2015年01月24日

スラバヤ二泊三日の旅・その七

スラバヤの観光名所No1は「The House of SAMPORNA=サンポルナの家」ではないだろうか。

今なお操業しているタバコ工場と歴史博物館が、無料で見学できる。

「サンポルナ」は、1913年創業のインドネシアのタバコ会社。

中国から渡った創業者は、この地で「タバコ王」なろうと誓ったそうだ。

建物のいたるところに「王」の文字が控えめに造作されている。

創業者の心意気が感じられる。

「王」と創業者名の「林」と言う文字以外に、目についたのが「指差しマーク」。

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私のネット検索能力では、調べがつかない。

だから独断と思い込みで書くことにした。


写真で理解できるように「指差しマーク」は、三方向に放射状に三つの指差しがある。

指差しは、何かを確認する仕草だ。

それが三つ組み合わされている。

何の意味があるのか?

中国にも、結束して強靭に生きる “三本の矢” の諺がある。

そんな話でもない。

商標でもなさそうだ。

三ツ矢サイダーの商標と同じY字型をしている。

三菱のマークは、逆Y。

どちらも家紋に関係がある。

三ツ矢は、矢尻を中心にして放射状に三枚の矢羽根がある。

指差しマークは、手首を中心にして外に向かって指差している。

五大陸じゃなくて、三大陸に進出するという意味だろうか。

ムムム、謎だ。

林家の裏事情が隠されていると考えて不思議ではない。

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社名の「サンポルナ」の由来と意味もわからない。

歴史博物館の正面玄関のタバコ柱に上に、サンポルナのローマ字が見える。

旧表示は、SAMPOERNAなのだ。

もしかすると、インドネシア語のパーフェクトの意味・サンプルナ=sampurna(sempurna)を間違えて使ったのではないだろうか?

「まさか、伊藤さんじゃあるまいし」ってか。

まさか、だよね。

そうだよな。

オランダ語でもないようだ。

ひょっとして中国語?

サンポルナを、サンとポルナと別の言葉と考えてみよう。

マージャンで、いち、に、さん、しは、イー、リャン、サン、スーと教わった。

サンが三つの意味だとすれば、ポルナの意味が分かれば、「三つの指差し模様」の謎も解決するのではないか。

だよね。

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最後に、なぜ銘柄名が「ジー・ザム・スー(DJI Sam SOE・234)」なのか?

同行者の高木二三矢君が、2月3日生まれだからと命名された理由とは違うような気がする。

「二三矢の矢が八だったら、面白いね」なんて、親は無責任に笑っている。

私の想像では、“No1” はキング・オブ・タバコの創業者のためにとってあるのでは。

ここにも林家の謎が隠されている。

新しい銘柄は、A・マイルドになっている。

銘柄の商標は、アルファベット順一番のAだ。


スラバヤの旅は、こんな謎を残しながら終わった。


□□2015年1月28日:スラバヤ特派員からの報告。

「指差しマーク」についてガイドさんに聞いたところ、「Tiga tangan=三本に手」との回答があった。

生産者・分配・消費者を意味し、事業で成功するためには、この3つを大切にすることが不可欠だ…ということだそうです。

あっけない、回答だったね。


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2015年01月17日

スラバヤ二泊三日の旅・その六

「スラバヤ二泊三日の旅」最終日。

バリへの帰島は、大晦日となった。

“初日の出” をスラバヤで迎えようというグッドアイデアもあったが、航空券が高かったので没になった。


スラバヤからシンガポールに向けて飛び立ったエアーアジア機が、カリマンタン島とスマトラ島の間の海域で謎の消息不明になったのは昨年の12月28日。

今年に入って、kotak hitam=ブラック・ボックス(ボイスレコーダー、正式名は知りません)が見つかり、真相の究明が急がれている。

1月13日:エアーアジアからタイトル「トニーからのメッセージ」で、こんなメール(翻訳がオカシイ)が届いていた。


親愛なるHiroshi様

いつもエアアジアをご利用いただき誠にありがとうございます。

この数週間は、13年前にエアアジアを立ち上げて以来、私の人生で最も困難で苦しい時間です。

私たちが受け取ったすべての暖かい言葉とサポートに対して心から感謝しております。

皆さまから愛と励ましのメッセージをいただき、これからの安全な運航とサービスに対する決意を一層強くしております。

調査の進捗状況に関しましては新しい情報が入り次第随時アップデートさせていただきます。

お客様が安心してご利用いただけますよう、私たちは当社の製品とサービスの見直しを徹底的に行い、より良いサービスをお客様にご提供できるよう努めてまいります。

最も困難な時ではございますが、これからもお客様により良いサービスを提供してまいりますので、よろしくお願いいたします。

17,000名のエアアジアの従業員と共に、QZ8501に搭乗していたご家族の方々や愛する方のために祈り続けます。

愛を込めて

エアアジアグループCEO

トニー


トニーって誰じゃ?





