私の日本脱出は、過多の生活に疲れたことも一因だった。
幸いウブドでは、日本の新聞・テレビなどのメディアに接することもなく暮らすことができた。
情報を追っかけることのない日々は、目の前の現実を楽しむことに専念できる。
ウブドには、歴史や伝統に守られた、村人の営みがある。
自然と調和して生活している人々を見て、こんな生き方ができたらいいなと思った。
私は、不便を楽しむタイプかもしれない。
ワープロを入手すると、興味深いウブド生活を発信するために、小冊子「極楽通信UBUD」を1994年2月から1999年6月までの間、隔月で発行した。https://www.potomak.com/bali/ubud/ubud.html
1995年8月20日:「情報センター・アパ?」設立。
情報から逃れたはずなのに、いつの間にか発信する側に回っていた。
大きな災害の情報は、旅行者から耳に入った。
1995年1月17日:阪神・淡路大震災は、短波放送ラジオで刻々と拡大していく被害を聴いた。
ウブドでのんびり過ごしている間に、世界ではさまざまな事件が起こっている。
ウブドにインターネットが普及始めると、名古屋の友人が「ワープロがわりに使って!」とノートパソコンを置いていった。
パソコン環境は不得手と、手を染めないと誓っていたが、ミクシーで情報を発信するようになっていた。
一発目のミクシーがこれ。
2006年04月06日■マンガ・マドゥ
午前中の晴天が嘘のように、昼から雨が降り続いている。
マンガ・マドゥで昼食をしていると、2人の日本人女性ツーリストが入ってきた。
ゴアガジャ、考古学博物館、プナタランサシ寺院を貸し自転車で巡って来たと教えてくれた。
ペジェン・サラ村からウブドに入る急な坂を上って来たようで、2人とも息を切らしていた。
ウブドのイラスト・マップと「情報センター・アパ?」のディスカウント・カードを渡して別れた。
このあと私は「アパ?」に、DVDと本を返し、カフェ・ブンブンの作業場に向かった。
日本に帰って、ユーチューブを見ていると、知らないことばかり。
1990年5月から2024年10月までのウブド滞在34年間の日本の情報は、まったく浦島太郎状態。
この間の日本の政治・経済・芸術、etcの情報を得ようとしなかった。
流行した言葉や事象も知らない。
私の記憶は35年より前の日本で、亡くなった人の記事を見て「えっ、こんなに年をとったんだ!」と驚く。
空白の34年間をあえて埋めようとせずに、今は懐かしい曲を聴くのが楽しみの一つになっている。
2026年03月05日
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