トランジット帰国の豊田市滞在が、5週間を過ぎた。
ウブド滞在と比べて物足りないのは、マッサージが受けられないことだ。
豊田市にもスパはある。
ところが、私には金額が高すぎる。
ウブド滞在中は、格安スパを月2〜3回利用していた。
それほど格安だった。
私が利用するスパは、500円から800円の店。
あ〜、ウブドに行ってマッサージがしたい!
ここで「itosanのお薦めスパ@ウブド」を紹介しよう。
2011年にオープンした《チャンティック・スパ=Cantik Spa》 。
仲の良い友人が関係しているので、応援しているお店です。
チャンティックは、 “可愛い” という意味のインドネシア語。
女性客に人気のスパです。
場所は、スグリオ通り。
ウブドの繁華街(王宮周辺 & モンキーフォレスト通り & ハヌマン通り)から少し離れているが、逆に、ウブドらしい町並みが残っている地域。
ローカル食堂も多くて、歩いて楽しい通りだ。
そんな通りに「チャンティック・スパ」がある。
ピンク色の幟(ウンブルウンブル)が目印。
外観もレディースっぽく、男性の私は尻込みしてしまう。
友人の紹介ということで、勇気を出して入ってみた。
店内もピンクと白でコーディネートされて女性的。
マッサージ室は、清潔でこぢんまりしている。
バリニーズ・マッサージをお願いした。
まず、ぬるま湯で足を丁寧に洗ってくれた。
ベッドに横になってしまえば、女子力空間も気にならない。
流れるような優しいマッサージは、心地よかった。
1時間、かなりレベルの高いマッサージに癒される。
この技術なら、フェーシャルも任せられるかもしれないと挑戦した。
こちらも、充分満足できるマッサージだった。
接客も落ち着いていて、嫌みのないものだった。
これで町スパ価格は、お薦めだろう。
こんなリピーターの声を聞く。
「安いんだけど少し不潔な感じのスパが多い中で、チャンティック・スパの清潔で明るい雰囲気が好きです」
「スタッフのマッサージ技術も高く、接客教育もゆき届いて安心できます」
などなど。
★割引価格:Balinese Massage(60分)Rp80,000-/Foot Reflexology(60分)Rp80,000-/ Hair Cream Bath(60分)Rp80,000-/“CANTIK” Aloe Facial(60分)Rp110.000-/Body Scrub(90分)Rp140.000-/
★住所:スグリオ(sugriwa)通り15番
★営業時間:11.00am〜8.00pm/年中無休
★TEL:0361-808-1414/
★E-mail:info@cantikspa.com/
★Web:http://cantikspa.com/
コロンビア・サレントに、安くて巧いスパはあるかな?
期待しよう。
それとも、自分でオープンしちゃおうかな。
2015年03月11日
2015年03月09日
久々に見た夢が・・・悪夢(11)
頭に重圧を感じた。
それが今朝見た、夢の始まりだった。
いきなり頭を押さえられたところから始まる夢だ。
グローブのような大きな掌は、私の頭を左右に少し揺すった。
そのあと掌は、コックを開閉する時のように捻った。
徐々に力が加わり、最後はいっきに捻った。
2回転ほどしたところで、首が胴から離れた。
夢の中で、血は流れていない。
ここで、眼を覚まさなくてはもっと怖い場面を見ることになる。
焦っているうちに、夢は次の情景に移っていた。
生首と胴は、水の中にある。
激流の川を流れていた。
イナズマ光線のようなジグザグの川を降下していく。
私の意識は、生首の方にある。
ムムム、このあとの展開はどうなる?
このまま流されていても良いことはないだろう、と私は夢から覚めることにした。
さて、この夢物語は何だったのか?
極楽通信・UBUD「夢日記 in UBUD 」も読んでください。
それが今朝見た、夢の始まりだった。
いきなり頭を押さえられたところから始まる夢だ。
グローブのような大きな掌は、私の頭を左右に少し揺すった。
そのあと掌は、コックを開閉する時のように捻った。
徐々に力が加わり、最後はいっきに捻った。
2回転ほどしたところで、首が胴から離れた。
夢の中で、血は流れていない。
ここで、眼を覚まさなくてはもっと怖い場面を見ることになる。
焦っているうちに、夢は次の情景に移っていた。
生首と胴は、水の中にある。
激流の川を流れていた。
イナズマ光線のようなジグザグの川を降下していく。
私の意識は、生首の方にある。
ムムム、このあとの展開はどうなる?
このまま流されていても良いことはないだろう、と私は夢から覚めることにした。
さて、この夢物語は何だったのか?
極楽通信・UBUD「夢日記 in UBUD 」も読んでください。
2015年03月08日
ウブド・エコ・プロジェクト(10)
豊田市を散策していて感心したことがある。
街にゴミが落ちていないことだ。
きっと日本中どこに行っても、このように清掃が行き届いているのだろうが。
バリ・ウブドから来ると、このギャップには驚かされる。
これは、ウブド人と日本人のモラルの違いだろう。
ウブドは今、世界有数の観光地として人気が高まっている。
私が滞在し始めた1990年のウブドは、バックパッカーの訪れる物質文明からほど遠い山あいの村だった。
道ばたにプラスチック袋の破片が落ちていることはあるが、ゴミらしいゴミは見かけなかった。
(何を指してゴミと言うか? という話はパス)
その頃、私がゴミと認識した物は、落下した椰子の実や椰子の葉で作られた供物ぐらい。
枯木や古材や朽ちた竹は台所の薪に使用され、生ゴミは家畜の餌になっていた。
果物を食べたあとのクズは、庭にポイ捨て。
ゴミ箱は、用意されていない。
これは、一日に数回する掃除の時に、用済みの供物と一緒に集められ裏庭や川に放棄される。
なんでも自然に戻るんだと思い込んでいるウブド人は、ところ構わずポイ捨てにする傾向がある。
土に戻る素材がほとんどだった時代のことだ。
その後数年して、ツーリストが捨てる飲料水のペットボトルが目立つようになった。
川にプカプカと浮かぶペットボトル。
気になった私は1904年4月、ウブドの自然を守るために「ウブドの環境を考える会」を作ってみた。
「ゴミをつくらない・ゴミは分別して出す」という、小さくて大切なことから始めることにした。
まずは、ペットボトルから。
アクア君Tシャツを作ったのは、この時。
デザインは、漫画家になる前の深谷陽さん。
ウブドに、土に帰らないプラスチック素材が増えてきた。
観光客も倍増し、地元の人々の生活も文明化され、毎日大量のゴミが出る。
これまでの習慣からポイ捨てをするウブド人。
プラスチックゴミは、川を詰まらせ洪水の原因となっている。
土に戻らないプラスチックゴミに、彼らは危機感を持たないのか。
ウブドのゴミ事情を考えると、将来が不安になった。
少しずつでもいいから、何かを始めなくては。
そんな気持ちから、2009年2月より始まったウブド在住の有志による「廃品(リサイクルできるゴミ)回収」に取り組んだ。
それが、ウブドのエコを考える「ウブド・エコ・プロジェクト=Ubud Eco Project 」だった。
バリ・ウブドの環境を少しでもよくしていこう。
しかし、私の力不足で貫徹できていない。
ウブド人も危機感を持ち始めてきた。
環境問題は今、ウブド人主導で動き始めている。
◇
そして豊田市。
道路にゴミ箱が設置されていない。
それでもゴミが見えない。
立ち喰い立ち飲みで発生したゴミはどうしているのだろ?
そういう振る舞いはしないのか。
したとしても、ゴミは持ち帰っているのか。
きっとそうなのだろう。
分別ゴミは徹底され、回収日も決まっているのは、全ての日本人が知っている。
この地球が、美しく健やかな星に戻れますように。
それが皆の願いだ。
街にゴミが落ちていないことだ。
きっと日本中どこに行っても、このように清掃が行き届いているのだろうが。
バリ・ウブドから来ると、このギャップには驚かされる。
これは、ウブド人と日本人のモラルの違いだろう。
ウブドは今、世界有数の観光地として人気が高まっている。
私が滞在し始めた1990年のウブドは、バックパッカーの訪れる物質文明からほど遠い山あいの村だった。
道ばたにプラスチック袋の破片が落ちていることはあるが、ゴミらしいゴミは見かけなかった。
(何を指してゴミと言うか? という話はパス)
その頃、私がゴミと認識した物は、落下した椰子の実や椰子の葉で作られた供物ぐらい。
枯木や古材や朽ちた竹は台所の薪に使用され、生ゴミは家畜の餌になっていた。
果物を食べたあとのクズは、庭にポイ捨て。
ゴミ箱は、用意されていない。
これは、一日に数回する掃除の時に、用済みの供物と一緒に集められ裏庭や川に放棄される。
なんでも自然に戻るんだと思い込んでいるウブド人は、ところ構わずポイ捨てにする傾向がある。
土に戻る素材がほとんどだった時代のことだ。
その後数年して、ツーリストが捨てる飲料水のペットボトルが目立つようになった。
川にプカプカと浮かぶペットボトル。
気になった私は1904年4月、ウブドの自然を守るために「ウブドの環境を考える会」を作ってみた。
「ゴミをつくらない・ゴミは分別して出す」という、小さくて大切なことから始めることにした。
まずは、ペットボトルから。
アクア君Tシャツを作ったのは、この時。
デザインは、漫画家になる前の深谷陽さん。
ウブドに、土に帰らないプラスチック素材が増えてきた。
観光客も倍増し、地元の人々の生活も文明化され、毎日大量のゴミが出る。
これまでの習慣からポイ捨てをするウブド人。
プラスチックゴミは、川を詰まらせ洪水の原因となっている。
土に戻らないプラスチックゴミに、彼らは危機感を持たないのか。
ウブドのゴミ事情を考えると、将来が不安になった。
少しずつでもいいから、何かを始めなくては。
そんな気持ちから、2009年2月より始まったウブド在住の有志による「廃品(リサイクルできるゴミ)回収」に取り組んだ。
それが、ウブドのエコを考える「ウブド・エコ・プロジェクト=Ubud Eco Project 」だった。
バリ・ウブドの環境を少しでもよくしていこう。
しかし、私の力不足で貫徹できていない。
ウブド人も危機感を持ち始めてきた。
環境問題は今、ウブド人主導で動き始めている。
◇
そして豊田市。
道路にゴミ箱が設置されていない。
それでもゴミが見えない。
立ち喰い立ち飲みで発生したゴミはどうしているのだろ?
