シルビオ・サントーサが発行していたバリ島の地図「PATH FINDER」は、インターネットの普及から廃刊に追いやられたようだ。
ウブド在住のシルビオの地図は、特にウブドが詳細で、徒歩でしか通ることのできないルートまで網羅していた。
私のウブド探索に、おおいに貢献してくれた。
ガイドブック「地球の歩き方」の散歩道紹介は、これを参考にした。
「バリ島ウブド・楽園の散歩道 / ダイヤモンド社」で、彼の功績を紹介(P141)している。
ボロボロになった「BALI PATH FINDER / 12th EDITION / 2015」が、私の手元にある。
折り目が切れ切れになった地図を広げて、ゴアガジャ周辺に目をやる。
かなり以前に、迷い込んだプセリン・ジャガット寺院(Pura Pusering Jagat)の裏手で、崩れかけたチャンディを見たのを思い出した。
チャンディは石造の寺院や霊廟のことを言うが、バリでは建造物はなく崖(Tebing)に直接掘られている。
そんなことからCandi Tebingを呼ぶ。
今頃、崩壊しているかもしれないな。
そんな不謹慎な期待を持って、出かけていった。
プセリン・ジャガット寺院は、修復されて威風堂々としていた。
村はずれのマンディ場の前を通り過ぎたところにバイクを止めて、階段を下りていく。
反対側から青年が上ってくる。
対岸のティティアピ村から来ていた。
身体を悪くしたので、健康のために散歩していると言う。
渓谷を見下ろすと、チャンディは記憶を辿るように存在していた。
崩壊はしていなかったが、以前より朽ちているように感じるのは気のせいか。
「ティティアピ村から来れば、ここまでバイクで下りられるよ」と教えられた。
すぐに確認がしたくて「ティティアピ側から下りてくるので、ここで待っててくれませんか?」と約束をして、バイクに戻った。
ティティアピ村の十字路を南下すると、突き当たりは火葬場。
沿道に「Candi Tebing Kelebutan」の表示。
新設の歩道が、奥に続いている。
バイクで歩道を下ると、先ほど青年と立ち話をした場所に着いた。
プセリン・ジャガット寺院側とティティアピ村側からの合流地点だ。
足下は、川が流れる洞窟になっている。
青年の姿はなかった。
時間は午後5時、眼下に水浴びをする男性達の姿がある。
集団の中に、青年がいるのかもしれない。
渓谷に下りて行っても、裸体をビデオに撮るわけにいかない。
撮影は、次回にすることにした。
この数日後、ティティアピ村から2度訪れている。
ウブドの西方・アンドンの十字路をホテル・マヤ・ウブド方面に向かった渓谷の向こうに、ティティアピ村はある。
ウブドからもっとも近いチャンディは、シンガクルタ村の「Candi Tebing Jukutpaku」だと思い込んでいた。
■私の瞑想スポット教えます!(328)http://itosan-ubud.seesaa.net/article/470768725.html」
ウブドの変則十字路(サレン王宮)からだと、「Candi Tebing Kelebutan」と「Candi Tebing Jukutpaku」は、ほぼ同じ距離にある。
ゴア・ガジャだって2キロと差はなかった。
新設の歩道の途中に、チャンディが見える。
近づくと、持ち運びのアルミのハシゴが立て掛けてある。
これで下りるのだろう。
昇降してみたが、危険を感じて足が震えた。
高所恐怖症の方は、遠慮したほうが良いだろう。
真っ直ぐの階段を、渓谷に向かって下りていく。
右手に、アルミのハシゴで下りたチャンディが見える。
左手対岸には、朽ち果ててはいるが歴史の気配が感じられるチャンディが掘られている。
川の流れる洞窟には、水たまりでできていてマンディ場になっている。
子供達に混じって、私も水に浸かる。
少量の水が落ちる滝には、小さな虹が映っていた。
洞窟の中に入ることもできる。
子供達がマンディしている場所は、お尻が隠れるほどの水深だが、洞窟の入り口付近は胸まで浸かった。
滝の落水で、カメラを濡らすわけにはいかない。
洞窟内へは、合流地点の反対側から入った。
村人に、ツーリストを誘致しようという意識がないように見受けられる。
整備されて観光地になるのも好みじゃないが、崩壊して消滅してしまうのも問題だ。
「将来どうなっているか?」
そんなことも、楽しみの一つと考えることにしよう。
2019年12月20日
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