2015年08月27日

第20回・セヴィージャ音楽祭・2015年(76)

the20th・Festival Bandola di Sevilla ・2015

セヴィージャの町が、毎年開催している音楽祭。

会期は、8月14・15・16、そして17日。

じゅんぺいさんの友人・ダニエルさんが、14・15日に出演する。

15日の日曜日に、サレントの友人を募って応援に行くことになった。

ダニエルさんは、私のサンポーニャの先生だった。

だったと過去形にしたのは、三日坊主だったからだ。

以前、サンポーニャ(Sampona)の作り方を教わった。

サンポーニャも吹けるが、ケーナ(笛)も演奏できる。

もっとも得意なのは、チャランゴと呼ばれる5コース10弦の弦楽器だそうだ。

サレントのCalle Real(メインストリート)で、ダニエルさんと仲間たちが演奏しているのを見たことがある。

その時、ダニエルさんは、小振りのギターを担当していた。

全身を使って楽しそうに演奏する、彼の姿が好きだ。




音楽祭は夜7時から始まる。

ダニエルさんから、深夜2時頃の出演との連絡が入っている。

サレントからの応援団は、ジュンペイさん、ルーベンさん、ジュンペイさん家の居候君、そして私の4人。

ルーベンさんの露店が閉店するのを待って、夜8時出発。

2時間ほどで、セヴィージャの町が見えて来た。

町の入口で、ドゥグラスさんのお姉さんを乗せて音楽祭会場に向かう。

彼女は、おばさんの家に泊まっている。

今夜は、我々もそちらで泊まるかもしれない。

会場の到着は、夜10時を少し過ぎていた。

ボリバル広場に、ステージが設営されていた。

凄い人出だ。

ステージ前に椅子はなく、立ち見だ。

さすがに子供はいないが、老若男女が来ている。

かなりの年配の方も見受けられる。

コロンビアの民族音楽の祭典のようだ。

花火が打ち上げられ、紙吹雪が舞った。

陽気な音楽が続く。

音楽に合わせて、体が自然に動いてしまうようだ。

観客は、演奏と一体になっている。

踊りの波を縫って反対側に行ってみる。

そこには、椅子席のコーナーがあるテントが設営されていた。

椅子席では、ビールを飲みながら演奏を鑑賞できる。

入場料は5000ペソだった。

そろそろ深夜の2時になる。

ルーベンさんと居候君が帰りたがっている。

彼らは、明日も朝から店をオープンさせなくてはいけない。

このあと2グループが終われば、ダニエルさんが参加している「Los Chamico」の出演だ。

ここまで、待ったのだから、「Los Chamico」を見てから帰ろう、ということになった。

今夜の出演は、12グループ。

「Los Chamico」は、とりだった。

サレントのストリートパフォーマンスで見たメンバーの顔が見える。

何故か「日本からJunpei Mori & HiroshiI Ito が Los Chamicoの応援に駆けつけています」のMC。

ダニエルさんは、この日も小さなギターで参加していた。

今夜も、演奏が出来ることを全身で喜んでいるようだった。

ジュンペイさん、ルーベンさん、居候君、ドゥグラスさんのお姉さんが、楽しそうに踊っている。

私も、自然に身体が動いていた。

終演。

時計は、3時をまわっていた。


それでは、コロンビアの音楽を聴いてください。




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2015年08月25日

グァタペ(Guatape)は、魅力的な町だった(75)

08月10日:

早朝、マルガリータ嬢の出勤に合わせて家を出た。

昨日とは違うバス停からバスに乗る。

彼女は、途中で下車する。

マルガリータ嬢とは、ここでお別れだ。

「アディオス・お世話になりました」

我々は、これからGuatape(グァタペ)の町を目指す。

Envigadaでバスを降り、メトロに乗り継いで、Caribe駅にある北バスターミナルへ。

北バスターミナルからは、山あいに向かってバスは進む。

グァタペに近づくにつれ、入り組んだ湖が見え隠れする。

ダムにせき止められて出来た風景だ。

モーターボートが浮かんでいる。

ホテルやレストランもある。

ここは、リゾート地だ。

1時間ほどで、湖畔の町グァタペに到着した。

ダム工事によって、湖底に沈んだ村の人々が疎開してできた町と聞いている。

まずは、お決まりのボリバル広場を撮影。



平屋の家が軒を連ねる、細い石畳の道。

ゆるい坂道をのんびり散策。

カラフルな壁が続く。

腰部分に施されたイラストのレリーフが特徴的。

サレントとは、また違ったカラフルさだ。

グァタペは、長期滞在してみたいと思える魅力的な町だった。



ジュンペイさんの知人カップルが、こちらに向かっているという。

ボリバル広場の見えるカフェで、コーヒーを飲みながら彼らを待つ。

モンテカルロでランプ作りをした時、同行したドイツ人男性だった。

彼は、サレントに長期滞在している。

恋人は、コロンビア人。

コロンビアでは、結婚しなくても恋人証明書が受諾されれば、外国人男性は長期滞在できる。

恋人でなくても、女性が恋人証明書を書いてくれれば、それでよいのだそうだ。

面接のインタビューはあるが、難しいことではないという。

起業して労働許可証を取得すれば、長期滞在ができる。

私が長期滞在することになったら、恋人証明書を希望したい。

昼食を共にしたあと、我々は、グァタペの見所のひとつ高さ200メートルの巨大な岩に向かう。

彼らはノンビリしたいということで、別行動になった。


バスに乗って、一駅ほどを戻る。

巨大な岩に挑戦。

料金は12,000ペソ。

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丘の頂きに、取り残されたようにある大きな岩。

ゴメンなさい、写真を撮るのを忘れていた。

岩山の遠景写真がないと、取り残された感、伝わらないよね。

68歳のオジさんにはツライ階段だ。

70歳の誕生日に、バリ島のアグン山に登りたいと思っていたが、この体力では無理かもしれない。

階段を登りきると、休憩場と売店がある。

ダム湖の素晴らしい景色に、疲れが吹っ飛んだ。

さらに、建物の中の階段を60段ほど登れば屋上展望台だ。

もうひと頑張りして、屋上展望台に向かう。

頂上から360度の眺望は、リアス式海岸を見るような美しさだった。



グァタペへの戻りは、コロンビア製バジャイ(BAJAJ)に乗って。

バジャイは、観光客を乗せてグァタペの町を遊覧している。


アルメニアへの帰路は、快適な2階建てバス。

メデジン滞在3日間の旅は終わった。

実際に訪れてみて、メデジンはまったく危険を感じない街だった。

情報不足だと確認した。

そして、ジュンペイさんは、グッドチョイスのスペシャルガイドでした。

感謝、感謝、大感謝です。


〜メデジンの旅・おわり〜



posted by ito-san at 09:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 南米コロンビアの旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月23日

第58回・Feria de las Flores/花祭りのパレード(74)

2015年8月9日(日)

メデジン滞在2日目の始まり始まり。

今日は、今回の旅の主目的である「Feria de las Flores」花祭りのパレードを見学する日。

花祭りのパレードは、コロンビア国内で人気のイベントの一つだとのことだ。

コロンビアは勿論、毎年世界中から数多くの観光客を集めている。

今回で第58回を迎える。

マルガリータ嬢は、何度も見ていて飽きているので、見学しない。

ジュンペイさんはマルガリータ嬢と行動をともにして、彼女の友人宅を訪ねることになった。

ということで、私ひとりで見学することになった。

メトロは川に沿って走っている一路線しかないので迷うことは無いと思うが、メデジンでの単独行動は不安だ。


昼近くになって、マルガリータ嬢のマンションを出る。

バス停に向かう途中にある、壁画が気に入ったので写真に納めた。

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市街地を走り抜けるバスに乗って、ドゥグラス君のイベント会場「プレミューム・プラザ」へ向かう。

フィットネスマシンの設置してある公園が目に付く。

エンヴィガードの街は、都市としての整備が行き届いているように思えた。


プレミューム・プラザからだと、花祭りのパレード会場まではメトロで一駅だった。

これなら私でも間違えることはないだろう。

見学あとの集合場所は、プレミューム・プラザ。

Industrides駅とプレミューム・プラザとの道程を覚えていればOKだ。

チケットの購入も何とかなるだろう。

プレミューム・プラザの警備員が「花祭りのパレードなら、ここから歩いても行けるところで見られるよ」と道順を教えてくれた。

ラッキーにも、メトロに乗る心配がなくなった。

午後3時、パレードの会場に向かう。

沿道まで、ジュンペイさんとマルガリータ嬢がついて来てくれた。

マルガリータ嬢は「このあたりがいいわよ」と沿道で見学することを薦めてくれた。

沿道には、二重三重の人だかりができている。

隙間を探して先に進んだ。

道の反対側には、階段状の仮設観覧席が作られている。

こちらは席料がいるようだ。

道路の上を陸橋が走っている。

席料を払って観覧席で見るのも良いが、陸橋の上ならパレードを前から見られる。
私は、陸橋の上の3列目に陣取った。

花飾りを担いだ行列だけだと思っていたら、踊りと音楽もあった。

人力で担ぐ、直径2メートルもある花飾り。

足取りも重い。

観衆が「廻れ!廻れ!」と声援を送る。

声援に答えて廻ると、拍手が送られる。

花飾りのパレードは地味だが、踊りと音楽は、まさに南米のカーニバルだ。

パレードの模様は、動画で御覧下さい。



3時間ぶっとーしで、立ち見。

疲れた。

腰が痛い。


午後6時30分「プレミューム・プラザ」に戻る。

ジュンペイさんとマルガリータ嬢も戻っていた。

マルガリータ嬢が、ランプを購入してくれた。

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今夜も宿泊は、マルガリータ嬢のマンションに世話になる。

猫ちゃんと戯れる。

名前は、スペイン語の猫(Gato)そのままでガトー。

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メデジン滞在2日目終了。

おやすみなさい。


〜続く〜



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2015年08月20日

Cafe & Bistro・KUMINIのデザインが好き(73)

メデジン滞在初日は、まだ終わっていません。

8日の続きです。

情報満載なのはいいが、読んでくださっている方はお疲れでしょうね。

えっ!「文章が読み難いから疲れるんだよ」だって。

それは失礼いたしました。


メトロ・カブレは、数筋の尾根と森を越えたあと、終着駅サンタエレナに着いた。

駅前に立てば、目の前に花祭りの飾り作りの光景が見られると思っていたが、週末だけ開かれるバザールのテントがお迎えだった。

バザールには、地元作家の手作りの商品が陳列されていた。

我々は、花飾りを作っている町を探すために先に進んだ。

「町はどこにあるのですか?」と訊ねると、ここには固まった集落はなく、フィンカが点在する地域だとのことだった。

街道沿いの集落を想像して、カメラのバッテリーを充電させてもらいながら昼食でもしようという考えは粉砕した。

「どこで、花飾りを作っているのですか?」と聞くと、「バスで30分のところにある」と教えてくれた。

表通りに出ると、行き先が期待できるほど大勢の人がバスを待っていた。


バスに揺られ、期待も膨らむ。

行楽客が訪れる地域なのだろう、尾根伝いの道路には、サイクリング道が併設されていた。

バスが止まった道路右手の空き地に、テントが張られイベント広場がある。

陽気なラテン音楽のBGMが流れ、それに会わせて踊っている男女がいる。

ウインナーや肉を焼く煙が、立ちこめていた。

様々な、食べ物・飲み物が売られている。

色とりどりの花を直径2メートルほどの円板に取り付けている横では、行楽客が小振りな花飾りを担いで記念写真を撮っている。

ここは、私が期待している光景とは違う。

更に、先に進むことにした。

道で、大勢の人とすれ違う。

この先に、期待できる “何か” があるに違いないと確信した。

足が疲れてきている。

「花飾りを作っている町は近いですか?」すれ違うグループに訊ねる。

「あと5分だよ」の一言を信じて、先に進む。

この5分は、30分を過ぎても現れなかった。


ここらで一服、昼飯にしようと入ったレストランが、大当たり。

私のデザイナー心を刺戟する店だった。

意味はわからないが、店名は「KUMINI」。

食べ物は、エンパナダ(Empanada)が中心。

各国の名前がつけられた、国の特徴を具で表していたオリジナルメニューだった。

ジュンペイさんはチーズとバジリコの入りのイタリアを、私はカレー味のタイをそれぞれ注文した。

具によって、包み方を替えていた。

離れ難い店だったので、更にベネズエラ、ウルグアイを追加して居座った。

こんな店をやりたいな。

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食後、更に前進する。

フィンカの前庭に人だかりがある。

売店と花飾りを作っているテントと、担がせてもらえる小振りの花飾りがあるのは、最初に見たイベント広場と同じ。

各フィンカで、こんな感じで花飾りを作っているのだろう。

村あげて花飾りを作っている満開色の光景を想像したので、チョッピリ残念だった。

ジュンペイさんに花飾りを担いでもらった。

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明日の行列に期待することにして、今来た道を戻る。


メトロ・カブレに乗り、Acevedo駅に下りる。

高所恐怖症気味の私は、絶壁を一気に下りて行く光景に足がすくんでいる。

動画で見るより、かなり急だよ。




ドゥグラス君が、マニサレスからメデジンに移動して来ている。

メトロに乗って、ドゥグラス君がイベントに出店しているモールに向かう。

「プレミューム・プラザ」は、Industrides駅から歩いて行ける距離にあった。

Medellin-Mall.jpg

マルガリータ嬢とは、モール内のカフェで待ち合わせ。

今夜はマルガリータ嬢の家で世話になる。

彼女の住まいは、隣町のエンヴィガード(Envigada)の丘の斜面にある。

タクシーで料金800円ほどの距離だった。

夜景の眺望も美しい瀟洒なマンションを、友人3人とシェアしていた。

カウチで寝るものだとばかり思っていたら、ベッドを使わせていただいた。

お陰でグッスリ寝られた。

こうして、長い一日は終わった。


〜続く〜

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2015年08月18日

メトロ・カブレ(Metro Cable)に乗ってみた(72)

メデジンの南バスターミナルには、8日朝3時20分に着いた。

所要時間5時間35分。

睡眠は充分ではないがが、快適なバス移動だった。

街は、まだ活動していない。

今夜の宿は、ジュンペイさんのカウチ・サーフィン友、マルガリータ(Margarita)嬢の家に世話になる。

私も、サレントで一度会っている女性だ。

(カウチ・サーフィンについては「ココラ渓谷に林立する椰子(14)」を読んでください)

仕事中の彼女とは、夕方に会うことになっている。

それまでの予定は、フェルナンド・ボテロ(Fernando Botero)の彫刻鑑賞、Exposicion de Orquideas(第22回・蘭展)の鑑賞、ロープウェイに乗ってサンタエレナ(Santa Elena)の町、などである。

「蘭博」の開場には、まだ時間が早い。

バスターミナルのFree WiFiを利用して、時間を潰す。


メデジンにしかない地下鉄(Metro)と言う名前の電車に、南バスターミナルからもっとも近いPoblado駅から乗りParque Barrio駅へ向かう。

駅前に、ボテロ広場がある。

広場の名前になっているフェルナンド・ボテロの彫刻作品が、20体ほど点在して展示してある。

人間や動物を丸いぽっちゃりした型で表現したブロンズ像は、実にユーモラスだ。

絵画も同様に、ふくよかな体型で描かれている。

コロンビアを代表する作家だ。

広場は、彼の寄付だと聞いた。

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全ての作品を撮ったのだが、カメラの操作ミスで6枚しか写っていなかった。残念。

ボテロの作品が数多く展示してあるアンティオキア博物館の開館時間には、まだ時間があり入館をあきらめた。


小さなカフェで朝食をとったあと、再びメトロに乗って「蘭博」へ向かう。

駅名:Universidad駅

(Universidad駅の風景と電車の動画はこちらhttps://www.youtube.com/watch?v=n0Js_YabBH8

会期は、2015年8月5日〜9日。

入場料:18,000ペソ(大人一名)。

料金は、蘭博展期間中の特別価格で普段はもっと安いようだ。

会場のボタニックガーデン(Jardin Botanico)は、盛況だった。

蘭愛好家には垂涎の祭典だろうが、花を愛でる趣向の乏しい私には猫に小判だ。




メデジンを訪れたら、ロープウェイに乗りたかった。

ロープウェイは、メトロ・カブレと呼ばれている。

メデジンにメトロ・カブレの路線は、3カ所。

「Feria de las Flores(花祭り)」の飾りを作っているサンタエレナ(Santa Elena)に行く路線がある。

乗るだけで満足だが、折角だからサンタエレナまで行こう。

ジュンペイさんから再三聞いている「花祭り」の徹底調査だ。

本番の行列は、明日の午後。

サンタエレナ行きは、Acevedo駅から出ている。

週末だからか、長い行列が出来ていた。

市民の足だが、街並みビューの観光施設でもあるようだ。

対面に4人掛けベンチのあるボックスが動き出した。

山の斜面に、レンガブロック造りの家屋がギッシリと連なっている。

民家の屋根をナメルように、メトロ・カブレが通過していく。

角度は、かなり急だ。

スラムの上を通過すると聞いていたが、そんな場所は見当たらなかった。

※メトロ・カブレ・上り




サンタエレナには、2つの中継地点を通過し、1カ所で乗り換える。

Acevedo駅から乗り換え地点まで約10分。

乗り換え地点から終点のサンタエレナまで、約10分。

山々をまたいで行った先に、サンタエレナの町はある。


〜続く〜
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2015年08月16日

念願叶って、メデジンに来た〜!(71)

念願叶って、メデジン (Medellin)に行くことができた。

コロンビア北部の町巡りをした5月、メデジンまで車であと3時間の地点で旅を切り上げている。

コロンビア北部の小旅行に、いざ出発!(19)

眼と鼻の先まで来ていたが、ジュンペイさんに予定が入り、メデジン行きを断念した。

その時、ジュンペイさんは「花祭りの時期に訪れましょう」と予定を立ててくれた。

どうして、そこまで固執するのかって。

それは、きな臭い匂いのするメデジンを見聞したいからですよ。

3ヶ月後、口約どおり約束は果たされたのだった。

それも、予期せぬ観光を満載して(動画でアップするからお楽しみに)。


メデジンについて、調べてみた。

メデジンは、首都ボゴタに続く第2の都市。

コロンビア西部にあるアンティオキア県の県都。

人口約250万人(2012年)。

標高約1500メートルの盆地にある。

中央を流れるメデジン川の両側の傾斜地に、街が形成されている。

1970年代から1980年代にかけて、コロンビアの犯罪組織の本拠地だった街。

麻薬密売者のゲリラ的犯罪組織「メデジン・カルテル」の資金源は、コカインの生産・加工・販売、宝石加工・販売、身代金獲得。

1980年代前半からは、コロンビア政府と抗争を繰り広げている。

幾度にもわたるアメリカ軍の掃討作戦やコロンビア政府による摘発で、大物の多くが死亡あるいは逮捕された。

カルテルは統一された実体としては消滅しその組織力と影響力の多くを失ったものの、生き残った組織や元構成員は国際的な麻薬界で現在、いまだ活動的である。

独自の私設軍を保持し、動員力もあり、命脈を保っている。

貧困にあえぐ中南米の諸問題が解決されない限り、メデジン・カルテルの壊滅は達成されないであろうという意見もある。

(ウィキペディアより)

市民は「メデジン・カルテル」からの恩恵を、少なからず受けていたことだろう。

情報とは違った、市民の声もあるように思える。


私の知るコロンビアのブラックなイメージは、「エスコバルの悲劇」として知られている話だ。

1994:FIFAワールドカップ1次ラウンド第2試合のアメリカ戦で、エスコバルは痛恨のオウンゴール(自分のチームのゴールに入れてしまう)を献上してしまった。

このあとエスコバルは、メデジン郊外のバーで射殺される。

そしてもうひとつ。

2001年、ボゴタで矢崎総業の現地法人副社長がゲリラに誘拐されたニュースは、記憶にある。

ウブド滞在中のニュースだったが、殺害された遺体が発見されたというニュースには憤りを覚えた。

これらのニュースが、私と同様に多くの日本人が描く“コロンビアは 危険な国” となっているのではないだろうか。

多くの友人・知人が、私のコロンビア行きに「危険だから止めろ!」と忠告してくれた。

確かに、営利誘拐は14年前とまだ新しい事件だし、ゲリラは今も暗躍しているという。

15年前には、サレントの警察署がゲリラに襲われている。

しかし、私は、この眼で確かめない限り納得しない。


では、一体どの程度危険なのだろう。

空港の両替商はボッタクリか?(6)」に書いた、外務省が出している「危険情報」。

タイムリーにもこの原稿を書いている時(平成27年8月14日)に、「危険情報の危険レベルについて記述変更」のお知らせメールが、在デンパサール日本国総領事館から届いた。

9月1日から、外務省が発出する国・地域別の「渡航情報」(危険情報やスポット情報の総称)の名称が「海外安全情報」へ改称されます。

また、危険情報(危険レベル)のカテゴリーの表記について、わかりやすく、より直接的な表現にするため、記述が次のとおり変更されます。

安全対策の4つの目安(カテゴリー)がある。

旧表現→新表現 
                 
十分注意してください→レベル1:十分注意してください。

渡航の是非を検討してください→レベル2:不要不急の渡航は止めてください。

渡航の延期をお勧めします→レベル3:渡航は止めてください(渡航中止勧告)

退避を勧告します。渡航は延期してください→レベル4:退避して下さい。渡航は止めてください(退避勧告)

メデジンはレベル1)で、サレントはレベル2)だ。

サレントの方が危険だとはビックリ。

危険な場所もあるのだろうが、それはどこの国でも同じだろう。

背筋が冷やっとする場面は、事件は「パレスティーナ」の町角で起きた(21)で一度あったきり。

これまでに訪れたコロンビアの街で、危険を感じことはない。

メデジンで危険に遭遇するのだろうか。


7日、サレントからバス、8.30pm出発→アルメニア9.30pm着

アルメニアから、深夜バス。

アルメニア9.45pm発→メデジン3.20am着(所要時間・5時間35分)

往復の深夜バス2泊とメデジン2泊の旅。

それでは、メデジンの3日間の旅にお付き合いください。


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2015年08月12日

ボタニカのコロンビア議会 @ マニサレス(70)

マニサレス(Manizales)日帰りの疲れが取れると、7日からはメデジン (Medellin)に出掛けた。

メデジンの話をする前に、マニサレスを片付けよう。


農業系のフォーラム「[ Congreso Colombiano de Botanica(第8回・ボタニカのコロンビア議会)」で、私のランプが展示されることになった。

会場は、カルダス県マニサレスにある農業大学と聞いている。

マニサレスは、サレントから車で3時間ほどの、標高2150メートル地点にある街。

プラタノ(料理用バナナ)の幹から作られる紙が、研究課題にでもなるのかな。

と思いきや、ランプの展示は、ジュンペイさんの友人ドゥグラス君の出店に置かせていただくのだった。

ドゥグラス君は、カリブ海に面した港町・カルタヘナ(Cartagena)に宝石店を持っている。

コロンビア各地のイベントにも、精力的に出店するビジネスマンだ。

サレント近くのイベントに出店する時には、ジュンペイさんの家に泊まっていく。

私も何度か会っている。

6月後半に行われた、カラルカ(Calarca)のジパオ・パレードの時にも数泊している。

※「ジパオ(Yipao)のパレード・後半(47)

エメラルドを金、銀に細工するためにバリ島には何度も訪れていて、共通の話題もあった。

私はランプのセッティングを済ませると、展示コーナーの設営を手伝った。

この手の作業には慣れている。

設営を終え、ボリバル広場まで足を伸ばしてコーヒーブレーク。

景色の眺めの良い店があるからと、ドゥグラス君が案内してくれたのはボリバル広場にある教会だった。

教会のエレベータに乗って中階まで昇ると、展望カフェがあった。

貸店舗として、教会の収益としているのだろう。

眺望も素晴らしかったが、ステンドグラスの美しい教会だった。


※Plaza Bolivar @ Manizales ・ Caldas・Colombia

ボリバル広場のボリバル像が芸術的。

教会建物の中程にある柱の部分がガラス張りになっていて、カフェエリアになっている。



オープニングは、500人ほど入場できるホールで行われた。

表彰式のあとは、地元バンドのライブが上演された。

※Foro Botanica @ Manizales ・ Caldas・Colombia

オープニングで催されたライブコンサートの模様。



会期は、四日間。

私としては、展示することによって、コロンビア人の反応を知る良い機会となった。

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反応はすこぶる良好だった。

プラタノ紙の珍しさもあるが、ランプシェードとしての美しさも理解してくれていた。

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このランプを、女子大生がお買い上げいただいたようです。


私の部屋は今、ランプがなくなって閑散としている。

滞在の痕跡が、まったく消えてしまった感じだ。

一仕事終えたと言う感覚で、今は、何も作る気が起こらない。

取りあえず、スケッチでもして暇をつぶすつか。
posted by ito-san at 10:22| 愛知 | Comment(0) | TrackBack(0) | 南米コロンビアの旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月07日

サレント&ウブドのトイレ事情(69)

これは男性専科のお話です。

ウブドは年々都会化し、立ち小便ができる場所がなくなってきている。

なくなったと嘆くより、立ち小便をすること自体が悪行なんだから、控えるようにしないとね。

公衆トイレも不備なので、尿意をモヨオしたらレストランかカフェに飛び込むしかない。

サレントも立ち小便ができる場所は少ない。

やはり、公衆トイレもない。

その代わりと言っては変だが、レストランやカフェで使用料(500〜10,000ペソ)を払って借りられる。

観光客のトイレ拝借が頻繁にあったための対策が、始まりだったのだろう。

店頭やトイレの扉に、料金の張り紙が貼ってある。

男女別々のトイレが多い。

お客様は、無料。

もちろん、私はコーヒーを注文します。

コーヒー代が10,000ペソ(トイレ使用料と同じ)の店も多い。

ウブドでも、トイレだけの利用者からは料金徴収のシステムにするといい。

サレン王宮の近くに「カフェ・アンカサ」があった頃、観光客が数人入店し、何も注文せずにカウンターに陣取りトイレを借りて出て行く光景をよく見かけた。

トイレットペーパーを使い、水を流し、手を洗っていくはずだから、幾らかの経費を払ってもらおうよ。


スペイン語で便所のことは「bano(nの上に〜がついてバーニョと発音する)」と言う。

「トイレを貸してください」と言えない私は「バーニョ」を連呼する。

この外人、何を言ってだろうという顔をされることが多い。

きっと発音が悪いのだろう。

やっと借りられた小便専用トイレは、客席から丸見え。

ためらわれるほど、オープンだ。

曲がりなりにも、性器を露出するのだよ。

そして、極端に便器が小さい。

観光で訪れたよそ者が他国の文化を批判するつもりはないが、コロンビアの男子トイレは虐げられていると見た。

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なんと、フランス・ドゴール空港の男子トイレの便器も小は小だったな。下の写真。

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これが生まれて始めて見た極小小便器だ。


こんな小さな便器で、用を足せと言うんだから。

その待遇はないだろう。

床に小さな穴しかないのや、ばっちー・トイレよりはましだが、合理的過ぎやしませんかい。

「その辺で、適当にしな」的な、ないがしろな感じがヒシヒシとする。

大便処は、憩いの場所の個室として認知されているようだが、小便処には、そんな配慮はされていない。

女性の方には「そんなこと言われてもわかんな〜い」ですよね。

使用時間の長短で差別されているのか?

たとえ短時間でも、癒される空間であって欲しい。

私は、小用も大便同様に坐ってしようかと思っている。


この小さな小便器、日本でも普及しているのかな。

ひょっとすると、私が知らないだけなのか。

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2015年08月04日

本日・完全休息日(68)

昨日(8月3日)は、車で3時間ほどかかる町・マニサレス(Manizales)に出掛けた。

農業系のフォーラムで、私のランプを出店することになったからだ。

朝9時30分出発で、帰宅は夜の12時。

少々お疲れの様子なので、その話は次回に持ち越し。

毎日が休息日だが、本日は完全休息日としました。


まずは、食べたいと思っていたインド・カレーを求めて「hostal & Restaurant・Casa La Eliana」に。

「スパイーですか?」と訊かれたのを「はい」と答えて、激辛を食すことになる。

La Eliana7.jpg


食後、サレントの入口にある小さな丘へ行く。

以前、枝を拾った場所だ。

芝生に腰をおろし、景色に見とれる。

paisajes.jpg

「何してる?」と言ったと思う。

振り返ると、バイクに乗った2人連れのポリス。

言葉が、理解できない。

ひとりが私のリュックの中身を調べ始める。

清廉潔白の私のリュックに、悪に通じる物は入っていない。

ガンジャ(大麻)でも持っていると思っているのか。

あいにくでした。

もうひとりが、バイクに乗ったまま「スペイン語できないのか?」と言っている、と思う。

私が答える前に「ポキート?=少しか?」と、自己納得していた。

リュックの中身に問題がないとわかると、彼らは笑顔を見せた。

鍵を閉めるのに戸惑っている相棒に、バイクにまたがった相棒が、冷やかす。

何度も失敗しながらも、やり遂げた。

「・・・・・!」

一言残して、走り去って行った。

暖かい陽射しと心地よい風が、私の身体を包んだ。

思わず微笑んだ。

私は、芝生にゴロンと横になる。

cielo azul1.jpg

cielo azul2.jpg


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2015年08月02日

私の名前は「イロシ」です(67)

町を歩いていると「ITO」という言葉がよく聴こえてくる。

サレントに、知合いは数人しかいない。

今の私に、ウブドのように頻繁に呼びかけられることはない。

気のせいだろうと思いながらも、敏感に反応してしまう。

こんなところで知合いに会ったら、運命を感じてしまうだろうな。

振り返ると、やはり、私に声を掛けているわけではなかった。

「ITO」と聴こえた理由は、スペイン語の語尾にitoとつく言葉があり、またその語尾を上げて発音するためか、itoがクローズアップされて聞こえるのだ。

スペイン語に詳しい人には、メンドクサイ説明入りでゴメンなさい。

間違っていてもご免なさい。

語尾にitoとつく言葉には、bonito(可愛い・奇麗な)、poquito(少し)、pajarito(小鳥)、apetito(食欲)、exito(成功)などなど多数。

そして、〜ちゃん的に、可愛く表現する場合にitoを語尾につけるようだ。

例えば、猫はgatoで、猫ちゃんになるとgatitoとなる。

この表現、会話ではよく使われているようだ。

そのせいで、私はいつも呼ばれることになる。

itoに変化できるのは、oで終わる男性名詞の場合。

aで終わる女性名詞の場合は、また違うようだ。

よくわかっていないので、説明はここまで。


salento1.jpg


ウブドでは、イトサンと縮めて呼ばれていた。

インドネシア人の名前にも ITO があり、彼らにも呼びやすかったようだ。

サレントの来る前に、現地では、どう呼ばれるだろうか考えてみた。

極少ない知識によると、ファーストネームで呼ぶのが通常だという。

私の場合は、ヒロシ(hiroshi)。

コロンビアはスペイン語圏。

入手した情報では、スペイン語のアルファベットにH(アチェ)はあるが、発音をしないとあった。

と言うことは、字のまま読めば、イロシになってしまうわけだ。

HONDAはオンダで、YAMAHAはヤマーア。

インドネシアで、Coca-Colaがチョチャチョーラと読まれると同じ状況だ。

イロシでは、どうも自分を呼ばれた気がしない。

どうしよう。

サレントの着くと、ジュンペイさんは私を「ito-sanです」と友人に紹介する。

心配したhiroshiは、ひとことも出てこない。

気になったので、訊いてみた。

「アルファベットで “Giroshi” か “Jiroshi“と書けば、ヒロシと呼んでもらえるよ」と教えてくれた。

スペイン語では、ga gui gu gue go gi ge。

これは、ガ、ギ、グ、ゲ、ゴ、ヒ、へとなる。

gのあとに母音 a、u、o がくるとガ行、gのあとに母 i、e がくるとハ行になる。(参照:地球の歩き方・トラベル会話5・スペイン語+英語)

勉強してるでしょう。

調べるのは好きなんですが、記憶力が弱いのが私の弱点なんです。

jは、ja ji ju je jo。

これは、ジャ、ジ、ジュ、ジェ、ジョでなく、ハ行で、ハ、ヒ、フ、ヘ、ホを発音するようだ。

japanは、ハポンとなる。

ジュンペイ(Jumpei)さんはフンペイとなるが、すでにジュンペイさんで市民権を得ている。

「でももう、イトウで通っているから、いいんじゃないの」とジュンペイさんは言う。

ということで、私の心配も肩透かしとなった。

posted by ito-san at 21:53| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 南米コロンビアの旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする