2025年01月20日

2025年01月20日:ヒロシです! CookDoってソースのことですか?(10)

料理ができない私でも、レトルト食品を温めることはできる。

おかげさまで電子レンジが手に入ったので、チンするだけの弁当やレトスト食品は購入できる。

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ボンカレーは常備食。

買い物も苦手な私は、値段も説明も見ずに買うことが多い。

日本に帰ってからは、値段は確認するようにしている。

説明は、ほとんど読まない。

そしてこの日、ボンカレーと同じ棚に載っている商品に目がいった。

外箱の体裁が、ボンカレーに似ている。

たまには違ったものを買おうと、プチ冒険。

あるだけ(四種類)を購入。

今夜は料理らしいものが食えるぞ!とほくそ笑んだ。

さあ、どれから食べようか。

裏の説明を見る。

用意するものがいるようだ。

肉約150グラムにピーマン約130グラム。

四種類全ての料理に、肉が使われている。

生まれてこのかた、肉を買った記憶がな〜い。

スーパーの生鮮食品売り場は、ほとんど素通りです。


なんとか、このまま食べられないか?

代用案が思いつかない。

AJINOMOTOのCookDoって、ソースのことですか?

ソースだけでも食べれるだろうと温めて、ご飯にかけてみた。

一袋三人前を、一食で。

青椒肉絲(チンジャオロウスー)、あまり芳しい食べ物にはならなかった。

自分に対する今回の教訓「説明書はしっかり目を通しましょう!」

酢豚、回鍋肉(ホイコーロウ)、麻婆豆腐が残ってしまった。

翌日、マヨネーズをかけて食べたキャベツの残りがあったので、炒めて回鍋肉(ホイコーロウ)と混ぜてみた。

青椒肉絲よりは、食べ物にはなった。

「ヒロシです、CookDoってソースのことですか? 紛らわしいからレトルトコーナーに置かないで欲しい!」
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2025年01月18日

田中家一家のサプライズに、驚きと感動!(9)

窓側にパソコンを構えて、一昨日(12月27日)届いた「宍道湖しじみジンジャーエール」を、Tik TokとXに投稿中のこと。

サエちゃんから電話がかかった。

「めちゃ、声近いね!」の第一声。

「そうだね、こちらも大きく聞こえますよ」と答えた。

窓から外を見るとさえちゃんが、スマホを手に歩いている。

まさか、ウチに向かっているということはないよね。

突然の訪問、驚きながら玄関ドアーを開ける。

「サプライズです!」と、とし君も登場。

「今、「宍道湖しじみジンジャーエール」をTik TokとXに投稿していたところだよ」

頭の中は、とし君とさえちゃんの紹介文でいっぱい。

このタイミングで、本人登場とは、狐につままれた気分。


とし君とさえちゃん夫妻、ウブド通なら、ご存知の方も多いと思います。

アイデアマンで、なおかつ実践する二人のタッグの行動力は強い。

どういう風に紹介すればいいか、困ってしまうほど多才のふたり。

とし君の雑貨屋「バルバングン」、バロンクッキーの製作はさえちゃん、バロンブロッジカフェの人気スウィート「マンゴタルト」はさえちゃん作、などなど。

ウブドラジオのMCは、とし君とアンカサのこてつちゃんだった。


4年前(2020年)に、青年協力隊で島根県邑智郡美郷町に移住してからは、美郷サンバル・三柱バームクーヘン(試作中)・マタタビコーラなどのご当地商品を考案。

食材以外に、カードゲーム「おろちゲーム」を制作・販売中。

などなど、まだまだ紹介できないほど。


美郷町を訪ねたいと思っている矢先に、先を越された訪問。

来年には大阪に引っ越すというから、美郷に在住している田中家一家には会えない。

そう、とし君、さえちゃんの姓は田中なんです。

お互いウブド滞在が長く、ウブドを盛り上げることに一生懸命だった時期があるので、同志という感じがする。

私は、終活中の身。

あのころの熱い想いで、ウブドの地に立つことは、もう叶わないだろう。

そう思うと、こうやって会えてることに感慨深いものがある。

とし君、さえちゃん、なず、しんが、つぐ、みーしゃん。

会いに来てくれてありがとう。

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最後に、「宍道湖しじみジンジャーエール」について簡単に紹介しておきます。

美郷町地域おこしグッズの第4弾になるのか?

ウコン、グローブが含まれるジャムウ系(インドネシアの植物系生薬)の炭酸飲料。

ジャムウの苦さがなく、炭酸飲料で飲みやすかった。


アイデアが滲み出てくる田中夫妻。

今後の動向に、目が離せない。

たくさんの写真をありがとう!
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2025年01月15日

なぜ、土岐市に田んぼがないのか?(8)

帰国してこの2ヶ月、歩いたり自転車に乗って徘徊した。

距離的には、そんなに遠くへは行っていない。

歩いても自転車でも、片道1時間ほどの範囲内。

この頃、風景になぜか物足りなさを感じるようになった。

ウブドで毎日見ていた、田んぼの景色が見当たらないと気づいた。

ウブドは、ライスフィールド・ヴュー、ライステラス・ヴューで人気の観光地。


田んぼヴューの人気の秘密は、心に残る風景が見られるところ。

それは、田おこしの時に餌を求めて舞い降りるココカン(白鷺)の群、アヒルの群の水浴び、水が張られた田んぼに映る夕陽に田ごとの月、稲の神デウィ・スリに捧げる祈り、田植えや稲刈りをする村人の姿、蛍の乱舞などなど、数え上げればきりがない。

一年中見られる、バリ島の風物詩とも言える。

田おこしから稲刈りまでおよそ4ヶ月、放置する期間も入れて5ヶ月で収穫できる。

年2回の二期作ではなく、二年で5回収穫の二、五期作。

バリでは、何月に田植え、何月に稲刈りとシーズンが決まっていないので、毎年時期は違ってくる。

各地の水利組合の予定で水引が決まるため、田植えの時期はバラバラ。

田植えの始まった田んぼの横で、稲刈りをしている光景を見かける。

一年中、どこかの集落で一連の稲作の作業が見られるという、特殊な島。


なぜ、土岐市に田んぼがないのか?

都会は別として、日本はどこへ行っても田んぼがあるものだと思い込んでいた。

考え違いも甚だしい、認識不足を確認した次第です。

「私の町にも田んぼはないよ!」という方は、教えてください。

土岐川に流れ込む支流も多く、用水には苦労しないと思うが。

理由は、土岐市のホームページで簡単にわかった。

@土壌は粘質土が多く、陶磁器原料に適した良質な陶土を産出する。

Aしかし、痩せていて農業生産には適していない。

その結果が、美濃焼の1300年の歴史の礎となったのだ。

田んぼヴューがないからと言って、絶望しているわけではありません。

ない物ねだりはしません。

土岐市は、緑の山々に囲まれた風光明媚な小盆地にある。

南北約18キロ、東西約12キロの町。

まだ、魅力を見つけられていないだけ。

これから、魅力探しの徘徊が始まるのだ!


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プンゴセカン通りシャトルバスのプラマ社前。クブク・バンガローが見える

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2025年01月09日

ウブドが特別かも知れないね(7)

土岐市で生活しだしてから、ウブドが便利だったというのを痛感したのは、ネット環境だ。

レストランはもちろん、地元のワルンに行ってもWiFiが使えた。

プンゴセカン村のコス(私の安下宿)ではWiFiがあり、月5万ルピア(およそ500円)で使い放題だった。

ウブドが特別かも知れないね。

土岐市ばかりじゃない、日本全国どこもFree WiFiがないと聞く。

インターネットも理解できないし、プロバイダーとか通信キャリアの意味もわからないが、パソコンとスマホが使いたい。

インドネシアでは、プロバイダーをTelkomselを使っていた。
(プロバイダーの使い方が、これで正しいのかわかりません)


日本で早急に電話番号が必要だったので、ソフトバンクのショップに行った。

バリで使っていたOPPOが使えないの相談。

一時間以上も奮闘してくれたが、使えないという結論。

しかたなく、新しいOPPO 21,996円を購入。

ソフトバンクのY!mobileを契約。

説明を受けるがチンプンカンプン。

とにかく、安いのにしてください。

比較すると、インドネシアの契約料金が安かったと思う。

他にもプロバイダーはあるが、どこが便利で値打ちかわからない。

日本の料金の格差は何?

誰か説明して!


部屋に光ファイバーの配線はあるか、私の生活レベルでは高額すぎて使用できない。

スマホでデザリングすればと言われるが、これも契約料金が高すぎる。

時間と必要とする内容の通信の時には、世話になっているMISATOさんの家に行くか、市役所まで出向くかの二者選択。

モールや一部ファミリーレストランにもFree WiFiが、あるとの情報はキャッチしている。

どちらも私のアパートからは遠い。

MISATOさん家までは、自転車で15分。

市役所までは行きは25分、帰りは30分。

自転車運転も慣れてきて、苦にならない距離になったが、やっぱり不便。

(新年に入って、ソフトバンクエアーを利用することにした)


「土岐市よ、少なくても公共施設では、使えるようにして欲しい!」

なんてフェイスブックで、のたまったてしまったが、なんと、役所は手を打っていたようである。

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私の滞在する下石町の公民館に行ってきた。

確かにFree WiFiはあった。

土岐市の行政、やるじゃんと感激。

受付の接客が投げやりで説明もしないのは、利用者がいないためか。

テーブルがないので、パソコンは持ち込めない。

家にWiFiがあっても、コミュニケーションの場として利用したい人もいるはず。

スマートフォン&パソコン操作に困っている人や、 SNSの使い方に悩んでいる人に、同席している人が情報を提供することができるのではないだろうか。

町民の利用頻度を上げるのは、公民館の役目ではないかと思ったりしました。

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2025年01月07日

ウブドと土岐市の洗濯事情(6)

日本帰国にあたっては、暖房以外にも不安材料はいっぱいある。

スマホの初期ローミングもそうだったが、いざ生活するとなってからの不安。

洗濯に関しても心配だった。

コインランドリーの所在を検索してみた。

数は多くない。

幸いにして、世話になる家の近く一軒ある。

ウブドではワルンの食事代も安いが、もう一つ私にとって助かったのはクリーニング代が安かったこと。

1キログラムあたり1万ルピア、アイロン仕上がりで百円ほど。

週一回2〜3キロを持ち込んで、3百円以内 。


帰国して、コインランドリーを利用してみた。

34年以上前の洗濯機からは、かなりのグレードアップしている。

機種が増え、洗濯物内容によって選択できる対応になっていた。

一番小さい機種は、4キログラムまでで洗濯から乾燥まで。

洗剤込みで7百円だった。

帰国してすぐの段階なので、これで安いのか高いのか判断できないが、この料金なら週一で利用していたウブドの倍の料金ですむ。

アイロンがかかり、綺麗に畳まれて返ってこないのが残念だが。

シワクチャのままで着ればいいのだ。

そう結論を出していたが、世話になる友人に相談すると「長期的に見れば洗濯機を購入した方がいいですよ」と教えられた。

確かに、中古で買えば7百円の何回分かで購入できそうだ。

11月27日、独身男性一人住まい用の洗濯機を中古で購入。

テラスがないので、干す場所はない。

浴室を見ると、換気扇に乾燥機能がついている。

これは助かる!

心配なのは、乾燥機の電気料金だ。


フェイスブックで悩み相談をしたら「浴室の乾燥機は利用しない方がいい!」という意見が大半だった。

私は、多数意見に従うことにした。

晴れた日は、南向きの窓からポカポカの陽が差し込む部屋。

「それなら室内干しで十分です。適度に湿気も出るし」と皆様のアドバイス。

ということで、現在快適な洗濯ライフを楽しんでおります。


ウブドの洗濯事情とクリーニングの変遷の小話はこちらです!
極楽通信「ウブド洗濯事情」
https://informationcenter-apa.com/gt_cleaning.html
posted by ito-san at 12:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 土岐市に移住 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年01月05日

なぜ寒くなる時期に帰るのか?(5)

なぜ寒くなる時期に帰るの?

夏に帰って、秋から冬へと慣らしていくのがベストでしょう。

そうなんですよね。

残念なことに、リタイヤメントビザの延長期限が12月初旬だったんです。

そして、延長料金が用意できなくて、ウブドを離れることを決意しました。

ビザが切れるギリギリまで滞在するよりは、冬になる前に帰って、少しでも慣らしたいとも考えた。

11月初旬に、コテツちゃんの娘さんの結婚式がウブドである。

是非参列したいと考えていたが、次から次へと訪れるリピーターの日程に合わせていては、いつ旅立てるがわからない。

思い切って、10月26日出発のエアーチケットを購入した。


帰国計画は、夏頃から始まった。

果たして、私は日本での生活は可能かどうか?

まず、頭に浮かぶのは寒さだ。

日本を離れて34年、寒さの想像が貧弱だ。

キンタマーニ高原での14度に恐れをなした私が、果たして耐えられるのだろうか。


暖房は?

コタツがあればいいか。

私は猫系なので、冬はコタツで丸くなりたい。

厚着して、コタツで寝ちゃえばいいか。

机として使えるしね。

この頃の日本は、コタツの需要は少ないのかな?(ちょっと不安)

囲炉裏や掘りごたつを知る人なんて、もういないのかも。

話はそれるが「居酒屋・影武者」の一号店には、囲炉裏があった。

自在鉤が吊るしてあって、人気のコーナーだった。

火を入れた夜が懐かしい。


もう一つ心配なのが、アパートに風呂があるのか?です。

内風呂がない場合、銭湯が近くにあるか。

友人は「今は、どこでのアパートでも、お風呂は付いているから、心配しなくていいよ」と言ってくれた。

そんな贅沢な話があるものかと疑っている。


幸運にも、心配ごとは取り越し苦労で終わった。

アパートは、エアコン付きで、バスタブまでついていた。
posted by ito-san at 18:42| Comment(2) | TrackBack(0) | 土岐市に移住 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年12月23日

バリよ、日本のゴミ処理に学ぼう!(4)

現在、土岐市で世話になっている友人は現役のイラストレーター。

みんなからは親しみを込めて「画伯」と呼ばれている。

今は亡きお父さんは、陶器の絵付師。

特殊が技術が求められる匠の職人です。

私の寝床確保のために、お父さんの仕事場を整理してくれた。

まだまだ使える道具や、使われなく長年眠っていた物が片付けられていく。

処分するゴミが集められたところで、市の処分場に持っていく。

同居人の男性と私が手伝うことになった。

軽自動車で8回ほど、往復した。

この処理場を見て、日本のゴミ処理は進んでいると感じた。


ついこの間まで滞在していたバリ島は今、ゴミの処理問題に直面している。

私が訪れた1990年から問題になっていたが、一向に改善された様子はみえない。

今回、日本に帰り、土岐市からゴミの処理について学んだ。


市民から行政の一貫した分別ゴミ処理が、街を清潔にしている。

ここに記録に留めて、機会があれば、バリ島にアドバイスできればと思う。

土岐市環境センターを見学してきた。
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ここには、地域で分別されたゴミが清掃車で運ばれてくる。

家庭で出る多量のゴミや、事業から出る一般廃棄物(陶器の町だから、食器や型など)が持ち込まれる。

日本には各地に、これくらいの規模か、それ以上の規模の焼却施設があると言われている。


各家庭による早朝の分別ゴミ
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家庭からのゴミは、燃えるゴミ、燃えないゴミ、資源物、粗大と指定された日と場所に分別して出される。

みんなが少しづつ手間をかけることで、ゴミの問題は解決される。

清掃車が、こうして分別されたゴミを回収して地域を回っている。


役所やスーパー、コンビニなどにも、分別ゴミの投棄ボックスが用意されている
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これは、一般家庭とは別ルートで回収されると聞いている。

市民から行政へと一貫した分別ゴミ処理が、街を清潔にしていく。

清潔な街は、住みやすい街の第一歩。


バリ島9つある県に、こんな焼却施設があれば、今のゴミ問題は解決されると思うのだが。

政府は気が付いているのに、やろうとしないのだろうか?

早く手を打たないと、観光地としての魅力が減速してしまうと心配する。


■追加情報「ポイントカードを利用できる「古紙回収BOX」見つけた!」

こんな取り組み歓迎だね(下石町県道19号沿い・エアーポート77近く)

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2024年12月17日

まずはテント生活から(3)

土岐市の駅前に降り立った時、呆然とした。

大都市でもあるまいに、何を期待していたのかな。

たいてい地方都市の駅前は、こんなもんだということを思い出した。

人口10万人も満たない、54,286人の小都市。

年々人口は減少しているようだ。

乗用車の普及が、拍車をかけているのだろう。


土岐氏は陶器の街として古くからある町、私を魅了するものは残っているはず。

歴史はおいおい勉強していくとして、まずは自然環境を見てみたい。

友人に、スマホで駅に着いたことを知らせた。

和食・影武者の女将由美さんが、セッティングしてくれた海外ローミングが役に立っている。

車で迎えに来てくれる。

不安と期待を織り交ぜた気持ちで、友人を迎えた。

何年ぶりの再会だろうか。

数日前に別れたばかりの友人に会うような、呆気ない対面だった。


仕事が忙しく、私の寝床の確保ができていなく、とりあえず庭でテント生活となった。

こんなことで驚く私ではない。

ヨーロッパでは、駅前でホームレスと一夜を共にした。

温風が吹き出る場所を、譲ってくれた。

オランダでは、運河に係留されたボートにもぐって寝た。

朝方、叩き起こされたが。

トルコではバスに乗り遅れ、港の芝生で一夜を明かした男だ。

野宿でないだけで御の字だ。

3日ほど、小雨が当たるテントで暮らした。

テント暮らしだが、食事は家族と一緒に母屋でする。

6人が同居する大家族だった。

毎晩、心温まる食事がテーブルに並んだ。

家族の団欒は、久しぶり。

良いもんだ!


寝床を確保するために、荷物を片付けをする。

お父さんの仕事場だったところを私に提供してくれる予定のようだ。

着々と、私の住処が完成していく。

どんな生活が始まるのか、楽しみになってきた。
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2024年12月11日

ハノイの夜景を見ながら考えたこと(2)

窓外の夜景を見下ろしながら、ウブドを離れることに未練はないか?と自問した。

まったくないと言えば、嘘になる。

しかし、感傷的になることはない。

誰一人として知り合いのいないウブドに滞在を始めたのは、1990年の5月。

運が良いことに、この村の若者たちは日本語が覚えたがっていた。

日本人旅行者が増え、会話ができることで収入を得られることを知った。

そんな彼らは私を利用し、私は彼らとのコミュニケーションを必要としていた。

信仰・文化・慣習・芸能すべてに興味を惹かれて、34年間の滞在となった。

私の能力では、これ以上習得することはできないだろう。

諦めたのではなく、見切ったのである。


2015年、25年ぶりの日本一時帰国。

この時、ウブドを離れようと考えた。

南米コロンビア・サレント移住計画だ。

*サレントは、コロンビアのキンディオ県の北東にある町で、コーヒー生産で世界遺産登録された観光地。

現地に、ウブドで知り合ったジュンペイさんがいたので、チャレンジしてみた。

観光客としての訪問なら楽しいところだが、残念なことに私の生活には向いていなかった。

ビザ有効期限の6ヶ月で諦め、ウブドに戻ることに決めた。

私は人生に何を求めているのだろう。

生きがいだろうか。

答えは見つかっていない。

生涯旅人『南米コロンビアの旅』を一読いただけると嬉しいです。


あそこに行きたい、ここも行ってみたい。

あんなことをしてみたい、こんなこともやっておきたい。

そんな気持ちは残っている。

今回ウブドを離れる時、それらはすべてを次の人生に持ち越すことにした。

バリの信仰するヒンドゥー・ダルモに輪廻転生という考え方がある。

人は死んでも何度も生まれ変わる。

なかなか天国には行けず、人間界に戻って試練の道を歩むことになる。

それでも、もう一度人間に生まれてきたい。

残りの人生、今世で思い残すことがないように生きたい。


今回、土岐市に移住を決めたのは、友人を頼ってである。

25年ぶりの日本一時帰国の際、友人を集めた歓迎会の幹事を受け持ってくれた彼女です。

この歳になると頼る人のいない移住には、自信がない。

先回の捨て身の日本脱出と違って、今回は大いに戸惑いがある。

これからの日本での生活は、終活になるだろう。

都会でもない、田舎でない、そんな町に住んでみたかった。

そんな私の思いに、アシストしてくれる人物がいた。

つくづく幸運に恵まれた男だと思う。

骨を埋める覚悟で帰国する。

町の魅力を全身で感じてみたい。

終活ではあるが、悔いのない人生にしたいと、老体だが精神は燃えたぎっている。

ウブド生活は私の人生第2章となった。

人生第3章、土岐市生活が楽しみだ。

生きがいは見つかるだろうか?
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2024年12月03日

生涯旅人、最後は日本生活です!(1)

早いもので日本に来てから一ヶ月が経過した。

移住の手続き、アパート探しと入居の準備に時間が取られ、ブログを書く時間が見つけられなかった。

WiFi環境が整っていないのもあるが、環境の変化で自分のペースに戻れていないのも原因だと思う。

11月22日に、アパートの入居。

快適な空間が確保できました。

アパート紹介は、おいおいということで。

ブログはライフワークとして続けたいので、今後ともお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。


帰国日の記録を、覚えとしてメモっておきます。

バリ島デンパサール国際空港まで車で送ってくれたまりこさんと、見送りに来てくれるはずの高木夫婦とお茶をする約束だったが、会えずじまい。

二度とバリでは会えないかもしれないのに。

スマホで連絡が取れないし、時間がないのではと焦る私は、そうそうにチェックインしてしまったのでした。

何と言っても、10年ぶりの飛行機搭乗だから。

搭乗手続きの無人化で、ほとんどがコンピューター対応だと聞いて、インターネット恐怖症の私は恐れをなしている。

毎夜、和食・影武者の大テーブルを囲んで友人たちから、さまざまなアドバイスをもらった。


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チェックインしてからのハードロックカフェ


10月26日(土)デンパサール交際空港 17:30発・ベトジェット(VJ998)

ベトジェット初乗り

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10月26日(土)ベトナム・ハノイ国際航空 21:45着

和食・影武者の女将由美さんが、この日から一ヶ月間、バリで使っていたスマホが日本でも使えるように海外ローミングを繋いでくれた。

ハノイのトランジットでは、アキラさんから餞別でいただいたUSドルでベトナムのラーメン(名前は忘れた)を食した。

バリ人女性が「静岡の息子に会いに行くのですが、日本語ができなくて困っています。名古屋の空港まで手助けしてください」と不安そうに声をかけてきた。

私の方が助けて欲しい心境ですが、初めての日本訪問のバリ人よりは私の方が頼りになるだろう。

「はい、大丈夫です」と答えた。


10月27日(日)ベトナム・ハノイ国際航空 01:35発・ベトジェット(VJ920)

10月27日(日)中部国際空港セントレア 08:00着

バリ人女性の書類作成をお手伝いして、私は顔認証やなんだかんだの不安材料を無事クリアーして到着ロビーに向かう。

私のあとしばらくして、彼女が到着ロビーの出てきた。

彼女が私に小さく手を振るのと同時に、息子さんが駆け寄って行く姿が見えた。

セントレアは、私がウインドサーフインをしていた常滑沖に2005年に完成。

朝食は、コメダ珈琲のモーニングセット。


セントレアから名鉄常滑線で金山駅へ。

30キロ弱のスーツケースとハンドパン(楽器)とリュックを背負っての移動。

日曜日だったので、車内は空いていた。

電車の出発と同時に、スーツケースが滑り出し慌てて取り押さえる。

その後は、両足で挟んでキープ。

生まれ故郷の南区柴田駅を通り過ぎる。

金山駅から中央本線に乗り継いで、土岐駅に。

切符の購入も皆様のアドバイス通りで、スムーズに行きました。

何と言っても、日本語表記なのがいい。

当たり前か!


土岐駅には、友人が迎えに来てくれることになっている。

さっそく、海外ローミングを使って連絡を取る。
posted by ito-san at 13:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 土岐市に移住 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする