ベビーブームの落とし子を「団塊の世代」と呼びようになったのはいつ頃だろう。
1947(昭和22年)から1949年(昭和24年)にかけて生まれた世代の人間をさす言葉で、作家・堺屋太一の命名が定着したと言われている。
1947年生まれの私は、誉ある初代団塊の世代となった。
私が通った名古屋の中学校は、ひとクラス50人以上でP組(16クラス)まであった。
なんと800人以上はいたことになる。
私が3年生時の全校生徒は、単純計算で、なんと2400人だ。
高校入試期には、新設高校が幾つか誕生した。
大学入学時には、学部が増えた。
「戦争を知らない子供たち」「全共闘世代」と言う、言葉が生まれた。
大学生の頃、団塊の世代は将来、高齢化を迎えるだろうとは理解していた。
年金の問題も想像できた。
団塊の世代が支払った年金は、どこへ行ってしまったのでしょうかね。
どんな運用しているか、政治に疎い私には理解できていない。
人口ピラミッドのグラフは団塊の一波、二波、そして三波と続き、そのあと波は緩やかに低くなっていくと予想していた。
しかし現実は、三波を迎えず少子化に向かっていた。
責任は、政府の無策のせいでしょう。
少子高齢化と一括りの言葉が生まれた。
「高齢者は老害化する前に集団自決、集団切腹みたいなことをすればいい」なんて言葉がメディアに取り上げられた。
団塊世代の私たちが、少子化の責任を感じて肩身の狭い思いをするのは違う気がするのだが。
日本が抱える少子化と高齢化問題を、当事者として身近で感じていたい。
そいう意味でも、日本に帰るタイミングだったと思っている。
2025年02月13日
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