それでは番外編「コレクション写真集」

大袈裟なタイトルにした割りには、たいした写真がありませんでした。

ゴメン!(低頭)


「サンポルナの家」トイレ内の陶製洗面台

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床のタイルも可愛かった


タバコを巻く道具・見本

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ケースの中は缶(プラスチック)バッチ


喫茶室トイレ内の壁紙はサンポルナ・Aマイルドのパッケージ

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Aマイルド・マークのステンドグラスは厨房入口の扉。


ショッピングモールのウエートレスさん、ハイポーズ!

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嫌がっていたのに、写った時にはこんなポーズになっていた。


スラバヤ・ジュアンダ空港内の喫煙コーナー

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只今、高木夫妻がご利用中。

この2人はヘビースモーカーで、常に喫煙できる場所を確認している。

見つけると入り浸り。


帰路に乗ったライオンエアーのCAを隠し撮り

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ひょっとすると見つかっていたかもしれない。

旅の最後に、笑顔の可愛いCAに会えたのは幸運だ。


ちょっとスラバヤの感想。

ウブドは穴のあいたTシャツでも歩けるが、スラバヤは普段着でも少々オシェレメで出掛けなくてはいけない、と思わせるほどの都会だった。

次回のスラバヤ訪問があるとすれば、どんな感想になるかのな。

「シー・ユー・アゲイン」


「スラバヤ二泊三日の旅」無事&楽しく終了しました。

これもひとえにA子さんのご協力の賜物です。

感謝しております。

そして旅を供にしてくださった高木夫妻+二三矢君。

ありがとうございました。

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2015年01月13日

スラバヤ二泊三日の旅・その伍

12月31日(晴)

スラバヤには観光名所が少ないようだ。

「ホテル・マジャパイト」のようなコロニアル・スタイルの建物も観光名所の一つだろうが、集客は期待できない。

集客が期待できるという意味では、名所No1は「The House of SAMPORNA=サンポルナの家」ではないだろうか。

「サンポルナ」は、1913年創業のインドネシアのタバコ会社。

歴史博物館と今なお操業しているタバコ工場が「サンポルナの家」。


ということで、サンポルナの家見学に出掛けました。

車は、旧市街の狭い道に入って行く。

港町で栄えたスラバヤの、かつて中心地だ。

港まで2キロほどの地域に、クラシックなたたずまいがある。

それが目的地・サンポルナの家だった。

ギリシャ建築に見られる列柱が並ぶ、正面のファサード。

4本の柱身がタバコの形を模している。

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館内に入る正面扉のステンドグラスは、当時のもの。

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扉を開けて、建物に入ると丁字の匂いが強くした。

ここは丁字タバコ、ジー・ザム・スー(DJI Sam SOE・234)の工場。

女性スタッフが、にこやかな顔で声を掛けて来た。

「ご案内いたしましょうか?」とでも言ったのだろう。

折角の好意だが、私のインドネシア語力ではきっと理解できないと思って丁重にお断りした。

もしかすると英語で言われたのかもしれない。

どちらにしても、理解できない。

昨夜の深酒がたたった二日酔いのA子さんは、ロビーの長椅子で休んでいる。

だから見学は、持ち前の感で理解していくしかない。

タバコを吸う男たちをモチーフにしたステンドグラス。

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売店の中に入って記念写真。

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作業風景は2階から見られるのだが、今日は大晦日で工場は休みだった。

ビデオを見ると、全員が女性。

彼女たちの手先は、ビデオの早送りのような素早さで動いている。

機械仕掛けのような正確さで、一時間に300本以上のタバコを手巻きしていくと言う。




喫茶棟の前に止まっていたバス。

市内観光の「スラバヤ・ヘリティジ・ツアー」と呼ばれる無料バスが13時発で、正面玄関から出ている。

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喫茶室でコーヒーブレイク。

喫煙コーナーがあるところは、さすがタバコ会社だけのことはある。

売店で、産地直売のジー・ザム・スーを一箱買った。

今は喫煙者ではないが、以前の私は、かなりのヘビースモーカーでショートピースを愛煙していた。

喫煙経験者にしか知らないことかもしれないので説明をしておく。

ショートピースはフィルターのついていない両切りタバコのこと。

ジー・ザム・スーも両切り。

バリ滞在しはじめた頃、両切りが懐かしく吹かした時期がある。

久しぶりに、ジー・ザム・スーを一服。

喫煙を再開しようかな、と思わせるほど美味しかった。


中国から渡った創業者は、この地で「タバコ王」なろうと誓ったそうだ。

建物のいたるところに「王」の文字が控えめに造作されている。

創業者の心意気が感じられる。

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創業者の名前は「林」さん。

「林」という文字の装飾もある。

喫茶室の扉

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喫茶室トイレへと外庭への扉

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・・・・調子の戻ったA子さんが説明してくれた。

彼女の説明がなかったら、まったく気がつかずに帰ってしまっただろう。


気になってしかたがない模様。

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この指差しの三つ巴模様に、何の意味があるのか?

林家の事情が隠されているのではないだろうか。

謎は解明されないまま、帰路につくことになった。

誰か「指差しの三つ巴模様」にお答えください。

ご存知の方は教えて〜!


次回、最終の「その六」は、番外編・写真集です。

ご期待ください。

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2015年01月09日

スラバヤ二泊三日の旅・その四

今日は、A子さんの案内でスラバヤ見学です。

スラバヤの旧名は、スロボヨ=suroboyo。

スロはサメでボヨはワニのことだと聞いた。

インドネシア語だとサメはikan hiuだしワニはbuayaだから、スロボヨはジャワ語かもしれないね。

この地で、最強の動物を争ったという神話に由来し、市章に表されている。

まずは動物園へ。

と言っても入園するわけではない。

動物園前にあるサメとワニのモニュメント前で、地元のツーリストに混じって記念写真。

これを落としてはいけない、と私のミーハー精神がアドバイスする。

見本写真を手にしたカメラマンが大勢いるところを見ると、記念写真屋さんだろう。

ローカルにも人気の写真スポットのようだ。

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動物園をあとにして、車は西に向かった。

一時間かけて、パンダアン(Pandaan)地域にあるホーローの店にお出掛けだ。

ホーローは漢字で「琺瑯=ほうろう」と書く。

琺瑯は、“金属面を保護または装飾するためにガラス質の釉(うわぐすり)を表面に塗り、高温で焼き付けたもの”と辞書にある。

日本の市場でも見かける商品だが、ウブド在住の青年はホーローの名前を知らなかった。

私には、懐古な品である。

欲しいホーローがあったが、2月に日本に帰る身にとっては、今、荷物が増えるのは避けたい。

と言うことで、私はココナツをフレークにする道具として、おろし金を購入した。

世話になっている「日本料理店・影武者」のお土産です。

「ホーローでないじゃん!」と言われそうですが、あろし味のよさそうな一品だったんですよ。

空港で取り上げられましたが。

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ホーローの村は、イスラム色のグリーンが多い。


近くの大型食堂「MIRAZA」で昼食。

東ジャワ料理のオテオテ(oteote)と、可愛い名前の春巻き風味な揚げ物をいただく。

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写真は半分に割ったところ。

意外に大きくて、2つ食べれば大人でも昼食になるだろう。

われわれ一行は、オテオテ各自一個と、ナシゴレン、ミーゴレン、ビーフンゴレンを5人でシェアーした。


A子さんに夜の予定があり、今夜の食事はわれわれだけで探索となった。

ホテルの近く、グンテン市場のある通りに様々な屋台店が並ぶ。

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あれっ? 玩具ばかり撮ってる。

私は子供か!。


夜市からマス川に出て、左折して川沿いに歩く。

夕食は、夜市のワルンを避けて、無難にレストラン「ブンブ・ラサ」で。


スラバヤは、25年前の記憶と大差はなかった。

大差あるはずなのに、どうしてだろう。

A子さんから、おりおり聞いていた情報で、イメージができていたのだろうか。

バリとの違いは、インターナショナルな観光地ではないので、外国人の姿は少ない。

町には、イスラム教徒独特の男子の帽子や女子のかぶり物姿が思ったより目につかない。

イスラム教の戒律が緩いのか、イスラム教徒以外宗教徒が多いのか?

言葉は、インドネシア語と違う言葉がまかり通っていて、まったく理解できない。

ジャワ島は、西部はスンダ語、東部はジャワ語地域だ。

スラバヤはジャワ語圏。


いよいよ明日は、バリに戻ります。

その前に、私の要望でインドネシア・タバコで有名な「サンポルナ博物館」に行く予定です。
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2015年01月06日

スラバヤ二泊三日の旅・その参

12月30日(晴)

フカフカ・ベッドで、寝起きもすこぶる良い。

念願の「ホテル・マジャパヒト(Hotel Mejapahit)」に泊まっているんです。

ホテルと名のつく宿に泊まることのほとんどない旅人にとっては、たいへん珍しく贅沢なことをしています。

カーテンを開けると、柱廊の向こうに手入れの行き届いた中庭が見渡せる。

南国の陽射しが、緑のじゅうたんと白い壁を照りつけていた。

白亜の建物は、1910年にサーキス(Sakies)兄弟によって建てられた。

シンガポールにある「ラッフルズ・ホテル」の超縮小版の2階建て。

「ラッフルズ・ホテル」も、サーキス兄弟が1887年に創立したと新たに知った。

どうりで、似ていると思った。

なんて、泊まってもいないのに、言っちゃった。

こういう見栄をはるから、皆から嫌われるんだよな。

「ラッフルズ・ホテル」には、食事か喫茶で何度も足を運んでいるが、これからも宿泊することはないだろう。

私にとっては「ホテル・マジャパヒト」の宿泊でも快挙だ。

1942年から第二次世界大戦の終戦(1945年)までは、占領した日本軍の司令部が置かれ「ホテル・ヤマト」と呼ばれたと、フロントでもらったパンプレットに書いてあった。


そうそう1910年といえば、バリ島がオランダの統治下に置かれた年。

1906年にバドゥン王家、1908年には8つの王国で最後までオランダと戦ったクルンクン王国も「ププタン」で滅びた。
600年続いたバリ王国時代の終焉だ。

バリ島のオランダ支配は、王国時代の支配者層を現地人官吏とする間接統治だったため、スラバヤや他の都市のようなコロニアル建築は見られない。


それでは「ホテル・マジャパヒト」を写真でご案内しよう。
中庭と柱廊

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床のタイル模様も可愛い。


中央の上下階はスイートルーム。

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この庭では、パーティが催されることがあるそうです。

ホワイトハウスをバックに、オシャレな衣装に身を包んだ男女の優雅な所作が眼に浮かぶようです。


花柄が磨りガラス加工された扉

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各所に配されたステンドグラスも美しい。

写真に撮るのを忘れている。


ホテル内の男子トイレ

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白黒チェックのタイルがレトロっぽい。

インドネシア語で市松模様は、ポレン=polengと言う。

バリでは白黒ポレン布は魔除けとされ、神像や神木や祭壇などに巻かれているのを見かける。


女性トイレの洗面コーナー

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鏡の額縁と洗面台の脚がレトロ。

決死の潜入取材でした。


さて、これからA子さんのアテンドでお出かけです。

楽しみだ。



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2015年01月03日

スラバヤ二泊三日の旅・その弐

離陸予定は、12時50分。

飛行時間は40分弱。

なんやかんだで、機上してから降りるまで50分ほど。

到着予定は、12時40分。

太陽を追いかけて、バリとスラバヤの時差は一時間。


離陸時間が少し遅れて、13時05分となった。

空港には、A子さんが迎えに来てくれることになっている。

遅れるむねを、携帯電話にコメントを入れた。

前日のフェースブックでの連絡で、私はスケジュールにエアー・アジアと書いていたようだ。

スラバヤにはターミナルが2カ所にあり、エアー・アジアは2014年に完成したターミナル2で、ライオン・エアーはターミナル1を使用。

ターミナル1とターミナル2とは、かなり距離が離れているようだ。

彼女は、便名からライオン・エアーと判断してターミナル1で待っていてくれた。

機転がきくところが、彼女の長所のひとつでもある。

ちなみに、スラバヤの空港は「ジュアンダ空港」と呼ばれている。

ジュアンダの意味は、未調査。


スラバヤ到着12時30分(晴)

携帯電話の時計は、自動的に変っていた。

無事A子さんと再会。

私は25年ぶりのスラバヤです。

初訪問はバスだったので、ジュアンダ空港は始めてだ。

空港から市内までは、高速道路を利用した。

車窓から見えるスラバヤ平野は限りなく広く、遥か遠くまで見渡せる。

モスクの丸い屋根が、あちらこちらに見える。

都心部に近づくにしたがって、チラホラと高層ビルがそびえている。

建築中の高層ビルもいくつも見える。

高度成長著しい都市の姿だ。

市内に戻ってから、昼食ということになった。

入った店は「Warung・Rawon・Setan」。

東ジャワ料理のラウォン=Rawon。

黒いスープに入った牛肉の角煮は、溶けるように柔らかい。

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A子さんは、雑誌にレストラン紹介記事を書いているほどの通だ。

今回の旅は、彼女のセレクトする料理を食べることも楽しみの一つとなっている。


スラバヤは、インドネシア初代大統領スカルノの出身地。

1945年の独立宣言後、イギリス軍や再植民地化を謀るオランダ軍との間に激しい攻防戦が繰り広げられた地域である。

英雄記念塔があり、戦士のモニュメントがいたるところに建っている。

オランダ植民地時代のレトロな建物が点在する旧市内に入った。

「あれも古いね!」

「これもコロニアル建築だ!」

感動していると、車はホテル・マジャパヒトの車寄せに入っていった。

高級ホテルと聞いているので、緊張する。

緊張する理由は、高級ホテルに入る服装をしていないこと。

ビーチサンダルでは不都合だろうと、靴を履いてきている。

ジーンズにTシャツは、ウブドでのファッションと変らない。

ホテルのスタッフは、笑顔で迎えてくれた。

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夕食は「ルママカン・ハンナン=海南飯店」に。

客席40ほどの中華料理店。

客の100パーセントが中華系インドネシア人。

中国人の習慣か、ほとんどが家族連れだ。

我々がテーブルを確保すると、満席になった。

空席待ちの客が、扉の外で並んだ。

A子さんお薦めの「蟹カレーとハンナン・ライス」に舌鼓。

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店を出ると、この日始めての雨が降っていた。

A子さんが携帯で運転手に電話。

店の前に、車が横付けされた。

すっかり駐在員の妻の領分を心得ているようだ。

ウブドで、バイクを自由に乗り回していた彼女からは想像できない華麗な変身だ。


ホテル・マジャパヒトのベッドは、フンワカと気持ちがよい。

お休みなさい。

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2015年01月02日

スラバヤ二泊三日の旅・その壱

明けましておめでとうございます。

ウブドの正月は暦が2015年と変っただけで、バリ人は通常どおりの生活を送っている。

私もいつものように、今年も「旅人の精神」で過ごそうと思っております。

ブログともども、愛顧のほど、よろしくお願いします。


昨年末、12月29日から31日までスラバヤを訪問した。

その時の話をさせていただきます。

スラバヤは、バリ島の西にあるジャワ島の東部に位置するインドネシア第2の商業都市。

東ジャワ州の州都でもある。

飛行機で40分ほどの距離だ。

訪問目的は、スラバヤで駐在員の妻となっているA子さんに会うこと。

A子さんとは、彼女がウブド在住の頃からの友人。

旦那のスラバヤ任期が、少なくなっている様子。

在住中に、彼女のスラバヤ生活を見ておこうというわけだ。

次の目的は「モジャパイト・ホテル」に泊まること。

オランダ統治時代のコロニアル・スタイルが残る、由緒あるホテルだ。

もう一つ、同行することになった高木さん夫妻が近日オープンするお店の仕入れも兼ねた。

夫妻のほかに、初の海外旅行の次男・二三矢君も一緒だ。


12月28日:

早朝、スラバヤ発エアー・アジア航空機が、シンガポールに向かう途中で消息を絶った。

交信が途絶え、行方不明。

悪天候のため、捜査活動も難航。

150名以上の乗客の安否が気遣われている。

家族の不安そうな顔がテレビに映し出されている。

(その後、遺体は発見された)


12月29日:

そんな情報が流れる中での出発だ。

航空会社は、ライオン・エアー。

2013年には、ライオン・エアーも幾度か墜落している。

航空会社は違うといえども、不安になる。

高速バスで行く方法もあるが、こちらも危険が伴うし体力的にも自信が無い。

この日も上空には暗雲が立ち籠めている。

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ヘビースモーカーの高木夫妻に伴って喫煙エリアへ。

珍しい友人に遭遇。

プンゴセカン村のアーチスト、デワ・アリット君だ。

彼は、ジャカルタのドイツ大使館へビザ申請に一人旅。

来年ドイツに行く。

音楽家として招聘されているようだ。

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そして、空港内出発ゲート側にオープンした「beard・papa's」のシュークリームを。

目の前でクリームを詰めてくれるというのが珍しい。

A子さんがウブドを訪れる時には、お土産に持って来てくれるお薦めの一品だ。

ローカル客の行列が出来ていた。

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13時05分:離陸

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機内に入ると、さっそく乗客は新聞を手に読み始めた。

墜落事故がリアルだ。

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上昇時の揺れは凄かった。

振動は震度2ほど。

上下の揺れには、心臓が浮き上がる感覚がともなう。

日本からマレーシア、マレーシアからバリ、バリからスラバヤへと、三度目の機上の人となった二三矢君。

隣りで、椅子の肘掛けを持つ手に力が入っていた。

私は深呼吸でやり過ごした。

実は、私も飛行機は苦手なのです。

無事にスラバヤに着陸することを願うばかり。
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