ですが「いいね」のクリックが少ない。
少なすぎる。
みんな、いいねと思っていないのだろうな。
見えない読者に向かって、スネています。
10月6日のことです。
移転した知人のワルンを訪問。
プリアタン大通りの南部、ビンギン大樹とアグンライ・ギャラリーとの間にある「ワルン・ジャワ・ティムール」。
今年7月、南側から道を挟んだ斜め北側に移転した。
ここは知人が所有する実家前の貸店舗で、「ワルン・ジョニー」の閉店後は「スペアリブの店」に賃貸していた。
旧店舗を解体して新たに立て直し、2軒の店舗にした。
その1軒が、「ワルン・ジャワ・ティムール」。
隣りは貸店舗で「J&T express」が借りている。
ご主人のクトゥッ君は、モンキーフォレスト通りにあった「アパ?情報センター」の優秀なスタッフだった。
一度訪れなくては、義理が果たせないと思っていた。
ナシチャンプールとテ・ボトルを注文した。
私には少々辛いが、味は落ちていない。
料金は、チョットばかし値上がりしていたが、まだまだお値打ち。
お薦めですよ。
《ワルン・ジャワ・ティムール(Jawa_Timur)》
★食事:ナシ・チャンプールRp15,000-/アヤム・ゴレン・サユールRp12,000-/ナシゴレンRp10,000-/フーヨンハイRp8,000-/etc
★飲物:テ・ボトルRp5,000-/バリ・コピRp3,000-/etc
★営業時間:9.00am〜11.00pm / 定休日・儀礼祭礼日/

そして、知人の在宅訪問。
クトゥッ君は、「アパ?」の責任者だったニュマン・スシロ君の弟。
2012年7月「アパ?情報センター」は、突然閉店した。
そのエピソードは「2014年05月07日:きっかけは、アパ?情報センター(2)」に書いた。
立ち上げたのは、1995年8月20日。
ニュマン君の人柄が生かせるだろうと設立した「アパ?情報センター」。
家庭の事情で出勤することができなくなり、やむなくの閉店。
「ワルン・ジャワ・ティムール」を覗いたついでに、ニュマン君の家を訪ねた。
実は、今日の目的は、ニュマン君の訪問がメインだ。
ニュマン君と袂を分かって、5年になる。
閉店のショックは、年月を経て、私の記憶の隅に追いやられた。
一度は、私が見込んだ男。
こころねは、いい奴に決まっている。
世話になったことを考え直し。
楽しかったことを思い起こす。
彼のその後が、心に引っ掛かっていた。
ニュマン君は、実家に住んでいる。
屋敷門をくぐり呼びかけると、ニュマン君は現れた。
その冴えない風貌から、覇気のないことがうかがわれる。
5年の歳月は、何も解決してくれていないのか。
娘がついてくる。
テラスに腰を下ろしたニョマン君の膝の上に、娘が座る。
いつもこうしているんだろうなと思われる、自然な動作だ。
甘えん坊なんだな。
口内炎にかかっている彼女も、元気がない。
奥さんは、仕事に出かけている。
子供の面倒をみているニョマン君は、家から出られない。
仕事もしていないようだ。
できることなら、もう一度スタッフとして戻ってきて欲しい。
外注スタッフとして再起をはかってみてはどうだろう。
その旨を、ニュマン君に伝えた。
苦慮の表情を浮かべている。
あとは彼が、家庭の事情を考慮して方法を見つけて欲しい。
いいね!が少なくてスネてらっしゃるとのことですのでコメント書きます。
いつも楽しく読ませていただいています。
「いいね!」とか押されるの、お嫌いなのでは・・・と思っておりました。
バリ島に1年に一度のペースで通い出して8年経ちます(2回ほど抜けてます)。影武者にうかがい、伊藤さんにお目にかかりたいと思ったら、影武者が移転。なおかつ、ブログを読む限りでは伊藤さんが影武者にいらっしゃるのが遅い時間ということもあって、うまくいっていません。
2016年も、伊藤さんが企画されていたココナッツオイル作りに参加したくて、移転したAPA?にうかがったのですが、ほかの参加者がいないと一人では難しいとのことでしたので、その時はあきらめました。影武者の料理教室にも同様です。
ですが、バリ島では、できることはいつか必ずそのチャンスがやってくると思っていますので、いつか、伊藤さんにもお目にかかれる時が来ると思って、その日を楽しみにしている読者もおりますので、どうぞスネずに書き続けてください。
いつもなんの反応もしない読者からのお願いでした。
縁が薄いんですかね? 哀しいことです。
励ましの言葉、ありがとうございます。
書き続けます。
劇的な対面が待っているようで、嬉しいです。