2025年12月11日

昔は良かったという話ではない(61)

ウブド・リピーターの貴方に質問です。

トイレの後始末は、紙派ですか、それとも指派ですか?

質問の意味がわかりませんよね。

私は、日本を離れるまでの42年間は、トイレットペーパーを使っていた。

そんな私が、指派に変わった瞬間の話をします。

それは、ウブド初のカルチャーショックでもありました。

ホームステイのトイレでのことです。

拭くだけの段階になって、紙が見当たらないのに気がついた。

見える範囲内にもポケットの中にも代用品はない。

野原なら葉っぱがあるのになと、しゃがんだスタイルで考える。

もしかすると、これ?

片隅にあるタイル張りの水槽と手桶。

はは〜ん、これだな。

シルクロード旅(57年前トルコ〜インド)経験者のバックパッカーには、このくらいの機転はきく。

右手に手桶を持って水をすくい、ぶっかける。

この時、左手の指先を使うことになる。

もちろん躊躇しましたよ。

踏み込んではいけない禁断の領域に、踏み込んでしまう思いだった。

こうして私の左手指は、初体験したのでした。

水浸しにはなったが、なんとか後始末は終わった。

この方式の心地良さに、感動さえ覚えた。

その後のウブド滞在35年間は、ペーパーレスの指派として過ごした。

この体験をとおして、ヒンドゥー・バリで左手が不浄なものとして取り扱われのが理解できた。

左手の握手や、左手から物を渡すことはタブーだ。

外国人に対しては、それほど厳格ではないが、失礼にあたるので気をつけたい。

ホームステイのトイレに、ペーパーは設置されていないのが普通。

トイレットペーパーを売っている店も、私の生活環境では見当たらなかった。

トイレは水浴び場も兼ねているため、ペーパーが置いてあったとしても濡れていて使えないことが多い。

オーナーやスタッフに、ペーパーを使う習慣がなかった頃の話です。

当時のガイドブック「地球の歩き方・インドネシア」にも、トイレの使い方のアドバイスはなかったはず。

その後、インドネシア国内の旅(ジャワ、ロンボク、スンバワ、スンバ、フローレス)では、指派だったので困ることはなかった。

日本に戻ってからは、トイレットペーパー派に戻っています。

下じもの話、食事時でしたらでゴメンなさい。

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グルーグル検索した写真:画像は著作権で保護されている場合があります


・・・からの日本での話。

2024年、移住した土岐市のアパートのトイレは、普通の洋式水洗トイレでした。

ウオッシュレットだったとしても、ペーパーを使わないと落ち着きませんがね。

清潔感のある水洗トイレだったので、ウオッシュレットが欲しいなんて贅沢は言いません。

35年間の習慣は、簡単には直せませんでした。

バケツを置いて手桶にしようかなと考えたが、きっと床が水浸しになるだろう。

思いついた時が冬だったのもあり、氷点下での手桶の水洗はあきらめた。

見た目通り、神経質な私は、ペーパーをたくさん使ってしまう。

ひとロールを使い切ったこともある。

やっとこの頃、トイレットペーパーの使い方が上手くできるようになった。

一年かかかったな。

便座が冷たく感じる冬が近づいたので、電気ストーブを押入れから引っ張り出した。

アパートのトイレがウオッシュレッに変身してくれると嬉しいなと、夢想する今日この頃です。
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2025年11月24日

インドネシア語で「お休みなさい」は、「Minpi Manis」でいいかな!(60)

Selamat pagi・お早ようございます。

Selamat siang・(午前の)こんにちは。

Selamat sore・(午後の)こんにちは。

Selamat malam・今晩は&お休みなさい。

これ以外に、ウブド人が挨拶に使っている言葉があるんですよ。


道端でおじさんやおばさんに「どこへ行くの?=ke mana?」と声をかけられる。

初めは、「市場に行きます」「ご飯を食べに」とか、丁寧に行き先を答えていた。

帰りには、「どこに行ってきた?=dari mana?」と聞くので、あそこに行って、ここへ寄ってと詳しく説明していた。

会うたびに聞かれるので、面倒になってくる。

先住の友人に聞くと「あれは挨拶だから、カジョ=北・クロッド=南(あっち・こっち)と答えておけばいいんだよ」と教えてくれた。

確かに、答えはどちらも「あっそ!=Oh ya!」でした。

まったくインドネシア語ができなかった頃のことで、その後すぐにジャラン・ジャランと答えるようになっています。

今では、おじさん、おばさんの姿も道端から消えて、こんな風景もなくなったようです。


ウブド人の屋敷を訪ねると、「もう食事は済んだ?=sudah makan?」と聞かれることがある。

日本語の "済んだ"とインドネシア語の "sudah"の発音が似ていて、にっこり。

遠慮するのも失礼だと考えていた私は、「まだです=belum!」と答えて、ご馳走になっていた。

たいていの家は、食事が作り置きなので、何かしらのナシ・チャンプルーが出てくる。

この時の答えは "sudah" が正しいようです。

それにしても、「belum=ブルム」と答えられて、家人も困っただろうな。

ひもじかった時代の名残りで、困ったらお互い様の気遣いが、挨拶の言葉になったのかもしれないね。

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(ブルムと言って、出てきた食事@パチュン家)


とっておきの挨拶を伝授しよう。

たいてい、お休みなさいは "Selamat malam" か "Selamat tidur(寝る)" を使います。

しかし、ウブドの男性は違ってたね。

なんと「Minpi Manis=甘い夢をみて!」だった。

ちなみは私は、ミンピ・マニス派でした。

友人からのメッセージです。
スラバヤ出身のインドネシア語の先生は、最近はSelamat tidul は使わなくなりました、と言っていました。
ちょっとロマンティックな響きがあるみたい。
使うのは恋人同士、あるいは同居している家族だけ。
スラバヤルール、かも知れませんが。
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2025年11月22日

電動アシスト自転車デビュー!(59)

待望の電動アシスト自転車が届いた。

大きなダンボール箱を開けて、組み立てです。

組み立ての苦労話は、省きます。

さあ、残すはバッテリーの取り付けだ。

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バッテリーが充電できず焦った。

通販での購入に不安を抱いていたので、半ば諦めながらメーカー(&販売店)にメールする。

高い買い物だったが、気が小さい私はクレームが苦手。

丁寧なメールを送ったら、電源コードの不都合だったようで、再送してくれた。

速やかで優しい対応で、無事充電できた。

肌寒いが好天に恵まれた今日、試乗した。

行き先は、この頃ルーチンにしているスーパー・バロー内「北欧倶楽部」。

誰かに、後ろから押されているようなスムーズな走行。

まさに、私の人生のようだ。

これからの徘徊が楽しみになる。

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これで終われば、順風満帆の出足だったが、人生そう上手くはいかない。

駐輪スペースから出る時、一メートルも進まないうちに転けた。

想像を絶する転けかただった。

前輪が直角に曲がっている。

スピードが出ていなかったので、怪我はありません。

後ろについていた車の運転手が、心配顔で止まっている。

駐車場内で、よかった。

駐輪スペースに戻り、自転車を点検。

前輪は、ヒラヒラと動いた。

どうやらハンドルが、固定されていなかったようだ。

ひとネジが緩んだ、という感じじゃない。

7分ほどかけて、左折右折を繰り返してここまで来たが、まったく問題はなかった。

ハンドルは前日に締めている。

緩んでいたのは、悪質なイタズラだったかもしれない。

人を疑うのは不本意であるが、駐輪場で不審な男性とすれ違った。

嫌な視点を受けながら、入店したのを記憶している。

ボルトが見えないための蓋を忘れていた、私の責任でもあるが。

ボルトは、六角レンチで締めれば直る。

運良く、近くにホームセンター「DCM」がある。

「前途多難」

まさに、私の人生のような試乗日でした。
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2025年11月19日

年代によって変わるウブド旅行の必需品(58)

私が訪れた90年代のウブドの街灯は5Wで暗く、足元も悪いので、懐中電灯が必需品だった。

停電の夜にも役立った。

そうそう、定期公演の停電では、観客が懐中電灯を当ててやり過ごしたこともあった。

履物は、ゴムゾーリがベスト。

ビーチサンダルなんて贅沢なものじゃない。

パサール(ウブド公設市場)の雑貨屋で売っている、スワロー印のゴム草履だ。

歩道のなかった時代、スコールで泥んことなった側溝に足を突っ込むことタビタビ。

日本から持ってくる必需品に、懐中電灯とゴムゾーリの2点をお勧めしていた。

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(旧ウブド公設市場)


滞在を始めて必要となった物は、ウブドを訪れる友人に持って来てもらった。

コンビニもスーパーもなかったウブドです。

例えば、歯ブラシ。

当地では、太っとのしかなかったので、小ぶりを頼んだ。

それと、トランクスパンツ。

ウブドでは、ブリーフしか見つからないので。

友人(ウブド人)が、ブリースで泳いでいて驚いたことがある。

水着を売っていないからね。

薬もお願いしたな。

薬局はないし、医院は外国人には高額だったし。

バリ人にも配って、役立ててもらった。

気を利かせて、金鳥の蚊取り線香を持って来てくれた人もいた。

そうそう、ヘア輪ゴムも持ってきてもらった。

髪がひとまとめにできるほど長くなったところでポニーテールにした、その後トレードマックとなった。

他に、何があったかな!

あなたはの必需品は、何でしたか?


フェイスブックの投稿に、多くの必需品コメントがあったので掲載します。

懐中電灯は持参する人と、スマホで対応する人といるようです。

私同様、トランクスに悩んだ友人もいた。

薬は持っていくが、ほとんど使わないとの声あり。

常備薬として、ムヒ・正露丸・絆創膏がありました。

絆創膏は、やっぱり粘着力の素晴らしい日本製バンドエードだね。

日本の蚊取り線香を愛用する人います。

バリ舞踊を習っている人に、安全ピン(私も使った)。

酒&タバコ依存症の人は困っただろうな。

仕事柄、蝶番が必要な人もいました。

飛行機内座席前に常備されている嘔吐用の紙袋も役にたっていたようです。

女性から、愛用の化粧品とその他(顔面石鹸、シャンプー、歯磨き粉、洗剤)なんてのもありました。

その他、写真フイルム・ガイドブック・絵の具・ウオークマン・etc
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2025年11月17日

名古屋の栄町で迷子になった!(57)

友人の会社が、久屋大通公園で「花とみどりを楽しむ・まちフェスタ」に出店しているのをインスタで知った。

名古屋にいたころからの友人で、私がウブドに滞在始めてからは、何度も訪ねてきてくれていた。

稼業が忙しくなったようで、20年ほど前から会っていない。

色々と世話になったので、是非会って、感謝を伝えたかった。


JR中央線に乗って土岐市駅から千種駅へ(680円)。

千種から栄までは、地下鉄を利用する(210円)。

地上に出なくても、地下道で繋がっているのを知った。

地下鉄の切符販売機に立ち往生。

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コインの入れ口の穴が詰まっていて、コインが入らない。

移住して一年、自販機には慣れてきたが、こんな機種は初対面。

隣の台に立つ母娘に「これどうなっているの?」と尋ねた。

「きっぷのところを押してください」って。


地下鉄を降りて、適当な出口を上った。

外に出れば、どの辺りにいるかわかるだろう。

10年前と、昨年も来ている。

その時は、友人が一緒だった。

一人で栄町に出るのは、なんと50年ぶりになる。

目の前の「居酒屋・伍味酉」は知っていても、ここがどこだかわからない。

とにかく、人通りの多い方向に進んだ。

久屋大通りの標識に安心はしたのだが、久屋大通りは広うゴザンンス。

キョロキョロするが、知っている建物がない。

三越(旧中村百貨店)、中日ビル、愛知県美術館、MIRAI TOWER(旧テレビ塔)が見当たらない。

目的地は、久屋大通公園・テレビトーヒロバA。

久屋大通公園の正式な位置を知らない。

スマホでグーグルマップを調べればと思うのですが、操作できないのです。

テレビトーヒロバとあるからテレビ塔の近くだろう。

しかし、そのテレビ塔が目に入らない。

誰かに聞くのが早いだろう。

久屋大通公園を知る人はいるだろうか?

目の前を歩くヘルメットを被る男性に尋ねることにした。

建築現場の職人さんに、聞いてもわかるだろうかと不安になる。

バリ人みたいに、知らなくても教えてしまうかな?

とにかく声をかけた。

「すみません。テレビ塔はどこにありますか?」

「あそこ!」とビルの谷間を指差した。


友人には会えなかった。

スタッフに、連絡が欲しいと伝えて会場を後にした。
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2025年11月09日

今回も失敗談です!(56)

この日は、猿の森のあるサンゲ寺院より、さらに北東の位置にある寺院で奉納舞踊があると聞いていた。

友人がバロン舞踊を奉納するので鑑賞したいと思っている。

サンゲ寺院は、ウブドから直線で10キロ地点だが、実際は一度南方に下ってからとなり20キロほどになる。

なぜそうなるかというと。

バリ山間部の幹線道路は、あみだくじの縦線状に走っている。

横線は渓谷に橋を架ける必要がある。

あみだくじのように簡単に線を引けないので、ショートカットできるルートが少ないのだ。


奉納舞踊は、チャロナラン舞踊劇。

夜8時には到着するように、1時間前に下宿を出発した。

今夜も愛車スクーピーは、ご機嫌のようだ。

遠出をして、パンクや故障になっては困るのでね。

ウブドを離れると、街路灯も疎らで、あたりは暗くなる。

橋を越えるとムングイ県になり、ここからは緩やかな坂を北上する。

街路灯の照度が低く、さらに暗くなる。

屋敷の門灯も点いていない。

集落の途絶えたところは、街路灯もなくなる。

真っ暗闇に向かってバイクを走らせる感じ、わかりますか?

不安で恐怖を覚えますよ。

もう目的地に近づいているはずだ。

正装姿の村人が歩いていない。

近くまで行けばわかるだろうと、寺院の名前を聞いていない。

これまでは、寺院祭礼の雰囲気を感じ取って辿り着いてきた。


遠くで薄明かりが見えた。

雑貨ワルンが開いているようだ。

肌寒くもなり、これより先に進む自信が無くなってきている。

ここで聞こう。

「この近くでオダランはありますか?チャロナランがあると聞いてきたのですが。」

老婆に、私のインドネシア語は通じないようだ。

私は「バロン・バロン!」と連呼した。

老婆はニコリともせずに、奥に引っ込んだ。

変な外人を相手にしたくなかったのだろうな。

私は、もう少し進むか諦めるか迷っていた。

老婆が戻ってきた。

オダランの情報が聞けるかと、嬉しく身構えた。

老婆は、手にした物を私に渡した。

それは電球だった。

????????

バリの人は、電球をbalonを言うことがあるのです。

これは同音語じゃなくて、balonとbarongの発音ができない私の失敗談でした。

はい、ショックのあまり、このまま直帰です!
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2025年11月06日

インドネシア語でコーヒーのことは「コピ」という(55)

今回でテーマは、コピ・バリ(kopi Bali)です。

バリ・コピではありません。

英語のMy nameは、インドネシア語ではNama sayaとなります。
(My=saya・name=Nama)

バリ・コピは英語式ですね。

デワ・ワルンは、インドネシア式に呼ぶとすれはワルン・デワが正しい。

小学校入学前レベルの私の見解なので、半信半疑で聞いてください。

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’92年の「居酒屋・影武者」でのこと。

私は定位置のテーブルに、腰を下ろしている。

レジ・カウンターに立っているワヤン君に、「これ、コピーして来て」とメモの複写を頼んだ。

しばらくしてワヤン君は、レジ・カウンターに戻って来た。

私と目を合わせると、ニッコリとする。

コピーはどうなったのかな、私は心で囁く。

私とワヤン君の間で、以心伝心は成り立たないようだった。

「ワヤン、コピーは?」と声を掛けた。

ワヤン君は、鳩が豆鉄砲を食らったようにキョトンとしている。

レジ・カウンターから出てきたワヤン君は、私の目の前のテーブルに手のひらを滑らせて「すでに運んでありますが」と自信たっぷり言う。

「ワヤン、私はコーヒーを頼んでいない。頼んだのはコピーだ」

怪訝な顔をするワヤン。

そして、ワヤン君は私より早く気がついた。

「イトさんそれは、フォト・コピー(Foto kopi)と言わないと通じません!」

コピとコピー、言葉は同じだけど意味が違う。

でも、このくらいの違い状況判断してよ、と思うのはわがままか。

みんなにもこんな経験はあるでしょう。

その話、ここで共有しませんか?

投稿、待ってま〜す。


時間の余裕がある方は『付録』も読んでください。

『付録』

インドネシアには、300を超えるエスニック集団が共存し、300〜500の言語が使われる多言語国家なのだ。(NさんのFBから引用)

バリ人は普段、バリ語を使用しで会話をしている。

国語であるインドネシア語は、バリ人以外のインドネシア人や外国人に対して使う。

時には、初対面のバリ人に対しては、相手の階層(カースト)がわかるまで使ったりする。

バリ語には、普通語(bahasa biasa)以外にも、「クタ・アルダナのバリ語会話」によると、alus,(丁寧語)、alus sor(謙譲語)、 singgih(尊敬語)、そして普通語と丁寧語の間にmadiaという中位語がある。

失礼な言葉で、bahasa kasarというのもあるようだ。

インドネシア語でコーヒーのことは「コピ」という。

バリ語の普通語(bahasa biasa)も「コピ」だ。

丁寧語(bahasa halus)では、wedanだったりngopi、ngae kopi、ngwedan、mekaliya wedanとあるようです。
(情報提供:ウブド滞在の友人)

バリ語は、複雑すぎて難しい。
posted by ito-san at 22:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 土岐市に移住 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年10月29日

土岐市下石町の滞在が今日で、まる一年となった(54)

昨年10月28日にウブドを離れ、29日に土岐市に降り立った。

去年の今頃は、これからどう生きていくんだろうと不安と期待だったはず。

ウブドを離れるのも勇気がいったが、34年前の日本を離れる時に比べたら気楽なもんだった。

あの時は、生きて日本に帰ることは考えていないかったからね。


ウブド訪問の第一印象は、ゆっくりとした時が流れていたこと。

人々の歩みも、のんびりしていた。

私ものんびり歩いてみた。

深呼吸のリズムで歩いているんだ、と気づいた。

耳を澄ますと、鳥や虫の鳴き声と風が創る音が聴こえてくる。

ウブドが穏やかに感じたのは、自然のリズムで生活しているからだ。

今、滞在している下石町も、時間がゆっくりと流れている。

BGMは、自然の音。

耳を澄ませば、いつでも聴こえてくる。

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ウブドも下石も、人々はおっとりとしている。

気軽に声を掛けることができるのも嬉しい。

誰もが優しく、対応してくれる。

一年間滞在してみて、日本語の通じる外国で暮らしているような感覚で居る。

34年ぶりに、日本の四季を過ごした。

暑い国、寒い国、雨季のある国、曇り空の続く国、陽が沈まない国etc。

そんな地域に比べると、記憶に残っている日本の四季とは少し変わったようには感じるが、私には、まだまだ過ごしやすい。


ウブドは、観光地としての煩雑さが年々増している。

下石は、年々、過疎化が進んでいる。

発展したウブドを体験し、今は、衰退していく下石を経験しようとしている。
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2025年10月07日

私が愛したウブドは私の原風景だったのか(53)

この頃、私の思考は二分している。

”過去と今”です。

過去は大きく分けて、二つ。

一つは、生まれてから42歳まで(1947〜1990)の日本での生活。

もう一つは、34年間のウブド滞在(1990〜2024)。

今は、帰国(2024〜)してからの土岐市の生活となる。


SNSでは ”過去と今” を投稿しているのですが、過去についてはウブドが中心になっている。

ウブドの記憶は、年々、色あせてしまうから、鮮明なうちに発信してしまえというわけです。

なので、もうしばらくお付き合い願いたい。

そのウブドの発信が、どうも ”昔は良かった” 的な内容が多いのではないかと気がついた。

今が良くないと言っているわけではない。

無意識のうちに、自分が好きだったウブドをアピールしてしまっているのだ。


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(写真提供:中村政広)


私が愛したウブドは、どんなだったか考えてみた。

村を歩くと、そこに暮らす村人の気配を感じる。

道端で闘鶏を愛でる男衆。

門の階段に腰をおろし、ひなたぼっこしながら白髪を抜き合う婦人たち。

気軽に声をかけてくる村人。

すれ違いに投げかける、顔と眉毛を微妙に動かす独特の挨拶。

家寺の祠の屋根が、塀越しにいくつか見える。

色とりどりの南国の花が咲く、塀前の狭い庭。

雨が降ればワンティラン(集会場)の軒下で雨宿り、川となった道を流れるヤシの実などを見て、何時間も止むのを待つ。

畦道の散策は、時として、べべ(あひる)のコミカルな行列や、田おこしに群がるココカン(しらさぎ)の行動に遭遇する。

停電になると使われる、灯油ランプとケロインランプの灯り。

指先で食べる食事や手桶水洗のトイレなど、カルチャーショックの数々。

まだまだあったが、今、思い浮かばない。

こうして並べあげると、私が愛したウブドは私の原風景だったのかも。

心地よい思い出と繋がったのだ。

滞在始めた90年代、知り合った旅人は同感の人が多かった。


年々、これらを感じられなくなってきた。

色とりどりの花が咲いていた、塀前の小さな庭が姿を消した。

塀は貸店舗で隠れ、面影を残すのは屋敷門だけとなった。

ホテルやレストランが建ち、田んぼの風景は見られなくなった。

ウブドの魅力は、年々変わる。

今、どう変わったか考えてみたい。


極楽通信・UBUD」36「メッキされるウブド」https://informationcenter-apa.com/gt_plating.html
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2025年10月03日

男子厨房に近寄るべからず!(52)

職業軍人だった親父の教育方針が「男子厨房に近寄るべからず」だったのと、六人兄弟の末っ子の私に二人の姉は料理作りをさせなかった。

お袋は料理が得意だったのか、どれも美味しかったのを思い出す。

言い訳になりますが、そんなことから、この歳になるまで料理はできないでいた。


ウブドでは「和食・影武者」の女将の好意で、栄養管理の行き届いた美味しい食事を賄っていただいていた。

土岐市に移り住んでから、自炊は必須となった。

味音痴の私の料理は、盛り付けには気を使うが、味覚も栄養バランスも無視した料理。

それでも、美味しくいただいているので、文句はない。


近い将来、ガスコンロを使わない、包丁を使わない生活になるだろうと思っている。

もし事故を起こした時に、スムーズに対処ができないだろうと心配するからだ。

独り住まいの高齢者としては、危険は避けたい。

となれば、食事はおのずとインスタント食品になる。

レンチンできる出来合いの弁当やインスタント食品は、身体が不自由になるまではできる限り手を出さずにおこうと誓っている。

あと数年だ、と予測。

それまでは、料理を作るようにしたい。

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包丁さばきが、危なっかしくなってきた今日この頃。

バイク事故で右手の甲の薬指に近いところが骨折して、未だ金属が入っているので、微妙な包丁さばきができない。

事故前までは、ナイフやノミを使って家具を作っていたのにね。

微妙な力加減ができないし、人参、じゃがいもなどの皮むきもぎこちなくなった。

皮むき器・ピーラーがあることは知っていたが、頼りたくなかった。

なぜか、こんなところに意地をはる、めんどくさいオヤジです。

カレーを作る機会が増えて、ジャガイモの皮むきに古傷が痛み、ピーラーを頼ることを決定。

御用達の100円ショップで、探すことにした。

多種類あったが、包丁のように使えるI字タイプを購入。

念の為、T字タイプも買った。

刃は微妙な角度で、皮を薄く削いでいく。

優れものだった。

もっと早く手に入れればよかったと、ちょっと後悔。

今では、皮をむくのが楽しみになっている。

posted by ito-san at 15:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 土岐市に移住 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする