2023年03月15日

チャンプアン橋周辺を観光名所にしよう!(494)

ウブドは芸能の村と称されるだけに、毎晩、どこかの村で舞踊の定期公演が催されている。

しかし、観光の見所が少ない。

サレン王宮
蓮池のあるサラスワティ寺院
グヌンルバ寺院
ブキットチンタの散歩道
猿の森
美術館(ネカ、アルマ、プリ・ルキサン、アントニオ・ブランコetc)
などが思いつくが、格別人気のある名所でもない。


そこで、私の妄想をひとつ語りたい。

それは、ウブド発祥の地であるチャンプアン橋周辺を、歴史探訪エリアの観光名所としたい、ということ。

8世紀、ジャワ島から渡って来たマルカンディアという名の高僧が、2つの川が合流する美しい渓谷が目に止めた。

その地には、豊富な薬草と湧き水あった。

ウブドの歴史は、ここから始まった。

この話は「高僧ルシ・マルカンディア(Rsi Markandeya)」をお読みください。
https://informationcenter-apa.com/kb_markandeya.html


チャンプアン橋は、ウブドの西部に位置する。


Campuhan Bridge

吊り橋:1925年完成
現在の橋:1980年完成

IMG20230315081123.jpg

チャンプアン橋周辺の紹介は、旧道の説明から始めたい。

@ ウブドの西の端は、小高い丘だった。
1.jpg

現在は、丘を掘削した道が開通しています。

左側が旧道。

旧道は、この丘を上り下りして、現在の「ホテル・イバ」の入り口の道につながる。
IBAH.jpg

IBAH2.jpg
旧道の行き先は、ホテル・イバの入口手前を左折した「グヌン・ルバ寺院」と、

ホテル・イバ自動車道入口左手の小道の先にある「ベジ寺院」か。
2.jpg

BPura Beji Tirta Dedari @ Campuhan=チャンプアンにあるべジ寺院でマンディ

(撮影:2021年11月2日)

C渓谷に挟まれた小高い丘にあるのが、グヌン・ルバ寺院。

チャンプアン橋の上から、2つの川が合流する地点と「グヌン・ルバ寺院」を見る。
入場料を払ってでもいいので、寺院内に入りたいです。

河原に降ります。
橋の下の河原も、少し整備すれば憩いの場になる。

D「パブ・チャンニーナ・ルーフトップ」から見る「グヌン・ルバ寺院」
Pura Gunug Leba.jpg


*周辺の見どころとして。

Eもう一つの沐浴場・ペジ寺院


Fアントニオ・ブランコ美術館は、橋の西側にある。
Blanco museum.jpg
アントニオ・ブランコ物語:https://informationcenter-apa.com/kb_Antonio_Blanco.html

Gチャンプアン・ホテルには、ヴァルター・シュピース(Walter Spies)の過ごした館が残っていて、宿泊できる。
Walter Spies.jpg
ヴァルタースピース:https://informationcenter-apa.com/ubud_jiten.html#sagyou


▪️付録

ABukit Cinta に行って来ました!@ Campuhan・Ubud

(撮影:2022年8月23日)

「Pura Gunung Lebah」ウブドのルーツを巡る(最終回)グヌンルバ寺院@ Campuhan・Ubud

(撮影:2022年9月2日)

Meditation・Holy space(ウブド好き+瞑想好きなあなたに)@ Campuhan・Ubud

(撮影:2022年9月4日)

Cantina Rooftop Bali・グヌン・ルバ寺院を鳥瞰できるレストランはここだけ!

(撮影:2023年2月13日・スマートフォン)


*ウブドに絞り込んだ、ものすご〜くマニアックなYouTubeをやっています。
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2023年03月09日

バリ島旅行って…ってテーマで考えてみたのですよ!(493)

ある日の知人のツイッター。

『バリ島旅行って…ってテーマで考えてみたのですよ。

伝統舞踊を堪能する旅、海を楽しむ旅、わたしのように自然の緑を求め旅。

お買い物をする、現地料理を楽しむ。

みんなそれぞれに色んな目的があってほんとに楽しい。

やっぱりバリ島ってすごいや!

わたしはバリ島を教えてくれた母に感謝してるんだ。』


この知人のツイートに便乗して、私は『アンケート募集』をした。

「あなたは、ウブド滞在で何をしますか?」

「やりたいこと」&「行きたいところ」を教えてください。

複数でもいいですよ。

参考にしたいので、よろしくお願いします。


たくさんの回答をもらった。


▪️Aさん
ボーっとしてごはん食べてビンタン飲んで、またボーっとする(以下無限ループ)


▪️Bさん
風景を楽しみながら歩いたり


▪️Cさん
買い物をしたいです


▪️Dさん
jalan-jalanします

昨年もウブドの渓谷を眺めながら一日7km歩きました


▪️Eさん
ウブドは幾分涼しい気がするので、負担なく歩けそうに思います

「自然を満喫する」ウブドの自然の香り楽しむのが1番好きです

あとは、「お買い物」オーガニックなコスメショップや雑貨がウブドには豊富にありますから


▪️Fさん
空気吸って…

緑観て……

本読んで……

本読んで……

本読んでます……


▪️Gさん
1:ウブドのジャングルを眺めながらホテルのプールで泳ぐ

2:バリ舞踊の公演を見に行く

3:街スパでリフレッシュ

4:オーガニックコスメやバリTシャツ、バリコーヒーなどをまとめ買い


▪️Hさん
1:バリ舞踊、芸能の定期公演や奉納芸能を見に行く

2:バリ舞踊を習う

3:民族衣装を着てお寺のオダランに行きスンバヤンをする

4:眺めのいいところでカフェタイム&ワルンで地元料理を堪能

5:散歩とお買い物を楽しむ、街スパで癒される

6:ミュージアムとギャラリー巡り

などなど。


総括すると、皆さんのんびりがお望みですかね。

@自然を満喫する

A芸能鑑賞

芸能に興味を持っている人がいることがわかって安心しました。

B街スパ

C地元ワルンで食事

D買物


アンケートにお答えしていただきまして、ありがとうございました。

今後、リピーターの方々を迎えるにあたって、参考にさせていただきます。


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2023年03月02日

「和食・影武者」の面影を追って、やってきた!(492)

開店から現在までの経過

1991年7月10日、サレン王宮ウブドのある変則十字路から、2Km地点のプンゴセカン通りにオープンした。

10年賃貸契約(1990年〜2000年)が終わり、4年の延長。

2004年、影武者裏に2003年から始めた料理教室の建物に移転。

2014年、ニュークニン村の現在の店舗に移転。

『極楽通信・UBUD』17「お疲れさまでした、居酒屋・影武者」
https://informationcenter-apa.com/gt_kagemusha.html


昔、影武者のあったところは今、どうなっているか?

1991年から2004年までの影武者を訪れたことがあるが、その後行けていない友人のために。

2014年までの影武者を知る友人のために。

周辺がどう変わったかを動画で報告したいと思います。




◉フェイスブックに投稿したら、たくさんのコメントが届いた。

▪️Fさん
ここに影武者があった時に来たことがありました。
確か奥に座敷席があって、、
奥に座って見えた夕方の田んぼの景色を思い出しました。
懐かしいです。

▪️Oさん
いいビデオですね、最後まで観入ってしまいました。
97年の初めての滞在で訪れてお店の雰囲気と焼き鳥の美味しさに感心しました。
クブンインダーに泊まることもあり、このあたり印象深いです。

▪️Jさん
最後に行ったのは98年でした。
96~97の地球の歩き方掲載の地図です。書き込みしてありますが…
1番初めに買った91年のはボロボロになって捨ててしまいました。
影武者からアグン山見えましたね。
霊の通り道やダドンの話し、思い出しました。
地図の画像のようです

▪️Mさん
なんかさみしい気もするが 歴史っすね!

▪️Yさん
ワルンでコピを啜る伊藤さんのお顔にすべてが詰まっています。
酔い潰れての帰り道は漆黒の闇でした。たくさんの野良犬に囲まれ、カルタの弟さんにバイクで送ってもらったことを思い出しました。諸行無常、こうして万物は流転していくのですね。
ウルウル。

▪️Nさん
確か、92年に初めて影武者に入った記憶なので..
開店してまだ1年位だったのですね・・

▪️Sさん
ほんとだ!
写真でみないとわからない

▪️Kさん
思い出は 心の中に 次行くときは 昔のバリを思い出すところに行くのかも

▪️Yさん
うわぁ〜、ものすごい変わりようですね。
影武者さんには沢山お世話になりました。
アグンラカバンガローに泊まっていた頃、体調を崩して日本食が食べたくなり、おにぎりと味噌汁をテイクアウトして安心したこともありました。
座敷の席に神様?が座られていると噂を聞き、その席には座らないようにしようと思ったことも。
田んぼがあってホタルも飛んでいて素敵なお店でした。
ニュークニンに移られてからもお邪魔しました。
やっぱり超美味しい日本食を提供して頂きました。
いつかニュークニンあたりも変わっていくのでしょうかね。
それでもまた行きたいバリ島ウブド。
早く行きたいな〜!
映像を見せて下さって本当にありがとうございます。


◉ユーチューブにも、たくさんのコメントが届いていた。

▪️Iさん
そうだった、そうだった️
カキアンに泊まり、懐中電灯借りて影武者に、ご飯食べに行ってたわぁ。
田んぼに囲まれて、トッケーの声を聞きながら猫とご飯食べたなあ。

▪️Sさん
おはよう御座います。
プンゴセカン物凄い渋滞ですね〜
何度も滞在したので毎日通った道です。
カーブの付近は人気店が入れ代わり立ち代わりしてましたが、何せバイク音と排気ガスがね〜。
これからのウブドは田圃ビューの飲食店は貴重になるかもと思っています。

▪️Tさん
先回ウブドに行ったとき、who's who行きました
影武者、ここにあったのは知らなかったです
伊藤さんの『ウブドに沈没』は読んでいたので蛍がいて回りに何もなかったったことや裏の谷を探検?したこととか、ここだったんやなぁってわかりました️
私が行ったときはスパの帰りでビールを求めて彷徨って行き着いたのが、そこで回りをじっくり見ておけば土壁とか見れたのに残念です。
次回はその先の細い道通ってみようと思います️
楽しみを作っていただいてありがとうございます

▪️Tさん
懐かしいです、ここで初めて伊藤徘徊老人とお会いしたのですね。

▪️Sさん
プンゴセカンはかなり様変わりしましたね。
ウブドで一番変わったかもしれない。
90年始めの頃は田んぼばかりで、真っ暗で時々蛍が飛んだりしていました。
当時のレストランでは田んぼを眺めながら、夜は蠟燭や石油ランプの灯りの下でロマンチックな食事が出来たエリアでした。
「影武者」は2回ほどお邪魔させて頂きました。
プリアタンからプンゴセカンさらにハヌマン通りにかけては、私の昔の散歩コースでした。

▪️Jさん
今と全く違いますね。
この時代の影武者にも行ってみたかったです。

▪️Eさん
すごく貴重な写真ですね️
電信柱が変わらないのがすごい!
こんなに見晴らしが良かったんですね
98年にアグンラカバンガローに泊まった時は、アルマ美術館もあったり、今ほどではないですが、建物ありました。
それにしても、貴重な写真

▪️Sさん
「影武者」囲炉裏があって時々精霊が見える(座ってる?)とか噂でした!
「影武者」さんは、その頃の私にとって敷居が高くて憧れ遠くから緑に囲まれた建物を眺めてました。
変わり様にビックリしました。アップありがとうございます️

皆様からの投稿を、無断で拝借してしまったことをお詫びいたします。


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2023年03月01日

今・バリで流行のラトラトについて考える!(491)

カチカチカチ

どこからともなく聞こえてくる音。

懐かしさを感じる、球を打つ音だ。

朝、下宿でも聞こえた。

窓から覗くと、長男の息子が手にしている物から音がしていた。

それは、私が20代の頃、アメリカン・クラッカーと呼ばれて日本で流行したもだ。


バリでは、昨年(2022年)の初頭から流行っているという。

LATO LATO1.jpg

LATO LATO2.jpg


20年前に流行った時のことが「ウブドのニュース」に掲載されていた。

「2003年1月20日:ケテケテ大流行!!」

ひと月ほど前には、それほど耳につかなかった拍子木を連打しているような音が、このところウブドの至る所で聞こえる。

正体は、長さ40センチのヒモの両端に直径4センチのプラスチック玉が一つずつついたオモチャだ。

音は、ヒモの中央にあるプラスチック・リンクを持って上下に振り玉を当てて出す。

ケテケテと音がするからか、Mainan ketek-ketekと呼ばれている。

日本ではアメリカン・クラッカーと呼ばれて1970年代に流行した。

ブーメランのように獲物に投げ、巻き付けて捕らえる、アメリカ・インディアンの狩猟道具だったと聞いている。

ウブドには道売りの行商がはじめ持ち込んだようだが、今では雑貨屋にも出回っている。

オダラン(寺院祭礼)の露店でも売っていてガムランの音に混じってケテケテの音が聞こえる。

いつまで続くか、ケテケテ大流行。


今回は、ラトラト(LATO LATO)と呼ばれているようだ。

命名の理由は、わからない。

流行は10年周期、20年周期に巡ってくるという定説通りだ。

プラスチック玉が直径3センチと一回り小さくなっていた。(大きい物もあるのかも知れない)

小さくなって、紐も短いからか、以前に比べて音が小さい。

20年来の在庫処分だと勘ぐっていたが、どうやら違っていたようだ。


リピーターの友人から、ジョクジャカルタのお土産、ということでいただいたラトラト。

LATO LATO3.jpg

できるようになったら「TikTokにアップして!」とのミッションを与えられた。

「このタイプは新しいね!」と感動しながら受け取ってしまった。

「昔取った杵柄」と、やってみたができなかった。

横でやってみたら、大成功。

TikTokは、ハードルが高いので、フェイスブックとツイッターで報告した。

ミッションを終了!


ネットでググってみたら、日本では何年も前から【昭和なオモチャ】で通信販売していた。

レトロな包装なので、写真保存することにした。

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2023年02月21日

ウブド地域には、裕福を証明するかのように銀行の数が多い(490)

他の地域に比べて、ウブド村が裕福だと考えられる理由を、数回に分けて検証してきた。

「@屋敷内にあるバリ料理のワルン(487)」
https://itosan-ubud.seesaa.net/article/497987515.html
「Aバリ伝統的屋敷の名称とレイアウト@スバリ村(488)」
https://itosan-ubud.seesaa.net/article/498092242.html

ウブド地域には、裕福を証明するかのように銀行の数が多い。

私が滞在始めた1990年初頭には、「バンク・セントラル・アジア=BCA」と「バンク・ドゥタ=Bank Duta」の2店舗しかなかったと記憶している。

私は、レストラン・ノマドの東隣にあった「BCA」を利用していた。

2階屋の1階にあった「BCA」の店舗は、両替商のようで現在のマネーチェンジより貧相だった。

ウブドに観光地として人気が出始めると、銀行の支店開業が続いた。

インドネシア経済は、1997 年のアジア通貨危機、1998 年のスハルト政権崩壊によ って大きな混乱を経験する。

小規模銀行は倒産し、大手銀行には取り立て騒ぎが起こった。

2000 年からは、国際通貨基金(IMF: International Monetary Fund)の 政策指導や日本、世界銀行、アジア開発銀行(ADB: Asian Development Bank)の 緊急支援もあって安定を回復する。

このあと銀行の数は、さらに増えて行く。

場所は、アンドン交差点周辺の2箇所にかたまっている。


一つは、交差点からウブド大通りの約200m。
ここに6件。

1Danamon.jpg
Danamon

2Bank BRI.jpg
Bank BRI

3BANK MEGA.jpg
BANK MEGA

4Maybank.jpg
May bank

5BCA.jpg
BCA

6MNCbank.jpg
MNC bank


もう一つは、交差点から北へテガララン方面に約300m。
ここにも6件。

a-1CIMB niaga.jpg
CIMB niaga

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Permata Bank

a-3BNI.jpg
BNI

a-4mandiri.jpg
a-5Bank Mandiri.jpg
Bank Mandiri

a-6sinarmas.jpg
sinarmas

(2023年1月現在・掲載漏れがあれば教えてください)


ここで耳寄り情報を!

外国人観光客でも預金できる銀行があります。

条件はKITAS保持者であること。

保証人が必要な銀行は、BCAとBNI。

保証人がいらない銀行は、MaybankとPermataBank。

Maybankには、踊り手ユリアティさんがいるので、コンタクトは容易。

アパ?情報センターでは、銀行預金のお手伝いを行なっています。

連絡先(責任者ワヤン):apainfo@indo.net.id・wayan_apa@yahoo.co.jp
携帯電話:+62-8510-8001110


銀行以外に「Bank BPD Bali」と「LPD」がある。

「BPD」はバリ州100%出資の地域開発銀行で、1962年6月5日創業。

BPD=BANK PEMBANGUNAN DAERAH BALI=バリ地域開発銀行

ウブド大通りとハヌマン通りの東角にある一軒。

BPD.jpg
BPD


「LPD」は1997年のアジア通貨危機の後1998年に、バリ州の銀行「BPD」のバックアップによって開設された村の信用金庫。

LPD=Lembaga Perkreditan Desa=村の信用金庫。

各村にあるということは、ウブド村で13軒はあるということだ。

利息が良い(年利8%との噂を聞く)。

LPD Padangtegal2.jpg
パダンテガル村のLPD

どんなけ、お金があるんだと言う話でした。


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2023年02月15日

ウブド村のビジネス発展のプロセスを考える!(489)

