2020年06月16日

トルコの旅番外編・泥棒騒動 @ バンコク(6)

バリ島ウブドに戻る前に、タイ・バンコクに立ち寄る。

3日間ほど滞在する予定だ。

いつもはシンガポールでインドネシアのビザ取得するのだが、今回はトルコの旅で立ち寄りバンコクで取得した。

ビザ取得は、トルコに行く前に済ませてある。


バンコクの人気スポット、ウイークエンド・マーケットへ出かけるという前夜に、問題が起こった。

夜11時45分、ベッドに入る。

テレビは、BGMがわりにつけたまま。

枕元の電気スタンドを消し、ガラス窓を背にして横になる。

しばらくして窓の外で、カサカサとかすかな音が聞こえた、気がした。

隣の部屋との境あたりだ。

鳩でも、止まったのだろう。

部屋は4階にある。

いくら治安の悪いと言われるバンコクでも、4階の窓から強盗が入って来るとは思えない。

テレビを消して、再び横になる。

街のネオンが、窓外を明るくしている。

寝返りをうって、ガラス窓を背にした。

ウツラウツラと睡魔と戦っていると、背後で音が聞こえた。

気のせいじゃなく、確信した。

音がした方に、ゆっくり首を動かした。

窓のカーテンが、わずかに左右に揺れている。

室内に、人の気配はない。

厚手のカーテンの端は、手を引っ込めた形跡を残してめくれている。

粟立つものを身体に感じ、形跡を凝視した。

窓外で、何かが移動する気配。

まだ、潜んでいたのか。

ベッドを降りて、窓に近づき、カーテンを引いた。

ガラス窓が、40センチほど開いていた。

明らかに、何者かが侵入しようとしたようだ。

私は、窓から顔を出した。

あとから考えると、無防備な行動だった。

ウブドでの話が頭をよぎる。

それは、泥棒に入られた欧米人の長期滞在者が、殺された事件だ。

逃げる泥棒を追って窓を開けて、外を覗いた途端、窓の下で潜んでいた泥棒に、ナイフで喉を突き刺されたのだ。

窓の外には、80センチほどの庇が出て、隣とつながっていた。

懐中電灯で庇を照らす。

雨除けの庇に、エアコンの室外機が設置されている。

隣室との間は鉄柵があり、庇より10センチほど外に飛び出している。

渡ろうと思えば、出来ないこともない。

不思議現象でなければ、何者かが侵入しようとしたことになる。

私が気がついたので、逃げていっただろう。

泥棒は、未遂で終わったのだ。

人がいないのを見計らっての空き巣ならまだしも、寝込んだところを忍び込もうとしたのか。

もしそうなら、発見された泥棒は強盗に居直ったかもしれない、そう考えると恐ろしい。

何か無くなった物はないか、確認することにした。

明日のお出かけ用のリュックは、長椅子の上に置いてある。

しかし、リュックの上にあるはずのウエストバックが無くなっていた。

ウエストバックには、パスポートと幾らかの現金が入っていた。

床から80センチのところにある窓は、二枚開きの引き違い戸。

長椅子は窓側にある。

これはピンポイントで盗られている。

窓は、幅1メートル60センチに高さ80センチ。

頼りないクレセント鍵だが、壊れていなかった。

まさか4階の部屋に、泥棒に入られるとは想像もせず、鍵を閉めわせれたのかもしれない。

ここはタイのバンコク。

しかも、何があっても不思議でないカオサン街。

感心している場合じゃない、問題はパスポートだ。

ビザも取得し直さなくてはならない。

気が重い。


時計を見ると、深夜0時20分。

被害にあってから、いくらも時間が経っていない。

今なら、捕まえることができるかもしれない.

泥棒に入られたことを報告するために、1階のフロントに向かった。

小さなカウンターに、女性がひとりいた。

「泥棒に入られた」と告げると「あっ!」というような顔になった。

「そういうことがないように、大事な物はセフティ・ボックスに預けてください」

そう言われても、眼の前にあるロッカーを見ると、とても信用できる代物ではない。

彼女は、それがどうしたのという表情で黙り込んだ。

警察を呼んでくれと頼んでも「もう遅い、明日にしてくれ」と言う。

これまでにも泥棒に入られたことがある対応に思えた。

フロントの女性も、仲間かもしれないと疑ってしまう。

これ以上話しをしても、進展しないだろう。

パスポートを再発行してもらうためには、ポリス・レポートが必要だ。

カオサンにあるツーリスト・ポリスに行くことにした。

こんな事件は頻繁にある、警察は真剣に取り合ってはくれないだろう。

案の定警察は状況を詳しく聞くわけでもなく、現場を調べようともせず、書類ができると、どうぞお帰りくださいと言わんばかりに書類を押し出した。


ホテルには、各フロアーに防犯カメラを設置して廊下を監視している。

窓外は、盲点だ。

「あの部屋は怖いので、他の部屋にかわりたい」と頼んだが「駄目だ」とあっさり断られた。

「それならほかのホテルに替わりたいので、宿賃を返してくれ」と言うと、

「もう12時をまわっているので、泊まったことになる。だから返せない」これも拒否された。

今夜は寝ずに、明日の朝にホテルを替わろうと心に決めた。

やるせない気分で、部屋に戻る。

未練がましく、長椅子の後ろの窓を開け外を覗く。

一部始終を見ていただろう庇は、何の教えてくれない。

落ち着かない気持ちで、わたしは長椅子に座り、明日は日本大使館とインドネシア大使館に連絡をしなくてはと考えている。

3日後には、バリに帰える予定だった。

未練がましく、何度目かの窓を開ける。

「なんだこれ!!」と素っ頓狂な声をあげた。

クーラーの室外機の上に、プラスチック・カバーのついた小冊子が乗っていた。

手に取ると、正真正銘の私のパスポートだ。

パスポートが返ってきた。

大事な落とし物が返ってきた時には、こんな気分になるんだろうな。

狐のつままれた気分。

不思議な泥棒だ。

泥棒に感謝するのも可笑しいが、パスポートを返してくれて有り難う。

現金とウエストバックは、見当たらなかった。

一睡もすることなく、翌日はウイークエンド・マーケットに出かけていった。

皆様も、気をつけください。


posted by ito-san at 15:24| Comment(0) | トルコの旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月11日

トルコの旅・お世話になったあの方に!(5)

メルスィンからは、時計回りに岐路につくつもりでいた。

この先には、バムッカレ石灰華段丘、トロイの考古遺跡などの見所がたくさんある。

しかし、しかしだ。

観光してまわるには、懐がきわめて心細いのに気づいた。

無念だが、イスタンブールまで直通長距離バスで戻ることにした。

イスタンブールに戻ると、すぐにオマール君と再会した。

幸運にも、彼の参加するサッカー試合を見学することになった。

トルコは、かなりサッカー熱が高いと聞く。

金網に囲まれた小さなサッカー場で、活躍していた。

少人数で小さなグランドでするサッカー。

当時まだ、人気もなく、私はフットサルを知らなかった。

チマチマしたサッカーの見学は、幸運でもなかったかもしれない。

オマール君は怪我をして、早々に退場。

turkey0.jpg

オマール君とわかれ、バンコクに戻る。

トルコの旅は、これで終わる。

念願のカッパドキヤを訪れることができて大満足である。

皆様、お世話になりました。

最後に、素晴らしい笑顔の子供たちの写真を掲載させていただく。

みなさ〜ん、無断でゴメンなさい。

turkey3.jpg

turkey4.jpg

turkey5.jpg

turkey6.jpg

turkey7.jpg

turkey8.jpg

turkey9.jpg

turkey10.jpg

turkey11.jpg

turkey12.jpg

turkey13.jpg

次回は最終回です。

タイ・バンコクのホテルで遭遇した泥棒の話。

よほど腹がたったのだろう、かなり詳しいメモが残っていた。

それでは、最終回をお楽しみに。


posted by ito-san at 17:26| Comment(0) | トルコの旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月06日

トルコの旅・イスラム教割礼儀礼見学(4)

メルスィンのバスターミナルに、戻ってきた。

無事、オマール君にも会えた。

隣には、従兄弟だというトルコ人特有の濃い顔の男性がいた。

勘違いをしていなければ、昨日のうちに再会が果たせたのに、と悔やまれる。

彼らの車で、タルススの実家に向かう。

メルスィンは、メルスィン県の県庁所在地で港湾都市。

タルススは、メルスィンの衛星都市だろうくらいに考えていたが、検索すると古代ローマ帝国時代にはだったようだ。


車は、低層の家屋が並ぶ閑静な新興住宅街に入った。

そううちの二階建ての一軒家に、招かれた。

日本なら中流家庭に部類にはいる立派な建物だ。

記憶が薄くて、当時の状況が克明に説明できない。

バックパックを下ろすと、広い部屋に案内された。

部屋には、十数人々が床に腰をおろしていた。

男性は男性、女性は女性、子供は子供で固まっている。

トルコは、男尊女卑なのか。

床に広げられたビニール・クロスの上に、大きなパンとトマトスープの入った小皿がのっている。

皆んなそろっての昼食だ。

そこにいる人に見習って、片膝を立てた。

Tarsus1.jpg

Tarsus2.jpg
朝食はカーペットの上で


子供の泣く声が聞こえた。

儀礼が始まったようだ。

割礼は、男子の性器の包皮の一部を切除する、成年男子への通過儀礼の風習。

この日は、3人の男児の割礼が行われると聞いた。

部屋は、誕生日パーティのように煌びやかに飾り付けられている。

立ち込める匂いに抵抗を感じ、少し吐き気をもよおしたので、早々に部屋を出た。

今思えば、中途半端な想像と場の雰囲気がそう思わせたのかもしれない。

Tarsus3.jpg

施術が終わると子供たちは、手に杖、頭に冠、ガウンを羽織った王子様の正装で、元気に外へ飛び出していった。

大人たちの安堵の顔が見える。

しばらくして、屋外に誘われた。

テント屋根が設えられた住宅の一画に、軽食が用意されたテーブルが2列並び、男たちが歓談していた。

Tarsus4.jpg

スピーカーから声が流れてきた。

わたしには理解できない言葉だ。

今夜のイベント内容が説明されているのだろう。

オマール君に連れられて、音源に向かう。

広場に大きなテント小屋が張られ、シンセサイザーと琵琶に似たウドと呼ばれる民族楽器、アンプやマイクが用意されている。

楽団員が登場し、ウドの旋律がギターのような調べを奏で、軽快なトルコ音楽が始まった。

老若男女、全員が踊りだす。

皆んなで手を繋ぎステップを踏む。

トルコの伝統的な舞踊なのだろうか、それともこの地方特有の踊りなのだろうか。

全員が楽しそうだ。

Tarsus5.jpg

Tarsus6.jpg

音楽は延々と続き、踊り手も延々と踊る。

人生初のイスラム教割礼儀礼見学は、夜更けとともに終了した。

割礼儀礼は、ビッグイベント(祝宴)だった。

翌日は、大家族の遠足があった。

川が流れる公園に、ついて行った。

親類縁者の親睦を深める意味もあるのだろう。

おかげで、部外者の私も楽しい旅の思い出ができた。


■付録

ブログを仕上げるに、インドネシアのイスラム教の友人に割礼について、メールで聞いてみた。

簡単に説明してくださいと頼むと、こんな回答が返ってきた。

日本語の堪能な友人なので、原文のまま掲載します。

「割礼は元の目的は清潔の為です。

民族によって、割礼年がバラバラです。

スンダ族はだいたい7歳までにしますが、ジャワ族は中学生になる前、小学校生の時にする。

割礼方法は最近は医者でしてますが僕らの頃は割礼前の朝4時ぐらいに川に入って、麻痺させて、竹の川でチンポの先の皮膚を切る。

切った後に馬に乗せて、家に帰る。

家によってお祝い儀式が1日から1週間行う。

切ったチンポが乾くまでは数日ココナツの革を三日月の形にして、空気が入る様にサロンに挟む」

こんな赤裸々な言葉に、ビックリ。

「割礼しないと、罪になるのか?」と聞くと。

「ないけれど、イジメられバカにされる可能性あり」

「外から見ると残酷に感じるけど、イスラムの人は誇りに思っているのですね?」の質問には。

「はい、1人前の男のシンボルマークにもなる」

気になっていた、女性の割礼についても聞いてみた。

「ありますが儀式はない」

これ以上聞くのは、差し控えた。

機会があれば、インドネシアの割礼儀礼にも参加したいものだ。

posted by ito-san at 14:51| Comment(0) | トルコの旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月31日

トルコの旅・地中海の最東部の街 タルスス(3)

この日は、歩道に張り出して営業しているレストランで夕食をした。

隣のテーブルで食事をしていたグループの一人に、声を掛けられた。

流暢な日本語だった。

キリムのお店を経営している、オメール君。

恋人は日本人だという。

カッパドキアに行く予定だと話すと「実家で割礼儀礼があるから来ないか」と誘われた。

そうトルコは、イスラム圏だ。

割礼儀礼については賛成できかねるが、慣習としては見てみたい気もする。

オメール君の実家は、カッパドキアから少し足をのばすだけで行けるという。

急ぐわけでも予定のある旅でもないので、儀礼のある日を聞いた。

カッパドキヤに滞在した後に、訪れると約束をした。

長距離バスの買えるツーリストオフィスを紹介してくれた。

turkey1.jpg


行き先は、トルコ中南部の街・タシュジュ(この時は、そう思っていた)。

長距離バスは、ギョレメから南下する。

ガイドブック「地球の歩き方・トルコ編」を携帯しているので、詳しく知ることができた。

これを書いている手元にガイドブックがないので、曖昧な記憶で記載している。

ガイドブックを参考に、車窓の町々を確認する。

街の解説や見どころなどを読んだ。

メルスィン(Mersin)のバスターミナルでローカル・バスを乗り換えた。

バスは通勤客を乗降しながら、いくつかの街を通り抜ける。

タシュジュは途中下車だった。

私の乗ってきバスは、先の目的地に向けて急いだ。

降車した人の流れは、幹線道路を外れていく。

その流れに従って進むと、ロータリーに出た。

見回すと、商店の少ない閑散とした港街だった。

ロータリーの向こうには、大きな船が見えた。

タシュジュは、地中海の最東端にある街。

船着き場には、キプロス島行きの案内が出ている。

turkey2.jpg


迎えのオメール君の姿は見えない。

心細くなってくる。

しばらくして、オメール君から携帯に電話がかかった。

「今、どこにいるの?」

「タシュジュ」と答えると「違う、タルスス(Tarsus)だよ」と言われた。

通り過ぎた街だ。

どうやら私は、待ち合わせの街を間違えていたようだ。

タルススは、メルスィンの手前30キロ地点にある。

タシュジュは90キロほど先。

オメール君は、メルスィンのバスターミナルで一時間も待っていてくれたようだ。

今から、メルスィンに戻るのは時間が遅すぎる。

明日、早朝のバスでメルスィンに戻る約束をした。


今夜は、この街に泊まることになる。

視界に、宿らしいものは見当たらない。

ロータリー前にあるホテルは、時間が遅かったのか閉まっていた。

あたりはすでに暗い。

もう、決断するしかない。

ロータリーの芝の上で、一夜を明かすことに決めた。

芝生には、出航待ち人が横になっている。

野宿には、最適な場所だ。

こんな時には、昔取った杵柄が役に立つ。

と言っても、ホームレスをしていたわけではありませんよ。

ナホトカ航路発で帰路シルクロードという旅の経験者だからといって、自慢できる杵柄を持っているわけではない。

アムステルダムでは、川に繋留されていた船に潜り込んで寝た。

早朝、船主に追い出された。

チューリッヒでは、駅前で寝た。

ホームレスのおじさんたちは、地下から温風の出るマンホール近くに寝場所を与えてくれた。

まだまだあるが、こんなところにしておこう。

だからといって、57歳の親父が異国で野宿はどんなもんですか? と自問する。

そんなことは御構い無しで、スヤスヤと快適な眠りについている。


posted by ito-san at 19:04| Comment(0) | トルコの旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月24日

トルコの旅・イスタンブール(2)

イスタンブール訪問は、1970年以来の35年ぶりだ。

İstanbul.jpg


1970年、その時の話を、少ししたい。

ギリシャのアテネからイスタンブールまでは、ヒッチハイクを敢行した。

幹線国道なのに、走っている車の数は少なかった。

長時間待つことが心細くなり、しかたなく大型トラックを止めた。

運転手はフレンドリーで、快適なドライブだった。

突然、トラックが路肩に止まった。

「私は、ここから国道を逸れる。あの灯りがイスタンブールだ!」

運転手の声が聞こえた。

灯りは、歩くには遠すぎる。

「家に寄って行け」と執拗に誘ってくる。

予感はしていたが、やっぱりホモだったか。

旅行中、何度もホモダチになる危険に遭遇したが切り抜けてきた。

ここで降ろされるのも困る。

ホモの餌食になるか、徒歩で走破するかの、残酷な二者選択を迫られた。

男色趣味とわかっていて、ついて行くわけにもいくまい。

結果、私は国道の途中で落とされた。

トラックは、無情にも脇道を曲がっていった。

あまりにもショックだったのか、どうやってイスタンブールにたどり着いたか、記憶がない。

プディング・ショップに寄った。

ヒッピーと呼ばれた旅行者たちが、情報交換のために必ず訪れる店だ。

(ヒッピー=トルコ語で ”恋する者” の意味)

どろどろのトルコ・コーヒーを啜りながら、ブルー・モスクを見上げた。

当時、トルコのコーヒー(カフヴェ)は、粉が細かく、味も濃い。

直接、粉を溶かして飲む。

飲み終えた時には。どろりとした軟泥状のものが、カップの底に残る。

桟橋で食べた、パンに焼き魚を挟んだサンドイッチは美味しかった。

グランド・バザールでトルコ石とカメラを物物交換した。

長姉の旦那に餞別でもらった一眼レフ・カメラは、旅の途中で壊れていた。

日本から長兄が送ってきた綺麗に写っている家族写真を見せると、商人は信用した。

ちょっとした詐欺行為に心が痛んだが、残り少なくなったお金は使いたくなかった。

安宿の鍵が壊れていて困ったことなどが、断続的に思い出される。


このあと、テヘラン(イラン)に向かう鉄道に乗るのだが、この記憶も少ない。

列車は、猛烈に込んでいた。

ボックス席に乗り合わせた青年は、拳銃を携帯した軍人だった。

どことなく危険な風貌。

遠慮なく、ジロジロと見つめてくる。

怒らせては大変だと、手にしていたトイレットペーパーをちぎって渡した。

青年は、ペーパーを鼻に近づけ匂いを嗅いだ。

香水の香るペーパーに感動したのか、顔がほころんだ。

ヨーロッパのカフェで失敬してきたトイレットペーパーが、こんなところで役に立つとは。

群がって来た乗客に配ると、瞬く間に一本がなくなった。

ピンクのトイレットペーパーの端切れを大事そうにして、匂いを嗅いでいる姿が滑稽だった。

トイレットペーパーを使わない民族なのか。

強烈な記憶がひとつある。

列車が止まった。

窓外を除くと、屋根のない人気のない、一本のプラットホームだった。

座り疲れた身体をほぐそうと、プラットホームに降りた。

数人が凝視する先を、誘われるように見た。

列車の下に、人がうずくまっている。

上半身が、こちらを見た。

事故だ、早く病院に連絡を。

私は「ホスピタル!ホスピタル!」と連呼した。

近くにいた男性が「近くに病院はない」短く答えた。

栄養失調の人が風圧で線路に落ちるのは、よくあることだと言う。

しばらくして、電車は出発した。

切断された身体を残して。

節約旅行に危険は付き物だと心得てはいるが、あらためて心を引き締めた記憶がある。

イスタンブールからバンコクまでは、1万円の旅だった。

1ドル365円の時代だ。

Istanbul5.jpg


35年ぶりに再訪したイスタンブールは、すっかり変貌して都会になっていた。

北ヨーロッパに古くからある街並に似ている。

İstanbul1.jpg

バックパックを背負っての宿探しは大変だった。

ウブドから来た節約生活者にとっては、宿泊費は割高に感じる。

İstanbul2.jpg
ホテルの窓からの景色

İstanbul3.jpg
プディング・ショップは、立派なレストランになっていた

İstanbul4.jpg
パフォーマンスをするアイスクリーム店

トルコ・コーヒーの記憶は美味しく思い出されていたが、今回飲んでみて、決して2杯目を頼もうとは思わない味だった。

1990年「寝床を探す旅」に、イスタンブールも候補地の一つだった。

バリ島ウブドを選択したのは、正解だったかもしれないと痛感している。

posted by ito-san at 15:12| Comment(0) | トルコの旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月16日

トルコの旅・カッパドキア(Kapadokya)(1)

外出自粛で、時間が有り余っている。

MacBook Airに入っているデータを整理することにした。

古い旅のメモが出てきたので、読み返してみた。

2005年のトルコ・カッパドキアの旅。


私がカッパドキアを知ったのは、友人のレストランで手にした写真雑誌だった。

カッパドキアとは、馬の故郷と言う意味らしい。

「美しい馬のいる土地」という意味のペルシャ語で、カプトキー(kaputky)と発音された。

カッパドキアと呼ばれる一帯は、トルコ中部にある。

太古の昔、火山灰が堆積しそれが凝固したが、厳しい気象条件により風化して、柔らかい岩が削り取られ、堅い岩が残って奇岩となった。

中世、イスラム教徒により迫害されたキリスト教徒たちが岩をくり貫いて隠れ住むようになったと本にある。

この景観は異様であり、トルコ有数の観光地として知られている。

その奇岩の村の写真を見て、わたしは、是非行ってみたいと思った。


何の計画も立てずに行き当たりばったりの旅だから、参考にはならないと思うが、まあ読んでください。

これまでの経験から、こうして遠くへ来ると、この町には今後2度と訪れることはないかもしてない、という感慨が起こる。

そう思うと、この機会に充分に記憶に焼き付けておこうと、欲がでる。

こうして私の旅は、その土地を体感しようと、どん欲に歩き回ることになる。


バリ島滞在者の私は、タイ経由でトルコ・イスタンブールに向かった。

トランジットとは聞いていたが、まさか泊まりのなるとは。

エジプトの空港で降り、何のアナウンスも受けないまま、ウロウロ。

状況が飲み込めた時には、空港近くのホテルに押し込まれた。

英語もできないので、感に頼るしかない。

かなり焦ったゾ。

イスタンブールに数日泊まり、ツーリスト・オフィスでトルコ中央部の街・ギョレメ(Goreme)までの長距離バスのチケットを購入。

カッパドキアは、ギョレメ近郊にある。

快適な高速バスに乗り、首都アンカラを素通りしてギョレメのバスターミナルに降りる。

バスターミナルからは、ミニバスに乗り換え、カッパドキアへ向かう。

降り立つと、目の前は、夢に見た奇岩の風景。

「何?」 

「どうして?」
 
「なんでこうなる?」 

疑問が湧く。

これが見たかったのだ。

宿は、飛び込みで探す。

10分ほど歩いたところにあったケーブ・ホテルに決めた。

内部は、まさに洞窟だった。

kapadokya011.jpg

kapadokya013.jpg

街の入り口広場にあるレンタル・バイクは、遠出するツーリスト用だろう。

私は、この街を歩いて巡ることにした。

奇岩の家々が点在する街中に、車の往来はない。

回り道、坂道、袋小路と起伏にとんだ道、T字路、Y字路、Z字路や複数の道が交差する。

放置された荷車が、古代を忍ばせる一種独特の情緒を醸し出している。

冷たい水の出る水道が目につく。

冬期に備えて薪として使われるのだろう、塀の上や壁にもたれかけた枯れ木が山になっている。

冬には雪が積もるらしい。

牛、鶏、犬、猫、鳩、牧歌的な風景。

ロバの糞がいたるところで悪臭を放っている。

その土地が気に入ると、そんな匂いも長所となって許されてしまう。

人口が少ないのか、村人と触れ合い機会は少ない。

老人がテーブルを囲んでゲームに興じていた。

kapadokya116.jpg
(麻雀のようなゲーム)

一時間も歩けば、街を一周できる。

街中を離れると、ガラガラヘビでも出そうな木々の少ない野原になる。

家並はないし、木陰も少ない。

木陰があったとしても観光客の好奇な眼があちこちに光っていて、立ち小便もままならない。

ちなみに、私はお腹を壊して、やせ細った木陰を探してキジ打ちをしたことがある。

冷や汗ものの勇気がいった。

途中トイレは無いので、出かける前に用は済ましていこう。


地層の違いで、先っちょに濃色の岩がのった、チョコレートスナック菓子「きのこの山」のような岩々の姿。

生クリームでものったような岩、ジョーズが頭をもたげているような岩、白雪姫の物語に出てくるこびとの家のような岩。

奇怪な円錐形の小山。

小山には、いくつもの窓らしき穴がある。

らくだのこぶのように連なる奇岩と岸壁に掘られた住居。

これは掘り出して作られた家だ。

2人がかりで、およそ1ヶ月で出来てしまうほど柔らかいという。

自然現象と、人間の技と生活の知恵によって作られた家。

常識では考えられない造形。

自然の造形物は、店舗デザイナーだった私には魅力的だった。

都会的直線が皆無で、自然の織りなす曲線で造られた街は、私の感性を有頂天にする。

サラサラと砂の落ちる音が聞こえる。

今でも風化している。

亀裂が入り、いずれは崩れるだろうと思われる岩。

危険のないように建築されているのだろうが、生活している人には申し訳ないが、わたしは崩れかけた塀や壁が好きだ。

これはツーリストのわがままな意見として聞いてください。

kapadokya068.jpg

kapadokya070.jpg

kapadokya074.jpg

kapadokya075.jpg


網の目のような道を抜けて、丘の上に登る。

日本ならさしずめ裏山といったところだ。

街を見下ろす。

ひとつとして同じ形がないというのが嬉しい。

kapadokya128.jpg

kapadokya130.jpg


夜は、奇岩と街路樹がライトアップされる。

きらめく街と夕焼けも美しい。

空気の澄んだこの土地なら、さぞかし星空は綺麗なことだろうと、期待をしていた。

残念なことにライトアップされた街灯の明かりで、満天の星をいうわけにはいかない。

生憎というか幸いというか、停電になった夜があった。

空には、満天の星が煌めいていた。

kapadokya086.jpg
(よく利用したカバブの店)

kapadokya023.jpg
(夕食に利用したレストラン)


ツアーに参加すると、地下都市、フレスコ画の残る岩窟教会、ウフララ渓谷などが見学できる。

陶器工場・キリム工場にも立ち寄る。

kapadokya084.jpg
(陶器工場)

kapadokya099.jpg
(キリム工場)

気球ツアーが人気のようだが、私にそんな余裕の予算はない。

トレッキング・コースは、どこまでも続く奇岩に圧倒される。

近くにいくつも奇岩の渓谷がある。

大地にいきなり窪地ができたように、大きな渓谷が広がる。

映画のロケ地になりそうだ。

さしずめアクション物かロマンス物。

私なら奇岩の屋根を失踪するアクション物だ。

キャラバンサライ(隊商宿)にも立ち寄った。

kapadokya049.jpg
(昼食付きのツアーだった)

kapadokya093.jpg
(ツアー・オフィスのスタッフと夕食)


10日間の滞在は、あっという間に過ぎた。

経済的に許されるなら、長期滞在してみたい場所となった。


posted by ito-san at 17:05| Comment(0) | トルコの旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする