2022年12月11日

Puri Agung Ubud・王宮の前庭についての豆知識(475)

バリでプリ(puri)と言えば、ラジャ(raja=王)の住む「王宮」のこと。

16世紀、ダラム・バトゥレンゴン王が君臨するゲルゲル王朝時代、高僧ニラルタが登場し、王権と祭司のパートナーシップを確立した。


ニラルタは、この時、はっきりとした4つの階層(インドネシア語でカスタ=kasta)を導入した。


王族(クシャトリア)、僧(ブラフマ)、貴族(ウエシャ)、平民(スドラ)の4つだ。

カスタによって、屋敷の呼び名もそれぞれ違う。


王族であるクシャトリア階層の屋敷はプリと呼ばれ、そのほか、ブラフマ階層の屋敷はグリオ(gria)、ウエシャ階層の屋敷はジェロ(jero)、スドラ階層の屋敷はウマ(umh。jumahとも言われる)となる。

詳しくは:「バリのカースト」
https://informationcenter-apa.com/kb_kasta.html

王制はクルンクン王国がオランダに降伏した1908年で消滅したと考えてよい。


そのあと王は、オランダの間接統治下で現地人首長として残った。
インドネシア語で王宮は、ほかにクラトン=keraton(ジャワ語源)、イスタナ=istana(ペルシャ語源)がある。

プリは、サンスクリット語源だ。

王制が無くなった現在、残っているのは名称だけ。


バリの屋敷の建築様式は伝統的慣習によって作られているため、レイアウトはどこも同じ。

今回は、プリの中でもっとも格式の高いプリ・アグンについての考察です。

ウブドのプリ・アグン(サレン王宮)を例にとって説明します。

プリ・アグン・ウブドは、ギャニアール王国の末席の領主。

まず、外見から。

現在、赤煉瓦造りの高い塀があるが、20世紀前半前までは、垣根の塀の中に屋敷が点在していた。

それでは、説明していきます。

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角には、王宮の境界を示すバレ・パトッ(ク)(bale patok)と呼ばれる休息場がある。


王の物見台となっており、市場の盛況を見て経済を推測したり、夕涼みをした。


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ゲルン・コリ(gelung-kori=paduraksa)と呼ばれる正面門。


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脇門・名称は未調査。


では中に入ってみましょう。

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ゲルン・コリから入ったところは、壁に囲われたアンチャッサジと呼ばれる前庭。

プリ・アグン・ウブドでは、毎晩定期公演が開催されています。


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内側から見たバレ・パトッ(ク)


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ガムラン置き場バレ・ゴン(bale gong)

ここまでの構造が、一般に公開されているアンチャッサジの前庭。


9.jpg

コリ・アグン(kori agung)と呼ばれる屋敷門

ここから先が、王族の暮らしが営まれているエリア。

中央の扉は定期公演の際に使われるが、普段は左右にある小さな扉を利用している。

屋敷門の奥、次にある門までは観光客も入ることができるが、奥の扉は閉まっているので入門は控えよう。

くれぐれも、生活の邪魔をしないように気を配りましょう。


動画をご覧ください。

名称を説明していませんので、ご自身でご確認ください。

Puri agung Ubud=ウブド王宮


posted by ito-san at 00:53| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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