2015年09月16日

サレント&ウブドの風呂事情(86)

バリでは、水浴びすることをマンディ(Mandi)と言っている。

海や川に浸かることもマンディと呼ぶ。

本来は沐浴を意味する言葉で、お祈り前に川や湧き水で沐浴した習慣だ。

日々のお祈りは、朝夕の2回ある。

現代になって、各家に水浴び用のマンディ場が作られるようになった。

水槽からヒシャクで水をすくってかぶる。

私がウブドを訪れた1990年のホームステイは、そんな感じだった。

ヒシャクがココナツの殻だった時代だ。

その後、宿泊施設にはホットシャワーが備わるようになった。

シャワーを浴びることもマンディ。

バスタブ設備のある宿も増えてきた。

バスタブに浸かることもマンディ。

私のテガランタン村生活は、ホットシャワーから格上げしてバスタブの湯に浸かっていた。

風呂好きな私の身体は、暑い日でも温水を欲する。


サレントに滞在して何が不満だったか? と問われれば「シャワーだ!」と即答するだろう。

ジュンペイさんの家には、お湯がチョロチョロとしか出ない湯沸かし器の付いたシャワー室があった。

パイプの先に、小さな電気湯沸かし器が付いている。

普及型沸かし器なのだろう、何カ所かで見た。

小さいので、お湯の出も悪い。

沸かし器のない家が多いらしいから、ないよりはましだった。

Bañarse1.jpg
CHICHAN事務所のホットシャワー


コロンビア人は奇麗好きだから毎朝水浴びをする、とジュンペイさんは言う。

夜より朝の水浴びを重視するらしい。

他人を不愉快にしない心遣いだろう。

「寝覚めの水浴びは、気持ちいいよ」とジュンペイさん。

私の場合、基本的には昼間の汗を流すため、そして夜をノンビリ過ごすために夕方に入浴したい。

他人にどう思われるかの前に、自分が快適になりたいという、自己中心の考えだ。

ウブドに居る時は、汗をかけば、朝、昼、夜とマンディすることもあった。

儀礼に参加する前には、必ず身を浄めていた。

奇麗好きだから朝水浴びをするという意見には納得できないが、「郷に入れば郷に従え」のことわざどおり、私も従ってみた。

が・・・・。

朝は気温も低く、チョロチョロ湯では身体が温まらない。

冷たい水でも、浴びれば気持ちいいもの。

それはわかっている。

「慣れるから」と言われても、己の身体が心配だ。

湯沸かし器の存在しなかった(私の目の前には)ウブドでは、慣れるしか仕方がなかった。

軟弱になった老体で、今更、慣れなくてもいいだろう。

従わなくても良い文化もあると思う。

いつの間にか、シャワーを浴びる回数が減っていた。


5ヶ月近く滞在することになったピノさん家のシャワーには、湯沸かし器がついていなかった。

お湯に慣れきった私の身体に、水シャワーは酷と言うものだ。

おまけにシャワーじゃなくて、水はパイプからドドドと落ちてくる。

バリの沐浴場にある、湧き水をパイプに受けて流しているパンチョランと同じだ。

これはシャワーとは言わない。

コロンビアの一般家庭では、こんな風なんだと想像してみた。

Bañarse2.jpg

ピノさん家に移ってからは、裏庭のオープンエアーで、お湯浴びをしている。

太陽の陽射しが強い、2〜3時頃が最適だ。

半畳ちょっとの狭いシャワー室では立ったまま洗うので、どうしても中途半端な洗浄になってしまう。

私にとっては、腰を落ち着けてジックリ洗うのが正統派マンディ。

Bañarse3.jpg

バスタブにナミナミとお湯を張って入浴した〜い。


お湯浴びの回数は、5日に一度のローテーションになっていた。

「汚〜い!」と叫んだのは、誰ですか?


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2015年09月14日

サレント&ウブドの市場事情(85)

隣国エクアドルの旅では、首都キトにもガラパゴス諸島にも赤道記念碑にも寄らなかった。

蛇が怖い私は虫も嫌いだが、カメ&イグアナも大の苦手。

私の苦手な動物たちの楽園が、ガラパゴス諸島らしい。

ガラパゴス諸島は、私には地獄だ。

「世界・行きたくない観光地」のひとつ。

ミーハーな私的には、赤道記念碑には寄ってもよかったかなと思っている。

でも、赤道をまたぐ記念写真を撮っても意味がないか、とも思っている。

エクアドルは、歴史のある国。

じっくり腰を落ち着けて滞在すれば、興味溢れる国だろう。

そんな機会が、巡って来るのを待つことにしよう。


エクアドル訪問の主目的は、帰路でのコロンビア滞在ビザの取得。

私にとって観光は、二の次の旅だった。

二の次と言えども、往復路の道中に興味を惹かれたし、オタバロはガイドブックを読んで行きたかった場所だ。

久しぶりに観光客として振る舞った2日間。

短い滞在ではあったが、エキサイティングな旅だった。

ジュンペイさんは、少々の仕入を理由に、私に付き合ってくれたのだと思う。


オタバロ滞在で、気づかされたことがある。

大きなメルカード(Mercade=市場)に入った時、旅先で市場を覗くことが私の趣味だったことを再確認させられた。

活気と喧騒の市場の風情が好きだ。

売られている食材・生活雑貨などで、彼らの食文化や習慣が垣間見られる。

そこに暮らす人々を知るには、市場を覗くことが一番。


そして同時に、サレントに市場が皆無なのを思い出していた。

都会ならまだしも、田舎の町で、市場がないのに驚いている。

薄々は気がついていたが、料理をしないので気に掛けなかった。

一体、彼らはどうやって、調達しているのだろう。

人々の行動を把握できないでいるので、実態はわからない。

小さな八百屋と肉屋を数件見つけたが、魚屋は存在しないのか見つからなかった。

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八百屋

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肉屋

これまで訪れたコロンビアの町々でも、メルカードは見かけなかった。


バリでは、村の中心地の広場に露天の朝市が立つ。

朝市は、毎日の村と三日おきの村とがある。

ウブドでは、王宮のある変則十字路の角にパサール・ウムウム(公設市場)の建物がある。

朝市は、暗いうちから準備が進められる。

荷台が満載の小型トラックや大きな荷物を頭にのせた婦人たちがやってくる。

パサール・ウムウムの駐車場に、露店のテントが軒を連ねる。

南国の珍しい果物や季節の果物が並ぶ。

料理用の皿になるバナナの葉や供物に使われる花。

すでに花が盛られた供物が並ぶ。

アヒル、鶏が生きたまま売られている。

儀礼日が近づくと、値上がりする野菜や肉。

彼らの胃袋を知ることは、文化を知ることでもある。

土産屋がひしめく、建物棟「パサール・スニ」の開店は朝8時頃からだ。

値段交渉を楽しむ観光客で、いつも賑わっている。

州都デンパサール同様、ウブドのパサールも観光名所になっている。


パサールの活気を思い出すと、観光客のひとりとしてサレントにもあればいいのにと思う。

日本では、コンビニやスーパー・マーケットに押されて姿を消した市場。

すでに地域に密着した青空市場は各地で存在しているが、今後さらに、産地直売という形で小規模な市場の復活が活発化することを期待している。

新鮮な野菜が手に入れば、私も料理をする気になるかな?

45年前「青空自由市」と称してフリーマッケット(フリマと縮めては言わなかった時代)を主催したことのあるフリーマッケット世代の私としては、各地で様々な市が催されれば楽しいな〜と思っている。


※付録:

サレントで見かけた10センチほどの蛇?

こんな小さくても、私は触れない。

serpiente.jpg


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2015年09月12日

隣国エクアドルの旅・最終回(84)

8月30日

2泊4日のトリップも、いいいよ帰路。

復路は、来た時と反対の順路を辿る。

時間の経過は省きます。


場面は、コロンビア国境のミグラシオン。

ビザ獲得の正念場。

通行手形に、新たな滞在許可のスタンプをもらわなくてはならない。

理屈的には、2日間の出国で、2日間の滞在延長が可能なのだが。

果たして、それがコロンビアで通じるかが問題だ。

ジュンペイさんが、私のパスポートを係官に渡し、説明を始める。

「この男はスペイン語ができないので、私がかわってお話します」とでも言っているのか。

係官は、パソコンを見ながらが頷いている。

二言三言、会話を交わす。

時々、私の顔を見る。

感触は良好のようだ。

私の緊張が少しずつ解けていく。

スタンプが押された。

手にしたパスポートには、31の数字が。

31日間のビザが入手できた。

passport.jpg

オタバロからエクアドル国境に向かうパンアメリカン・ハイウエーで、バス停の間違いから何台ものバスが通り過ぎて行くのを見送った。

3カ所目で、やっと正規の場所に辿りついた。

幸先の悪い嫌な予感がしていたが、崖っぷちから生還した心境だ。

これで、晴れて9月30日まで滞在できる。

ジュンペイさん、ありがとう。


イピアレスからアルメニアまでは、深夜バスに乗る。

発車時間まで、1時間30分ほどの余裕がある。

近くにある観光名所・サントゥアリオデ・ラス・ラハス(Santuario de Las Lajas)教会に、ひとりで行くことにした。

サントゥアリオデは、サンクチュアリ(中世、法律の力の及ばない、教会などの聖域)のことらしい。

乗り合いタクシーに、家族連れに混じって乗る。

教会までは、片道10分。

渓谷の崖に建つ可愛らしい教会だった。




教会見学に、思っていたより時間がとられた。

崖沿いの急坂から見える教会が美しく、魅入ってしまったのだ。

戻って来た時には、出発時間10分前。

ジュンペイさんが、ヤキモキして待っていた。

出発は30分遅れだった。

発車前、バス会社の人が乗り込んで来た。

私は、手元のノートにメモをしていた。

ジュンペイさんに「顔を上げて」と言われた。

見上げると、乗客を確認しているところだった。

バス会社の人は、小型ビデオカメラを右手に持っていた。

バスジャック対策のための撮影だ。

盗賊が現れるのは、真実なのだと身にしみて悟る。

身分証明IDカードが集められて、確認照合する場合もある。

そんな時には、時間がかかる。

外国人の場合は、パスポートの提示だけですむ。

何事もなく、アルメニアに戻れることを願う。

グッドラック!


〜完〜

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2015年09月09日

隣国エクアドルの旅・その参(83)

エクアドルの旅の続きです。

8月29日

「マリア・オスタル」の室温は寒くなく、ベッドもほどよい暖かさで、昨夜は寝付きがよかった。

おかげで、目覚めも良い。

今日は、念願のオタバロ土曜市の見学だ。

朝9時に、ホテルを出る。

ホテル前の道路にも、土曜市の露店が開店の準備をしていた。

準備がすべて整うのは、もうしばらくかかりそうだ。

見学は全てが整ってからということで、その前に、土曜市と並んで人気の観光スポットである動物市を覗くことにした。

すれ違う人々の中に、インディヘナの伝統的衣装を身につけている女性を多く見かける。

衣装によって、民族がわかると言う。

観光客向けに着ているのではなく、普段着だ。

男性は、長い髪を三つ編みにしている。

彼らは、伝統を重んじている。

朝食をとってから動物市に出掛けた。

時間は、10時近くになっていた。

すでに、盛況の時間は過ぎていた。

情報では、早朝7時くらいが人出が多いとある。

動物市は、昼には終わりそうだ。



生まれて初めて、リャマ(Lama)を見た。

Lama.jpg

アルパカ(Alpaca)じゃないよね。


エクアドルにもありました、ボリバル広場。

銅像は、インディヘナ・オタバロ族。



教会と公園が見えるカフェ「Daily Grind」で、コーヒーブレイク。

エスプレッソを飲みながら、そこに生活する人々の姿をウオッチング。

楽しい時間が得られるスペースだ。

ライトアップされたサン・ルイス教会(Iglesia San Luis)も美しい。

Iglesia San Luis.jpg


「オーガニック・マーケット」が、レストランの中庭で行われていた。

覗いてみると「日本人の方ですか?」と日本語で声を掛けられた。

こんなところに日本人はいないだろうと考えていた、矢先のことで驚いた。

オタバロ近郊のフィンカに嫁いで、オーガニック野菜を作っている日本人女性だった。

Otavalo-Oraibi.jpg


活気ある野菜・果物・肉etcの市場。

市民の胃袋を知るなら市場を覗くことだ。

食堂も軒を連ねていた。



昼食は、市場内の食堂にて。


ガイドブックを見て、行けるものなら行ってみたいと思っていたオタバロの土曜市。

前夜にはベンチしかなかった広場が、一夜開けると、見るも見事なバザールに早変わりしていた。

町中の道路には露店が溢れ、ドキドキ感は半端じゃない。

買い物は少ししかしなかったが、原色の民族グッズに興奮は覚めやらなかった。



昼3時を過ぎると、片付け始める店もチラホラ見える。

早朝から営業していた店だろう。

6時30分頃には、全ての露店が消えていた。


オタバロ最後の夜は、エクアドルの民族音楽を聴きに「Amauta Pena Bar」へ。

以前には数件あったというペーナ・バー( Pena Bar) も、今では「Amauta」しか残ってない。

ペーナ・バーとは、フォルクローレのライブをする店。

フォルクローレの定番楽器、チャランゴ、ボンボ(太鼓)がなかったが、サンポーニャとケーナの演奏が異国情緒を満喫させてくれた。

まだまだ、初心者には魅力的な場所だ。

継承の難しい民族音楽だが、存続を期待したい。


Amauta Pena Bar @ Otavalo・Ecuador


主観的な意見がまとまらないので、動画ばかりのアップになってしまいました。

あなた自身で感じてください。

怠け者でゴメン。

今夜の宿も「マリア・オスタル」。


〜続く〜


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2015年09月08日

再び:サレントに残される日本人ひとり(82)

今朝(7日)早く、ジュンペイさんが旅に出た。

日本一時帰国と仕入れと癒しにタイに向かった。

戻って来るのは10月4日。

私がコロンビアを出国するのは9月30日。

今回の旅では、もうコロンビアでは会えない。

別れは、昨夜すませた。

この5ヶ月間、ジュンペイさんのコロンビア滞在18年の知識を存分に利用させていただいた。

幸運な出会いに感謝している。


思い残すことが、2つある。

ひとつは、アヤワスカ(Ayawaska)を体験できなかったこと。

アヤワスカは幻覚作用をもたらす植物で、南米の先住民族がシャーマニズムの儀式や民間療法、宗教儀式などに用いている。

吐き気、下痢をして辛いが、体内の毒素を浄化したあとは、心地よいらしい。

怖いもの知らずで体験したかった。


もうひとつは、紙作りの指導に行けなくなったこと。

ボゴタからバスで5時間ほどジャングルに入った、メタ川沿いの村・カブヤロ(Cabuyaro)からオファーが入っていた。

軍が援助している村で、予算が出て招待される予定だった。

現在は、プラタノ(料理用バナナ)の繊維でバッグ・帽子などを作っている村。

プラタノで村おこしをしている。

日程が合わなくなってしまった。

具体的には、10月になるようだ。



この村に、滞在したかった。

『世界ウルルン滞在記・コロンビア|プラタノの村で伊藤博史が出合った!』

なんてのをしたかった。


ジュンペイさんの部屋を辞して、自分の部屋に戻ると、心に浮遊感がおとずれた。

止まり木が、突然なくなった感じがした。

少し心細くなっている。

こんな不安定感を楽しんでいるところが、私の旅なのかもしれない。

リアルな生活が旅的な生き方の私は、いつもこんな気分で生きている。

これって根無し草ってことだよね。

これまでも毎日会っていたわけではない。

2〜3日会わないことも多かった。

近くにいるという安心感があったのだろう。


ボゴタを観光するために、早めに移動することにした。

サレントを27日の深夜バスで出発する。

28、29日とボゴタに滞在して、30日の飛行機に乗る。

ボゴタの宿をネットで調べてみた。

クレジットカードが必要だ。

カードなしで予約できる宿は、携帯電話の番号が必要だった。

私は銀行カードも携帯電話も持っていない。

当日、直接交渉しかない。


残り3週間は、サレントに日本人は私一人だ。

日本語も話さず、スペイン語もできない暮らし。

5月にもジュンペイさんのペルー仕入れの旅で3週間(5月25日〜6月19日)のオンリーワンの経験はある。

サレントに残される日本人ひとり(27)

今回は、このまま会えないという、ひと味違う滞在になる。


思考が、少しずつウブド滞在に向かい始めている。

取りあえず、悔いの無い旅で終わるようにしよう。


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2015年09月07日

隣国エクアドルの旅・その弐(81)

08月28日の続きです。

ミグラシオンは、いつも緊張する。

国境のミグラシオンは、江戸時代に通行手形で関所を通過した心境に似ているのかな。

受付窓口に、行列はなかった。

コロンビア人とエクアドル人は、ミグラシオンを通過せずに検問所で身分証明IDカードの提示するだけでパス。

陸路で国境越えの外国人ツーリストも少ない。

出国の手続きは、スムースに進んだ。

今回の課題は、帰りのコロンビア入国だ。

はたして、2日間がプラスされたビザが取得できるか。

「行きはよい良い帰りは怖い」だ。


いよいよ、国境越え。

警備兵も立っていない国境線の橋。

渓谷に架かる黄色い手すりの橋を渡る。

橋の名前は、ルミチャカ橋

同国内の橋を渡っている感じで、緊張感はない。

Frontera.jpg

エクアドルの第一歩。

空気感も変らない。

公用語も、コロンビア同様のスペイン語圏。

ミグラシオンも、呆気なく通過。

乗り合いタクシー(5.30pm→6.00pm)で、7キロ先のエクアドル側の国境の町トゥルカン(Tulcan)へ。

75セント。
米$が通貨の国に突入。

車窓の景観も、大差なく感じる。


トゥルカンのバスターミナルには、キト(Quito)行きのチケットを買う行列ができていた。

旅の目的地は、オタバロ(Otavalo)。

途中下車するチケット3.75US$を購入。

オタバロ到着は夕方を予定していたが、今、すでに夕方。

吹きさらしの待合所。

標高は、エクアドル国内で最も高い2,950m。

さすがに寒い。

7時45分発のキト行きバスに乗る。

オタバロまでは、およそ3時間。


オタバロ着、夜10時40分。

パンアメリカン・ハイウエーで下車。

ガイドブックの未知だったパンアメリカン・ハイウエーが鉛筆で黒く塗りつぶされる。

ライトアップされた教会が見えた。

それが市内であることを教えてくれている。

教会を目印に、歩く。

標高2,500メートル。

やはり寒い。


夜11時を廻った。

急いで、今夜の宿を決めなくてはいけない。

目指した宿の一軒はすでに扉が閉められ、もうひとつは満室だった。

深夜0時ちかくになって宿が「Maria」に決まる。

料金は、一人9US$。

部屋は、清潔だった。

「Maria」
Maria.jpg
翌朝の「Maria」正面

《Maria Hostal》
Tel:2920-672/09795-20085
Mail:elsy1981@hotmail.com
(ホットシャワー・TV・Free WIFI)


重ね着をして、夜食に出る。

広場には、数件の屋台が店を開いていた。

明日は、この広場が有名な土曜市になる。

Plaza de los Ponchos.jpg


ホットシャワーは、温度調節が一定しなくて苦戦したが、冷水を浴びなくてよいのは幸せだ。

まる一日掛けての移動が終わった。

今夜は、グッスリ眠れるぞ。


〜続く〜

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2015年09月05日

隣国エクアドルの旅・その壱(80)

今回のコロンビア訪問では、他国には行かない予定だった。

「折角、遠く南米まで来ているのに、もったいない」と言う意見もあるだろう。

周辺諸国を旅する選択もあるが、私は一カ所に長く滞在する旅が好きなんです。

と言って、絶対行かないというわけではない。

機会があれば出掛ける用意はある。

ビザの関係で、思いがけなくエクアドルに行くことになった。

こういう機会は逃したくない。


ジュンペイさんは、毎年のように陸路で国境越えをしている。

コロンビアの国境越えは、危険がともなう。

ジュンペイさんは、15年前に2度盗賊にあった。

1度目は、乗客に仲間がいて手引きした。

その時は、現金を取られた。

2度目は、その2ヶ月後。

この時は、ゲリラの検問で強制的に停車させられる。

大きな人の後ろにいて見えなかったのか、被害はなかったそうだ。

その後は、遭遇していない。

バスは、ゲリラの潜む町が点在する地域を通過する。

避ける方法はないので、遭遇したらおとなしく身ぐるみを剥がされるしかないだろう。

なけなしの金を、あちこちに隠し持った。

隠し通せるかは不安だが、旅の定石としての行動をしておいた。

それでは「隣国エクアドルの旅」の始まりです。


8月27日

サレントを夜9時のバスに乗って、アルメニア( キンディオ県)に向かう。

大きな町へバスで移動するには、アルメニアから出る手段がベストだ。

アルメニアのバスターミナルから、コロンビア南部の国境の町・イピアレス(Ipiales)向けて深夜バスに乗る。

日付は、8月28日に変っている。

00.45分発は、大幅に遅れて1.35分に出発した。

料金は60,000ペソ(約3,000円)。

バスは、闇の中をひた走る。

3時間ほどで、バジェ・デル・カウカ県(Valle del Cauca) の県都カリ(Santiago de Cali)に到着。

このあと、ポパヤン(Popayan・カウカ県の県都)、パスト(San Juan de Pasto・ナリーニョ県の県都)と、大きな町で乗客の乗り降りがある。

ポパヤンを過ぎで翌朝9時、峠のドライブインで朝食。

気持ちが高揚していて、一睡も出来なかった。

アンデス山脈に寄り添うように貫く、パンアメリカン・ハイウエーをひたすら走る。

荒涼とした山なみが続く。

どれだけ越えればいいのだ。

こんなところで盗賊に合ったら、無抵抗でしか対処できないだろう。

要所に、銃器を持った兵士が立っている。

兵士がいるから盗賊が出没しないのか、盗賊がいるから兵士が警備しているのか。

ゲリラの出没を少々期待しながら、車窓の風景を見る。

オアシスのように忽然と現れた町が、パストだった。

パストは、辺境の独立国のようだ。


バスは、国境の町・イピアレスに向けて走る。

パストとイピアレスの間にあるグアイタラ川(Rio Guaitara)の渓谷は、雄大な風景だった。

標高差300メートルはありそうな、切り立った渓谷の岩山。

よくぞ、この岩山を切り開いて道を造ったものだ。

緑豊かなバリの渓谷と違って、熱帯サバンナの渓谷は、英語のキャニオン(Canyon)と表現するほうが感じが伝わるだろう。




盗賊に襲われることなく、イピアレスに到着。

イピアレスは、標高2.900メートルの町。

国境のミグラシオン(MIGRACION=入国管理事務所)までは、乗り合いタクシーで30分ほど。

8,000ペソ(一人)。

これまでの経験で、国境というのはどこかしらウサンクサイものだが、ここはいたって健全だ。

マネーチェンジのおやじ連も、押し売りしてこない。

レート:1US$=2,900ペソ

MIGRACION5.jpg
コロンビア側ミグラシオンから、国境を見る



〜続く〜
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2015年09月02日

オタバルの土曜市で見かけたカラフルグッズ(79)

