リピーターのひとりから、こんな質問を受けた。
「ウブドって、他の村に比べて裕福じゃありませんか?」
その質問に、お答えした。
「そうなんです。多くの観光客が訪れ、パフォーマンスの定期公演にお金を落としていくからです」
数年前から、バリ島南部ウルワトゥ岬のケチャが大人気になっている。
ウルワトゥ岬観光プラス、ケチャの公演が成功したのだ。
地元の村は今、きっと裕福になっていることでしょう。
ケチャといえば、その昔はボナ村のケチャが有名で、ウブドから観光客をシャトルバスが送迎していた。
ウブドでケチャの公演が始まると、ボナ村のケチャは廃っていった。
栄枯盛衰とは、このこと。
ウブド村は13の集落(バンジャール=最小単位の自治体)で構成している。
ウブド・カジョ、ウブド・トゥンガ、ウブド・クロッド、サンバハン、ブントゥユン、タマン・カジョ、タマン・クロッド、テガランタン、ジュンジュンガン、パダントゥガル・カジョ、パダントゥガル・トゥンガ、パダントゥガル・クロッド、パダントゥガル・ムカールサリ。
現在ウブドのケチャ公演は、ウブド村、サンバハン村、タマン村が人気で高収益だが、パダンテガル村、ジュンジュンガン村と、それぞれの集落でも公演が行われ、利益をあげている。
これもウブド村に、多くの観光客が訪れるからできること。
ケチャ公演は集落主導で、村人によって演じられ、収益は集落に入る。
村営のビジネスが始まりだ。
ウブドに観光客が訪れるようになったのは、いつからだろうか?
インドネシア独立以前、オランダから汽船で訪れるツアーがあったと聞く。
フランス・パリで開催された世界植民地博覧会で、バリの魅力が知られると、世界中から観光客が来島するようになった。
ウブドでの宿は、王族の屋敷を解放していた。
海外からの画家が滞在し、農民だった村人に絵画の指導をしていく。
村人に絵描きが誕生し、画廊が開設される。
絵描きは、画廊に納めるか自分の屋敷に飾り、求める観光客がいれは売った。
バリ南部の観光地クタ海岸に、行商に行って財を成したという画廊主の苦労話を聞いた。
ウブド村は、絵画の村として有名になり、観光客が増えていく。
個人のビジネスの始まりは、絵描きだったのか。
バックパッカーが訪れるようになり、村人は屋敷の棟を宿泊施設として解放して、日銭を稼ぐようになる。
ホームステイ稼業の始まりだ。
訪れるツーリストが増加してくると、敷地内に貸し棟を増築していく。
村人相手の雑貨屋や食堂は、屋敷前の狭いスペースに簡易小屋を建て、営業していただろう。
屋敷前で始めた小さなワルン(簡易食堂)が繁盛すると、屋敷内のテラスを解放して営業していく。
その話は、次のブログでまとめてあります。
「@屋敷内にあるバリ料理のワルン(487)」
https://itosan-ubud.seesaa.net/article/497987515.html
こうして、ウブドに各種ビジネスが根づいていく。
ウブド民が裕福になったのは、貸家・貸店舗などの家賃収入を得るようになってからだろう。
屋敷の構造から、道路側の土地が活用できる家と、活用できない家とがある。
こちらのブログを読んでみてください。
「Aバリ伝統的屋敷の名称とレイアウト@スバリ村(488)」
https://itosan-ubud.seesaa.net/article/498092242.html
屋敷寺が奥になる家は、道路側を屋敷門以外の土地を全面貸店舗に利用できる。
道路沿いに屋敷寺がある家は、門を挟んで屋敷寺の反対側の土地しか運用できないが、屋敷寺の壁との間に少しの土地が残っていて、奥行きの狭い店舗を確保しているところもある。
王宮に近いモンキーフォレスト通りとカジェン通り、ゴータマ通りとハヌマン通りなどは、屋敷が連なった集落のため、屋敷門しか見えない状態になっている。
集落のはずれに田畑を持っている村人は、その土地を売却したり借地にする。
売却したり借地にした土地には、ホテルやレストランが建つ。
集落は拡大し、隣村との境がわからないほどに発展していく。
現在のウブド村、プリアタン村、プンゴセカン村がそうだ。
こうやって店舗が建っていくことを、「私はメッキされる」と言っている。
極楽通信:メッキされるウブド //informationcenter-apa.com/gt_plating.html
本来の素材を覆い隠して、観光地というメッキがされる。
メッキの輝きが、ウブドの裕福さのバロメーターでもあると言える。
外観からはわからないが、ウブドの本質は失われていないので、ご安心ください。
今回も、うまく文章がまとまりませんでした。
「何が言いたいかわからない!」と、お叱りを受けそうですが、お許しを。
2023年02月15日
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