折角なので、投稿しました。
11世紀、バトゥール山北側の外輪山の森に、ジャヤ・バングス(Jaya pangus)王国があった。
現在のダラム寺院バリンカン(Balingkang)のある地域と考えられる。
王として君臨していたのは、テットヤ・ジャヤ・バンクス。
テットヤ王は、妻のデウイ・ダヌ(Dewi Danu)と息子マヤ•テナワと一緒に暮らしていた。
そこへ中国から渡バリしてきた、高僧リムとその女弟子カン・チン・ウィー(Kang Ching Wie)の二人が王のもとを訪れた。
王と意気投合した二人は、長年バリに住みことになる。
年月が過ぎ、老いを感じてきた王は、息子マヤ•テナワに王座を譲った。
しかし、この息子は仏教の悪い教えばかりを説いたブッタ・ヒナヤナを支持したため、社会が乱れることを懸念した王は息子を自分の領地から追放した。
追放された息子はジャヤ・バングス王国を離れてバトゥール山南側に移り住み、ブッタ・ヒナヤマを信仰した。
バトゥール山南側は、現在のキンタマーニ地域と考えられる。
息子の勢力は年を増すごとに拡大し、とうとう父親の領土まで奪い取ってしまう。
母親は、この時の心労のため病死。
この後、マヤ•テナワ王は密かに恋心を抱いていた、カン・テン・ウィを嫁にすることを望み妻とした。
マヤ•テナワ王亡き後、カン・テン・ウィは、この地に寺院を建立し、ブッタの祠も一緒に建てた。
それが現在、景勝地として有名なキンタマーニ高原にあるウルン・ダヌ・バトゥール寺院である。
(ソンガン村のウルン・ダヌ・バトゥール寺院がバトゥール山の噴火で、キンタマーニ村に移動したという説あり)
なんてメモなんですが、どうも話の辻褄がクリアじゃないので、誰か補足してください!
マヤ•テナワ王が亡くなった時、民衆はバロン・ランドゥンを作った。
バロン・ランドゥンは、ジェロ・グデ(JERO GDE)と呼ばれる男性と、ジェロ・ルー(JERO LUH)と呼ばれる女性のペアーで、
結婚とその後の運命の物語が演じられている。
バリ語が理解できない私には、こちらも検証できない。
ジェロ・ルーが、カン・テン・ウィではないかとの説がある。
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