2020年02月27日

懺悔の回顧録・20年ぶりの便り(344)

こうして書いているうちに、少しずつ思い出してくる。

鮮明に浮かぶこともあるが、たいていはおぼろげに駆け抜けていく。


音信不通だった私を探し当ててくれたのは、元妻だった。

彼女から厚みのある封書が届いた。

実に、私の前から姿を消してから20年ぶりの音信だ。

私の同級生だった「人畜無害」の大家さんに、消息を尋ねたようだ。

誰にも告げずに日本を発ったが、時が経てば、それなりに情報も伝わるようだ。

手紙には、息子の素行が荒れていると書かれていた。

行く末が心配だから、お父さんから意見をしてくれという頼みだった。

父親の役目を果たしていない私に、そんな資格があるのだろうか。

息子には、一度も会ったことのないのだ。

ずっと連絡を取っていない息子に「会って欲しい」という、彼女の願いは聞き入れなくてはいけない。

それは私の勤めだろう。

私は、喜んで請け負った。


20歳になった息子がバリに訪ねてくることになった。

私は、どう対応していいものか悩んでいた。

こころに動揺を抱えて、空港に迎えに行った。

ミーティングポイントでの、私の第1声は「やあ〜!」だった。

ネームカード掲げていたかは、定かでない。

感動的な涙の初対面になると思っていたが、ハグもない、あっさりしたものだった。

息子も困惑していたように見える。

緊張していたのかもしれない。

前妻の細腕で育てた息子。

私より少し背が高く、両親のようにスリムだった。

顔立ちは、どちらに似てるのだろう。

どちらかと言えば、母親似かもしれない。


私が長期滞在していた「ロジャーズ・ホームステイ」に投宿した。

父親がどんな生活をしていたか見て欲しかった。

レンタバイクを借り、バトゥール山の裾野を走った。

口数の少ない子だった。

言葉を交わすことは少なかったが、親子として行動した。

母親は、父親のことをどんな風に伝えているのだろうか。

気にかかるが、聞くことはできなかった。

息子からも、何も質問はなかった。

どんな感情で父親を観察しているのだろう。

今は、私はの姿を見せることしかできない。

聞きたいこと話したいことは、たくさんある。

その時は、ありきたりの対応しかできなかった。

嬉しかったはずだが、戸惑ってもいた。


数年後、母子でウブドを訪ねて来てくれた。

「ブンブン・カフェ」の商品を仕入れていった。

彼女の住む市で、住民の起業を援助する企画が立った。

ワンフロアに、一坪ショップを数件募集していた。

雑貨店のプランを提出したそうだ。

「人畜無害」の再開を希望したのだろうか?

結果は承認されなかった。

市の職員に、私の商品が理解されなかったのだろう。

実現されていれば、繋がりができていただろうに、残念なことだった。


私は再婚したが、バリに来る前に離婚している。

彼女は独身だったのか。

再婚したと思っていた。

それすら知らない。

子育て、暮らしの話を詳しく聞きたかった。

気にはなったが、それを聞く勇気がなかった。

「家があるから、来る?」

これは、彼女からの信号だったのか。

今後、こうして関係が深まれば、おのずと情報が得られるだろう。

その時も、じっくり話し合う機会はなかった。


続く・


posted by ito-san at 13:52| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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