2022年10月28日
Dewa Warungの変遷・三十有余年!(465)
デワ・ワルンの前身は、ウブド北部のテガランタン村の若者アグン・ライさんとデワさんが立ち上げたワルン。
ウブドの夜市(センゴール)が営業していた、1989年〜1993年に出店していた。
*センゴール:http://informationcenter-apa.com/gt_senggol.html
当時、ツーリストの情報交換の場として繁盛していた。
1990年5月から一年間、夜な夜な通ったワルンで、大勢の人と知り合った。
その人脈が、私の長期滞在を可能にしてくれた。
▪️1995年頃
デワさんがスグリオ通りに「デワ・ワルン」を開店。
この頃の私は「居酒屋・影武者」の開店で忙しく、存在を知らなかった。
アグン・ライさんは、日本人女性と結婚して日本に渡った。
センゴール閉店時、預かったスタッフが現在も「和食・影武者」で働いているワヤン君だ。
▪️1999年頃
ゴータマ通りに移転。
ターゲットは、観光客+ローカル。
観光客に人気のワルンになる。
*ワルン・ビアビアの話を少しさせていただく。
2000年のワルン・ビアビアの出店計画の時、すでにデワ・ワルンは、オープンしていた。
影武者の後見人をしてくれたオカちゃんが、探しいてくれたのがゴータマ通りの空き地だった。
モンキーフォレスト通りとハヌマン通りの中間にあるゴータマ通りは、回遊性のある通りとして、これから栄えるだろうと思われた。
オカちゃんはアグン・ライの兄で、テガランタン村の住人。
土地は、デワ・ワルンと同じ大家さんだった。
▪️2018年頃
2号店を、テガランタン村の実家に開店。
ターゲットは、やはり観光客+ローカル。
テガランタン村はタマン村の北にあり、ウブドの中心部から3キロメートルほど離れた田舎。
店舗は道沿いにあるが、奥に入ると家族が住む屋敷内を望む景色になる。
ゴータマ通りより立地条件は良く無いが、観光客にとってはバリ人屋敷が見られるのは楽しいかもしれない。
▪️2020年
コロナ禍での店舗契約延長は、家賃の高騰で、ゴータマ通り店20年の歴史を閉じ、テガランタン店のみの経営になった。
▪️2022年
テガランタン村に「パルク(PARQ)」というコワーキングスペースがオープンしてから、ロシア人を中心としたノマドワーカーの外国人が多数来店するようになった。
滞在者も増えたようで、立地条件の悪いのを克服して繁盛している。
★食事:テンペ・カレーRp20,000-/ナシ・チャンプールRp20,000-/ナシ・ゴレンRp20,000-&Rp25.000-/
★飲物:ビンタン・ビールRp37,000-小Rp25,000-/コピ・バリ&紅茶Rp5,000-/
★営業時間:10.00am〜10.00pm / 定休日:儀礼祭礼日
★TEL:081-3372-68250/
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