ウブドには、今でこそジェラート屋が数件あり、コンビニ&ワルンではアイスクリーム冷凍ケースがあり、レストランではメニューにアイスクリームが給されるようになったが、その昔、ウブドでアイスクリームを楽しむことができなかった。
昔と言っても、1990年のことです。
その頃は、ウブドで美味しいアイスクリームを食べるのは、夢のような話だった。
アイスクリームもどきはあった。
インドネシアに古くからある、ローカルのアイスクリーム行商さんだ。
どこから来ているのか知らないが、中国製の黒い自転車の荷台に、円筒型のクーラー・ボックスの入った木枠の箱を取り付け、脇にはコーンの入ったビニール袋をぶら下げて、日本の豆腐屋さんような笛を鳴らしてやって来る。
熱帯の熱い陽射しの中を自転車で、のんびり走って売っているわけだが、よく溶けないものだと、人ごとながら心配になったものだ。
よくよく訊くと、円筒型クーラー・ボックスの中は、中央にアイス・クリームの入った円筒形の器があり、そのまわりに塩水と氷が入っていて、そのまわりの塩水と氷をかき回すことによってクリームを凍らせるようになっているらしい。
これなら客に呼び止められてから作ればいいわけだ。
このかき回す仕草から、このアイスクリーム屋さんのことをエス・プタール(Es Putar)と呼ぶ。
プタールは回すと言う意味。
ウブドにアイスクリームが出現したのは、手押しワゴンでの巡回販売だった。
1995年、カャンピーナ(Cammpina)オゥールス(Wall's)、ペターズ(Peters)といった、アイス・クリーム・メーカー3社が、手押しワゴンで巡回販売していた。
これまで大きな町でしか買うことができなかった、本物の美味しいアイス・クリーム。
オシャレな近代的手押しワゴンで、バリ島のどこにでも「ランララ、ランラ、ランラララ」「タータラ、タータラ」などと陽気なBGMを鳴らしてやってくる。
BGMが可愛く遠くから聞こえてくると思わず口ずさみ、アイスクリームが欲しくなる。
ワクワクして、ワゴンが来るのを待ったものだ。
場違いな風景ではあるが、手押しワゴンは、オダラン(寺院祭礼)の屋台街にも出店した。
今では、コカコーラもオダランに出店している。
その後、電気の安定供給によって3社のアイスクリーム冷凍庫が雑貨店に置かれるようになり、手押しワゴンは姿を消した。
しばらくは、自転車やバイクで近郊の村を巡っていたが、それも数年後にはなくなっていた。
近年、ツーリストが増加すると共に、レストランの出店が相次ぎ、美味しいアイスクリームをメニューに出す店も増えてきた。
2004年10月に、「タナ・メラ(Tanah Merah )」というアイスクリーム専門店がモンキーフォレスト通りに開店したが、今はない。
ハーゲンダッツの冷蔵庫が、レストラン・スリー・モンキーに置かれたのも、同じ時期だった。
ジェラートの店が出店するようになるのは、何年頃からだろう。
今では、多くのジェラート店が出店している。
ウブドが、こんなアイスクリーム天国になるとは想像もしなかった。
日中の照り返しの強い通りを、アイスクリームを頬張りながら歩くのは痛快だ。
2022年07月05日
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