そういう振る舞いはしないのか。
したとしても、ゴミは持ち帰っているのか。
きっとそうなのだろう。
分別ゴミは徹底され、回収日も決まっているのは、全ての日本人が知っている。
この地球が、美しく健やかな星に戻れますように。
それが皆の願いだ。
2015年03月02日
王族の住居は “プリ=Puri” と呼ばれる(9)
豊田市の前身・挙母が城下町だったことは「孤独のグルメ一品@豊田市(6)」で書いた。
城下町だったのなら、お城があったはずと考えるのは常識だろう。
市役所で観光ガイドマップをもらい、開いた。
見ると、豊田市美術館に隣接して挙母城(別名:七州城)隅櫓跡があることを知った。
美術館で鑑賞したあと挙母城に寄ろうと、さっそく行ってみることにした。
ところが豊田市美術館は、バリアフリー化などの改修工事のため10月9日まで休館。
城内には入ることができなかったが、外観は見ることができた。
挙母城は別名、七州城と言う。
築城は、江戸時代・慶長9年(1604年)。
七州城(しちしゅうじょう)と呼ばれる理由は、「三河国」「尾張国」「美濃国」「信濃国」「遠江国」「伊勢国」「近江国」の7つの国が望める童子山の高台(樹木台とも言う)にあるからだそうだ。
廃藩置県後に取り壊され、現在見られるのは復興した隅櫓(すみやぐら)だけ。
周囲は、散策に適した庭が広がっていた。
もう一つ、旧市街に残っている「桜城址」。
挙母城は、もともとこの地に築城予定であったが、工事途中に矢作川の氾濫により建築不能となり、跡だけが残っている。
この機会に、お城についてWikipediaで、ちっと勉強してみることにした。
「城」は戦略上の重要な拠点であり、防衛の上でも要であった。
城は大きく分けて “山城” と “平城” がある。
“山城” は、要塞、要害としての城。
戦乱の世であった時代、戦略的、防衛的な観点から地形を利用して山に建てられた。
小牧城、岐阜城など。
“平城” は、天下統一の後、戦略的な意味合いが薄れ平地に作られる平城となり、防衛的な特色より立派な天守閣のある権力示威的な色合いが濃くなる。
戦略的な目的を失った城は、今度はそこに封ぜられた大名のその藩の民に対する権力誇示の意味合いを持つようになり、また城下町内を統治する上での拠点、政所としての役割を担うようになった。
名古屋城、犬山城、岡崎など。
挙母城も“平城” になる。
立派な城廓は、お城を模したレストランです。
かに本家
◇
ここで、少しバリ島を振り返ってみよう。
滞在始めた頃、疑問に思ったことがある。
それは、お城がないことだ。
バリ島の歴史にも戦国時代はあった。
群雄割拠の時代があれば、お城が残っているはず。
私は、ヨーロッパや日本とは異なった、バリ独特の城文化を期待していた。
バリ島の王族の住居・王宮は “プリ(Puri)” と呼ばれている。
市場に隣接した、交通の便のよい立地に建っている。
プリは、堅牢な城壁で囲まれていない。
先ほど勉強した “平城”に似ている。
諍いはあったか、激しい戦闘にはならなかったのだろう。
バリ人は、争うことを嫌う民族だと聞く。
こんなところにも、バリ人気質が現れているのではないだろうか。
(お城と王宮の違いを把握できていないので、説明を省きました)
ウブドにある「サレン王宮=プリ・サレン」の写真(2014年7月)をアップ。
変化続ける「ウブド変則十字路」。
次回、訪れた時にはどう変っているか、楽しみだ。
城下町だったのなら、お城があったはずと考えるのは常識だろう。
市役所で観光ガイドマップをもらい、開いた。
見ると、豊田市美術館に隣接して挙母城(別名:七州城)隅櫓跡があることを知った。
美術館で鑑賞したあと挙母城に寄ろうと、さっそく行ってみることにした。
ところが豊田市美術館は、バリアフリー化などの改修工事のため10月9日まで休館。
城内には入ることができなかったが、外観は見ることができた。
挙母城は別名、七州城と言う。
築城は、江戸時代・慶長9年(1604年)。
七州城(しちしゅうじょう)と呼ばれる理由は、「三河国」「尾張国」「美濃国」「信濃国」「遠江国」「伊勢国」「近江国」の7つの国が望める童子山の高台(樹木台とも言う)にあるからだそうだ。
廃藩置県後に取り壊され、現在見られるのは復興した隅櫓(すみやぐら)だけ。
周囲は、散策に適した庭が広がっていた。
もう一つ、旧市街に残っている「桜城址」。
挙母城は、もともとこの地に築城予定であったが、工事途中に矢作川の氾濫により建築不能となり、跡だけが残っている。
この機会に、お城についてWikipediaで、ちっと勉強してみることにした。
「城」は戦略上の重要な拠点であり、防衛の上でも要であった。
城は大きく分けて “山城” と “平城” がある。
“山城” は、要塞、要害としての城。
