよいよ結婚についてお話しよう。
その前に、バリの結婚形態にいくつかを紹介しておく。
名称については、それぞれの地域によって異なることが多いので、ご了承願います。
“授かり婚” に該当するバリ語は言葉が見つからなかったが、駆け落ち婚は、ンロロッド=ngrorod(または、ムライビン=melaibin(ben))だった。
これは(ンロロッド&ムライビン)、逃げる(lari=インドネシア語)という意味らしい。
養子をもらう、入り婿婚は、ニュンタナ(nyentana)。
親同士が決めた “いいなづけ” は、ディジョドォカン(dijodohkan)。
予約婚である、マパディ(mapadik)などがある。
結婚が決まると、花婿方が供物などを持って花嫁の家に行き、花嫁を貰い受けたいと申し入れ承諾を得る。
婚姻儀礼は、バリ語で “ンガンテン(nganten)”、トリワンサ層が使う丁寧語では、ムクラブ・コンベ(mekerab kombe)/パウィワハン(pawiwahan)と言う。
インドネシア語では、プルカウィナン(perkawinan)&プルニカアン( pernikahan)となる。
婚礼日は、バリ・ヒンドゥー・ダルモの暦からふさわしい日が選ばれる。
ガルンガン祭礼日前に結婚儀礼が多いので、機会があれば参列させてもらうといい。
ウブドはもちろんのこと、バリ島にバリ・ヒンドゥー教徒のための婚姻儀礼施設は無い。
バリには、プラと呼ばれるヒンドゥー教寺院がたくさんあるが、日本の寺院や神社のように結婚式場として使われることはない。
では、いったい彼らはどこで婚姻儀礼をあげるのか?
なんと! 花婿の実家で執り行われるのです。
別に、なんと!と、驚くほどのことでもない。
日本でも、実家でおこなっていた時代はある。
住宅事情と経済的事情で姿を消したのであろうことは理解できる。
最近バリでは、披露宴をホテルであげるカップルも増えてきている。
将来、バリ人の結婚式も、日本人と同様に結婚式専用の施設でおこなわれることになるのであろうか?
それは味気ない。
なんとか花婿の実家で執り行うと言う慣習を残して欲しいものだ。
バリ人の屋敷には、必ず、家寺(サンガ・ムラジャン)と、中央にバレ・ダギン(bale dangin)と呼ばれる慣習の行事が行われる東屋がある。
子供の誕生、削歯、婚姻、葬儀など人間の儀礼(マヌシャ・ヤドニョ=manusa yadnya)に関するすべてをおこなう、神聖な場所。
儀礼は、このバレ・ダギンと家寺を中心にして行われる。
敷地内の建物はそれぞれに役目があり、それに従って使われる。
バレ・ダギンは飾られ、たくさんの供物が安置されている。
供物作りは、バンジャールの女衆の仕事だ。
バンジャールの男衆は、数週間前から門前や屋敷内に装飾を施し、庭に参列者のための日除けや椅子を用意する。
装飾はプルンクンガン(Pelengkungan)と呼ばれる。
近頃日除けは、貸しテントを使用するようになった。
婚礼は宗教・慣習にのっとり、簡易なものから複雑なものまで、高い費用をかけた豪華なものから質素なものまである。
婚姻儀礼は、次のように行われる。
これは、私が数々参列した婚姻儀礼の模様をまとめたものです。
写真は「アパ?情報センター」スタッフのワヤン君から拝借しました。
地域によって、カーストによって、儀礼の方法が違うことがあるので、こちらもご了承願います。
花婿・花嫁はバレ・ダジョー(ムテン)と呼ばれる建物に居を構え、儀礼に備える。
私がパチュン家で住まわせてもらっているのと同じ建物だ。
バレ・ダジョー前には、バナナの葉で作られた門、塀が飾られ、本日の主役がここから出入りすることがわかる。
日本料理店・影武者のスタッフ、ワヤン君の婚姻儀礼では、庭で「闘鶏」を見た。
これは純粋にムチャル(地霊をおさめる)の儀礼だったようだ。
早朝6時:プマンク(僧侶)が到着。
プマンクは、バレ・ダギンとバレ・ダジョーの間の庭に敷かれたゴザに腰を下ろし、家寺に向かってお祈りを始める。
バレ・ダジョーから花婿・花嫁が正装で登場。
親族が見守る中、儀礼が始まった。
花嫁の持った約30センチ四方の草の敷物を花婿がクリス(青銅の短剣)で刺し貫く、花婿が作ったラワールを花嫁が売り歩くという商いの真似をする。
この一連の儀礼的行為は、これから2人で力を合わせてやっていきましょうという意味。
このあと、2本の枝に渡した糸を歩いて切った。
午前8時:花婿・花嫁は、家族に付き添われて近くの川へマンディに行く。
最近は、家にあるカマル・マンディ(浴室)で済ますことが多くなった。
マンディ場で、真新しい服に着替える。
家寺に入り、プマンク(僧侶)の儀礼執行とともに、花婿家の祖先に祈りを捧げる。
この儀礼は、霊力の強い正午をまたがないよう午前中に行われる。
このあと、花嫁の実家が近い場合は、花嫁の家に向かう。
そしてプマンクの儀礼執行とともに、花嫁家の家寺で2人が祈る。
これはプジャティ(pejati)といい、花嫁が実家を出て花婿の家に入ることを花嫁側の祖先にことわる儀礼です。
実家が遠い場合は、ほかの日に行う。
マンディのあと花婿・花嫁はバレ・ダジョーに戻り、しばしの休憩のあと婚礼衣装に着替える。
午後2時:プダンダ(高僧)到着。
プダンダは、バレ・ダギンの一段高くなった台に鎮座し、衣装を着替え儀礼の準備をする。
花婿・花嫁がバリの婚礼衣装で登場し、飾られたバレ・ダギンにあがる。
アンクルンの演奏とワヤン・ルマが演じられ中で、プダンダの厳粛な儀礼が始まる。
お祈りをし、清めの儀礼(melukat、mejaya-jaya)を執行してもらう。
プダンダから儀礼が終了したことを告げられる。
儀礼が滞りなく終り、2人は目出たく結婚することができました。
ワヤン君の結婚儀礼は、プダンダではなくプマンクだった。
午後4時:披露宴。
友人・知人は、儀礼終了後の披露宴に招待される。
儀礼に参列することも許されるので、興味のある方は早朝から参加しましょう。
招待客がぞくぞくと訪問する。
玄関に設置された受付で芳名録にサインし、プレゼントを渡す。
近年、プレゼントは減少し、キャッシュを包んで用意されたボックスに投入するようになった。
受付で飲物のボトルとスナック菓子を手渡され、先に進む。
花婿・花嫁が満面の笑顔で、ひとり一人をお迎えする。
お祝いの言葉を交わす。
招待客は、祝辞を伝えると奥に進み、用意された椅子に腰を下ろす。
披露宴が始まり、村長、親類代表の来賓が挨拶する。
村長、親類代表の前で、バンジャールの成員になった書類にサインする。
バリ人の婚姻は、村人、そして、互いの村(バンジャール)同士が認めて成立するというところがある。
結婚届を提出しただけで、いつのまにか結婚していましたというのは、バリでは認められない。
招待状には、一度に大勢が訪問しないように、それぞれ時間を割り振って出席する時間が指定してある。
賃貸結婚式場ではないので、時間に制限がない。
都合が悪ければ、指定時間以外でもかまわない。
招待される者としては、有り難いシステムだ。
招待客は、切れ目なく訪れる。
しばらく歓談していると、食事を薦められる。
奥庭のテーブルの上に、バンジャールの男衆によって準備されたバリ料理が幾皿にも盛られている。
バイキング形式で、自ら手にした皿に料理をのせナシ・チャンプールを盛りつける。
来訪した順に食事をすませると、三々五々帰路につく。
新郎新婦は、参列者を見送る。
午後10時:すべてのお客様が帰ると、セレモニーは終了する。
長くなってしまったが、以上がバリ・ヒンドゥー・ダルモの婚姻儀礼一例です。
ほかにも、様々なバリエーションがあるようです。
このあと3日間一歩も家から出れないとか、新婚旅行は行くのか、それ以前に結納の儀礼はあったのか、なんてこと。
興味ある方は、自分の眼で確かめてください。
※参考文献:極楽通信UBUD・Vol.15「Upacara Perkawinan・結婚式」&「バリ宗教ハンドブック」吉田竹也・著
2014年12月04日
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