2023年01月07日

Puri Agung(王宮)の前庭について検証(481)

バリは、南北86キロ、東西140キロの小さな島。

私が生誕した愛知県とほぼ同じ広さ。

この小さな島にも、戦国時代があった。

多くの地方領主によって治世されていたバリは、各地で領地拡大の小競り合いが続いた。

第一の戦国時代は、バリ王朝(ワルマデワ王朝=ブダウル王国)に遡るのではないかと考えられる。

第二の戦国時代は、バリ王朝がマジャパヒト王国によって征服されたあと、と私は推測している。

その二つの戦国時代、王の住まいは敵の攻撃を防ぐために築かれたお城だったろうと考えた。

しかし、そうではなかった。

激しい戦闘が、なかったのだろう。

バリでは王の住居は、拓かれた土地に垣根に囲まれて屋敷が点在している。

まったく軍事的要塞ではない。

バリでは、王の住居は王宮(Puri)と呼ばれる。


まず、こちらを読んでください。

「Puri Agung Ubud・王宮の前庭についての豆知識(475)」
https://itosan-ubud.seesaa.net/article/494682557.html


ほかの王宮も同じレイアウトか検証してみましょう。

今回は、ウブド近郊の4つの王宮を徘徊しました。

@Puri agung Blahbatuh=ブラバトゥ王宮


APuri agung Mas=マス王宮


BPuri Agung Peliatan=プリアタン王宮


CPuri Agung Pejeng=ペジェン王宮


DPuri Agung Negari=ヌガリ王宮・Tjokorda Gede Rai


EPuri Agung Skawati=スカワティ王宮


いかがでしたか、理解できましたでしょうか。


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posted by ito-san at 08:46| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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