戦乱の世であった時代、戦略的、防衛的な観点から地形を利用して山に建てられた。
小牧城、岐阜城など。
“平城” は、天下統一の後、戦略的な意味合いが薄れ平地に作られる平城となり、防衛的な特色より立派な天守閣のある権力示威的な色合いが濃くなる。
戦略的な目的を失った城は、今度はそこに封ぜられた大名のその藩の民に対する権力誇示の意味合いを持つようになり、また城下町内を統治する上での拠点、政所としての役割を担うようになった。
名古屋城、犬山城、岡崎など。
挙母城も“平城” になる。
立派な城廓は、お城を模したレストランです。
かに本家
◇
ここで、少しバリ島を振り返ってみよう。
滞在始めた頃、疑問に思ったことがある。
それは、お城がないことだ。
バリ島の歴史にも戦国時代はあった。
群雄割拠の時代があれば、お城が残っているはず。
私は、ヨーロッパや日本とは異なった、バリ独特の城文化を期待していた。
バリ島の王族の住居・王宮は “プリ(Puri)” と呼ばれている。
市場に隣接した、交通の便のよい立地に建っている。
プリは、堅牢な城壁で囲まれていない。
先ほど勉強した “平城”に似ている。
諍いはあったか、激しい戦闘にはならなかったのだろう。
バリ人は、争うことを嫌う民族だと聞く。
こんなところにも、バリ人気質が現れているのではないだろうか。
(お城と王宮の違いを把握できていないので、説明を省きました)
ウブドにある「サレン王宮=プリ・サレン」の写真(2014年7月)をアップ。
変化続ける「ウブド変則十字路」。
次回、訪れた時にはどう変っているか、楽しみだ。
2015年03月01日
ラー・ミエン・ドット・コム開店@ウブド(8)
ウブドの友人から写真が届いた。
先月2月14日にオープンした、居酒屋・漁師の直営店「ラー・ミエン・ドット・コム=la-mien.com」の写真だ。
私が滞在していた1月は、工事中だった。
オープンには駆けつけるつもりでいたので、残念な気分でウブドをあとにした。
心残りだったので、「完成したら写真を送って」と頼んでおいた。
場所は、ツーリストに人気の店が連なるゴータマ通りの中程、「ワルン・ビアビア」の斜め前。
試食に誘われていたが、味音痴な私には大役だったので辞退した。
研究熱心な友人は、何度も何度も試食を繰り返していたようだ。
店名から察すればラーメン屋です。
ラーメンののれんが出ていなければ気がつかない、ラーメン屋らしからぬラーメン屋。
では、「ラー・ミエン・ドット・コム」を紹介しよう。
メニューには、ラーメン以外に、カレー、餃子など日本人の大好物が抜け目無く揃っている。
ラーメンのラインアップは。
味噌チャーシュー麺Rp55,000-、味噌ラーメンRp48,000-、醤油ラーメンRp48,000-、醤油チャーシュー麺Rp55,000-。
ラーメンとは別に、麺、スープ、トッピングをそれぞれの好みに合わせて選ぶオリジナルメニューがある。
四種類の麺(タマゴ麺Rp15,000-・クイテアウ麺 Rp22,000-、タムミウン麺 Rp26,000-、ソッウン麺 Rp20,000-)から選ぶ。
そして、スープも四種類( ヴェジタブル スープ 、チキン スープ、ポーク スープ、 チキン&ポークミックス スープ)から。
トッピングは、17種類。
鶏そぼろ、ザンギ、 餃子ゴレン、チャーシュー、チゲ・ポーク、角煮、マッシュルーム、.タマゴ、豚そぼろ、メンマ、豆腐チャーシュー、わかめ、ヴェジ麻婆豆腐、 ネギ ビーフ、 トムヤム シーフード、豆腐そぼろ、辛ネギ。
トッピングの値段は、Rp3,000〜Rp13,000-。
組み合わせによって、何十種類もの味を楽しめるユニークなメニューだ。
ほかにも、メニューは(照り焼き、マーボ茄子などなど)ありますよ。
■食事:カレーRp55,000-&Rp65,000-/餃子Rp23,000-&28,000-/
■飲物:紅茶Rp10,000-/コピバリRp15,000-/チューハイ各種Rp25,000-/ビンタンビール大Rp35,000-小5,000-/
■営業時間:11.00〜23.00/年中無休
■TEL:(0361)4792685
かつてウブドには「イダ・バグース・ラーメン」「ラーメン・ボーイ」が開店したが、今はない。
ウブド唯一となった、新感覚のラーメン屋「ラー・ミエン・ドット・コム」に期待したい。
私の注文は、炒飯(Rp30,000-)&餃子です。
先月2月14日にオープンした、居酒屋・漁師の直営店「ラー・ミエン・ドット・コム=la-mien.com」の写真だ。
私が滞在していた1月は、工事中だった。
オープンには駆けつけるつもりでいたので、残念な気分でウブドをあとにした。
心残りだったので、「完成したら写真を送って」と頼んでおいた。
場所は、ツーリストに人気の店が連なるゴータマ通りの中程、「ワルン・ビアビア」の斜め前。
試食に誘われていたが、味音痴な私には大役だったので辞退した。
研究熱心な友人は、何度も何度も試食を繰り返していたようだ。
店名から察すればラーメン屋です。
ラーメンののれんが出ていなければ気がつかない、ラーメン屋らしからぬラーメン屋。
では、「ラー・ミエン・ドット・コム」を紹介しよう。
メニューには、ラーメン以外に、カレー、餃子など日本人の大好物が抜け目無く揃っている。
ラーメンのラインアップは。
味噌チャーシュー麺Rp55,000-、味噌ラーメンRp48,000-、醤油ラーメンRp48,000-、醤油チャーシュー麺Rp55,000-。
ラーメンとは別に、麺、スープ、トッピングをそれぞれの好みに合わせて選ぶオリジナルメニューがある。
四種類の麺(タマゴ麺Rp15,000-・クイテアウ麺 Rp22,000-、タムミウン麺 Rp26,000-、ソッウン麺 Rp20,000-)から選ぶ。
そして、スープも四種類( ヴェジタブル スープ 、チキン スープ、ポーク スープ、 チキン&ポークミックス スープ)から。
トッピングは、17種類。
鶏そぼろ、ザンギ、 餃子ゴレン、チャーシュー、チゲ・ポーク、角煮、マッシュルーム、.タマゴ、豚そぼろ、メンマ、豆腐チャーシュー、わかめ、ヴェジ麻婆豆腐、 ネギ ビーフ、 トムヤム シーフード、豆腐そぼろ、辛ネギ。
トッピングの値段は、Rp3,000〜Rp13,000-。
組み合わせによって、何十種類もの味を楽しめるユニークなメニューだ。
ほかにも、メニューは(照り焼き、マーボ茄子などなど)ありますよ。
■食事:カレーRp55,000-&Rp65,000-/餃子Rp23,000-&28,000-/
■飲物:紅茶Rp10,000-/コピバリRp15,000-/チューハイ各種Rp25,000-/ビンタンビール大Rp35,000-小5,000-/
■営業時間:11.00〜23.00/年中無休
■TEL:(0361)4792685
かつてウブドには「イダ・バグース・ラーメン」「ラーメン・ボーイ」が開店したが、今はない。
ウブド唯一となった、新感覚のラーメン屋「ラー・ミエン・ドット・コム」に期待したい。
私の注文は、炒飯(Rp30,000-)&餃子です。
2015年02月24日
コロンビア・コーヒー@豊田市(7)
コロンビア・ボゴダ行きの航空券を購入しました。
「格安航空券skyscanner」から「DeNA」で予約。
3月31日名古屋発で、帰国は9月30日のボゴダ発。
6ヶ月のオープン・チケットです。
利用航空会社は、エールフランス。
料金は、往復で172、240円。
乗り継ぎ2回。
往路は62時間15分。
トランジットが長いのだ。
だから、ボゴダ到着は4月2日になる。
期待のワクワク緊張感が、ジワジワと押し寄せてきています。
「どうして、コロンビアなの?」と聞かれることが多い。
一般的にコロンビアは、マイナーな国だし危険な国だとの認識しか無いのだ。
私は、ウブドを離れるならマイナーな国がいいと思っていた。
できれば、田舎がいい。
きっかけは、コロンビア・サレントから来ていた日本人男性とウブドで知り合ったからだ。
彼に見せていただいたサレントの町並みの写真が、私の憧れのツボにはまった。
それは、色彩感覚の鈍い私を刺戟するカラフルの町だった。
コロンビアの特産品は、生産量世界2位のコーヒー。
私が滞在する予定のサレントは、コーヒー生産地。
コーヒー好きな私には、もってこいの場所ではありませんか。
◇
駅前を歩いていて、なにげなく入ったビル「コモ・スクエア」。
エスカレーター脇にあるカフェ「プロント=PRONTO」が気になった。
私のワクワク感が引き寄せたのだろう。
「プロント」に、コロンビアのコーヒーが置いてあった。
メニューには・・・世界でも貴重な「ゲイシャ」をフレンチプレスで・・・と書かれてある。
「ゲイシャ」は、銘柄名のようだ。
この店では、お客様に美味しく飲んでいただくためにフレンチプレスでの抽出に、砂時計が用意されていた。
◇ じっくり3分、ゆっくり3秒 ◇
1. ゲイシャの美味しさがしっかりと液体に溶け込むまで砂時計で「じっくり3分間」待つ。
2. 雑味が出にくいよう「ゆっくり3秒」数えながらプレスする。
3. 完成。華麗なる香りを心ゆくまでご堪能ください。
何気無く飲んでいたが、コーヒーの味がわかる男と思われたのか、テーブルの上には砂糖もミルクも用意されていなかった。
ゲイシャを飲む客はブラックで飲むものだと、店主は考えているだろう。
コロンビア・コーヒー980円。
待てよ、砂糖&ミルクはセルフサービスだったかもしれない。
やあ〜、うぬぼれが強いというのは、こういうことを言うのだろうな。(反省)
本場で「ゲイシャ」を飲みたくなってきた。
楽しみだ〜!
「格安航空券skyscanner」から「DeNA」で予約。
3月31日名古屋発で、帰国は9月30日のボゴダ発。
6ヶ月のオープン・チケットです。
利用航空会社は、エールフランス。
料金は、往復で172、240円。
乗り継ぎ2回。
往路は62時間15分。
トランジットが長いのだ。
だから、ボゴダ到着は4月2日になる。
期待のワクワク緊張感が、ジワジワと押し寄せてきています。
「どうして、コロンビアなの?」と聞かれることが多い。
一般的にコロンビアは、マイナーな国だし危険な国だとの認識しか無いのだ。
私は、ウブドを離れるならマイナーな国がいいと思っていた。
できれば、田舎がいい。
きっかけは、コロンビア・サレントから来ていた日本人男性とウブドで知り合ったからだ。
彼に見せていただいたサレントの町並みの写真が、私の憧れのツボにはまった。
それは、色彩感覚の鈍い私を刺戟するカラフルの町だった。
コロンビアの特産品は、生産量世界2位のコーヒー。
私が滞在する予定のサレントは、コーヒー生産地。
コーヒー好きな私には、もってこいの場所ではありませんか。
◇
駅前を歩いていて、なにげなく入ったビル「コモ・スクエア」。
エスカレーター脇にあるカフェ「プロント=PRONTO」が気になった。
私のワクワク感が引き寄せたのだろう。
「プロント」に、コロンビアのコーヒーが置いてあった。
メニューには・・・世界でも貴重な「ゲイシャ」をフレンチプレスで・・・と書かれてある。
「ゲイシャ」は、銘柄名のようだ。
この店では、お客様に美味しく飲んでいただくためにフレンチプレスでの抽出に、砂時計が用意されていた。
◇ じっくり3分、ゆっくり3秒 ◇
1. ゲイシャの美味しさがしっかりと液体に溶け込むまで砂時計で「じっくり3分間」待つ。
2. 雑味が出にくいよう「ゆっくり3秒」数えながらプレスする。
3. 完成。華麗なる香りを心ゆくまでご堪能ください。
何気無く飲んでいたが、コーヒーの味がわかる男と思われたのか、テーブルの上には砂糖もミルクも用意されていなかった。
ゲイシャを飲む客はブラックで飲むものだと、店主は考えているだろう。
コロンビア・コーヒー980円。
待てよ、砂糖&ミルクはセルフサービスだったかもしれない。
やあ〜、うぬぼれが強いというのは、こういうことを言うのだろうな。(反省)
本場で「ゲイシャ」を飲みたくなってきた。
楽しみだ〜!
2015年02月23日
孤独のグルメ一品@豊田市(6)
少しだが、気温が暖かくなってきたような気がする。
それとも、私の身体が寒さに慣れてきたのかな。
25年前まで3年ほど住んでいた豊田市に、今、帰ってきている。
豊田市民だった頃、駅前西町商店街の開発に関わっていたこともある。
帰ってみると、砂漠かサバンナに突然出現した新興都市のように、開発が進んで整備されていた。
広い道路には、味気ないデザインのビルと画一化されたプレハブの住宅が並んだ、どこにでもある街に変っていた。
豊田市の中心地である西町付近は以前、挙母(ころも)と呼ばれ、挙母藩2万石の城下町と塩の道・飯田街道の宿場町として栄えた。
(1681年、衣から挙母。そして、昭和34年に豊田市に。)
いくつか残っていた歴史的価値のある家屋が、消滅していた。
これでは、歴史が見えない。
文化の匂いもしない。
数ヶ月の滞在で判断してはいけないことは、わかっている。
下町のような生活臭が、私は好きなのかもしれない。
だから、こんな店を見つけると安心できる。
息子が経営する「コメダ珈琲」に行く途中の、十塚町で見つけた食堂。
こちらも「五平餅の上坂」同様の、しもたや風。
看板もそのままズバリ「大衆食堂・藤屋」。
「めし・めん類」の袖看板もいい味出している。
店内も昭和のチープなイメージが残っていて、落ち着く。
おばちゃんが、30年以上続けている店。
メニューも潔い。
おばちゃんの味は、レストランのよそゆきの味じゃなく、家庭料理に近かった。
懐かしい学生時代の食堂の味がした。
隣りの「道具屋」もいいな。
刃物の研ぎ&ノコギリの目立ち、の手書き看板。
このあとも、こんなの求めて散策します。
それとも、私の身体が寒さに慣れてきたのかな。
25年前まで3年ほど住んでいた豊田市に、今、帰ってきている。
豊田市民だった頃、駅前西町商店街の開発に関わっていたこともある。
帰ってみると、砂漠かサバンナに突然出現した新興都市のように、開発が進んで整備されていた。
広い道路には、味気ないデザインのビルと画一化されたプレハブの住宅が並んだ、どこにでもある街に変っていた。
豊田市の中心地である西町付近は以前、挙母(ころも)と呼ばれ、挙母藩2万石の城下町と塩の道・飯田街道の宿場町として栄えた。
(1681年、衣から挙母。そして、昭和34年に豊田市に。)
いくつか残っていた歴史的価値のある家屋が、消滅していた。
これでは、歴史が見えない。
文化の匂いもしない。
数ヶ月の滞在で判断してはいけないことは、わかっている。
下町のような生活臭が、私は好きなのかもしれない。
だから、こんな店を見つけると安心できる。
息子が経営する「コメダ珈琲」に行く途中の、十塚町で見つけた食堂。
こちらも「五平餅の上坂」同様の、しもたや風。
看板もそのままズバリ「大衆食堂・藤屋」。
「めし・めん類」の袖看板もいい味出している。
店内も昭和のチープなイメージが残っていて、落ち着く。
おばちゃんが、30年以上続けている店。
メニューも潔い。
おばちゃんの味は、レストランのよそゆきの味じゃなく、家庭料理に近かった。
懐かしい学生時代の食堂の味がした。
隣りの「道具屋」もいいな。
刃物の研ぎ&ノコギリの目立ち、の手書き看板。
このあとも、こんなの求めて散策します。
2015年02月21日
元祖・五平餅「上坂(こうさか)」(5)
ウイークリーマンションから、5分とかからないところを走っている旧街道沿いに「五平餅」の店がある。
先日、孫と散歩をしていた時、20年以上前にウブドで知り合った当時大学生の女性と、偶然に再会した。
彼女には、孫と同じ年の男の子がいる。
今、「五平餅屋」からの帰りだと言う。
その時に教えたもらった店。
彼女の地元にある有名店、元祖・五平餅「上坂(こうさか)」だ。
「上坂」は、創業明治四十五年。
創業地は山間部の村・足助で、歴史は100年以上だとのこと。
だから元祖。
しもたや風の古風な造りがいい。
店内も懐かしい昭和な雰囲気が漂う。
火鉢の横に、常連客風のおじさんがのんびりと新聞を読んでいる。
メニューの内容のレトロ。
五平餅、みたらしだんご、関東煮、みそおでん、ラムネ、ところてん、おみやげ箱、缶ビールと書かれてある。
三河方言見立番付も面白い。
五平餅は、木曽・伊那地方から、岐阜、三河、南信地域に伝わる郷土料理のひとつ。
豊田市にも古くから伝わっていて「ふるさとの味」である。
江戸時代中期頃、お米が貴重だった時代に、祭りやお祝いの場で神様に捧げられ、食べられていたとも言われている。
春と秋に山の神に供えられ、また人が集まる時には五平餅でもてなすのが古くからの習慣となったのだそうだ。
五平餅には、大わらじ型、わらじ型、丸型、この葉型、御幣型、ひょうたん型がある。
五平餅は、神様に捧げる「御幣」の五角形をかたどったところから、この名前が付いたと言われている。
元祖・五平餅「上坂(こうさか)」の五平餅は、この「御幣」のカタチをしている。
「上坂」の五平餅は、食べやすいこぶりなサイズ。
ホクホクと美味しく、タレが香ばしい。
こちらも懐かしい味。
観光地の食べ物だと思っていたら、日常に食べに来る人が多い。
お持ち帰りのお客様も後を絶たない。
■元祖・五平餅「上坂(こうさか)」
住所:小坂本町1・西(県道豊田・東郷線)
定休日:月・火曜日
営業時間:11.00am〜5.00pm
先日、孫と散歩をしていた時、20年以上前にウブドで知り合った当時大学生の女性と、偶然に再会した。
彼女には、孫と同じ年の男の子がいる。
今、「五平餅屋」からの帰りだと言う。
その時に教えたもらった店。
彼女の地元にある有名店、元祖・五平餅「上坂(こうさか)」だ。
「上坂」は、創業明治四十五年。
創業地は山間部の村・足助で、歴史は100年以上だとのこと。
だから元祖。
しもたや風の古風な造りがいい。
店内も懐かしい昭和な雰囲気が漂う。
火鉢の横に、常連客風のおじさんがのんびりと新聞を読んでいる。
メニューの内容のレトロ。
五平餅、みたらしだんご、関東煮、みそおでん、ラムネ、ところてん、おみやげ箱、缶ビールと書かれてある。
三河方言見立番付も面白い。
五平餅は、木曽・伊那地方から、岐阜、三河、南信地域に伝わる郷土料理のひとつ。
豊田市にも古くから伝わっていて「ふるさとの味」である。
江戸時代中期頃、お米が貴重だった時代に、祭りやお祝いの場で神様に捧げられ、食べられていたとも言われている。
春と秋に山の神に供えられ、また人が集まる時には五平餅でもてなすのが古くからの習慣となったのだそうだ。
五平餅には、大わらじ型、わらじ型、丸型、この葉型、御幣型、ひょうたん型がある。
五平餅は、神様に捧げる「御幣」の五角形をかたどったところから、この名前が付いたと言われている。
元祖・五平餅「上坂(こうさか)」の五平餅は、この「御幣」のカタチをしている。
「上坂」の五平餅は、食べやすいこぶりなサイズ。
ホクホクと美味しく、タレが香ばしい。
こちらも懐かしい味。
観光地の食べ物だと思っていたら、日常に食べに来る人が多い。
お持ち帰りのお客様も後を絶たない。
■元祖・五平餅「上坂(こうさか)」
住所:小坂本町1・西(県道豊田・東郷線)
定休日:月・火曜日
営業時間:11.00am〜5.00pm
2015年02月17日
お稲荷さんに、お参り(4)
宿泊しているウイークリーマンションからほど近いところに竹林が見える。
気になったので出掛けてみた。
そのには、小さな小さな神社があった。
かつての林道沿いに地蔵群。
水子地蔵だった。
看板には「豊田稲荷」
中に入ると、そこには小さな小さな朱色の鳥居。
鳥居には「高根稲荷」とある。
巻物をくわえた狐
そして社殿。
名前は「弘法院」。
弘法院の説明には、阿弥陀仏、弘法大師の文字。
観音菩薩像まである。
「弘法院」は神仏習合寺院か?
もちろん、参拝して来ましたよ。
と言うことで「サンパイ・ジュンパ=sampai jumpa」。
またね!
気になったので出掛けてみた。
そのには、小さな小さな神社があった。
かつての林道沿いに地蔵群。
水子地蔵だった。
看板には「豊田稲荷」
中に入ると、そこには小さな小さな朱色の鳥居。
鳥居には「高根稲荷」とある。
巻物をくわえた狐
そして社殿。
名前は「弘法院」。
弘法院の説明には、阿弥陀仏、弘法大師の文字。
観音菩薩像まである。
「弘法院」は神仏習合寺院か?
もちろん、参拝して来ましたよ。
と言うことで「サンパイ・ジュンパ=sampai jumpa」。
またね!
2015年02月16日
毘森公園のジャランジャラン(3)
ウブド滞在25年の私の身体は、毛穴全開の南国体質になっていた。
全身硬直状態で、何もする気が起きない。
それでなくても寒がりだった私に、名古屋の冬の寒さは堪え難い。
名古屋到着と同時に、風邪をもらった。
そして、ウブドでの生活リズムが取り戻せないでいる。
歳を重ねるに従って、リズムが違うと体調も崩してしまうようになった。
すっかりリズムを崩して、体調が思わしくない。
私のウブドでの生活リズムを説明すると・
昼12時前後に起き出して、テラスでコピバリを啜りながら読書する。
午後3時頃から、ネットをしに外出。
午後6時前に部屋に戻り、夕寝。
読書、ダンベル&縄跳びなどで軽く汗を流す、入浴。
夜9時、食事をしに「和食・影武者」に出掛ける。
知人がいれば、深夜0時近くまで雑談。
この雑談が、私が最も好きな時間。
これは「影武者」オープンから続いている、私のルーチンワークだ。
帰宅してから、パソコンに向かう。
これが私の、一日の生活リズムだ。
毎週日曜日の野球は、一週間のメリハリのリズムとしている。
これって、ほとんど怠け者生活。
一日の大半をテラスで生活していた私としては、テラスに出られないのがリズムが取れない原因かもしれない。
こんな生活を取り戻すのは無理だよね。
◇
2月11日、忘れていたが、日本は「建国記念の日」だった。
祝日のため、学校が休みの孫・曽良君のおもりを私が仰せつかった。
午前中は「豊田産業文化センター」内の施設(サイエンス広場&プラネタリウムなど)を見学。
若いお母さんの子供連れが多く訪れていた。
我々のような、孫と祖父ちゃんのカップルは珍しい。
午後から、毘森公園を散歩をすることにした。
息子・洋祐との思い出のある毘森公園を、孫・曽良君と散策。
林道でドングリを拾った。
家に帰ってから、ドングリ・コマを作ることを約束。
夏には、カブトムシやクワガタが見つけられるしい。
「また、来ようね」と、これも約束した。
豊田市宮口町に住んでいた時には、木村君とよくプレイしたテニスコート。
木村君、これを読んだら連絡ください。
夏には、洋祐と近所に住む小学生仲間とで泳ぎに来たプール。
バリの仲間と、こんなコンディションの球場で試合が出来たらいいな。
孫を乗せたブランコを200回以上、一生懸命に押した。
25年を経て、息子と来た毘森公園で孫と戯れている。
感慨深い。
嬉しかったのは私だけで、孫の曽良君が楽しかったかは疑問だ。
このあと私は、疲労と風邪でダウン。
全身硬直状態で、何もする気が起きない。
それでなくても寒がりだった私に、名古屋の冬の寒さは堪え難い。
名古屋到着と同時に、風邪をもらった。
そして、ウブドでの生活リズムが取り戻せないでいる。
歳を重ねるに従って、リズムが違うと体調も崩してしまうようになった。
すっかりリズムを崩して、体調が思わしくない。
私のウブドでの生活リズムを説明すると・
昼12時前後に起き出して、テラスでコピバリを啜りながら読書する。
午後3時頃から、ネットをしに外出。
午後6時前に部屋に戻り、夕寝。
読書、ダンベル&縄跳びなどで軽く汗を流す、入浴。
夜9時、食事をしに「和食・影武者」に出掛ける。
知人がいれば、深夜0時近くまで雑談。
この雑談が、私が最も好きな時間。
これは「影武者」オープンから続いている、私のルーチンワークだ。
帰宅してから、パソコンに向かう。
これが私の、一日の生活リズムだ。
毎週日曜日の野球は、一週間のメリハリのリズムとしている。
これって、ほとんど怠け者生活。
一日の大半をテラスで生活していた私としては、テラスに出られないのがリズムが取れない原因かもしれない。
こんな生活を取り戻すのは無理だよね。
◇
2月11日、忘れていたが、日本は「建国記念の日」だった。
祝日のため、学校が休みの孫・曽良君のおもりを私が仰せつかった。
午前中は「豊田産業文化センター」内の施設(サイエンス広場&プラネタリウムなど)を見学。
若いお母さんの子供連れが多く訪れていた。
我々のような、孫と祖父ちゃんのカップルは珍しい。
午後から、毘森公園を散歩をすることにした。
息子・洋祐との思い出のある毘森公園を、孫・曽良君と散策。
林道でドングリを拾った。
家に帰ってから、ドングリ・コマを作ることを約束。
夏には、カブトムシやクワガタが見つけられるしい。
「また、来ようね」と、これも約束した。
豊田市宮口町に住んでいた時には、木村君とよくプレイしたテニスコート。
木村君、これを読んだら連絡ください。
夏には、洋祐と近所に住む小学生仲間とで泳ぎに来たプール。
バリの仲間と、こんなコンディションの球場で試合が出来たらいいな。
孫を乗せたブランコを200回以上、一生懸命に押した。
25年を経て、息子と来た毘森公園で孫と戯れている。
感慨深い。
嬉しかったのは私だけで、孫の曽良君が楽しかったかは疑問だ。
このあと私は、疲労と風邪でダウン。