3月27日に、外出自粛が始まってから、2週間が経つ。
幸い、世話になっているパチュン家に、ネット環境が整っていて助かっている。
お陰で、暇を持て余さずにいられる。
メールとフェイスブックも毎日、利用している。
YouTubeで、日本からのニュースを見るのが日課になった。
ニュースを見ていて、「あなたにおすすめ」メニューに、私の好きな女優さんの姿が写っていた。
彼女が主演のテレビ・ドラマ「越路吹雪・愛の生涯」だった。
越路吹雪さんは、シャンソン歌手として有名な芸能人。
「愛の讃歌」「ラストダンスは私に」「サントワマミー」「ろくでなし」などのヒット曲は、私も口ずさんだことがある。
彼女が師と仰ぐ、エディット・ピアフ女史の「愛の讃歌」は、フランス語の理解できない私の心にも響く。
主演の女性は、越路吹雪さんと同じ宝塚出身の女優。
ドラマを見て、越路吹雪さんが1980年に亡くなっていたのを知って驚いた。
Googleで検索すると、56歳の若さで死去していた。
40年前に亡くなっているので、知らない人も多いことだろう。
https://www.youtube.com/watch?v=SyMeOtZbMKw
越路吹雪さんの「愛の讃歌」
越路吹雪さんとは、1968年、私が20歳の時に会っている。
会っていると言っても、お客様とスタッフの関係だ。
この頃私は節約旅行中で、フランス・パリの日本食店「桜」で、アルバイトをしていた。
バイト期間は6ヶ月。
これは不法滞在だ。
21歳の誕生日は、独りでヒッソリと迎えた。
越路吹雪さんのエピソードを思い出したので、書き留めておく。
当時、彼女が44歳だったのに驚く。
すでに、国民的歌手のひとりだった。
NHK紅白歌合戦に、1956年から1969年に連続出場していることが証明している。
彼女は、開店前の「桜」に顔を出した。
スタッフの食事中だ。
このレストランでは、食事は客席ですることになっている。
カウンターの裏や厨房内で、隠れてするようなことはしない。
賄いご飯だが、手抜きはない。
これは、経営者の方針だった。
私がウブドに「居酒屋・影武者」を開店した1992年、バックパカーを受け入れたいと考えていた。
残念なことに、インドネシアは不法労働者に厳しく、実現できなかった。
時効だろうと考えられる今だから公言するが、かく言う私は長い間、不法労働だった。
越路吹雪さんの話に戻そう。
「ごめんなさい。食事中だったのね」
食事中のスタッフを見て、彼女は戸惑っていた。
「開店前なんですよ」シェフが対応する。
「うどん! 美味しそう!」
そう、この日の食事はうどんだった。
シェフは「うどんでよければ、食べて行きませんか?」とすすめた。
私以外のスタッフは、彼女が有名な越路吹雪さんだとは気づいていないようだ。
乙女のような微笑みをたたえて、入り口に近いテーブルの腰を下ろした。
絶頂期幕開けの芸能人とは思えない、控えめな態度に、私は心を打たれた。
「桜」は、日本からの有名人が来店する店。
カンヌ映画祭に参加する監督たちも、紳士的だった。
世界的名声の高い指揮者の使いが、ご主人様の名前を挙げて、オーダーストップ後に弁当の注文しようとした。
有名人なら融通をつけてくれるだろうという、心根が嫌いだ。
私は、注文を断った。
彼女は、有名人を鼻にかけることもなかった。
食べていったのか否かは、記憶にない。
検索から、毎年行われている日生劇場リサイタルの合間を縫ってのパリ訪問だったろうと推測する。
今、自分の44歳を振り返っている。
https://www.youtube.com/watch?v=aPcHqDlROb4
エディット・ピアフ女史の「愛の讃歌」
2020年04月11日
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