役つくりのため、、残留日本兵に関する書物を数冊読み、彼らの苦痛を学んだ。
ウブド在住の塩田さんは、太平洋戦争に出征している。
私は高齢の塩田さんの健康を心配して、たびたびアジ・ホームステイを訪ねている。
戦時下の話になると、貴重な体験談を熱く語ってくれる。
大学生の頃にグライダーを乗っていた話や、19歳で学徒出陣した時の話。
空軍の飛行士として、インドネシアのジャワ島バンドゥンに駐留し、終戦を迎えた話。
戦後、自衛隊空軍に教官として出向いた時の話。
その時のアクロバット飛行の写真を見せてもらった。
戦争を知らない私に実感は沸かないが、戦争の愚かさは理解できる。
「いつまでも元気いて欲しい!」と伝えてその場をあとにした。
1924年生まれで、2009年3月27日没。
●撮影の現場の備忘録
○編上靴のゲートルを巻くのに一苦労。
戦争映画の中で日本兵の履く編上靴を観たことはあるが、実際に巻いた経験はない。
幅広の一本の木綿紐を足首からスネの向ってグルグルと編み上げていくのだが、すぐにずり落ちてしまう。
これをゲートルと言った気がするが、なぜかフランス語だった。
○撮影現場には、トラックをベニヤで加工した軍用トラックが数台停まっている。
ナンバー・プレートには「場利」と書かれてある。
○この日は、大勢の村人を前にして演説をするシーン。
渡されたた台本のセリフは、インドネシア語だった。
この時の私は、インドネシア語をまったく話すことができず、セリフを覚えられない。
大きな白紙に書いてもらい、それを読むことになった。
そのカンニングペーパーが、目線を自然にするために上下左右に移動する。
私は、右往左往するだけでまったく演技にならなかった。
○デンパサールにある王宮で、民家での撮影をした。
細田さんと私が、民家に入って行く。
そこにいる娘に、ちょっかいを出すというカットだった。
日本人軍人の醜態を見せるシーンだ。
細田さんは、スケベな酔っぱらい役を嫌がっていたが、無難にこなした。
私は、酔っぱらいをだなめる役で、後ろ姿だけ。
私は一月なんぼの契約の役者なので、何回も使われる。
私の受け取った金額は、日給の人より少なかった。
○1995年8月7日(月)
日本軍の兵隊役は、中国系インドネシア人の学生が募集されていた。
彼らがイタズラしていたピストルが暴発し、Fさんが片眼を怪我をした。
現場は、コテツちゃんが一緒だった。
デンパサールにあるサングラー病院に入院。
角膜に傷。角錐に内出血があるそうだ。この先どうなるか未定。
対応に不安があり、シンガポールの病院に移った。
1995年8月9日(水)
午後、コテツ宅訪問。
Fさんがシンガポールで手術を完了したことを聞く。
リハビリに半年かかるそうだ。
Fさんは、コミックの公募に入選して、漫画家としてデビューした。
この時の話は、漫画に出ている。
★シンガラジャで撮影・1995年8月21日。
⭐︎「わるん酔し」のオーナー・竹俣さんの車に便乗させてもらいバリ北部シンガラジャに向う。
別組で行動している竹俣さんは、たくさんの場面を撮っていた。
車の中で、グスティ・ングラ・ライ将軍の屋敷で、斥候役で活躍したことを思い出して話してくれた。
独立戦争の英雄となったングラ・ライ将軍は、タバナン県ムングイ(Mengwi)の北にあるチャナンサリ(Carang Sari)王宮の子息。
⭐︎シンガラジャは、女性陣も同行した。
プスピタのかおりちゃん、バリ舞踊を習っているゆきちゃん。
竹又さんの知人を一人スカウトするために、途中ゴルフ場に立ち寄る。
ゴルフ場のマネージャーを誘うつもりのようだが、忙しいと断られた。
マネージャーから、スリリット村に住む日本人男性を紹介され、誘った。
⭐︎この日は、外国人のエキストラを20名を集めることになった。
エキストラになってもらう欧米人を探しに、ロビナ・ビーチに出掛ける。
ロベルトとカズ君、コテツがエキストラ集めに出掛けて行った。
プライベート・ビーチ・ホテルに入り、テラスで一服している人や海岸で寝ころんでいる人に声をかけるのだ。
バリにリゾートで来てのんびりとしているのに、いきなり「映画に出演しませんか?」と声を掛けられては驚くだろうな。
それでも10数名集まった。
軍の施設内で撮影。
軍舎で、衣裳を着替え、さんざん待たされた。
⭐︎軍施設の中庭に集合した。
テントが張られ、記念式典風景の撮影のようだ。
中には、ロビナ・ビーチで集められた欧米人の顔が。
⭐︎軍舎で晩餐会の撮影。
竹又さんとかおりちゃんが政府高官の夫妻役となり、挨拶の場面があった。
ゆきちゃんは「化粧がケバい。これでは娼婦だ」と憤慨していた。
インドネシアのオカマちゃんの化粧は濃いことが判明した。
⭐︎各国の高官が集うダンスパーティーのシーンでは、ロベルトがテナー・サックスを吹いた。
秋本大将の私は、顔が出せないので、後ろ姿で何役もこなしている。
ウブド出発前に女性の着物を持って来てくれと言われたが、そんなこと急に言われても。
着物姿の日本人女性が入り用だったようで、有り合わせの着物を着せてお茶を濁した。
1995年8月21日
⭐︎夜の撮影は、軍関係者の住宅と思われる場所に移動した。
何度も食事のシーンをNGを出された。
「もっとダイナミックに食べてください!君たちは一週間何も食べていませ〜ん!うわ〜飯だ〜!っう感じで。わかりますか!は〜いスタート!」と監督怒鳴り声。
たぶん3テイク目くらいで本領発揮のドカ食い演技でOKが出た。
戦闘シーンが撮影された。
煙幕が霧を作っている。
カズ君とコテツが戦闘シーンで演技をしている。
⭐︎カズ君とコテツ君が、ぼさぼさの長髪カツラと髭をメークされたみすぼらしい姿の脱走兵なっている。
7日間ジャングルを彷徨い、村人に助けられ食事を施されるシーン。
⭐︎感動のシーンは深夜、町中の洋館で撮影された。
私は、今まで寝ていたという設定で、あくびをしながた部屋から出ていく。
てブルには、部下たちの姿。
部下たちは、バリに残ってインドネシア人と共に戦うことを決め、日本軍の武器弾薬を欲しいと願いでた。
秋元隊長の見て見ぬ振りをするセリフ。
このセリフは、かなり覚えているので、役柄に成りきることができた。
⭐︎ホテルに投宿。
宿の玄関の若い娘が数人。
どうやら映画の撮影があるのを聞きつけ、出演者のサインを欲しいと言うことらしい。
そうして、わたしたちはにわか俳優になり、有名人になった気分でサインをすることになった。
〜完〜
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