明けまして、おめでとうございます。
今年も拙い文章のブログを、お付き合い願えることを希望しています。
7月25日には、また一つ歳を重ねる。
昨年は、干支が6回巡った72歳を過ごした。
70歳を迎えたあたりから、孤独を感じ始めるようになった。
新年から愚痴って申し訳ない。
大きな要因は、先妻の訃報だったかもしれない。
2年前「日本食・影武者」に電話が入った。
「かあさんが、一週間前に死んだよ!」
息子からの一声に、身体が震えた。
一人息子が東京に就職していて、独り住まいだったと言う。
7日間も誰にも気づかれずにいたことの残酷さ。
他人事だと思っていた孤独死が、身内に起きたことに大きなショックを受ける。
何もしてやれなかった不甲斐ない自分に、腹が立った。
今の私に北海道は経済的に遠く、駆けつけることもできない。
二重、三重と申し訳なさがつのる。
私が25歳の時に結婚した彼女だ。
5歳年下の20歳だった。
18歳の彼女と知り合い、結婚生活は5年間。
身重の体で、離婚届を残して私の前から姿を消した。
彼女が別れたがっているなんて、まったく気がつかなかった。
だから、離婚の理由もわからない。
鈍感なんだな。
すぐに帰ってくるだろうと、単純に考えていた。
多忙を理由に、迎えに行く機会を逃してしまった。
25歳から30歳までの私は、己の前しか見ずに突き進んでいた気がする。
こんなことは理由にならないな。
単なる利己主義なだけの奴だった。
ある小説の中にあったセリフが、身にしみる。
「あなたにはまだ実感はないだろうけど、人に会えるのはね、生きている間だ」
逝った人は戻らない。
痛恨の後悔だ。
もう二度と会えないという思いは、いくら理屈でわかっていても、やるせない。
最善の方法は、時が戻って、すべてが元通りなることだ。
そんなことは、天地がひっくり返ってもありえない。
聞きたいことはイッパイあった。
伝えたいこともイッパイある。
あれこれ考えるだけで、切なさが込み上げてくる。
空白の時は、もう埋めれない。
心残り。
年頭に当たって、恋人になってくれた過去の全ての女性に、不誠実を悔恨したい。
現在、楽しい人生を送っている彼女たちの過去は語れない。
回顧録として、永眠した妻の思い出を書き残しておこうと思っている。
次回からしばらく「懺悔の回顧録」が続きます。
重いブログになると想像できる。
そんな話は読みたくないという方は、無視してください。
続く・
2020年01月07日
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