ボゴタ滞在も終わる。
いよいよ、コロンビアを離れる日が来た。
今回は、さまざまなことを考える旅となった。
ウブドに戻る前に、日本に立ち寄る。
滞在は短期間の予定。
孫と遊べたらいいなと思っている。
キャッチホールでもしようかな。
息子の洋祐に、グローブを用意しておくように連絡しよう。
洋祐とキャッチホールをした、遠い昔の日々が思い出される。
彼が8歳になるまで、一緒に遊んだ。
小さな公園巡り、長島スパーランド、ディズニーランド、銭湯、海に、山に、キャンプ、スキーetc。
上海&北京の旅もした。
ほんとうによく遊んだ。
9歳までの子育ては、親子で遊ぶことと決めていた。
子育てがメインで、仕事は二の次だった。
1990年からの25年間、彼の成長を見ることができなかった。
悔いが残る。
私の人生は、あと何年だろう。
共有できなかった25年間と同じ年月を所有しようとするならば、17年が必要だ。
85歳まで生き延びる自信はない。
たとえ生きられたとしても、切断された時間は埋めることはできない。
私の心にポッカリ空いているのは、あるはずの彼との生活だった。
25年の間、この子はどんな生活を送っていたのだろう。
オヤジがいないからといって、辛い思いをすることはなかったと思うが、気になる。
反抗期、思春期に立ち会えなかった。
体力的にオヤジを越した自分を体験させてやりたかった。
彼の喜怒哀楽を、ひとつひとつ感じたかった。
オヤジの能力全開で、子供と向き合う時間。
そばに居て、受け止めてやりたかった。
私が家を出た日、彼は私の車のあとを追ったそうだ。
まったく気づかず、私はひたすら前を向いて車を走らせた。
振り返る余裕もななった。
・・・・・・・・・
涙を流していたから。
彼のそんな姿を見てしまったら、脳裏に焼き付いて離れなかっただろう。
それでは、私の日々が更に辛くなっていただろう。
その後何日も道端に立ち尽くす姿を見たと、母親は言っていた。
家庭裁判所からの判決は、洋祐がお父さんに会いたいと思うまでは、会ってはならないことなっている。
それは何年先なんだ!
私は、彼との過去を封印した。
過去を振り返らない人生を送るようになっていた。
何も覚えていない
何もかも忘れた
過去を振り返らなくなった
思い出すのが怖くて封印した過去
寂しくないかいって
いやいや、思い出すのが辛いから封印したんだ
いつ断ち切られてもいい生き方をしてきた。
先のことを考えることもなかった。
遣り甲斐、生き甲斐がなくなった、68歳。
このままだと“ひきこもり老人”になってしまうかも。
残り少ない生涯、どうやって生きようか考えている。
まずは、洋祐と話をする時間を作りたい。
封印した過去を取り戻す為の時間。
そして、孫が2人になった洋祐一家のお爺ちゃんとして認めてもらおう。
※ボゴタは、興味が芽生える場所だった。
まとまり次第、ブログにアップします。
しばらくお待ちください。
2015年10月01日
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各人各様に、過去があるんですよね。
私の息子は、片親になってしまったのですが、私は片親ではなかった。
友人・知人に、かなりの確率で片親の人が多いようです。
子供を片親にした、友人・知人も多くいます。
言わないだけで、意外と片親が多いのにビックリしています。
片親の方が良い場合もあるので、一概に可愛そうとは言えないですね。
内容にもよりますが、辛かった体験を表情に出さず、大切な思い出として保存できる度量。
この世に血の繋がった親は、2人だけ。
歳を重ねるごとに、親を許す寛容さが増してくるようです。
別れた親との再会を望んでいる友人・知人が増えている。
我が息子も、私との生活を望んでくれていると信じています。