2025年02月19日

買出しには、リュックが便利!(17)

自炊するようになってから、スーパーでまとめ買いをするようになった。

買い物の時は、エコバックを持参する。

これはウブド滞在の時に身についた。

Pepitoのエコバックは、大きくて重宝している。

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ウブドでバイクを乗っている時は、ハンドルに引っ掛けるかステップに置くので気がつかなかったが、日本で歩いて買い物に行った時に、手持ちのエコバックが重いと感じた。

徒歩で10分くらいのスーパーだが、何度も持ち替える。

自転車での買い物も試してみたが、重いエコバックを持っての運転は危険だった。

肩に掛けてもバランスが悪かった。

背負ったほうが楽じゃないかと思いついたのは、今日のことです。

なぜ、その時に気がつかなかったかと言われれば、面目無いが。

帰国の際、友人夫妻からの贈り物いのリュックがある。

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リュックなら自転車にも乗れる。

将来的に、キャリーカート&手押しカートでの買い物になるとは思うのだが、それまではリュックを活用しよう。

電動アシスト自転車というアドバイスもあった。

自転車走行が辛くなったら、それも考慮にいれたい。

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2025年02月18日

スマホが壊れた!と思ったけど(16)

いやはやアタフタしましたよ。

スマホがストライキ起こしたように、思うように反応してくれない。

挙げ句の果ては、私の今の生きがいである写真が撮れなくなった。


行ってきましたよ、イオンモール内にあるソフトバンクへ。

遠いよ〜。

購入したのが、ここなのでしかたがない。

アパートからだと、丘越えの上り坂。

行く前に心はおおいに拒否したが、スマホが使えないと困っちゃうな〜なので、頑張りました。

自転車で一時間だった。

歌を唄いながら走ったよ!


「長谷川さん、お願いします」

と声をかけたスタッフが、本人だった。

彼女から買ったので、責任を持ってもらおうと、指名した。


彼女は、スマホを見た瞬間「問題ないですね!」「カメラも大丈夫ですね」なんて言う。

手元を除くと、確かにできている。

「初期化しておきます!」

あなたは魔法使いか?


原因は、広告のクリックのし過ぎで、スマホが混乱してしまったようだ。

「ここままだと電話が壊れます!」

「メモリーがいっぱいです」

「メモリー不足のため操作を続行できません。空き容量を確認してください」

「スパムメッセージが962件あります。片付けますか」

「ストレージが足りません」

ジャンククリーナー・写真圧縮の削除・アプリのプロセスの削除・バッテリー情報の削除

アプリをインストールしてください!

などなどの広告が、頻繁に送られてくる。


私にとっては、脅し文句だ。

恐怖心を煽って誘ってくる。

他社も、此奴はいけるぞと付け込んで来る。

あれだけ脅かされると、アプリを使わなくっちゃと思ってしまうよね。

焦る私は、次から次へクリックしてしまったわけです。

悪循環の連鎖、泥沼にハマったようだ。

アプリをアンインストールして、収まった。

皆さんは、どう対処してますか?
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2025年02月13日

ふと、こんなことを考えた!(15)

ベビーブームの落とし子を「団塊の世代」と呼びようになったのはいつ頃だろう。

1947(昭和22年)から1949年(昭和24年)にかけて生まれた世代の人間をさす言葉で、作家・堺屋太一の命名が定着したと言われている。


1947年生まれの私は、誉ある初代団塊の世代となった。

私が通った名古屋の中学校は、ひとクラス50人以上でP組(16クラス)まであった。

なんと800人以上はいたことになる。

私が3年生時の全校生徒は、単純計算で、なんと2400人だ。

高校入試期には、新設高校が幾つか誕生した。

大学入学時には、学部が増えた。

「戦争を知らない子供たち」「全共闘世代」と言う、言葉が生まれた。


大学生の頃、団塊の世代は将来、高齢化を迎えるだろうとは理解していた。

年金の問題も想像できた。

団塊の世代が支払った年金は、どこへ行ってしまったのでしょうかね。

どんな運用しているか、政治に疎い私には理解できていない。


人口ピラミッドのグラフは団塊の一波、二波、そして三波と続き、そのあと波は緩やかに低くなっていくと予想していた。

しかし現実は、三波を迎えず少子化に向かっていた。

責任は、政府の無策のせいでしょう。

少子高齢化と一括りの言葉が生まれた。

「高齢者は老害化する前に集団自決、集団切腹みたいなことをすればいい」なんて言葉がメディアに取り上げられた。

団塊世代の私たちが、少子化の責任を感じて肩身の狭い思いをするのは違う気がするのだが。

日本が抱える少子化と高齢化問題を、当事者として身近で感じていたい。

そいう意味でも、日本に帰るタイミングだったと思っている。

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2025年02月08日

いやはや認識不足もはなはだしい!(14)

日本での滞在が始まれば、公共交通機関が無料で利用できる高齢者優遇パスがもらえるものと考えていた。


ウブドではスクターに乗っていたが、自動車渋滞が激しくなり、老齢ということもあり走行に危険が伴うのを感じるようになった。

日本の自動車免許は、日本帰国を考えていなかったので、早い時期に更新をしなくなっている。

持っていたとしても、高齢者になって返納しただろう。

今回の日本帰国では、バイクも自動車も運転するつもりはない。


世話になった友人宅からは、歩ける範囲で行動した。

行動範囲は狭い。

住民票の作成に市役所に、何度もでかける必要があった。

市役所へは、徒歩で一時間ほど。

決して大変な距離ではないが、「時は金なり」の産業革命的なキャッチフレーズで育った団塊世代には、時間の無駄使いとなる。

バスを使ってみた。

土岐市の場合は、無料という以前の問題で、バス路線が極端に少ない。

市民バスとして、東鉄バス(東濃鉄道株式会社)が運行しているが、私鉄なので高齢者優遇パスはない。

障がい者割引はあるようです。

昭和6年に開通した駄知鉄道のバスは、郷土下石の文献に1日8往復していたと記述がある。

1乗車100円の市民バスもあるが、いつどこを走っているのかわからないほどのレベル。

これは計算違いだった。

というより、私が知らないだけで、これが日本の現状なのかもしれない。


土岐市は、盆地北部の中央線駅を中心に発展しているが、中部&南部は衰退傾向にある。

友人宅は中部にあり、バスは一路線 で1日6本。

市役所へは、06:37 07:06 08:03 10:07 15:57 17:42

帰りは、市役所から 07:29 09:29 12:24 15:19 17:04

私は行きは10:07に乗り、帰りは12:24か15:19に乗る。

土岐市駅まで足を伸ばし、2〜3時間徘徊してくる。

この料金が無料になってくれれば、嬉しいのだが。


バス路線が充実していない不便さと、市役所往復のバス料金640円が負担と感じ、自転車を買うことにした。

鉄屑屋で5000円で見つけた。

行動範囲は、格段に広まった。

丘が多いのでバテてしまうが、一時間も走ればかなりの距離まで行ける。

問題は、いつまで乗れるかということ。

体力がなくなれば、乗れなくなるだろう。

その時には、原付バイクに乗ることになるのかな?

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2025年02月04日

日本に帰国して3ヶ月がたった!(13)

ウブドを離れ、日本に帰国して3ヶ月が経ちました。

各地から救援物資が届き、おかげさまで暖かな正月を過ごすことができました。


エアコン設備のある部屋に、電気カーペット、電気ストーブ、電気あんか、湯たんぽなどが揃い、それぞれを使い分けながら、快適に過ごしています。

厚手のジャンパー、クラシックチェック柄のシャツ、ジーパン、長袖下着、ロングスパッツ下着、厚手の手袋、雪国仕様のブーツ、スカーフ、ネックウォーマー、厚手の靴下も届いた。

ウブド滞在中は、Tシャツにビーチサンダル、寒く感じる季節でも薄手のジャンパーを羽織るだけで過ごした。

冬仕様の衣類を持っていなかったので、大・大助かりです。

2月3月と、これから寒くなると聞いています。

皆様の心温まる援助物資のお陰で、冬を乗り越えられそうです。

食材の差し入れもあり、伊藤家の食卓に彩りを添えてくれています。

栄養も補給できています。

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ウブドでもそうでしたが、周囲の仲間の善意で生きてきたことを痛感しております。

今後とも、末長くお付き合いのほど、よろしくお願いいたします!
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2025年01月30日

たいていの近代設備にも慣れてきた!(12)

日本滞在も2ヶ月が好き、自動化・無人化・たいていの近代設備にも慣れてきた。

空港での無人化は、帰国時に体験した。

システムの簡素化は想像できる範囲内ではあったが、現場ではアタフタしましたよ。


日本国内の無人化は、想像を超えたもので戸惑うことが多かった。

ガソリンスタンドは、スタッフが飛び出して来て、窓を拭いたり灰皿を変えてくれるのが、私の常識だった。

今回の帰国では、給油がセルフだったことに唖然とした。

スタッフのサービスからセルフ・サービスに変換するタイミングが、想像できないでいる。


レジは各店舗で違い、数種類のシステムがあることを知った。

バーコードを自分でスキャンするレジには、慌てた。

もっと進んでいるスーパーもあると聞いている。

レジで人を持たせるのが申し訳なくて、小銭を出せずに札で支払い、おかげでチャリ銭が溜まってしまう。

溜まってしまったので、1円と5円を入れた袋、10円玉の小銭袋、50円と100円の小銭入れを用意して払うようにしていた。

今では、待たせるのも苦でなくなり、小銭が溜まることもなくなった。


アパートで困ったことは、部屋のシーリングランプ(天井照明)のスイッチが見つからなかったこと。

リモコンだと気づくのに、数分かかった。

やっと温水洗浄便座に慣れてきたのに、アパートのトイレはウオッシュレットではなかった。

腰を下ろすとき、冷たさに「ウォ〜!」と声が出でしまう。


行動範囲が狭いので経験していないことが多いはず、まだまだカルチャーショックは続くことでしょう!
posted by ito-san at 16:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 土岐市に移住 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年01月25日

リピーターさんからの土産本が手に入らなくなる(11)

ウブドを離れて、なにが辛いと言っても、本が読めなくなることだった。

と、心配していたが、なんと日本には公立図書館がある。

公立図書館は、地方公共団体が運営している。

もちろん、私の滞在する土岐市にもある。

無料で借りられるんですよ。


ウブドに滞在始めた1990年、これまでまったく読書に興味がなかった私が活字に飢えた。

目的もなく滞在しているので、日々、これといってやることはない。

スマホもユーチューブもない時代です。

明るいうちは、知り合った日本人旅行者とつるんでいればいい。

田舎の夜は長い。

時間つぶしに、本が必要になるのである。

ウブドに新刊書を扱う書店はない。

古本屋が数件あり、少ないが日本語も本もある。

バックパカーが置いていった本だ。

古本屋には、旅行記や精神世界系が多かった。

ウブド滞在の旅人同士で、日本から持ってきた数少ない蔵書を、回し読みした。

そんな状態なので贅沢は言わず、手元に入ればなんでも読んだ。

あっという間に、底をつく。

時々、飛行機内の新聞、雑誌、機内誌が届く。

1991年、居酒屋・影武者の開店で、日本からのお客様が本を持ってきてくれることが増えた。

影武者の本棚設置は、この時から始まった。

こうして、私の活字に飢えた時期が解消されるようになる。

当時は、バリ系の本が多かった。

おかげのバリのことをまったく知らなかった私も勉強になり、興味も深まっていった。

34年間の滞在は、皆さんにおかげです。


2009年3月21日、月一回開催の「ウブド・本の交換会」が始まった。

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月二回の時期もあり、10年100回続いた。

交換会は閉会したが、リピーターさんが届けてくれる本で、充実した読書生活が送られた。

目的を持って読んでいるのではないので、持ってきてくれるお任せの本は、選ばなくてもよいので私的にはグッドでした。

たいへん感謝しています。


これからは図書館があるので、困らないだろう。

読みたい本を探すのに苦労するだろうが、手に入らないという思いはしなくてもすむ。

とりあえず、土岐市図書館行ってきます。

人生初の図書館訪問、ドキドキする。
posted by ito-san at 17:04| Comment(1) | TrackBack(0) | 土岐市に移住 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年01月20日

2025年01月20日:ヒロシです! CookDoってソースのことですか?(10)

料理ができない私でも、レトルト食品を温めることはできる。

おかげさまで電子レンジが手に入ったので、チンするだけの弁当やレトスト食品は購入できる。

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ボンカレーは常備食。

買い物も苦手な私は、値段も説明も見ずに買うことが多い。

日本に帰ってからは、値段は確認するようにしている。

説明は、ほとんど読まない。

そしてこの日、ボンカレーと同じ棚に載っている商品に目がいった。

外箱の体裁が、ボンカレーに似ている。

たまには違ったものを買おうと、プチ冒険。

あるだけ(四種類)を購入。

今夜は料理らしいものが食えるぞ!とほくそ笑んだ。

さあ、どれから食べようか。

裏の説明を見る。

用意するものがいるようだ。

肉約150グラムにピーマン約130グラム。

四種類全ての料理に、肉が使われている。

生まれてこのかた、肉を買った記憶がな〜い。

スーパーの生鮮食品売り場は、ほとんど素通りです。


なんとか、このまま食べられないか?

代用案が思いつかない。

AJINOMOTOのCookDoって、ソースのことですか?

ソースだけでも食べれるだろうと温めて、ご飯にかけてみた。

一袋三人前を、一食で。

青椒肉絲(チンジャオロウスー)、あまり芳しい食べ物にはならなかった。

自分に対する今回の教訓「説明書はしっかり目を通しましょう!」

酢豚、回鍋肉(ホイコーロウ)、麻婆豆腐が残ってしまった。

翌日、マヨネーズをかけて食べたキャベツの残りがあったので、炒めて回鍋肉(ホイコーロウ)と混ぜてみた。

青椒肉絲よりは、食べ物にはなった。

「ヒロシです、CookDoってソースのことですか? 紛らわしいからレトルトコーナーに置かないで欲しい!」
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2025年01月18日

田中家一家のサプライズに、驚きと感動!(9)

窓側にパソコンを構えて、一昨日(12月27日)届いた「宍道湖しじみジンジャーエール」を、Tik TokとXに投稿中のこと。

サエちゃんから電話がかかった。

「めちゃ、声近いね!」の第一声。

「そうだね、こちらも大きく聞こえますよ」と答えた。

窓から外を見るとさえちゃんが、スマホを手に歩いている。

まさか、ウチに向かっているということはないよね。

突然の訪問、驚きながら玄関ドアーを開ける。

「サプライズです!」と、とし君も登場。

「今、「宍道湖しじみジンジャーエール」をTik TokとXに投稿していたところだよ」

頭の中は、とし君とさえちゃんの紹介文でいっぱい。

このタイミングで、本人登場とは、狐につままれた気分。


とし君とさえちゃん夫妻、ウブド通なら、ご存知の方も多いと思います。

アイデアマンで、なおかつ実践する二人のタッグの行動力は強い。

どういう風に紹介すればいいか、困ってしまうほど多才のふたり。

とし君の雑貨屋「バルバングン」、バロンクッキーの製作はさえちゃん、バロンブロッジカフェの人気スウィート「マンゴタルト」はさえちゃん作、などなど。

ウブドラジオのMCは、とし君とアンカサのこてつちゃんだった。


4年前(2020年)に、青年協力隊で島根県邑智郡美郷町に移住してからは、美郷サンバル・三柱バームクーヘン(試作中)・マタタビコーラなどのご当地商品を考案。

食材以外に、カードゲーム「おろちゲーム」を制作・販売中。

などなど、まだまだ紹介できないほど。


美郷町を訪ねたいと思っている矢先に、先を越された訪問。

来年には大阪に引っ越すというから、美郷に在住している田中家一家には会えない。

そう、とし君、さえちゃんの姓は田中なんです。

お互いウブド滞在が長く、ウブドを盛り上げることに一生懸命だった時期があるので、同志という感じがする。

私は、終活中の身。

あのころの熱い想いで、ウブドの地に立つことは、もう叶わないだろう。

そう思うと、こうやって会えてることに感慨深いものがある。

とし君、さえちゃん、なず、しんが、つぐ、みーしゃん。

会いに来てくれてありがとう。

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最後に、「宍道湖しじみジンジャーエール」について簡単に紹介しておきます。

美郷町地域おこしグッズの第4弾になるのか?

ウコン、グローブが含まれるジャムウ系(インドネシアの植物系生薬)の炭酸飲料。

ジャムウの苦さがなく、炭酸飲料で飲みやすかった。


アイデアが滲み出てくる田中夫妻。

今後の動向に、目が離せない。

たくさんの写真をありがとう!
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2025年01月15日

なぜ、土岐市に田んぼがないのか?(8)

帰国してこの2ヶ月、歩いたり自転車に乗って徘徊した。

距離的には、そんなに遠くへは行っていない。

歩いても自転車でも、片道1時間ほどの範囲内。

この頃、風景になぜか物足りなさを感じるようになった。

ウブドで毎日見ていた、田んぼの景色が見当たらないと気づいた。

ウブドは、ライスフィールド・ヴュー、ライステラス・ヴューで人気の観光地。


田んぼヴューの人気の秘密は、心に残る風景が見られるところ。

それは、田おこしの時に餌を求めて舞い降りるココカン(白鷺)の群、アヒルの群の水浴び、水が張られた田んぼに映る夕陽に田ごとの月、稲の神デウィ・スリに捧げる祈り、田植えや稲刈りをする村人の姿、蛍の乱舞などなど、数え上げればきりがない。

一年中見られる、バリ島の風物詩とも言える。

田おこしから稲刈りまでおよそ4ヶ月、放置する期間も入れて5ヶ月で収穫できる。

年2回の二期作ではなく、二年で5回収穫の二、五期作。

バリでは、何月に田植え、何月に稲刈りとシーズンが決まっていないので、毎年時期は違ってくる。

各地の水利組合の予定で水引が決まるため、田植えの時期はバラバラ。

田植えの始まった田んぼの横で、稲刈りをしている光景を見かける。

一年中、どこかの集落で一連の稲作の作業が見られるという、特殊な島。


なぜ、土岐市に田んぼがないのか?

都会は別として、日本はどこへ行っても田んぼがあるものだと思い込んでいた。

考え違いも甚だしい、認識不足を確認した次第です。

「私の町にも田んぼはないよ!」という方は、教えてください。

土岐川に流れ込む支流も多く、用水には苦労しないと思うが。

理由は、土岐市のホームページで簡単にわかった。

@土壌は粘質土が多く、陶磁器原料に適した良質な陶土を産出する。

Aしかし、痩せていて農業生産には適していない。

その結果が、美濃焼の1300年の歴史の礎となったのだ。

田んぼヴューがないからと言って、絶望しているわけではありません。

ない物ねだりはしません。

土岐市は、緑の山々に囲まれた風光明媚な小盆地にある。

南北約18キロ、東西約12キロの町。

まだ、魅力を見つけられていないだけ。

これから、魅力探しの徘徊が始まるのだ!


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プンゴセカン通りシャトルバスのプラマ社前。クブク・バンガローが見える

posted by ito-san at 17:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 土岐市に移住 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする