「日本から電話です」
スタッフに、耳元でささやかれた。
「和食・影武者」の電話に、私に掛かってくることは滅多にない。
私はスマートホンを使っていて、たいていはこちらに掛かってくる。
以前、「知人の知人ですが」の電話がよくあった。
煩わしい用件に立ち会うこともしばしば。
そんなわけで、スマートホンも登録した名前が表示されないと出ることはない。
「誰から?」と問うと、首を傾げて「昼にも掛かってきました」と答える。
知らない人からの電話には出たくないので、取り次がないように頼んである。
スタッフとしては、2度も掛かってきた電話だから重要だと考えたのだろう。
彼らの気持ちもわかる。
訝しく感じながら、電話に取ることにした。
「もしもし、伊藤です」
「タツトシだけど」の声がした。
札幌の住む息子の声だと、すぐにわかった。
何年振りだろう。
「久しぶりだね」
私の言葉にかぶせるように「お母さんが死んだ」と、つぶやくように答えた。
これは、悪い冗談だろうか?
久しぶりの電話に、いきなり、別れた妻の訃報。
それはないだろう。
息を飲み込んだまま、私は沈黙した。
答える言葉が見つからない。
「俺、今、東京に住んでいるんだけど、一週間前に死んだらしい」
その一言で、私の胸が悲しみに震えた。
孤独死だったんだ。
悲しい死に、私は責任を感じた。
私の思考を遮断するかのように、息子の声がした。
「また、電話するから」
こんな短い会話で、電話は切られた。
何かを忘れている。
私は何かをしなければいけない。
寂しさに、瞼の裏が滲んでいる。
今は、考え付かない。
遠い過去が蘇ってきた。
馴れ初めを思い出している。
24才の私がいる。
この日、愛車Nコロが故障して、市バスで通勤した。
一日の疲れた身体を引きずって、バスに乗る。
バスは、起点駅の栄からサラリーマンやOLでギュウギュウ詰め。
黒川、上飯田の駅で、乗客の半数ほどが降りた。
私は先ほどから、吊り革に身体を預けている、ひとりの女性が気になっていた。
そこだけにスポットが当たったように、クローズアップされていている。
パンタロンの似合う、背の高いスリムな姿に魅入っていた。
愛車が故障して、仕方なく乗ったバスに乗り合わせた女性に、運命の巡り合わせを感じた。
上飯田橋を渡ったあたりから空席ができ、彼女は出入り口に近いひとり席に腰を下ろした。
乗客がまばらになった車内で、私は、どう声を掛けようかと戸惑っている。
空席が目立つのに立っているのは不自然だと、私は、最後部の座席に坐った。
ここからなら、彼女の姿が見える。
終点に近づくにつれて、乗客は減っていく。
彼女に、降りる気配はない。
私は、次の駅で降りなくてはならない。
バスが止まり、自動ドアーが開いた。
彼女は降りない。
私も降りなかった。
次の駅でも、彼女は降りなかった。
この次は終点駅だ。
彼女が降り、そのあとに私が続いた。
今のご時世なら、ストーカーと言われてしまうような行動だ。
私は、彼女の背中を見ながら、どう声を掛けたものか悩んでいる。
終点で降りた、ほかの乗客2〜3人が、家路を急いで私を追い越していった。
彼女は、私のことをまったく気に掛けず、前を歩いている。
こんなところで後ろから声を掛ければ、彼女はきっと、怖がって逃げてしまうだろう。
あきらめよう、という心とは裏腹に
「あの〜、すみませんが、お茶でも飲みませんか?」
と、私は声を掛けていた。
彼女は、ビックリした顔で振り返り、私を覗くようにして見た。
しばらくの間をおいて、彼女の口から「いいですよ」の幸運な言葉が返ってきた。
2人は、バス停の近くの小さな喫茶店に入った。
最終のバスがなくなるまで話をしたことは覚えているが、興奮していたのか、何を話したかはまったく覚えていない。
恥ずかしい話だが、この時、私の財布にはお金が入っていなかった。
「ごめんなさい。お金持っていないので、貸してくれる」
なんて、ず〜ず〜しい奴だと、思っただろう。
このあと、連絡先を聞いて、私は2駅を歩いて家に帰った。
この機の逃してはというあせる気持ちが、私をこんな恥も外聞もない行動にさせたのだろう。
一目惚れ。
彼女が18才の春だった。
馴れ初めのシーンが、足早に通り過ぎていった。
我にかえると、連絡先を知らないことに気がついた。
別れた妻の電話番号も知らない。
東京に住む、息子の電話番号もわからない。
2018年07月04日
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