コロンビア滞在180日も、残すところ30日となった。

日本トランジットのあと、ウブドに故郷帰りの予定です。

鬼頭さんからの援助物資・マックのお陰で、日本語や活字に飢える事もなく生活できています。

インターネットの威力は凄いですね。

今回の旅のお供に iPhonを進呈していただいたのですが、未だ、カメラ機能しか活用していません。

今後に期待です。

時代が進歩したとは言え、1990年のウブド滞在時との差は大きい。

旅の仕方が変化するのが理解できる。


南米エクアドルの北部にある、インドヘナ(オタバル族)の町として広く知られているオタバルに行ってきました。

写真は、オタバルの土曜市で見かけたカラフルグッズ。

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《 隣国エクアドルの旅・報告 》は、もうしばらくお待ちください。


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2015年09月01日

隣国エクアドルの旅・報告(78)

31日朝7時、サレント到着。

只今、エクアドルの旅から戻ってまいりました。

心配していた、コロンビア滞在の出国日も9月30日まで延長できた。

コロンビアの国境ミグラシオンで、30日に入国し、31日間のビザを取得。

これで、航空券の日付30日が有効となった。

2日間のオーバーステイにならず、罰金を払わなくてもすむ。

やっと不安が解消された。

もちろん、ジュンペイさんの通訳の賜物である。


MIGRACION.jpg

27日のコロンビア出国時、ミグラシオン窓口の写真を一枚撮った。

即刻、ポリスに警告される。

フィルムの没収&消去にはならなかったが、不覚な行動だった。

ミグラシオンでは、写真撮影御法度の国は多い。

特に国境のミグラシオンは、厳しいと聞いている。


旅の疲れが癒えたら、旅の報告をします。

メモを整理するまで、時間をください。

もう少し、眠ることにします。

おやすみなさい。


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2015年08月28日

トピック(7)〈ラーメン〉 @ サレント(77)

町で見かけたこんな物、ちょっとした出来事物を「トピック」で紹介しています。


レストランのメニューでスパゲティはあるが、ラーメンが食べられる店はない。

スーパーでもスパゲティの種類は豊富に揃っているように見受けられるが、インスタント・ラーメンが見当たらない。

これは珍しいことではないだろうか。

インスタント・ラーメンは世界的に人気だと思っていたが、南米では見向きもされないのか。

サレントのスーパーの片隅に、4種類のインスタント・ラーメンがあった。

メーカー名は「Maruchan」。

商品名は「Sopa Maruchan」。

スープとして売っているのだ。

カップ麺は、見当たらない。

アルメニアの大きなスーパーも同様に、売っていない。

soap-maruchan.jpg

もともと私は、麺類を好んで食べることはない。

インスタント・ラーメンに至っては、嫌いだと言っても過言ではない。

嫌いになったのは、貧乏学生だった時に1ヶ月間食べ続けたのが原因だと思う。

料理のレパートリーがないので、即席麺の助けを借りようと思った。

4種類の中では、鶏肉が一番美味しかった。

10ヶほど食べたら飽きてしまった。

スープの素で、卵を入れた雑炊を作った。

化学調味料がキツかった。

麺は湯がいて、焼きそばにしてみた。

何とか食べられたが、今後はないだろう。


※報告です。

今夜(コロンビア27日)の夜行バスで、隣国エクアドルに2泊3日の旅に出掛けます。

滞在ビザを2日ほど追加する必要があるからだ。

詳しくは、行ってきました「ミグラシオン=MIGRACION」(48)をお読みください。

観光は、オタバルの土曜市を見学。

パソコンを持って行かないので、ブログのアップはできません。

それでは、行って来ます。


posted by ito-san at 04:27| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 南米コロンビアの旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする