2015年03月13日

三州足助・商家の町並み散策(13)

3月7日:

行ってきました、豊田市の観光地に。

豊田市中心部(豊田市駅)から、車で約一時間ほど山間部に向かう。

目的地は、足助地区の中心地・足助。

足助川と巴川が合流する地点。

足助川沿いには商家の町並みが残り、巴川沿いは「香嵐渓」と呼ばれる紅葉の名勝がある。

足助地区は小原地区と同様に私の滞在候補地のひとつに入っていて、その下調べも兼ねている。

車の運転は、水野君。

私のために、忙しい一日をさいてくれている。


駐車場に車を預け、巴川に沿って歩く。

平日の冬だからか、行楽客の姿が見えない。

赤い欄干の橋を渡った先は、飯盛山(254メートル)の裾野。

飯盛山の頂には足助城城跡公園がある、が今日は登らない。

裾に広がる木立は、紅葉の季節には素晴らしい景色が見られるだろうと想像できる。


香嵐渓の中心に建つ三州足助屋敷を見学しよう。

入場料を払って中に入ると、行楽客の姿がチラホラと見えた。

明治時代の豪農屋敷をモデルに新築したといわれる、三州足助屋敷。

屋敷の囲炉裏に迎え入れられ、寒茶と呼ばれる珍しいお茶をいただいた。

「寒茶は、山で採ってきたお茶を大樽で枝ごと蒸し、葉を10日ほど天日干しさせた、足助の一部地域の農家で昭和の初め頃まで作られていた冬に作るお茶です」と、わらじを編んでいた女性が説明してくれた。

冷えた身体に、暖かい寒茶が沁み込んでいく。

ご馳走さまでした。

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敷地内には、わら細工、機織り、桶屋、傘屋、紙漉き、紺屋、炭焼き、鍛冶屋、篭屋の作業場が再現されおり見学することができる。

鍛冶屋の若き後継者の心意気に感動し、篭屋の工匠には竹の話をたくさん伺った。

足助4.jpg

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■休館日:毎週木曜日、年末年始(祝日、及びゴールデンウィーク、11月中は開館)

■入館料:大人300円・高校生以下100円

■お問合せ:(0565)62-1188

■Web:http://www.asuke.aitai.ne.jp/~yashiki/



香嵐渓「もみじのトンネル」を戻り、商家の町並みが残る足助川沿いに向かう。

パンフレットから、ちょっと勉強してみた。

伊那街道(明治以降、飯田街道)の中継地として栄えた商家の家並みが残る足助の町。

中馬と呼ばれる人たちが行き来したことから街道は別名「中馬街道」とも呼ばれている。

中馬と書いて「ちゅうま」と呼び、伊那街道で物資の運搬に従事した全ての人々のことを指している。

この中馬のおかげで、街道の中継地点だった足助は、三河湾から塩、信州から山の産物などが集まる交易の町として栄えた。

塩は矢作川を川舟で上り、ここで荷直しされ、ここからは中馬によって運ばれる。

詰め替えられ塩は「足助塩」「足助直し」と呼ばれた。

明治44年(1911)に国鉄中央線が開通すると、物資の輸送基地としての機能は次第に衰退していった。

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大名行列の通らない、物資運搬と庶民通行の街道だと思われる。

江戸時代後期の白漆喰と黒の下見板張りの商家と明治・大正・昭和時代の建物が残っている。

人々は日常の暮らしの中、古い景観を残しながら生活している町。

五平餅・モツ煮の看板が目についたのは、私のお腹がすいていたからだろうか。

遅い昼食は、大正時代から営業を続けている飯屋「小松屋本店」で。

のれんが仕舞われた後に、地元のおばさんのうしろについて入店した。

残すところあと一膳だった「モツ丼」が食べられた。

コーヒー・ブレイクは「ろじうらカフェ」。

「ろじうらカフェ」は、このあとで紹介します。

posted by ito-san at 21:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 名古屋トランジット帰国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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