リピーターのひとりから、こんな質問を受けた。

「ウブドって、他の村に比べて裕福じゃありませんか?」

その質問に、お答えした。

「そうなんです。多くの観光客が訪れ、パフォーマンスの定期公演にお金を落としていくからです」

数年前から、バリ島南部ウルワトゥ岬のケチャが大人気になっている。

ウルワトゥ岬観光プラス、ケチャの公演が成功したのだ。

地元の村は今、きっと裕福になっていることでしょう。

ケチャといえば、その昔はボナ村のケチャが有名で、ウブドから観光客をシャトルバスが送迎していた。

ウブドでケチャの公演が始まると、ボナ村のケチャは廃っていった。

栄枯盛衰とは、このこと。

ウブド村は13の集落(バンジャール=最小単位の自治体)で構成している。

ウブド・カジョ、ウブド・トゥンガ、ウブド・クロッド、サンバハン、ブントゥユン、タマン・カジョ、タマン・クロッド、テガランタン、ジュンジュンガン、パダントゥガル・カジョ、パダントゥガル・トゥンガ、パダントゥガル・クロッド、パダントゥガル・ムカールサリ。

現在ウブドのケチャ公演は、ウブド村、サンバハン村、タマン村が人気で高収益だが、パダンテガル村、ジュンジュンガン村と、それぞれの集落でも公演が行われ、利益をあげている。

これもウブド村に、多くの観光客が訪れるからできること。

ケチャ公演は集落主導で、村人によって演じられ、収益は集落に入る。

村営のビジネスが始まりだ。


ウブドに観光客が訪れるようになったのは、いつからだろうか?

インドネシア独立以前、オランダから汽船で訪れるツアーがあったと聞く。

フランス・パリで開催された世界植民地博覧会で、バリの魅力が知られると、世界中から観光客が来島するようになった。

ウブドでの宿は、王族の屋敷を解放していた。

海外からの画家が滞在し、農民だった村人に絵画の指導をしていく。

村人に絵描きが誕生し、画廊が開設される。

絵描きは、画廊に納めるか自分の屋敷に飾り、求める観光客がいれは売った。

バリ南部の観光地クタ海岸に、行商に行って財を成したという画廊主の苦労話を聞いた。

ウブド村は、絵画の村として有名になり、観光客が増えていく。

個人のビジネスの始まりは、絵描きだったのか。


バックパッカーが訪れるようになり、村人は屋敷の棟を宿泊施設として解放して、日銭を稼ぐようになる。

ホームステイ稼業の始まりだ。

訪れるツーリストが増加してくると、敷地内に貸し棟を増築していく。


村人相手の雑貨屋や食堂は、屋敷前の狭いスペースに簡易小屋を建て、営業していただろう。

屋敷前で始めた小さなワルン(簡易食堂)が繁盛すると、屋敷内のテラスを解放して営業していく。

その話は、次のブログでまとめてあります。

「@屋敷内にあるバリ料理のワルン(487)」
https://itosan-ubud.seesaa.net/article/497987515.html

こうして、ウブドに各種ビジネスが根づいていく。


ウブド民が裕福になったのは、貸家・貸店舗などの家賃収入を得るようになってからだろう。

屋敷の構造から、道路側の土地が活用できる家と、活用できない家とがある。

こちらのブログを読んでみてください。

「Aバリ伝統的屋敷の名称とレイアウト@スバリ村(488)」
https://itosan-ubud.seesaa.net/article/498092242.html

IMG20230211155746.jpg

屋敷寺が奥になる家は、道路側を屋敷門以外の土地を全面貸店舗に利用できる。

道路沿いに屋敷寺がある家は、門を挟んで屋敷寺の反対側の土地しか運用できないが、屋敷寺の壁との間に少しの土地が残っていて、奥行きの狭い店舗を確保しているところもある。

王宮に近いモンキーフォレスト通りとカジェン通り、ゴータマ通りとハヌマン通りなどは、屋敷が連なった集落のため、屋敷門しか見えない状態になっている。

集落のはずれに田畑を持っている村人は、その土地を売却したり借地にする。

売却したり借地にした土地には、ホテルやレストランが建つ。

集落は拡大し、隣村との境がわからないほどに発展していく。

現在のウブド村、プリアタン村、プンゴセカン村がそうだ。


こうやって店舗が建っていくことを、「私はメッキされる」と言っている。

極楽通信:メッキされるウブド //informationcenter-apa.com/gt_plating.html

本来の素材を覆い隠して、観光地というメッキがされる。

メッキの輝きが、ウブドの裕福さのバロメーターでもあると言える。

外観からはわからないが、ウブドの本質は失われていないので、ご安心ください。

今回も、うまく文章がまとまりませんでした。

「何が言いたいかわからない!」と、お叱りを受けそうですが、お許しを。


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2023年02月08日

バリ伝統的屋敷の名称とレイアウト@スバリ村(488)

家のことをインドネシア語で「ルマ=Rumah」と言う。

バリは、四つに色分けされた階層(カスタ)・チャトル・ワルナ(チャトル=4/ワルナ=色・Catur Warna)によって、屋敷の名称が異なる。
*階層(カスタ):https://informationcenter-apa.com/kb_kasta.html

高僧(ブラフマ=brahmana)の屋敷は「グリヤ=Geriye」

王族(クシャトリア=kesatria)の屋敷は「プリ=Puri」

貴族(ウエシャ=wasia)の屋敷は「ジェロ=Jero」

この三つの階層をトゥリ・ワンサ(Tri wansa)と呼ぶ。

平民(スドラ=sudra)の屋敷は「ウマ=Umah」

カスタの導入は、5世紀から16世紀まで中部ジャワで栄えたマジャパイト王朝の影響である。

バリに移り住んだマジャパイト王朝の末裔をトゥリワンサとし、バリ先住民をスドラとした。

言語には、トゥリワンサの使う二種類とスドラの使うバリ語があり、相手によって使い分けている。

中部ジャワのジャワ人が使う言葉にトゥリワンサの使う単語が含まれていたり、スドラの会話にインドのヒンドゥー語が入っていて、興味深い。


今回の本題に入ります。

バリ人の屋敷は、バリの伝統的法則にそって建てられている。

家長の足のサイズや手のひらが物差しとして使われる。

法則がつくられたのは、マジャパイトの末裔が移り住んだ16世紀頃ではないか、と私は想像している。

マジャパイトの末裔の影響を受けなかった村(バリアガ)の屋敷は、その限りでない。
*バリアガ:https://informationcenter-apa.com/kb_bali_aga.html

Umah2.jpg
「バリ島ウブド 楽園の散歩道」地球の歩き方 Gem stone

バリ人の屋敷は、このレイアウトに基づいて建てられている。

屋敷を訪れる機会があれば、見学させてもらっうことをおすすめします。

Umah1.jpg

棟には、それぞれを役目があり、呼び名も違う。

全体の名称を、復習しましょう。

*アンクル アンクル(Angkul Angkul)=屋敷門
Umah3.jpg

*アリン アリン(Alin Alin)=魔除けの壁
Umah4.jpg

*ジナン(Jineng)=米倉
Umah5.jpg

*バレ ダギン(Bale Dagin)・グリヤとプリはバレスマンゲン(Bale Semanggen)=儀礼棟
Umah6.jpg
通過儀礼(子供の誕生日儀礼、結婚儀礼、歯を削る儀礼、葬儀礼など)を行う棟

*ムラジャン(Merejan)・スドラはサンガ(Sanggah)=屋敷寺
Umah7.jpg

*バレ ダジョー(Bale Daja)・グリヤとプリはグドン(Bale Gedong)・スドラはムテン(Meten)=家長の住む棟
Umah8.jpg

*バレ ダウ(Bale Dauh)・グリヤとプリはバレ ロジ(Bale Loji)=家族の住む棟
Umah9.jpg

*ナタラン(Nataran)・スドラはナタ(Natah)=内庭

*パオン(Paon)・グリヤとプリはプラントゥナン(Perantenan)&パワレガン(Pawaregan)=台所
家族一同で食事を共にする習慣がないので、台所はあるが食堂(ダイニング)はない。
朝一で作られた食事を、各人が好きに時間に好きな場所で、サッサとすませる。

動画でご覧ください!



*ウブドに絞り込んだ、ものすご〜くマニアックなYouTubeをやっています。
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2023年01月31日

屋敷内にあるバリ料理のワルン(487)

バリ人の家は、日本の一般家庭の家に比べて広いんですよ。

私が長屋住まいだったからそう、感じるのかもしれませんが。

幅15〜20メートルもあり、奥行きは大きなところは50メートルほどある。

ウブドが特別かもしれません。

そんな広い土地に、伝統的配置で各種の棟が緑の中に点在している。

そんなスケールから、私はバリの家を家と呼ばず「屋敷」と表現するようにしている。

バリ人の屋敷には、必ず屋敷寺がある。

屋敷寺は敷地内の山側と言われる方角(ウブドでは東か北)に建っている。

北側に面した道路に門があれば、屋敷寺は道路沿いあり、南側に面した道路にあれば、屋敷寺は屋敷の奥にある。

Umah.jpg

伝統的家屋は、家主の住む棟、その他に家族の棟、儀礼棟、台所棟、屋敷寺などが個別に建てられて点在している。

バリの屋敷は、私から見ると異質な形態だと言える。

日本のように、ひとつ屋根の下で家族が生活するというシステムでなく、いくつもの棟が集まって屋敷となっている。

棟の一つひとつが、ある役目を持った建てられている。

一棟全家族が寝起きするということではない。


こんなレイアウトを利用して、ワルンを経営する屋敷が増えてきている。

日本で古民家をレストランい改造していたり、マンション・カフェは聞いたことはあるが、自宅でレストランを経営するということは、あまりない。

屋敷入口にワルンを開店して、忙しくなると屋敷内のテラスを客席として解放する。

いつのまにか屋敷内も店舗と化して繁盛している、ワルンを何軒か知っている。


今回紹介するのは、初めから屋敷内で営業しているワルンです。


B「A Local Home Warung=Warung Tradisi」

北ゴータマ通りに、「IN DA COMPOUND HOME FOOD」以外にもう一軒、屋敷内にあるバリ料理があった。

屋敷のテラスと建て増しした建物のワルン。

ナシ・チャンプール+インドネシアティ=Rp62,000-




A「IN DA COMPOUND HOME FOOD」

北ゴータマ通りのウブド大通りに近い、6番地にある屋敷。

ホームステイとワルンを経営している。

屋敷棟と宿棟を通り過ぎて、ワルンは一番奥地にあった。

ワルンのようでワルンじゃない、屋敷のテラスじゃないテラス席。

妙に落ち着く空間だった。

ナシ・チャンプールRp40,000-

インドネシアティRp16,000-

「IN DA COMPOUND HOME FOOD」


@「 SUN SUN WARUNG」

バリ伝統建築の屋敷内の建物を、そのまま利用してのワルン。

満席で動画が撮れずに、写真でゴメン。

ツーリスト向けで、料金はちょっと高め。

私には、落ち着かない店だったので、早々に退去。




バリの伝統的家屋を見学しながらの食事も、ウブドならではかもしれませんね。

是非、一度体験してみてください。


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2023年01月28日

健康飲料水「Cap Kaki Tiga」&「Cap Badak」(486)

たびたび質問のあるインドネシアの国民的健康飲料水。

「Cap Kaki Tiga」&「Cap Badak」

Kaki Tiga1.jpg

チャップ・カキ・ティガは、チャップ=しるし、カキ=足、ティガ=三で、三脚印。

チャップ・バダックは、チャップ=しるし、バダック=サイで、サイ印。

同じ形状のプラスチックボトルだが、販売元は違い、チャップ・カキ・ティガはPT.Kino Indonesia、チャップ・バダックはPT.BINDE BUDI SENTOSAである。

ボトルには、どちらも「LARUTAN=ラルタン」の名称が記されている。

グーグル翻訳では、ラルタンは「解決」とあった。

Panas Dalamに効くと聞いているが、パナス・ダラムの意味がわからない。

飲んでみましたが、アクア同様に無味無臭。

果たしてこれで効用はあるのかと疑問が湧く。

創業はわからないが、30年以上前から販売されていることは、私自身が確認している。

長期的に愛用されているということは、それなりの効果があるということだろう。

効用・効能とは記されていないが、どちらも身体の熱っぽい時に飲むと熱をやわらげとあるから、これがPanas Dalamのことか。

サリアワン=SARIAWAN(口内炎)の緩和にも役立つとある。

大きさは、大(Rp7,900-)、小(Kaki Tiga Rp4,100-/Badak Rp3,900-)。

Kaki Tiga2.jpg


アルミ缶も販売している。

アルミ缶(Kaki Tiga Rp6,900-/Badak Rp6,800-)には、オレンジ、メロン、グレープ、ストロベリーなどの味がある。

次の機会に試飲してみます。

Kaki Tiga3.jpg

Kaki Tiga4.jpg


友人は「バビグリンを食べた時の胸焼けにも良いですよ!」と言っていた。

もし、あなたが身体が熱く感じたり、胸焼けをした時に、試してみてください。

試飲の結果を報告してもらえれば嬉しいです。


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2023年01月22日

「ウブド公設市場」2023年3月完成予定・間に合うかな!(485)

買い物をしない人には、訪れる機会がない場所「ウブド公設市場」。

2階建てが数棟、客の導線を考慮にいれず無秩序に建っている。

通路は狭く、個店が迷路を作るように軒を列ね、迷宮に迷い込んだようだ。

売り子が掛ける声につられて買うも良し、雑然とした光景を楽しむのも良し。

生鮮食品の朝市(パサール)は、早朝の4時頃から昼頃まで、パサール・スニと呼ばれる土産物店は、6時前後に閉店する。


ウブド公設市場が、新築工事をしていることをご存知の方は多いと思います。

2023年3月の完成予定となっています。

どんな建物になるか、気になるところ。

2022年2月3日に撮影した、取り壊される運命の建物を見ていただきたいと思います。

「Pasar Umum Ubud(ウブド公設市場)解体直前を徘徊!@Bali」




それでは、工事の進捗具合を報告したいと思います。

2022年2月1日から、解体工事に入ると聞いている。

完成予定は1年後。


2022年3月22日

解体工事始まった。

建物内の店舗は、すでに退去済み。

朝市は、2022年1月31日からスゥエタ通りの公営駐車場に移動している。

1.jpg

2.jpg


2022月4月11日

すっかり撤去されました。

3.jpg

4.jpg


カルナ通り(Jl.Karna)に抜ける道も設けられているようです。
5.jpg
2022年10月2日

6.jpg
2023年1月19日


新築工事の進捗状況確認にまいりました。




YouTubeに届いたコメントを掲載します。

*かなり近代的な市場になりそうですね。
余計に値切れなくなりそうw
私がバリに通っていた頃からウブドの市場は高ったので、仲良くなったイブのお店か時々べモでギャニャールの市場に行っていた。
広場に新鮮な果物等を売る朝市が立ったらいいですね。

*わぁーすっかり素敵な市場になりそうですね土の所がコンクリートになってて何だか簡単に値切れない感じになりそう(笑)

*随分立派ですね〜。(⁠✯⁠ᴗ⁠✯⁠)
新しい観光スポットになるのかな。
クタにある免税デパートみたいにみえる。

*お寺とあの大きな木はそのまま残っていてうれしいです
ご綺麗なパサール、魅力薄れる気がするけど、その反面、綺麗なトイレができたら助かるななんて思ったり、自分勝手ですね
3月完成するか否か、完成するの方のオッズ、めっちゃ高くなりそうな気がします

*トイレは館内にできるはずです。あとは管理ですね。
ムランティン寺院はパサールの神様だから外せない。
大きな木は、葉っぱが儀礼に使われるので切り倒せない。
そんなことで、辛うじて往時をしのばれる景色が残りました、とさ。

*あのサヤンのセンゴールみたいな「ワクワク、ドキドキ」感は無くなるねえ。
アジアの市場の雰囲気、好きだったけどなあ。

以上、コメントご協力、ありがとうございます!
次回の動画は、ウブド公設市場の完成した姿を報告する予定です。
お楽しみに。


2015年12月25日:撮影のウブド公設市場(Pasar Umum Ubud)


2022年2月16日:「伊藤博史のブログ|生涯旅人」
「ウブド公設市場(Pasar Umum Ubud)・解体直前を徘徊!(407)」
http://itosan-ubud.seesaa.net/article/485633715.html


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