ウブド東端の十字路を北に向かうアンドン通り。
銀行の支店が10軒ほど出店している地域。
ガソリンスタンドにスーパー・マーケットが2軒とレストランが並んでいる。
私が滞在始めた1990年5月頃には、何もない通りだった。
そんな場所に、ユニークなアート・ギャラリーがあることは聞いていた。
マディ・クルトネゴロ(Madi Kertonegoro)氏のアトリエ「Future Peace Art Gallelry」だ。
1994年、ダヤ・ヌラニ・デワ・カトン(「直観力による知覚の光」の意味)という名のヨーガ学校を開設。
2冊の日本語版の本に出会って、マディ氏を知る。
マディ氏著・日本語訳は、武内邦愛(愛称クニ氏)。
(スピリット・ジャーニー/1990年7月15日・発行)
(ウブッド十字路の番人・バリ島今昔譚/1997年4月15日・発行)
90年代初頭は、徒歩で行動していて、アンドン交差点から北へ行くことがなかった。
クニ氏とフェイスブックで繋がる機会に恵まれ、マディ氏の経営するジャムウ・カフェの情報を得た。
バイクを乗る生活になっていたので、機会を見つけて出かけた。
2024年3月、何度目かの訪問。
常席である、道路側のカウンター席に先客がいたので、奥のテーブル席に腰をおろした。
ターメリックのジャムウを注文して、展示テーブルの本に手を伸ばした。
手にした本は、英語版「ウブッド十字路の番人・the guardof ubud corner」だった。
英語版には、挿し絵が多くあった。
作家の思うところの説明がありそうな抽象画。
原画はカラフルだと想像できるが、残念なことに、コピー用紙で製本したような本の挿絵は白黒だった。
蔵書に興味を持ったことを、スタッフが知らせたのか、クマディ氏の奥様を伴っていた。
初対面である。
訳者のクニ氏の友人だと伝えると、クニ氏を思い出したのか、懐かしそうに喜んでくれた。
「これらの絵は観られますか?」と聞くと、ギャラリーがあると言う返事。
購入した本代の支払いを済ませ、ジャムウを飲み干し、奥様に案内してもらいことにした。
カフェエリアと屋敷を隔てる門をくぐる。
1990年以前に建てられたであろう、写真で見た2階屋の階段を上る。
ギャラリーには、気になった絵は飾られていなかった。
ギャラリーを出て、さらに奥に進むとムルカット場になっていた。
屋敷寺もある。
現在マディ氏は、高僧の位を取得して宗教活動をしているという。
写真を撮っていると、母屋からマディ氏が登場した。
33年目にしての初対面である。
若い頃の写真で存じ上げているだけの人物だが、初対面とは思えない親近感だった。
「クニによろしく伝えてください!」
ご夫妻の言葉をいただいて、帰路に着いた。
ジャムウ・カフェ『Jamu Ubud Sehat』@アンドン通り・ウブド
■ジャムウ・カフェ『Jamu Ubud Sehat』@アンドン通り・ウブド(524)
https://itosan-ubud.seesaa.net/article/502423765.html
■マディ・クルトネゴロ氏のアトリエ発見!@UBUD(415)
https://itosan-ubud.seesaa.net/article/486244064.html
2024年03月24日
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