昨年2020年の9月から、フェイスブック・ページに歌を唄う私の動画を投稿している。
目的は、コロナ禍で落ち込んでいるだろうと思われる友達の気持ちを、少し和ませればと考えたからだ。
私の下手な唄でも、役に立つかもしれない。
下手な唄だからこそ、微笑ましく感じるかもしれない。
コロナ感染症の流行をウブドで実感したのは、3月に入ってからだ。
当時は、一年も経てば、終息するだろうと楽観していた。
コロナが終息するまでの間、うまくない歌を唄おうと決めた。
音感悪い老人が、無手勝流でギターを叩いて懐メロを叫んでいる姿は、どう映っているだろう。
迷惑を感じた人もいるだろう。
しかしこの時期、何もしないより、何かをしていたかった。
できれば、明るいニュースを届けたかった。
恥ずかし気もなく、己の姿をさらけ出した。
私だけかもしれないが、この歳になると、「恥ずかしい」という感覚が希薄になるようだ。
それでも、遠慮して《 どさくさにまぎれて!》と題した。
記念すべき一曲目は、2020年9月6日の「旅の友」。
電波に乗せて唄った、記念ですべき日です。
私のフェイスブック・ページは、
https://www.facebook.com/hiroshi.ito.524
8月の後半、コロナの終息に光明は見えない。
兆しが見られないのはおろか、一層悪化していると言っていい。
8月21日に、23曲目「どうにかなるさ!」を唄った。
コロナ禍が ”どうにかなるさ" と思ったのではない。
この歌には、思い出がある。
その話を、ここでしよう。
1990年5月7日、どこかで野垂れ死する覚悟で日本を発った。
その時のことを「極楽通信・ウブドに沈没・寝床を探す旅」に書いているので読んでもらいたい。
http://informationcenter-apa.com/ubud-chinbotu1.html
機体が水平飛行に移り、シート・ベルト着用のサインが消えた。
わたしはベルトの金具をゆるめ、リクライニングの座席を少し後ろに倒し深く腰を沈めた。
眼を閉じると、瞼の裏に昨夜の出来事が浮かんできた。
昨日は、夜が明けるまで友人と酒を酌み交わした。
数時間前のことが、もう遠い過去の出来事のように想われた。
旅立ちがあと1週間と迫った頃になって、世話になった数人の仕事仲間に、長い旅に出ることの報告をしてまわった。
仲間たちは心から心配してくれた。
「当分会えないだろうから、今夜一杯やろう」
浅野さんが、そう言って誘ってくれたのは、昨日のことだ。
仕事のつき合いしかなかったが、苦労人だった彼は、わたしの今の辛い心を察してくれていたようだ。
これからを心配して、海外移住の旅を引き留めようと説得してきた。
今日までの、わたしの1年間は、いよいよ明日に迫った旅立ちに希望を抱いての生活だった。
いまさら、心変わりするはずはない。
浅野さんは、わたしの決意が固いとわかると、今度は「タイやシンガポールで事業に成功している友人を紹介するから、そこで仕事を手伝うといい」と言ってくれた。
しかし、それも今のわたしにはまったく興味のないことだった。
誰の援助も受けず、過去の実績や肩書きの通用しない土地で、ゼロからのスタートが切りたかった。
新しく「一」から始めることが、もっとも充実した時間が得られると考えていた。
カウンター越しに、われわれの会話を聞いていたマスターが「あなたの旅立ちのはなむけに、この歌を送りましょう」と、ところどころ色が剥げたアコースティック・ギターを抱きかかえ、渋いかすれた声で唄い始めた。
20歳代の頃に流行った歌だ。
小さな酒場だが、マスターは地元では有名なカントリー・ウエスタンの歌手。
週末になると仲間が集い、ライブハウスのようになる。
42年間の過去は、小さな段ボール箱ひとつに納めて長姉に預けた。
過去を封印したわたしの覚悟を、マスターはどこまで理解していただろう。
しかし、彼の唄った歌は、その時のわたしの心境にぴったりだった。
♪あてなどないけど、どうにかなるさ♪
つられて口ずさんだ私の唇が、わずかに震えていた。
あれから30年が過ぎた。
ウブドの生活は、どうにかなっている。
2021年08月28日
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