みぞおちあたりが熱くなる。
表現できない感情が、湧き上がってくる。
鉄道のポイントが切り替わるように、思い出す。
20代の笑顔の彼女が浮かぶ。
手の届きそうに、今にも会えるそうな雰囲気。
無理なことだと、すぐに悟る。
これは夢だ。
元妻からの音信が届く数年前に、こんなことがあった。
デンパサール空港に、友人を迎えに行ったある日。
彼女に似た女性が、ミーティング・ポイントから出てくるのを見た。
モデル風のお洒落な男女のグループに、彼女の姿がある。
離婚してからの彼女の人生を、私は想像した。
会いに来てくれたのかもしれない。
私の胸は、トキめいた。
遠目からでは、確信は持てない。
声も掛けられない。
グループの姿が消えるまで、見送った。
諦めきれなく、ウブドまで来るかもしれないとの期待した。
期待は、霧散した。
他人の空似。
未練心が起こした、虚しい幻想だったのだ。
遠い過去を、笑顔で語り合える年齢になった。
きっと、わだかまりなく会話は弾むだろう。
北海道で元気に生活している。
遠く離れていても、いつも幸せを願っていた。
訪ねれば、いつでも会えるという安心感があった。
また会えるだろうと楽観してところがある。
離れ離れになっていた期間に何があったか、何を考えたか、ポツリポツリと語り会う日がいつか訪れる。
2人しか知らない話がある。
生まれて一週間で命を絶った長女のこと。
再婚はしていなかったようだから、母子家庭で長男を育てている。
息子の成長過程を聞きたい。
送られて来た写真には、幸せそうな息子の笑顔が写っていた。
子育てした彼女を褒めてあげたい。
話し合いたいことがたくさんある。
本人の口からは聞くとこは、もう叶えられない。
彼女は、きっと幸せに生きたことだろう。
信じて疑わない。
未だに、訃報に実感がわかない。
息子から伝えられた訃報が、悪い冗談としか思えない。
順番なら私が先だろう。
やり場のない後悔を抱えながら、時間が少しづつ悲しみを忘れさせてくれるだろうか。
巻き戻しのできない時間の残酷さを感じる。
お寺に預けられていた娘の位牌は、数年前、彼女が故郷の北海道に持ち帰ったと、長姉から連絡があった。
亡き娘の誕生日も命日も覚えていない。
母娘の墓参りすることができれば、供養と懺悔をしたい。
息子と連絡が取れなければ、縁が途絶え、それすらできないことになる。
いつか必ず、息子から連絡が来るのを信じて待っている。
人生を振り返ることの尊さを感じる72歳。
おわり・
2020年03月10日
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