今なお、「新型コロナウイルス」の蔓延が、世界中を脅かしている。
観光の島バリは、呼吸するのがやっとの状態。
熱帯の陽光のもと、貧窮の風が背筋を寒ざむと通り過ぎていく。
先行きは、未だ闇の中。
一日も早く終息をすることを熱望してやまない。
30年前の1990年5月7日、私はバリ島ウグラライ空港に降り立った。
当時の心境を「ウブドに沈没」で語っている。
読み返して、振り返ってみた。
■はじめに
このコラムは、わたしが1990年5月7日にバリの地を踏んだ時から、ウブド滞在の約1年間を思い出しながら記してみたものである。
コラムというより、日記かメモと呼んだ方がよいかもしれない。
1990年のウブドは、濃緑の墨があるとすれば、そんな墨で描かれた水墨画のような風景だった。
それは、ひとたび闇に包まれると、モノトーンのグラデーションの世界となったものだ。
タイトルの「ウブドに沈没」はウブドが水中に沈むのではなく、わたしがウブドの魅力に惹かれ長期滞在していく過程を意味している。
ウブドを訪れた第一印象は、「日本の30年前に似ている」だった。
郵便局が一軒。
郵便は住所不定の外国人には配達されないので、定期的に郵便局に出向かなければならない。
個人所有のテレビは少数で、村人は集会場に設置されたテレビを鑑賞していた。
モータリゼーションとは無縁の村で、自動車、バイクも数えるほどだった。
それから22年が経過した。
村で数台しかなかった電話は、電話線敷設より携帯電話の普及の方が早かった。
ウブドは、目覚ましく変貌した。
今では、インターネットが使える携帯を持っているバリ人が多い。
WiFi完備のホテル&レストランが普通になりつつある。
22年間、一度も日本に帰国しないほど沈没してしまった「ウブド」っていったいどんなところ?
これを読んで、あなたも「ウブド沈没」気分を味わってみてください。
記憶が薄くなって曖昧なところもあり、途中で思い出して追加&訂正することもあるのでお許しください。
後半は、ネタ薄。
■5月・1)寝床を探す旅
1990年5月7日
隣のシートに、20代後半と思われる日本人女性が座った。
小柄で色白、それ以外にこれといった外見的特徴のない女性だ。
わたしは、彼女に向かって軽く会釈をした。
「わたし、ウブドの花嫁になるの!」
喜びを隠しきれないようすで、彼女は話しかけてきた。
ウブドはインドネシア・バリ島の山間部にある芸術の村として有名なところだが、飛行機に隣り合わせた誰もが知っているとでも思っているのだろうか。
「わたしも、ウブドに行くんですよ」
「貴族に嫁いで有名になった女性もいるけど、わたしの彼は平民なの。そんなこと関係ないわよね。愛があれば」
そう言って、くったくなく笑った彼女の顔に、限りなく広がるバラ色の前途が光り輝いているようだった。
彼女は小さなノートのページをめくり始め、会話は一方的に終止符が打たれた。
同席した親しみで返した、わたしの励ましの言葉は、聞こえなかったようだ。
こんな調子で始まる「ウブドに沈没」。
「寝床を探す旅から」〜1991年3月(29)「ニュピ祭礼日の過ごし方」までを綴っている。
外出自粛の時間つぶしの、お読みい頂けれは嬉しいです。
こちらをクリックしてください:http://informationcenter-apa.com/ubud-chinbotu.html
2020年05月07日
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