5月18日、久々にパンチョランでマンディ(沐浴)をしてきた。
パンチョランとは、湧き水をパイプ(竹・塩ビ・鉄etc)を通して落としているマンディ場のこと。
寺院祭礼で舞踊を奉納する前には、必ず身体を清める意味でパンチョランに打たれた。
ほとんど、モンキーフォレスト内にある沐浴場を利用している。
1998年の事です。
ツーリストが今ほど多くなかった時代で、沐浴場まで足を伸ばすツーリストはいなかった。
正装姿で「マンディに行きます」と手を振れば、料金場を素通りできた。
私の奉納舞踊の話は「神々に捧げる踊り」にしたためてあります。
久しぶりに、晴れ間が見えた。
ジメついた身体に活を入れるためにマンディ(沐浴)をしようと、思いついた。
人気のスバトゥ村のムルカットは、混雑が予想されるし、私にはちょっくら遠い場所。
モンキーフォレスト内の沐浴場で、ツーリストの前に裸体を晒すのも何だな。
幾つかのパンチョランを思い起こしたが、どれも「何だな」だった。
そして、天命のように記憶がよみがえった。
ウブド内に素晴らしい「マンディ場」があるのを思い出したのだ。
さっそく正装に着替えて、出発。
記憶がよみがえった場所は、私の取って置きのマンディ場。
取って置きの場所なのに、なぜ、一番に思い出せなかったのかって?
そりゃ、ボケですよ。
「ホテル・イバ」の裏手にひっそりとあるマンディ場は、もう20年近くも行っていない。
なかば、忘れかけていた。
ウブド大通りを西に進むと、チャンプアン橋の手前右手に「ホテル・イバ」の看板が見える。
看板のある道を入り、バイクを道端に止める。
道の正面に見えるのが「ホテル・イバ」のエントランス。
「イバ」に向かって進む。
途中から、左に下る道の先には「グヌン・ルバ寺院」がある。
「イバ」のエントランスで、ガードマンに「マンディに行く」と告げると、心良くゲートを上げてくれる。
ホテルのフロントに向けて歩くと、車寄せの手前左手に幅1メートルほどの小さな鉄扉が見える。
この扉がマンディ場に続く入口。
入口のたたずまいが秘密っぽくて、前途を期待させる。
一歩足を踏み入れると、10センチほどの石を引き詰めた小道になる。
右手は「イバ」のある丘、左手は東Wos川の渓谷を覆い隠す木立。
東Wos川と西Wos川が合流するところが、チャンプアン(混ざる)と呼ばれる。
川の流れる音と鳥の声が清々しい。
時折、強い木洩れ陽が眼に飛び込んでくる。
渓谷沿いのなだらかな下り坂を5分ほど進むと、小さな橋の袂に出る。
橋の向こう側には、アランアラン草葺きのヴィラが見える。
私が訪れた1990年には、ここから先に進めば、東Wos川と西Wos川に挟まれた尾根に出られた。
アランアラン草の生い茂る風景をハイジの丘と名付けて、何度も散歩した。
イメージ貧困で、ゴメンナサイ。
今は、通行止めになっている。
現在、この尾根に行くには「グヌン・ルバ寺院」の横を抜ける専用のルートを使う。
尾根は「ブキット・チンタ=Bukit Cinta 」呼ばれ、ローカルのカップルや家族連れが訪れ、デートやオーキングのコースになっている。
ブキット・チンタとは、愛の丘の意味。
なんて、ロマンチックなネーミングだろう。
ツーリストには、見たそのままの「Campuhan Hill」と呼ばれている。
目的地のマンディ場に行くには、橋を渡らずに右手の細道を進むことになる。
残念なことに、入口の鉄の扉からここまでの映像が撮れていなかった。
どうやら動画モードになっていなかったようだ。
私には、よくあることです。
川の流れる音に、水の落ちる音が重なった。
パンチョランが近いのだろう。
パンチョランは2カ所、東Wos川の水ぎわにある。
「グヌン・ルバ寺院」が建立された8世紀以前から存在する、歴史の古いマンディ場だろう。
どの泉も古くから湧いていたのだろうが、今さらながらに関心する。
祠の近くにあるパンチョランは、聖水として頂くところだろう。
奥にある2つ目のマンディ場で、水浴びをさせていただくことにした。
人っ子一人いない空間。
ウブドの町中に、こんな静かな空間が、今も残っているのに驚かされる。
冷たい水が、気持ちい〜い!
気分はムルカット(浄化儀礼)。
私の取って置きの場所だから、他の人に教えないでね(取りあえず、言ってみた)。
あとは、動画でご覧下さい。
2017年05月19日
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