朝から雨の降り続く日。
出かけられない私は、テラスで読書にふけった。
大家のパチュン君は、時間を持てあましていた。
働き者のパチュン君も、さすがに雨には逆らえないようだ。
昨日は、嫁いだ長女が旦那さんと2人の息子を伴って訪れ賑やかだった。
孫をあやす、おじいちゃんは相好を崩していた。
オヤツにピザのデリバリーを頼んでいる。
バリ人家庭で、デリバリー・サービスは普通になってきているようだ。
「バリの人も、ピザを食べられるようになったんだね」
パチュン君に声を掛けた。
私のまわりのバリ人は、チーズが嫌いだった。
「うん、もうチーズは大丈夫のようだね」
「人の集まる時は、たいていピザの配達を頼むんだよ」
テラスの腰を下ろしながら、言う。
「そう言えば、昔は自給してたよね」
私の質問に、パチュン君は嬉しげに答えてくれた。
1980年代のテガランタン村。
自給自足ができていた頃の話だ。
専業農家だからコメはある。
畑では、各種野菜。
もちろんオーガニック。
質素だが、これで十分に食事になる。
祭りの時には、庭に放し飼いの鶏が料理される。
目玉焼きも、ご馳走だ。
飲料水や炊事の水は、湧き水を汲みに行く。
燃料は、 ヤシの枯れ葉や枯れ枝で間に合う。
時には、男衆が田や川で手に入れた収穫物が食卓を賑やかす。
田んぼに入れば、タニシ、田うなぎ、カエルなどが捕れた。
川に行けば、魚、エビ、サワガニがいる。
食卓の文化がなかったバリでは、床に並べられる。
デザートは、庭に果物が豊富に実っている。
現金が必要なのは、灯りのための灯油だけ。
洗濯や水浴びは川だ。
川は、時にトイレになる。
パチュン君も田や川に獲物を求めで出かけたそうだ。
時には、友達と森に入ってリスを追いかける。
当時を懐かしがるように、身振り手振りで説明する。
リスは、ヤシの木に逃れる。
矢を手にした、友人が後を追う。
テッペンまで登りつめ逃げ場を失ったリスを、槍で射止める。
この時、ヤシの実を一つ取って降りる。
2匹なら2個というように、リスの数だけ取って来るのが村の掟らしい。
ヤシの実は、村の責任者に持っていく。
100個ほど集まったところで、売る。
得たお金は、村の福利厚生に当てるという。
テガランタン村独自の掟だと思っていたら、スバリ村でも同じ掟があった。
リスが一匹いると、ヤシの実が10個ほど被害に合うので、この掟は持ちつ持たれつなのだろう。
この日は、リスちゃんの肉がサテ(串焼き)になった贅沢な食事となるのである。
水トカゲ、ヘビ、トッケイ、トンボ、ドゥダル(羽蟻)なども食べたと、貧乏自慢の知人が語っていたのを思い出す。
30年ほど前まで、彼らは、こんなサバイバルな生活をしていたのだ。
豚を屠って皆で分けてたことはありました
豚を絶命させる人が決まっているのには驚きました
コメント、ありがとうございます。
人それぞれ得意不得意があるようで、それぞれの村で得意な人に役割がまわってくるようですね。
椰子の木に登るのが得意な人、大工仕事の卓偉な人、料理が得意な人と、それぞれに役割が割与えられているようです。
相互扶助の精神が細部に渡っているバリ、興味はつきませんね。
チビ太はどうなったの?
パチュンさんちには他には生き物はいない?
村では3mのニシキヘビもいたからね
コンビアンの妹の旦那はドラム缶でニシキヘビを飼育してたがどうなったかな?