2022年10月11日

バリ島関係・マニアックな推薦本・そのG「熱帯の旅人(A HOUSE IN BALI)バリ島音楽紀行」(460)−2

久しぶりにコリン・マックフィーの本を読み返して見た。

「熱帯の旅人・バリ島音楽紀行」著者:コリン・マックフィー/訳者:大竹昭子(1990年8月3日・初版発売)

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著者マックフィーは、1931年から1938年12月にかけて通算5年バリ島に滞在。

島中を旅して各地のガムラン楽団を訪ね演奏曲の採譜をこころみながら、楽団の設立などにも協力する一方、サヤン村出身のサンピ少年の親代わりとなって、プリアタン村の楽団(現グヌン・サリ)の人気踊り手に育て上げる。

本書には、いまでもその名が語り継がれている音楽や舞踊の関係者たちが数多く登場する。

もちろん、彼らとマックフィーの出会いも興味深いのだが、同時にマックフィーをとりまく普通のバリの人々の表情が生き生きと描かれ、時を越えて変わらぬバリ人気質というものに触れるおもしろさが味わえる。

訳者・大竹昭子さんの、ずば抜けた観察力と素晴らしい日本語で綴られ読みやすい。

今回は、舞踊に絞り込んで、興味ある三点を抜き出してみた。


*その1:

サボ村の三人の少女レゴン舞踊は、対になった主役格の二人と、彼女らを舞台に導き扇子を渡す女官役からなっていた。

ラッサム王の物語では女官は誘惑される姫になったり、王の前に現れて彼の死を予言するカラスになったりと、脇役を演じるわける。

アナック・アグン王のいうには、主役の二人は器量も姿形も顔も色も「似ていれば似ているほど結構」で、「二つ並んだえんどう豆、あるいは胸の二つの膨らみ」のごとく相似であることが肝心だが、女官のほうは昼と夜の違いのように、まったく別の美しさを持っていることが要求される。

確かに見ていると、踊り手の相似性と対照性が魅力になっていることがよくわかる。

踊りの最初の部分では物語がまだ始まっていず、二人の少女の舞は目の錯覚で像が二重になったように、指先の動き、首の傾げ方、からだの位置から足先を曲げる角度にいたるまで、まったく同じである。

突然、二人は離れて反対方向にいき、もどってくると今度は鏡に向き合うように対称の動作をする。

物語が進むにつれて役の内容があきらかになるが、描写はごくひかえ目で、最もドラマチックな場面ですら極度におさえた様式化された仕草が使われる。

悲しみとすすり泣きの表情は流れるような手の動きで表され、ラッサム王を殺すところなど扇子の先で一押しするだけである。

しかし女官が金箔の付いた翼を付けてカラスに変身すると太鼓のビートは荒々しくなり、踊りも激しさを増して鮮烈で妖しげな雰囲気を帯びてくる。

彼女は翼を左右に傾かせてはばたき、嵐のなかを飛び狂う。


*その2:

もしバリの踊りを音楽なしで見たなら、奇妙な感慨にとらわれることだろう。

踊りはスローモーションのように始まり、かなり長いこと目立ったことは起こらない。

しかし突然、なんの前ぶれもなく、踊り手はほとばしるエネルギーに操られるように、次々とすばやくポーズを変え始める。

狂ったように旋回し、手は宙を飛び、肩は小刻みに震える。

と、次の瞬間、緊張を解いてまったくの弛緩状態になるのだ。

いったい踊り手の心の内はどうなっているのだろう。

人間の意志を離れた筋肉の自律運動というものがあったとしても、あのかっちりした衣装の下でどんなふうに動いているのか不思議だ。

次に映像に音楽をつけて見てみるとする。

音楽の神秘的な力がからだを突き通し、操っていることがわかる。

さりげなくゆっくりして見えた動きは、実は緊張の極みで生じていたことがわかる。

からだのリズム、手に動き、そして目の動きまでもが、細かいシンコペーションのアクセントに寸分たがわずぴたりと合うさまは、まさに驚異である。

踊り手はすなわち音楽そのものであり、音楽を目に見えるものにする存在なのである。


*その3:アルジャ劇で、バリ人のキリスト教改宗の話題が飛び出す。

一ヶ月ほどキリスト教教徒にになった時の体験を話しているんですけど、おかしいのなんのって。

ある男たちが去年キリスト教に改宗した。

しかし、一ヶ月しても何もいいことはないどころか、トラブル続きで、宣教師が帰ったあとにヒンドゥー教にもどったという。

内容はこんなものである。

ある男は梅毒が治るといわれてキリスト教徒になった。

ある男はお供えはいらないし、火葬の儀式のために高額の貯金をすることもないから、安上がりだといわれて改宗した。

またある男は宣教師の見せた悪魔(サタン)の絵が怖くてキリスト教徒になった。

しかしなってみるとすべての運が逃げてしまったようだった。

彼らは喧嘩ばかりしてえらそうに振る舞い、村のみんなと力を合わせることもしなくなった。

村会費の支払いも、寺への寄進もやめたので、収穫の時に誰も手伝ってくれなくなった。

死者を村の墓地に埋めることもできなくなり、かといってオランダ人の小さなキリスト教墓地にも入れてくれなかった。

彼らは行く場を失って当惑した。

何が利益(りやく)だかわからなくなり、生活は味気なくなった。

一人、また一人と僧侶に浄めてもらってもとの信仰にもどった。

こうしていつもの生活が再開したのだった。


以上、マックフィーが舞踊を見て感じた言葉を噛み締めている。

posted by ito-san at 16:16| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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