メルスィンのバスターミナルに、戻ってきた。
無事、オマール君にも会えた。
隣には、従兄弟だというトルコ人特有の濃い顔の男性がいた。
勘違いをしていなければ、昨日のうちに再会が果たせたのに、と悔やまれる。
彼らの車で、タルススの実家に向かう。
メルスィンは、メルスィン県の県庁所在地で港湾都市。
タルススは、メルスィンの衛星都市だろうくらいに考えていたが、検索すると古代ローマ帝国時代にはだったようだ。
車は、低層の家屋が並ぶ閑静な新興住宅街に入った。
そううちの二階建ての一軒家に、招かれた。
日本なら中流家庭に部類にはいる立派な建物だ。
記憶が薄くて、当時の状況が克明に説明できない。
バックパックを下ろすと、広い部屋に案内された。
部屋には、十数人々が床に腰をおろしていた。
男性は男性、女性は女性、子供は子供で固まっている。
トルコは、男尊女卑なのか。
床に広げられたビニール・クロスの上に、大きなパンとトマトスープの入った小皿がのっている。
皆んなそろっての昼食だ。
そこにいる人に見習って、片膝を立てた。
朝食はカーペットの上で
子供の泣く声が聞こえた。
儀礼が始まったようだ。
割礼は、男子の性器の包皮の一部を切除する、成年男子への通過儀礼の風習。
この日は、3人の男児の割礼が行われると聞いた。
部屋は、誕生日パーティのように煌びやかに飾り付けられている。
立ち込める匂いに抵抗を感じ、少し吐き気をもよおしたので、早々に部屋を出た。
今思えば、中途半端な想像と場の雰囲気がそう思わせたのかもしれない。
施術が終わると子供たちは、手に杖、頭に冠、ガウンを羽織った王子様の正装で、元気に外へ飛び出していった。
大人たちの安堵の顔が見える。
しばらくして、屋外に誘われた。
テント屋根が設えられた住宅の一画に、軽食が用意されたテーブルが2列並び、男たちが歓談していた。
スピーカーから声が流れてきた。
わたしには理解できない言葉だ。
今夜のイベント内容が説明されているのだろう。
オマール君に連れられて、音源に向かう。
広場に大きなテント小屋が張られ、シンセサイザーと琵琶に似たウドと呼ばれる民族楽器、アンプやマイクが用意されている。
楽団員が登場し、ウドの旋律がギターのような調べを奏で、軽快なトルコ音楽が始まった。
老若男女、全員が踊りだす。
皆んなで手を繋ぎステップを踏む。
トルコの伝統的な舞踊なのだろうか、それともこの地方特有の踊りなのだろうか。
全員が楽しそうだ。
音楽は延々と続き、踊り手も延々と踊る。
人生初のイスラム教割礼儀礼見学は、夜更けとともに終了した。
割礼儀礼は、ビッグイベント(祝宴)だった。
翌日は、大家族の遠足があった。
川が流れる公園に、ついて行った。
親類縁者の親睦を深める意味もあるのだろう。
おかげで、部外者の私も楽しい旅の思い出ができた。
■付録
ブログを仕上げるに、インドネシアのイスラム教の友人に割礼について、メールで聞いてみた。
簡単に説明してくださいと頼むと、こんな回答が返ってきた。
日本語の堪能な友人なので、原文のまま掲載します。
「割礼は元の目的は清潔の為です。
民族によって、割礼年がバラバラです。
スンダ族はだいたい7歳までにしますが、ジャワ族は中学生になる前、小学校生の時にする。
割礼方法は最近は医者でしてますが僕らの頃は割礼前の朝4時ぐらいに川に入って、麻痺させて、竹の川でチンポの先の皮膚を切る。
切った後に馬に乗せて、家に帰る。
家によってお祝い儀式が1日から1週間行う。
切ったチンポが乾くまでは数日ココナツの革を三日月の形にして、空気が入る様にサロンに挟む」
こんな赤裸々な言葉に、ビックリ。
「割礼しないと、罪になるのか?」と聞くと。
「ないけれど、イジメられバカにされる可能性あり」
「外から見ると残酷に感じるけど、イスラムの人は誇りに思っているのですね?」の質問には。
「はい、1人前の男のシンボルマークにもなる」
気になっていた、女性の割礼についても聞いてみた。
「ありますが儀式はない」
これ以上聞くのは、差し控えた。
機会があれば、インドネシアの割礼儀礼にも参加したいものだ。
2020年06月06日
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