2024年03月15日
将来、どんな職業につきたいですか?(527)
あなたは、何歳の頃から将来の職業を考えていましたか?
今回は、私の話を聞いてください。
私は中学生の頃、百貨店の宣伝部に在籍していた長兄の蔵書の影響だろうか、おぼろげにデザイナーになりたいと考えていた。
デザイナーといっても様々あるようだが、具体性はなく、ただただおぼろげにだった。
高校では美術部で商業デザインを学んだが、将来の仕事につながる技術が身につくはずはない。
怠惰な高校生活を送り、卒業後の生活設計はない。
親父は学校の成績が悪い私に「どこかに丁稚に行け!」と就職を進める。
学校から大学進学を推薦されるほど優秀だった長兄、次兄の進学を諦めさせるのが、よほど辛かったようで「お前と変わっていたらよかった」と辛辣な言葉を吐く。
私は高卒で社会人になることが怖くて、大学進学を希望した。
長兄と次兄は、自分が進学できずに苦労した経験から、私の大学進学を応援してくれた。
具体的に将来を描けない私は、美術大学を諦め、商学部のある大学に入学した。
どんな職業につくか、いまだに想像できなかった。
大学でも、美術部に在籍したが就職に役に立つレベルではない。
石膏デッサンは得意だが、オリジナルのイラストやファッション画はまったく創造できない。
大学生活も三年が終わろうとしていた。
此の期に及んでも、希望する職業が想像できない。
そして、未だに社会に出るのが怖い。
留年して海外へ一年の放浪の旅に出ることにした。
この旅が私の大きな転機となったようだ。
金がない、度胸もない、英語もできないの、無い無い尽くしで旅に出た。
「自分探しの旅」と言う、言葉もない時代。
1969年から1970年、20〜21歳でした。
無事放浪から戻り復学し、卒業。
就職先は、長兄の縁故で新設の空間設計会社に就職できた。
どれだけ長兄に世話になるのだ。
ほんと自分では何にもできない不甲斐ない男です(今でも変わらない)。
この会社に入って初めて、自分は店舗デザインがしたかったのだと気づいた。
デザイン画、設計図面は、独学。
新規会社なので顧客はなく、営業する必要があった。
私は地元での就職なので、友人からウインドーディスプレイ、看板などの仕事がもらえた。
同僚は、東京の美術学校卒業生。
就職と同時に「人畜無害」と銘打った雑貨屋を開店。
この店で培った人脈から、店舗設計の仕事が入るようになる。
設計の仕事は会社で受けていたが、二足のわらじを嫌う会社から、二択を迫られた。
私は3年(23〜26歳)で退職。
その後は、フリーランスの店舗デザイナー。
喫茶店、ブティック、レストランなどを手掛ける。
これが天職だろうと認識するが、他にもやりたいことが見つかると、手を出していた。
今回のブログで何が言いたいかというと、誰にでもこんな転機が訪れるだろういうこと。
人それぞれ、転機の書類は違うだろう。
どれが転機か気がつかないかもしれない。
私の場合は、「放浪の旅」がキーポイントだと思われる。
放浪の旅が、人格を豊かにしたとは思えない。
逆に、不甲斐なさを認識した旅だ。
大学生活が終わった時点で、何も変わっていなかった私が、社会人になって流れが変わった気がした。
外見も中身も一向に向上したわけではないが、私を取り巻く状況に厚みが帯びてきた。
何かに向き合って向上しようとする人々との交流が広がっていったのです。
自分独りでは何もできないということを実感した年月(23〜42歳)でした。
2度目の転機は、ウブド滞在(42歳〜)となった。
立ち位置を変えることが転機に繋がっていると、今は思える。
そして今、人生最後となるであろう3度目の転機が訪れるのを待っている!
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