2024年04月15日

私は親権を妻側に委ねた男!(532)

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この頃、 X(=ツイッター)に「共同親権」という言葉が頻繁に上がってくる。

親権については、離婚経験者なので理解しているが「共同親権」は耳新しい。

それが今、国会で、共同親権制度を強行裁決しようとしていた。

わずか10日のスピード審議だそうだ。

どこから浮上して、なぜそんなに急いでいるのかわからない。

私のような政治オンチには、どんな思惑があるのか、まったく理解できない。


親権は、親の権利ではなく子供に対する責務。

共同親権制度が導入された場合、どんな問題が危惧されるのか?

離婚の原因が児童虐待だった場合、被害の継続や拡大がありうる。

それは、子供にとって不幸なことだ。

もちろん夫婦間の暴力もある。

離婚が成立したら、二度と連絡を取りたくない人もいるだろう。

私でさえ、これぐらいは思いつく。

共同親権が採決されて浮上してくる問題点は、私の頭脳では思いつかないほどあるだろう。

それはこれから勉強していくとして、今は「共同親権に反対!」の声を上げておく。 



今回は「親権」に関連した、プライベートな話を書いてみた。

私は親権を妻側に委ねた男。

海外旅行を計画していた私は、住民票の申請に市役所を訪れた。

受け取った住民票は、養子だったはずの私の名前が、元の姓に戻っていた。

カウンターの女性に、その事を聞くと「奥様がご両親と見えて、離婚の申請をしていきました」との答え。

息子は、妻の両親の養子になっていた。

私は離婚した覚えはないし、息子を養子に出した覚えもはない。

「こんなことが相談もなく、勝手にできるんだ!」と唖然とした。

しかたなく、旧姓にもどった住民票を受け取った。

同じ屋根の下で暮らしながら、何の話し合いもなかった。

離婚の理由はわからないが、私の生活力のなさだとは想像できる。

妻の両親と姉妹が望んんでいるのなら、修復は無理だろう。

息子には、可哀想だが、従うしかない。


家庭裁判所からの呼び出しがあった。

調停委員は、離婚の理由は伝えず、健全な両親の援助がある妻側に息子を引き取らせることを提案した。

日本の親権は、妻側が有利な単独親権。

それが私の常識だった。

子供のことを考えれば、それで良かったと思っている。


私のケースは、息子が成人して、本人が父親に会いたいと考えるまで、会うことは許されない。

どうせ会えないのならと、私は息子とは同じ土地に住むことを拒み、行き先も告げず日本を離れることにした。

息子に、別れの言葉もなく姿を消した

二度と日本には戻らないことを覚悟した、終の住処を探す旅となった。

そして、バリ島ウブド村に長期滞在して34年。

8歳で別れた息子は、20歳になって会いに来てくれた。

空港の歓迎ロビーに、子供から大人に変化した息子が立っている。

「おう、久しぶり!」

涙の対面にはならず、ミョウチクリンな声をかけていた。

会う前には、あれも言おう、これも聞こうと思っていたのに、照れていたのか言葉にならない。

しかし私の心は、12年間の空白を一瞬に埋めていた。

最後の荷物を取りに行った日、息子は私の車を、泣きながら追っかけた、と話してくれた。


親の離婚の被害者は、子供達だ。

離婚の理由には、様々なケースがあると考えられる。

親権についても、様々なケースに対応できる解決策が必要になるだろう。

「共同親権」については、今後も注視していきたいと思っている。

posted by ito-san at 19:08| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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