2018年04月17日

バリ滞在28年初のバイク衝突事故!(194)

夕食は、いつも「和食・影武者」でとる。

8時45分に部屋を出て、バイクを走らせる。

9時頃に坂田さんを、プンゴセカンで拾ったあと影武者に向かう。

これが私のルーティンワーク。

ルーティンワークが突然、切断されることがある。

今回は、バイク事故によって切断された。

「親子三代、バリにて3年ぶりの再会!」を果たして有頂天だったその一週間後。

まさかのトラブルに巻き込まれる。

一変して、イタイイタイ地獄に突き落とされた。

運命に分かれ道って、あるんだね。

ブログの更新がされていないので、何があったかと? 心配をしている方も多いことと考え、事故の報告することにしました。


事故は、4日午後8時40分に起こった。

テガランタン村を出て、タマン村に入ったあたりで道が急に狭くなる箇所がある。

対向車線から、欧米人女性が運転するバイクが私に向かってきた。

私の走る反対車線に侵入してきたのだ。

まさに向かってきたという感じ。

その瞬間に激突。

全身に激痛が走る。

一瞬、記憶が飛ぶ。

私は横転したバイクの後ろに、上半身をおろした姿勢で座っていた。

ぶつかってきたバイクは、後方で横転していた。

これが事故の現状だ。

動転している頭を鎮めるために、軽く深呼吸をした。

激痛が過ぎ去るのを待つ。

ゆっくりと立ち上がる。

バイクを持ち上げる気力はない。

エンジンを切った。

数名の男性がワラワラと現れ、その一人が私のバイクを運んでくれる。

私はバイクの後ろについて歩いた。

ここは海外、バイクが盗難されないとは限らない。

事故現場で置き引きに会うこともあるので、要注意。

他人を信用しない体質ができてしまっている自分に、驚く。

近くのヴィラの駐車場に、バイクを止めた。

ヴィラの男性スタッフが、ここに座りないと進めてくれる。

私のリュックを応接椅子に乗せ、ヘルメットを預かってくれた。

「吐き気はしないか?」「めまいはしないか?」と聞いてくる。

そんな症状もなく、意識はしっかりしているので「大丈夫!」と答えた。

スボンを汚すほど、右手から出血している。

ロビーを汚すわけにいかないので、道路に面したテラスに腰を下ろした。

ボカシを塗り、したたり落ちる血を抑えるために、愛用の日本手拭いで縛る。

このあと、どうするかを考える。

病院へ行くべきか。

できれば、このままルーティンワークを続けたい。

とりあえず大原さんに電話をして事故ったことを伝え、坂田さんを影武者に送ったあと事故現場に来てもらうように頼んだ。

この時になって、相手の事故車のことが気にかかった。

彼女は、大丈夫だっただだろうか。

道が狭くなったあたりは道が湾曲していて、ぶつかってきたバイクの姿は見えない。

無免許だったので逃げたのかもしれない。

私は、高額で買った5年有効の免許証を持っている。

運転免許証取得で、もう安心!(179)

ワラワラと現れた男たちに聞くと「どこかへ行ちゃった!」と答えた。

軽いゲガだったからいいが。

スタッフがミネラルウォーターを持ってきてくれた。

傷を洗えと、もう一本持ってきてくれた。

赤チンも用意してくれた。

心から親切なスタッフなんだな、と感じる。

事故の瞬間を、思い起こしてみる。

あの時、もう少し私が左に避けていればよかった。

もっとゆっくり走っていれば避けられたかもしれない。

「もし」が無いのはわかっている。

自分がどんなに安全運転していても、相手が暴走してきては避けられない。

事故は、右手の軽傷ですんだ。

介護の必要な怪我では困る。

独り者では、どうしようもない。

中途半端な怪我なら一層のこと死んだほうがまし、などと絶望的なことを考えてしまう。

今後、事故が起こらないとも限らない。

うずくまって痛みに耐えているところ、大原さんが駆けつけてくれた。

事故の説明をする。

まずは、この場を移動しよう。

ワラワラと現れた男たちは、いつのまにかいなくなっていた。


バイクは動いた。

9時30分、自分で運転して影武者に向かう。

いつもの大テーブルに到着したが、心は落ち着かない。

アドレナリンが高くなっているのか、このくらいの怪我なら病院に行かなくてもいいかと考えている。

破傷風になる心配があるので、しっかり消毒してもらったほうがいい、みんなに言われる。

とりあえずは、近くの救急病院に行くことにした。

大原さんのバイクに後ろに乗った。

10時、トヤ・クリニックで、診てもらう。

容赦なく傷口を洗う。

しっかり消毒したあと「マスの病院に行ってください」と言われる。

そちらの先生に手術するかを決めてもらうのだそうだ。

海外保険に入っていれば、外国人専門の病院に行くんだが、あいにく私は入っていない。

10時30分、マスの救急病院(UGD)に到着。


付き添いで来たことはあるが、自分が訪れるのはバリ滞在初の経験。

痛がり屋、怖がり屋は、病院が苦手だ。

できれば、早急に済ませて帰りたい。

受付と問診のあと、処置室で手当てを受ける。

カーテンで仕切られたストレッチャーの一台に横になる。

レントゲンを撮り、各種の検査をした。

ジィ〜と痛みを我慢。

切り傷以外に甲の細い骨が折れている。

手術をすることになった。

保険に加入していないし、外国人ということで手術代は高額だ。

高齢者ビザが、デスカウントの対象になった。

宿泊代諸々の見積もり交渉に疲れたので、「和食・影武者」に由美さんに電話を変わってもらった。

00時過ぎ、悟さんが心配して駆けつけてくれた。

アパ?のワヤン君も駆けつけてくれた。

心強い。


病院内をストレッチャーでグルグル回って運ばれる。

待っている間、身体全体をハンマーで殴られたようなドスンとした痛みと戦う。

時々、激痛が走る。

5日朝6時、車椅子に乗って手術室に向かう。

生まれて初めて車椅子目線を体験。

手術準備室でストレッチャーに移動。

ストレッチャーが手術室に運ばれた。

振り返って見た壁掛けの時計は、6時10分を指していた。

着衣を外して大の字になると、寒気で震えた。

ドクターに「寒いです」と伝えると、「そうですね」と答えてくれたのを覚えている。

全身麻酔か?

目が覚める8時まで、気がつかなかった。

病室.jpg

午後4時食事。

病室食.jpg

キャスターの付いた点滴スタンドを転がして、トイレに行くのも初の経験。

最後の点滴を終え、午後6時退院。

アパ?のワヤン君は、ず〜と病院に待機していてくれた。

退院は由美さんの助けを借りて車で、テガランタンの下宿に送ってもらった。


ルーティンワークは、今日で13日間ほど切断されている。

自己診断では、傷は全治1ヶ月と自己診断した。

縫合は、20針。

主治医には、バイクが乗れるようになるには2ヶ月はかかる、と宣言された。

まだまだ、不便な生活を強いられるそうだ。
posted by ito-san at 16:05| Comment(2) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
伊藤さまの文章が相変わらず上手で、
情景が浮かび
読んでいるだけで、
わたくし貧血です。(>_<)
本当にだいじだいじにしてください。
ブログ更新ありがとうございます。
Posted by ちょろろ〜♪ at 2018年04月18日 09:23
ちょろろ〜♪さん

久しぶりのコメントありがとうございます。
お褒め言葉、励みになります。
当分、バイクに乗れないので、丘に上がった河童状態です。



Posted by ito-san at 2018年04月18日 23:48
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: