2024年11月15日

34年間付き合ってきた「ウブドの伊藤」を返上!(550)

私のウブド生活は、1990年5月7日から始まった。

その時の話は「ウブドに沈没https://informationcenter-apa.com/ubud-chinbotu.html」が詳しい。

滞在は長期となり「ウブドの重鎮」とか「ウブドのレジェンド」と呼ばれるようになった。

ただ長く滞在しているだけの称号です。


ウブド長期滞在34年間を振り返る今日この頃。

初体験づくしのウブドの生活は、刺激的だった。

毎日が楽しかった。

ウブド好き日本人に恵まれ、たくさんの好意を受けて生きながらえた。
慕ってくれた人がいれば、嫌う人もいる。

同じような長期滞在者には、目障りな存在にもなっていただろう。

私より以前からバリに関わっている人の情報には、敵わない。

バリ人と結婚して住んでいる日本人女性に、知識は追い越されていく。

この頃、私の役割も薄らいできたと感じるようになった。


お金に困ること見なく、時には、バリの神に守られていたかのように運良く生き延びてきた。

コロナ禍は、さすがに神様も手を差し伸べてくれなかったが。

そろそろ引き揚げどきが来たかと2024年10月に、バリ島ウブド村を去ることにした。

「ウブド村帰郷記」は、今回で終了となります。

次にお会いするときは、どんな展開になっているか楽しみです。

長い間、お付き合いありがとうございました!
posted by ito-san at 17:35| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年10月13日

まともな人生を送ってこなかった男の末路だ!(549)

終活は、日本で生活保護を受けようと考えている。

まともな人生を送ってこなかった男の末路。




42歳まで名古屋市暮らし(1947〜1990)。

42歳から34年間のウブド暮らし(1990〜2024)。

「バリ島滞在記・ウブドに沈没」https://informationcenter-apa.com/ubud-chinbotu.html

77歳の喜寿になって老後の暮らしを考える。


ウブドの伊藤に終止符を打って、日本に戻ることを決めた。

野垂れ死ぬ覚悟で日本を脱出したが、死に切れずに帰国。

希望は、象に踏まれて死にたかった。


私のウブド滞在は、観光客の長期滞在と考えていた。

長期に滞在して国籍が取れたとしても、日本人の私がバリ人には決してなれない。

バンジャール(最小単位の集落)の一員になれたとしても、バリ人気質は体得できない。

奉納舞踊に出演させていただいても、信仰心を理解することは難しかった。

「神々に捧げる踊り」https://informationcenter-apa.com/hounou.html

そんな諦めの境地から、常に観光客目線で観察することにしている。

信仰・慣習・芸能など、観察することは豊富にあり、それはそれは楽しかった。



コロナ禍の自粛規制からだろう、私の生活習慣が変わった。

やることがなくなってしまったのだ。

出かけて行くフットワークも悪くなった。

興味が希薄になったのかもしれない。

そんなことで、朝から晩まで寝てしまう。

これは老人化だ。

老後は日本で温泉巡りを楽しみたかった。

残念だが、金欠でその楽しみも叶わなくなりそうだ。

帰国して、生活環境が変われば、興味を持って動き回るかもしれない。

寝ることも大切だが、起き上がって動くことも重要だ。

さて、これからどんな生活が待っているのか楽しみにしている。
posted by ito-san at 17:58| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年09月20日

チャロナラン舞踊劇の見納めは、リノさんの魔女ランダで!(548)

リノさんからメッセージが届いた。

ケチャの踊り手として有名なテガス・カンギナン村のリノさんだ。

9月5日から17日まで続く、オダラン(寺院祭礼)の奉納舞踊スケジュールだった。

スケジュール.jpg

今回のオダランは、大祭なので、連絡をくれたのだろう。

16日のチャロナラン舞踊劇で、魔女ランダをリノさんが演じると誘っている。

久しくオダランに参列していないが、日本本帰国も近いことだし、チャロラナンの見納めにいい機会かもしれない。

スケジュール表には、開演午後8時とある。


9月16日

テガスカンギナン村に、8時30分に到着した。

見納めだから、最初から最後まで鑑賞する意気込みでいる。

と言いながらも、バリ時間のことだからと30分の遅刻。

小さなオープンステージは、すでに満員。

オープンステージは、ケチャの会場になるスペースで、客席はコの字型の階段状になっている。

ガムラン隊はすでに陣取っていた。

オダラン期間限定の祠が建てられて、ステージはさらに狭くなっている。

この寺院では、1998年にオープンステージと境内で、一度ずつ奉納舞踊をさせていただいた。

どちらも反省点の多かった、踊りだったのを思い出す。

もうリベンジも叶わない。

「神々に捧げる踊り」https://informationcenter-apa.com/hounou.html


オープンステージでの鑑賞はあきらめて、外に設営されたスクリーンで観ることにした。

スクリーン.jpeg

午後9時開演は、予定どうりか。

御神体バロンが五体奉納舞踊された。

「聖獣バロン(barong)」
https://informationcenter-apa.com/gk_barong.html


テレックの群舞で、チャロナラン舞踊劇が始まった。

テレック.jpeg

テレックが退場すると、一幕の終了。

二幕は、女官が登場し物語を進行していく。

お姫様と魔女チャロンアランが加わって、物語は展開する。

人気のお笑い三人組が会場を沸かす。

写真を撮ることを忘れるほど、面白かった(言葉はわからないが)。

このあといくつかの幕があるが、説明は省略。


チャロナラン劇のクライマックスは魔女ランダの登場だ。





時間は、深夜1時をまわった。

チャロナラン劇は、まだまだ続く。

奉納舞踊を全編鑑賞する気力・体力がなくなってから久しい。

今回は、最後の鑑賞とになるだろうとの思いで、終了まで残ることにしている。

まずは、腹ごしらえ。

個人的小休止でサテ・バビを道端で食べた後、アクアを買いに。
ワルン.jpeg

ステージでは、シシアンの舞踊が始まった。
シシアン.jpeg

大臣と魔女ランダの終わりなき戦いが終わる。

深夜3時:ススオナンが火葬儀礼が行われる寺院に向かった。

村人が後ろをついて行く。

久々の6時間全編の鑑賞でした。

物語のあらすじは、ここでは説明しないので、それぞれで検索してください!

posted by ito-san at 21:12| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年09月02日

ウブドに行ったら、ムルカット( Melukat)儀礼に参加するといいよ!(547)

バリ島では、伝統衣装(Pakean Adat)に身を包んだバリ人たちが海岸(スガラ=Segara)や川の合流点(チャンプアン=Campuhan)、滝やパンチョラン= Pancoran( パイプから流れ落ちる湧き水)、ベジ= Beji (聖なる泉源)などに供物を持ってやって来て、沐浴する姿を見かける。

この沐浴は、ムルカット(Melukat)と呼ばれるバリ人の信仰するヒンドゥー・ダルマの儀礼であり、慣習の一つでもある。

ムルカット儀礼は、正装していれば観光客も参加できるので、人気の儀礼体験になっている。

供物やお香などが必要なので、できればバリ人の知人かガイドを同伴することをお薦めします。


マディ・クルトネゴロ氏と3月にお会いした時、氏が高僧プダンダの称号を手に入れたことを聞いた。

その時の話は、ブログ「34年目にして、マディ・クルトネゴロ氏と初対面!(529)」に掲載しています。
https://itosan-ubud.seesaa.net/article/502771426.html

今回のブログは、氏が著した小冊子「MELUKAT」を参考に、ムルカット初心者の心得をまとめてみた。

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ムルカットはカウィ・バリ語で、浄化する意味のルカット(Lukat)に由来している(バリ語:Ngicalang)。

無駄な知識かもしれないが、ムルカットに参加する人のことをプナンキル(Penangkil)と言うらしい。

これは、聖地に来るという意味のナンキル(Nangkil)が語源だと言う。


ムルカットは、冒頭に列挙した神聖なる自然の中や、高僧の屋敷グリオ(Griya)で、僧侶プマンク(Pemangkuka)や高僧スリンギ(Sulinggih)から聖なる水ティルタ(Tirta)によって清められる。

ヒンドゥー・ダルマの精神的な活動であり、古代から存在する「魂と心の浄化」を目的とした儀礼で、思考と感覚を清らかに戻します。

特に、ダサ・マサ=Dasa Masaを除去することができる。

ダサ・マサには、次の10種類の不適切な性質がある。

1)Tandri:怠け者
2)Kleda :先延ばしにするのが好き
3)Teja:暗い考え
4)Kulina:人を侮辱したり傷つけたりするのが好き
5)Kuhaka:頑固
6)Metraya:傲慢で嘘つき / 誇張する
7)Megata:残酷
8)Ragastri:姦淫(かんいん)
9)Bhaksa Bhuwana:他人を困窮させるのが好き
10)Kimburu:浮気が好き

不調和、長期の病気、深刻な人生上の問題、不幸、悲しみ、不運、常に悪夢や黒魔術を感じている人々にも、ムルカットは行われます。


バリの暦に基づいた、特別ムルカットに良い日があります。

プルナマ=Purnama(満月)、ティルム=Tilem(暗月・陰月)、カジャンクリオン=Kajeng kliwon(15日に一回巡ってくる)、バニュピナロ=Banyu Pinaruh(サラスワティ=Saraswatiの翌日)などです。

この日以外でも、いつでもできるのがヒンドゥー・ダルマの良いところ。

もっとも重要なことは、プナンキルの心の準備です。

心の準備ができていれば、必ず、良い結果が得られるというわけです。

時間は、朝、午後、夕方に行われる。

新鮮なエネルギーの発する朝が、最もよい時間帯だとされている。

ムルカットの場所では、SekalaとNiskala、または目に見えるもの(現実世界)と目に見えないもの(超自然的なもの)のエネルギーが強いので注意しよう。

これには、無の境地で対処するしかないですね。

私なんかは、なんちゃってヒンドゥーなので、やりたい日時に勝手に瞑想的なムルカットしています。

と言っても、正式のムルカットに立ち会えれば、それ以上に満足感を味わえることは間違い無いです。

グリオでの個人的なムルカットは、儀礼を行う日の決定、特別な供物の準備などがあるため予約が必要になります。

通訳同伴でないと、スリングからのありがたいお言葉も無意味になってしまうので、ご注意注意です。

着替えも忘れずに!



高僧マディ・クルトネゴロ氏推薦のムルカット場8選。

1)ティルタ エンプル・Tirta Empul(Tampaksiring, Gianyar)

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バリでもっとも人気のあるムルカット場。

肉体的、および精神的な不純物を浄化し、マラ(不運 / 悪)を取り除くことができると信じられている。

泉が湧き出る話は、古代史「極楽通信・UBUD / プクリサン川の神話」https://informationcenter-apa.com/kb_pekerisan.htmlをご覧ください。


2)ムングニン・Pura Mengening(Desa Pakraman Saraseda, Tampaksiring, Gianyar)

10個の泉がある寺院で、観光客はその一つを利用できる。不眠症を解消する泉があると聞いている。




3)スバトゥー・Pasiraman Pura Dalem Pingit(Banjar/Desa Sebatu, Tegalalang, Gianyar)

心の汚れによって引き起こされる、さまざまな病気を治療できると信じられている。

魂が汚れていると、滝の水が濁ると言われています。時々、トランス状態で嬌声をあげている人を見かけます。

ムルカット場は、深い谷底にあるので体力に自信のない方は遠慮した方がよろしいようです。




4)ティルタ スダマロ・Pancoran Tirta Sudamala(Desa Sedit, Bebalang, Bangli)

デワタ ナワ サンガ(Dewata Nawa Sang)と呼ばれる高さ約3.5メートルの9つのパンチョランが有名です。

神秘的なものによって引き起こされるさまざまな病気を治療すると信じられており、黒魔術の力をすべて溶かし体内の汚れマラを消すことができる。

3つのパンチョランから始まり、デワタ ナワ サンガ、最後に3つのパンチョランと進みます。

プマンクにマントラを唱えてもらうことができます。




5)テガル ワジャ・Pura Telaga Waja(Banjar Kepitu, Desa Kendran, Gianyar)

碑文や古代ロンタルに記載されている寺院で、一番左のゴア(洞窟)は14世紀、高僧ダンヒャン・ニラルタが住んでいたと場所と言われている。


6)パンルカタン デダレン・Panglukatan Dedaren(Banjar Gria, Bangli)

デダレンとは天使という意味。内面の美しさを目覚めさせる場所と信じられている。


7)パンルカタン スラティ・Panglukatan Selati(Desa Bunutan, Bngli)

8)Pancoran Solas Ring Taman(Bangli Bunutan, Bangli)

9)Pura Luhur Tamba Waras(Tabanan)


参考になりましたか?

この他にもムルカット場は、たくさんあります。

情報をキャッチして、自分に適したムルカット場を見つけてください。

スラマット・ムルカット!

最後に、伊藤さん推薦を一つ足しておきます。

Bali・Pura Tirta Harum ・Melukat @ Bangli

posted by ito-san at 19:47| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年08月15日

バリ島のホームステイって、どんなところ?(546)

1990年、ウブドで最初に泊まった宿は、カジェン通りの1番地「ロジャーズ・ホームステイ」だった。

ロジャーさんの民宿という意味だ。

ウブドの民家の多くが、ホームステイを営んでいる。

門や塀に、宿を商っているとわかる小さな看板が掛かっている。

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ガイドブックに載っていたので、泊まることにした。

当時は、電話も普及していなかったので、直接訪問だ。

現代はインターネットの普及で、高級ホテルから格安ロスメンまで、予約サイトで簡単に申し込みができる。


ところで皆さんは、ホームステイと言うと、どんなイメージをお持ちですか?

アメリカやオーストリアなどの語学留学に見られるホームステイを思い浮かべるでしょう。

私もそうです。

大きな屋敷の裕福な家族が、海外からの留学生や旅行者を迎え入れ、長期で部屋を貸す。

一つ屋根の下で、世話になるホストファミリーと一緒に、ダイニングで食事をしリビングでくつろぐ、家族ぐるみで付き合いだ。

家族との密なつきあいをすることで、その土地の文化や言語を習得する。

私のホームステイの認識は、こんなところだ。


それでは、ウブドのホームステイは、どんな感じか?

まず家の形態が違っていた。

これは私の常識を覆す、最初のカルチャーショックだった。

一戸建てではないのだ。

日本の家屋は、一つ屋根の下で、寝室、茶の間、食堂、台所、トイレ、風呂などが廊下で繋がって配置されていて、庭や駐車場がついている。

バリの場合は、青天井の敷地内に、それぞれの役割の棟が点在している。

これはバリ人の信仰するヒンドウー・ダムモの寺院も同様で、他の宗教のような建物を持っていない(キリスト教徒の教会、イスラム教のモスクetc)。

一番大事な家寺、儀礼が行われる棟、家長の住む棟、家族の住む棟、台所、トイレなどが伝統的なレオアウトで配置されている。

共有空間と個人空間が、屋根のない敷地内に形成されているのだ。

一つ屋根のない一軒家と考えれば、ホームステイに違いない。

私は家長の住む棟で、長期宿泊していた。

ウブドでのホームステイの宿泊は、日々繰り広げられるバリ人の信仰や慣習を垣間見ることができるのが、特権だ。

本人の気持ちしだいで、ホームステイの家族との親交を深めることも可能です。

宿として機能しているので、一泊でも滞在できます。

ホームステイで、リゾートとは違ったウブド体験をお勧めします!


■バリ伝統的屋敷の名称とレイアウト@スバリ村(488)
https://itosan-ubud.seesaa.net/article/498092242.html

家長の住む棟は、カースト外はムテン(Meten)、カーストを有する家ではバレ・ダジョー(Bale Daja)、グリヤ(高僧階層の屋敷)とプリ(王族の屋敷)はバレ・グドン(Bale Gedong)と呼び分けられている。


バリのカースト(kasta=階層)
https://informationcenter-apa.com/kb_kasta.html


このレイアウトは、ヒンドウー・ダルモの宇宙感から来ている。

ブアナ・アグン(大宇宙)とブアナ・アリット(小宇宙)。

ブアナ・アグンは、バリ島の山側の聖浄な方角、海側の不浄の方角、中間に人々の営みのあるバリ島のこと。

ブアナ・アリットは、聖なる方角に家寺、不浄の方角に台所&トイレ、その間に家族の生活がある。

屋敷はこの基本レイアウトを壊さずに、ツーリスト向けの棟を建てて宿にしているのです。


ロスメン以外の宿泊施設の名称には各種ある。
その話は「極楽通信・UBUD」70「ウブド・ホテル事情」で。
https://informationcenter-apa.com/gt_hotel.html

posted by ito-san at 23:13| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年08月11日

ウブドの交通渋滞を考える!(545)

2023年5月、WHOは新型コロナウイルス緊急事態宣言の終了を発表した。

世界中でコロナの蔓延し、インドネシアは海外からの人の流れが自粛された。

ウブドの観光客が訪れなくなったのは、2020年3月ころからだ。

あれから、4年。

シャッター街と化した閑古鳥の鳴くウブドに、観光客が戻り、通りに活気が出てきた。

散策する人々の姿が見え、バイク、自動車も増えてくる。

日に日に賑やかくなるウブドを見て、嬉しかった。

渋滞さえも嬉しくて、ウルウルした。


2024年8月現在、ウブドの自動車渋滞は日増しに激しくなっている。

今度は、閑古鳥だった頃のウブドを忘れて渋滞を嘆くようになる。

人間って勝手なものだ。


今回は、ウブドの自動車渋滞について考えてみた。

渋滞の原因は、いくつも挙げられる。

バリには、特有の渋滞がある。

ウパチャラ(儀礼)渋滞だ。

寺院祭礼や火葬儀礼の行列です。

これについては諦めるより仕方がないだろう。



交通渋滞の原因は、道路の車両対応がなされていないままに自動車が増えたことだ。

自動車が増えた原因は、バリ島民が裕福になったからだろう。

これは世界各地で起こっていることかもしれない。

それに加え、ウブドは特殊な原因がある。

観光地として人気が上昇続けているウブドに、大勢の観光客が訪れる。

旧態依然の道路状況に、増え続ける自動車は過密状態。

道路は、拡張できる余裕がない。

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大型バスがウブド内に乗り入れていた時期には、乗客の乗降時に渋滞を巻き起こしていた。

これは滞在する欧米人を中心にした「大型バス乗り入れ反対」運動が盛り上がり解決した。

各所に小さな看板が立ち、数件のカフェで無料ステッカーが配られた。


ウブド公設市場の新築工事にあたって、こんな妙案が出た。

大駐車場完備の市場をウブド南部のシンガカルタ村に、新設しようというものだ。

ウブド市場出店者に対する工事中の救済と、渋滞対策の一環として、観光客バスを駐車させ乗客はシャトルバスでウブドを往復する計画。

残念なことに出店者が集まらず、頓挫した。

蛇足だが、出店者はウブド内の小道(カジェン通り、アルジュナ通りetc)で露天を広げて現在に至っている。

「ウブド公設市場」2023年3月完成予定・間に合うかな!(485)
https://itosan-ubud.seesaa.net/article/497210182.html


モンキーフォレスト通り、ハヌマン通り、デヴィシータ通り、ウブド大通りが全面駐車禁止になり、渋滞は緩和されてきてはいる。

ウブド全域駐車禁止を考察する(180)
https://itosan-ubud.seesaa.net/article/456396088.html


しかし、まだまだ渋滞は続いている。

四六時中渋滞しているわけではなく、スムーズに流れている時もあるのです。

日々、渋滞の原因が違っているようだ。

朝夕には、登下校&出勤ラッシがある。

グラブ・カー、ゴーカーの普及も原因の一つだと言われる。

駐車料金を払うのを惜しんで、街中を流す車が増えているのだ。


ボトルネックになっている交差点がある。

プンゴセカン通り+ニュークニン通り、プンゴセカン通りガソリンスタンド+テガス、モンキーフォレスト通り+デヴィシータ通り、ウブド変則十字路、ウブド大通り+ビスマ通りなどだ。

ボトルネックは、交通整理の警察官が出ると、渋滞は解消される。


交差点に信号機を付ければ、という意見もあると思います。

ウブドの信号機第一号は、2001年11月設置のアンドン交差点。

二号機は同時期に、テガスの交差点。

テガスの信号機は、すぐに取り外された。

信号機だとかえって渋滞していたので撤去され、警察官による手信号になった。

それ以来ウブドには、アンドン交差点の信号機だけとなっている。


渋滞は、それぞれの原因が複合しておこしているような気がする。

駐車の車がなくなり、通りの渋滞はなくなったが、駐車場が不備なので自動車で来ている人は大いに困っている。

この問題も解決しなくてはならない。

たくさんの説があり、特定できず、解決策も見つからずです。

今回は情報過多で、いつもより更にうまくまとめることができませんでした・とさ。


ウブドの交通渋滞緩和の将来は?(79)
https://itosan-ubud.seesaa.net/article/440647554.html

ウブド全域駐車禁止?!(172)
https://itosan-ubud.seesaa.net/article/455757565.html

posted by ito-san at 20:07| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年08月05日

クラウドファンディング終了(8月1日23時59分59秒)のお知らせ!

「スアール・アグン応援クラウドファンディング」への皆様のご支援に大変感謝しています!

おかげさまで、目標の80%を超えました。

少し不足分はあるものの、予定していた計画は全て行なうこととなります。

リターンの件ですが、

2500円コースの方へは、お礼のメッセージと、撮り下ろしウブドの写真を8月中にお送りします。

5000円以上の方へは、MP3やハイレゾ版のダウンロードリンクを8月中にお送りして、コンテンツへのログイン方法等は9月末までにお送りします。

動画インタビューのロングバージョンは、コンテンツ完成以後、1年以上に渡って随時お送りします。

クラウドファンディングは終わりましたが、まだまだお付き合いは続きます。

今後とも宜しくお願いします。


実行委員会
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2024年08月02日

ブサキ巡りのバスは走る!(544)

1.jpeg

ウブドに滞在して34年。
ご存知のように、バリ人はインドを起源とするヒンドウー・ダルモを信仰している。

霊峰アグン山の中腹にある、ブサキ寺院を総本山として参拝する。

ブサキ寺院の創立祭は、サカ暦にクダソ月の満月(Purnama Sasih KADASA)から11日間続く。

(サカ暦:https://informationcenter-apa.com/kb_saka.html

滞在始めた当初は、私もブサキ寺院の寺院祭礼には参加した。

ブサキ寺院に関しては、それぞれで検索してください。


2.jpeg

今回、ウブドを訪れている友人からブサキ寺院参拝の誘いがあった。

年内に本帰国を考えている私にとって、嬉しい誘いであるので、参加することを即答した。

1998年にプナタラン・パンデ寺院の奉納舞踊で訪れて以来だ。

(神々に捧げる踊り:https://informationcenter-apa.com/hounou.html

まさに26年ぶり。

最後に素晴らしいチャンスに恵まれた。

友人に感謝!




それにもう一つ、検分しておきたいことがあった。

ブサキ寺院は、1年前(2023年)に大駐車場が完成し、参道も整備されたと聞いている。

なんと、駐車場から寺院前までは(老人・障害者優先で)シャトスバスに乗れると言う。

そう、老人の私は、優先で乗れるのだ。

嬉しくて、「岬めぐり」の替え歌を口ずさむ徘徊老人伊藤でした。

友人とガイドのカデさんは老人じゃないのに、乗れましたよ。




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2024年08月01日

バリ旅行の楽しみ方のひとつに、習い事をするというのがある(543)

ウブドに滞在して、習い事をする観光客は多い。

ガイドブックには「伝統文化に触れる」と小さく取り上げている。

観光客が訪れ始めた1990年頃は、舞踊・ガムラン・バリ絵画・彫刻・バティックなどが主だった。

その後、バリ料理・供物(チャナン)作りなどのバリの日常的なものが加わっていく。

私が主宰していた「アパ?情報センター」では、上記以外にバナナ紙作り・ヤシ砂糖作り・ジャムー作りも開催していた。


個人レベルだったワークショップは、年々、文化教室のように各種教室を開催するところを現われた。

アルマ(アグンライ美術館)の文化教室は、舞踊・ガムラン・バリ絵画・彫刻・バティック・供物作りがある。

レストラン ・ラカレケ」は、定番の舞踊・ガムラン・彫刻・バリ料理に加えて、エッグペインティング・ペーパーペインティング(塗り絵)・コースター編み(ロンタル)・凧作りなどユニークなワークショップがある。

伝統文化以外だと、スパのセラピスト養成所(これは趣味というよりは起業しようと考えている人が参加しているようだ)。

インドネシア語教室。

陶芸教室。

海岸部では、サーフィン教室があります。

この他にも多種あると思いますが、私の知る情報はこんなところです。


最近のワークショップは、シルバー彫金教室が目立つ。

ウブドではこれまで「スタジオ・ペラ=Studio perak」が、唯一で人気だった。

それがこの頃、やけに、シルバー彫金のワークショップの店が増えている。

どこも外人客でいっぱいだ。


今回は「Parallel Universe」のシルバー・ワークショップを紹介したい。

パラレル・ユニバースは、プンゴセカンの集合店舗ガーデン内にある。

作りの始まりから完成まで、ジュエリー作りの完全な体験の旅に乗り出し、自分だけの大切な作品を持ち帰りましょう。

バリ島の伝統的なジュエリー ワークショップは初心者を念頭に置いて設計されており、すべての参加者が歓迎される環境が確保されています。

2.5 時間のコースで、ジュエリー作りに欠かせない基礎および中級レベルのスキルを習得できます。

ワークショップは主に英語またはインドネシア語で行われますが、ご要望に応じて中国語を話す方には中国語でのサポートもご利用いただけます。

創造性が無限に広がる、充実した体験にぜひご参加ください。(webサイドより)

予約制:1日3回(午前10時・午後1時・午後4時)

所要時間:2時間30分

料金:Rp500,000-(シルバー7グラム含む)

隣接のシルバーショップで、原石を選ぶ(加金)こともできる。

https://www.paralleluniversejewelry.com/

動画にしました。
ご覧ください。
カフェ・トピの食事風景は10分あるので、興味のない方(ほとんどだと思うが)パスしてもOKです。



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2024年07月08日

ウブドの繁華街から、ワルンが消えた(542)

衝撃的なタイトルでしょう!

モンキーフォレスト通りに、ワルンは皆無。

ローカルの町・プリアタン大通り、ワルン街道・トウブサヨ村スクマ通りには多数ある。

また、ウブド周辺の村にはワルンが残っているが、ウブド内で見つけることが難しくなっている。

ワルンはローカル専用、レストランは観光客にと色分けされたかのようだ。

ワルン派の私は、日々困っている。


ビスマ通りも皆無だと思っていたら、先日、友人がグーグルマップで人気のワルンを見つけてくれた。

この通りは、中級以上のホテルが多い地域。

社員食堂が準備されているホテルならいいが、ほとんどが設備されていないだろう。

この地域で働く人々は、きっとワルンがなくて困っていると思う。

コマネカ・ビスマの近くにもあると聞いたが、それにしても就業人口に比べて極端に少ない。

家から弁当持参の人もいるだろうが、ほとんどがブンクス(弁当)を購入しているようだ。

私は、ビスマ通りでは、ウブド大通りから入った学校の横手にあったワルンが一推しだった。

だったというのは、コロナ禍の頃から姿を消しているからだ。

他のワルンを探さなかったので、皆無と思い込んでいた。


今回は、友人が探してくれたワルンを紹介したい。

店名は「Warung Ning」。

グーグルマップで場所を確認してください。




店頭のショーケースで、ブンクスを作っていた。
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拡張したのか、思ったより店内は広かった。
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緑の風景から心地よい風が流れてくる。
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それではまとめた画像をお楽しみください。



写真提供は、Norikoさんでした。



お待たせしました。
皆様、お待ちかねの企画です!
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詳しくは、このプロジェクトのクラウドファンディングをご覧ください。

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アクセスはこちら。
https://camp-fire.jp/projects/view/756887

posted by ito-san at 14:46| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする