2018年04月25日

トレードマークのポニーテールを断髪!(195)

たくさんの友人・知人から見舞のコメントをいただいた。

私が事故に合って怪我をし救急病院(UGD)に駆け込んだことを、ワヤン君はその日のうちにフェイスブックにアップしていた。

右手の不自由な私は、返事のコメントを打つことができない。

ワヤン君は、お礼のコメントも私に代わって丁寧に返してくれていた。

手術後は、速攻で退院した。

見舞に訪れたくても、私の下宿を知る人は少ない。

みんなに迷惑かけたくないので、私としてはその方が都合が良い。

それでも、古くからの友人やご近所さん数人が、それぞれに怪我人を気づかった見舞の品を持参して下宿に駆けつけてくれた。

恐縮です。

食後に飲む薬のために朝ごはんの差し入れと、不自由な手では顔も体も拭けないだろうと、洗面器、お湯、タイル、持参で一週間も通ってくれた、気配りのNご夫婦には、感謝感謝です。

今は、服用も夜だけになり、身体は寒風まさつ風にして自分で拭ける。

大原さんは、毎晩「和食・影武者」からの弁当をデリバリーしてくれている。

もちろん弁当を作ってくれている「影武者」の女将・由美さんにも多大なお世話になっている。

そうそう影武者のスタッフ一同からも、見舞の品が届いた。

ワヤン君は、通院にも付き合ってくれていて、私のインドネシア語を補ってくれ助かっている。

受付の煩雑な手続きや順番待ちのカードなどを、てぎわ良く代行してくれる。

多くの友人・知人の励ましと、差し入れで生き延びております。

この誌面を借りて、お礼を述べさせていただきます。

『ありがとうございました!』


右手が不自由になって、気がついたことがある。

今まで出来ていたことが出来なくなった。

五体満足ってありがたいんだなと、つくづく感じる。

いろんな不便が起こっている。

そのひとつ、長髪がポニーテールに出来ない。

輪ゴムで括っていたのだが、片手では括れない。

トレードマークの長髪は、4年に一度ほどの割合で、自らか、それとも知人にお願いして短くしていた。

今回は、バッサリと切り落とすことにした。

23年ぶり。

やむを得ない決断だ。

PotongRambut.jpg

今から23年目前の断髪は、インドネシア映画の出演依頼を受けてだった。

まだ黒髪だ。

極楽通信・UBUD映画 “Puputan Margarana“ 出演


長期滞在を始めた1990年初頭、ウブドに床屋はなかった。

家族や知人などで手先の器用な人が、髪を切る役目だった。

どこにでも器用なバリ人はいた。

特別に器用な人には、訪れる人も多い。

店があるわけではないので、庭先で切ってもらうというアットホームな感じ。

髪を切ることをチュクール(cukur)と言い、髪を切る人のことはトゥカン(職人=tukang)・チュクールと呼ぶ。

ポトン・ランブットという言い方もある。

髪(rambut)を切る(potong)で、ポトン・ランブット。

数年前から、モダンなスタイルの「Barbar shop」が開店している。

私は、昔ながらの床屋に行ってみることにした。

これも初体験。




目的の「ポトン・ランブット」は、プリアタン村にある。

坂田さんご用達の床屋だ。

運良く、先客が終わるところだった。

壁に貼られたモデルの写真から、おとなしい目の髪型を選んで、お願いした。

店主は、バリカンとハサミで手際良くカットしていく。

無駄口が少ない。

私は鏡を見ながら「髪が細くなったな〜」。

「本数も少なくなったな〜」と、感慨にふける。

気になっていた頭頂部は、思いの外薄くなっていた。

寄る年波には勝てないね。

所要時間15分。

あ〜あ、スッキリした。

料金は、15,000ルピア。

本日のレートで、日本円にして118円。




今から、髪を伸ばす再スタート。

いつ頃、ポニーテールにできるかな?

そして、次の断髪は、どんな理由になるのかな?

最後にもう一度、ご心配をおかけした皆様に。

『本当に、ありがとうございました!』



posted by ito-san at 00:41| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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