2015年06月19日

ピザ・パーティー@タロニア地方のスペイン人の家(39)

6月16日:

今朝は、木々がヒューヒューと唸る音で目が覚めた。

天窓からの陽射しが強い。

朝から快晴だ。

サレントの町を散策したあと、折角の好天気だからと、渓谷へ流木拾いにレッツゴー。

川には、多くの行楽客が戯れていた。

収穫は少なかったが、散歩はポカポカと心地よかった。

コロンアビアに、バリのカレンダーを持って来ている。

16日は、日付に黒丸がついている。

これは、この日は「ブラン・ティラム(bulan tilem)」ですよと報せている印です。

bulanは月、tilemは暗い・黒いという意味のバリ語で、月が隠れている状態を言う。

(※空に見える月のことは、バリ語・インドネシア語とも同じ。ちなみに一ヶ月の月は、サシー(sasih)・詳しくはサコ暦で)

バリでは、満月(ブラン・プルナモ・bulan purnama)と暗月には、寺院でお祈りをする重要な日。

ニュームーンじゃなくて、ダークムーンですよ。

新月と訳す人がいますが、バリ的には、暗月のほうがより正確だと思います。

夜9時。

窓を開けると、清々しい風が流れ込んで来た。

虫の鳴き声とせせらぎの音に誘われて、外に出た。

我が家前の街路灯の明かりが消えていた。

真っ暗闇だ。

おかげで、満天の星が見られた。

空気が澄んでいるからだろう。

信州の山中にいるような錯覚を覚えた。

木曽福島・上松町で立ち上げたオートキャンプ場を思い出した。

目の前に、南十字星がクッキリ見える。

少しずつ木の陰に沈んで行く。

あっ! 流れ星。

お願いをする暇はなかった。


話は、5月23日にさかのぼります。

ジュンペイさん家に、カウチサーフィンで泊まっている女性がいる。

(※カウチサーフィンについては「ココラ渓谷に林立する椰子(14)」に説明があります)

私がサレントに来る以前に、ピノさんの家に世話になったことのあるイタリア人。

ピノさんのお客なのだが、出張でいないため、ジュンペイさんが泊めてあげている。

イタリア人女性の名前は、フランシスカさん。

イギリス・ロンドンに住んでいたが、今回の旅が終わればイタリア・ローマに帰るという。

帰国を2日後に控え、ピザ・パーティーの企画が持ち上がった。

本場、ローマのピザが食べられるということで、私は大喜び。

それはそうでしょう、今まで、ピザは「SOMEUI PIZZA」でした食べたことがない。

満足・満腹はしたが、美味しさ100パーセントではなかった。

(※今夜の夕食は、ピザorハンバーガー?(29)に関連記事あり)

だから、期待に胸を膨らませているというわけだ。


会場は、サレントの丘を右手に入る山道を上ったところに住んでいる、カタロニア地方のスペイン人の屋敷。

ここに、ピザ釜があるのだ。

なんでもカタロニア地方って、フランスとスペインにまたがる地域にあり、独立を望んでいる民族らしい。

そんなことでスペイン人と言われるのを嫌う人がいる。

ここの当主もそんな御仁。

だから、スペイン人と言わないように心得ていく必要がある。

訊ねるなら「カタロニア人ですか?」と言わねば。

そんなことを気にしていて、名前を覚えていない。

集合が夜8時だったため、屋敷と長期滞在者向け宿泊施設と周辺の景色写真が撮れなかった。

次回に、チャンスがあるだろうことを期待した。


参加者は、当主と宿泊客の男女2名、フランシスカさんとコロンビア人の恋人、ジュンペイさん、ルーベンさん、ダニエルさんに私の総勢9名。

ピザ釜を暖めるところから始まった。

薪がドンドンくべられる。

もちろん、ランプに使える木材はないか、抜かりなく見張っていますよ。

pizza1.jpg

フランシスカさんは、ピザ生地を製作中。

手伝おうとしたら「今、一番重要なところだから」と遠慮された。

イースト(酵母)を発酵させる必要があるらしい。

トッピング開始。

pizza2.jpg

当主が、釜を外から掌で触れる。

釜の温度も適温になったようだ。

pizza3.jpg
フランシスカさんです

ピザが、次々と出来上がる。

私は、2つ制作。

ピザ生地を広げ、トマト&炒めたタマネギ&チーズをトッピンングした。

すくう部分が平らなスコップのようなもので、生地を釜に入れる。

巧く滑り落ちず、トッピングがズレてしまった。

すべてが初経験。

9人で、20枚ほど食べただろうか。


pizza4.jpg


レストランのピザとは、ひと味違った旨さがある。

おしゃべりでワイワイと盛り上がって作ったからだろうか。

庭やキャンプ場のバーベキューのように、ちょっと失敗作でも美味しく思える。

パリパリ過ぎたたり、トッピングのバランスが悪かったりするが、それもご愛嬌。

これは、楽し〜い。

バリに戻ったら釜を造って、ピザ・セルフサービスカフェでも開店しようかな。

自分で作るお好み焼きのように、自己責任だし。

味は、楽しさの二の次になる。

このアイデア、使えるかな?


翌日の日曜日、フランシスカさんはメーキャップの露店をしたあとイタリアに帰っていった。

Franciska.jpg

こうして旅費を稼いでは、一年間旅をしていたんだ。

たくましいな。

「Adios(アディオス). Nos veremos(ノス ベレーモス)」

「さようなら。また会いましょう」


posted by ito-san at 00:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 南米コロンビアの旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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