2025年10月07日

私が愛したウブドは私の原風景だったのか(53)

この頃、私の思考は二分している。

”過去と今”です。

過去は大きく分けて、二つ。

一つは、生まれてから42歳まで(1947〜1990)の日本での生活。

もう一つは、34年間のウブド滞在(1990〜2024)。

今は、帰国(2024〜)してからの土岐市の生活となる。


SNSでは ”過去と今” を投稿しているのですが、過去についてはウブドが中心になっている。

ウブドの記憶は、年々、色あせてしまうから、鮮明なうちに発信してしまえというわけです。

なので、もうしばらくお付き合い願いたい。

そのウブドの発信が、どうも ”昔は良かった” 的な内容が多いのではないかと気がついた。

今が良くないと言っているわけではない。

無意識のうちに、自分が好きだったウブドをアピールしてしまっているのだ。


初バリ3.jpeg
(写真提供:中村政広)


私が愛したウブドは、どんなだったか考えてみた。

村を歩くと、そこに暮らす村人の気配を感じる。

道端で闘鶏を愛でる男衆。

門の階段に腰をおろし、ひなたぼっこしながら白髪を抜き合う婦人たち。

気軽に声をかけてくる村人。

すれ違いに投げかける、顔と眉毛を微妙に動かす独特の挨拶。

家寺の祠の屋根が、塀越しにいくつか見える。

色とりどりの南国の花が咲く、塀前の狭い庭。

雨が降ればワンティラン(集会場)の軒下で雨宿り、川となった道を流れるヤシの実などを見て、何時間も止むのを待つ。

畦道の散策は、時として、べべ(あひる)のコミカルな行列や、田おこしに群がるココカン(しらさぎ)の行動に遭遇する。

停電になると使われる、灯油ランプとケロインランプの灯り。

指先で食べる食事や手桶水洗のトイレなど、カルチャーショックの数々。

まだまだあったが、今、思い浮かばない。

こうして並べあげると、私が愛したウブドは私の原風景だったのかも。

心地よい思い出と繋がったのだ。

滞在始めた90年代、知り合った旅人は同感の人が多かった。


年々、これらを感じられなくなってきた。

色とりどりの花が咲いていた、塀前の小さな庭が姿を消した。

塀は貸店舗で隠れ、面影を残すのは屋敷門だけとなった。

ホテルやレストランが建ち、田んぼの風景は見られなくなった。

ウブドの魅力は、年々変わる。

今、どう変わったか考えてみたい。


極楽通信・UBUD」36「メッキされるウブド」https://informationcenter-apa.com/gt_plating.html
posted by ito-san at 19:33| Comment(1) | TrackBack(0) | 土岐市に移住 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
伊藤さん、私も90年代のウブド見たかったです。今年行ったウブドはそれはそれは混雑がひどくて、10年前に初めて行った時と変わってしまいました。
もうバリは私も行くことはないと思います。伊藤さんにウブドでお会いしたかったです。
Posted by М&М at 2025年11月06日 19:09
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