2020年01月07日

懺悔の回顧録・プロローグ(337)

明けまして、おめでとうございます。

今年も拙い文章のブログを、お付き合い願えることを希望しています。

7月25日には、また一つ歳を重ねる。

昨年は、干支が6回巡った72歳を過ごした。

70歳を迎えたあたりから、孤独を感じ始めるようになった。

新年から愚痴って申し訳ない。

大きな要因は、先妻の訃報だったかもしれない。

2年前「日本食・影武者」に電話が入った。

「かあさんが、一週間前に死んだよ!」

息子からの一声に、身体が震えた。

一人息子が東京に就職していて、独り住まいだったと言う。

7日間も誰にも気づかれずにいたことの残酷さ。

他人事だと思っていた孤独死が、身内に起きたことに大きなショックを受ける。

何もしてやれなかった不甲斐ない自分に、腹が立った。

今の私に北海道は経済的に遠く、駆けつけることもできない。

二重、三重と申し訳なさがつのる。


私が25歳の時に結婚した彼女だ。

5歳年下の20歳だった。

18歳の彼女と知り合い、結婚生活は5年間。

身重の体で、離婚届を残して私の前から姿を消した。

彼女が別れたがっているなんて、まったく気がつかなかった。

だから、離婚の理由もわからない。

鈍感なんだな。

すぐに帰ってくるだろうと、単純に考えていた。

多忙を理由に、迎えに行く機会を逃してしまった。

25歳から30歳までの私は、己の前しか見ずに突き進んでいた気がする。

こんなことは理由にならないな。

単なる利己主義なだけの奴だった。

ある小説の中にあったセリフが、身にしみる。

「あなたにはまだ実感はないだろうけど、人に会えるのはね、生きている間だ」

逝った人は戻らない。

痛恨の後悔だ。

もう二度と会えないという思いは、いくら理屈でわかっていても、やるせない。

最善の方法は、時が戻って、すべてが元通りなることだ。

そんなことは、天地がひっくり返ってもありえない。

聞きたいことはイッパイあった。

伝えたいこともイッパイある。

あれこれ考えるだけで、切なさが込み上げてくる。

空白の時は、もう埋めれない。

心残り。

年頭に当たって、恋人になってくれた過去の全ての女性に、不誠実を悔恨したい。

現在、楽しい人生を送っている彼女たちの過去は語れない。

回顧録として、永眠した妻の思い出を書き残しておこうと思っている。

次回からしばらく「懺悔の回顧録」が続きます。

重いブログになると想像できる。

そんな話は読みたくないという方は、無視してください。


続く・


posted by ito-san at 18:12| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: