2024年03月01日
バリ伝統絵画から脱却し、ユニーク画風で有名になった天才画家・Mokoh!(525)
グスティ•サナ・ギャラリー蔵
天才デワ・プトィ・モコ(Dewa Putu Mokoh)は、 1936年プンゴセカン村で生まれ、2010年にこの世を去った。
プンゴセカン村と言えば、ご存知のように、花鳥風月モチーフにしたプンゴセカン・スタイルで有名な地域だ。
まずは、彼の生い立ちを調べてみよう。
父親デワ・ライ・バトゥアンは、ウンダギ(バリの伝統的建築家)であり有名なガムラン音楽家、母親グスティ・ニアン・ライは、ラマック(お供え物の装飾)作りの専門家。
そんな両親から、6人兄弟の長男として性を授かる。
小学校に相当する人民学校(SR)で、わずか3年間の教育を受けただけ。
幼い頃から画家になりたいという夢を持ち、15歳頃から絵の勉強を始めた。
しかし父親は、画家になりたいという彼の願望に反対した。
父親にとって、絵を描くことは単なる時間の無駄であり、収入にはならないと考えていたのだ。
アヒルや牛を飼って野良仕事を手伝うことを強く望んでいた。
モコ氏は、水田で働くのに忙しかったが、時間を見つけては叔父のグスティ・クトゥッ・コボックとグスティ・マデ・バレットの家で遊ぶことが多かった。
叔父たちが絵を描いているのを見るのが好きだった。
そして手ほどきも受けた。
スケッチ、カラーブロッキング、シェーデイング、ハイライト、グラデーションなど、多くの伝統的なテクニックを学んだ。
その後、1929年からウブドに住んでいたオランダ人画家ルドルフ・ボネット(1895〜1978) と出会う。
ボネット氏は、ピタマハ・グループ(1936)とウブド画家グループ(1951)の創設者の一人。
モコ氏は、叔父たちから学んだ絵をボネット氏見せたがった。
その絵は、バリの伝統絵画でした。
ボネット氏は、モコ氏の伝統的なテーマに焦点を当てたコボックやバレットの足跡をたどるのではなく、自分自身の創造性を模索することを提案していた。
ボネット氏はモコ氏に現代絵画の原則を教えます。
これには色の認識、色の混合、構成、自分自身の創造性の発見テクニック、そして絵画における自由の原則が含まれていた。
ボネット氏との接触の結果、モコ氏は悟りを経験します。
優れた絵画とは、画像領域を満たす複雑な構成を持つラーマーヤナやマハーバラタのテーマを持っている必要はないことに気づいたのです。
モコ氏にとって優れた絵画とは、身の回りの物体をモチーフにしたり、単純な着色技術や画像処理を使用して空想や想像力に基づいて作成したりすることだ。
画家は、あえて異なるスタイルや対象を使って絵を描き、新たな可能性を探求しなければならない。
時間が経つにつれて、モコ氏の絵画のテーマは非常に多様になっていった。
日常生活、動植物、民間伝承、子供の世界、ファンタジー、エリティカ、または興味を引いた単純なものを穏やかな筆致で、ユーモラスで無邪気、そしてしばしば驚くべき物語を描いていた。
モコ氏の絵は、国内の展覧会に加えて、アメリカ、オーストラリア、デンマーク、フィンランド、オランダ、ドイツ、イタリアを含む海外の多くの共同展覧会に出品されている。
1995年に、日本の深赤美術館で個展が催された。
(BASAbali WiKi:参照)
「Mokoh House & Art Gallery」の管理人は、チップさんです。
作品を見たい方は、チップさんに連絡してください。
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