曇り空ながら、降り続いていた雨が止んだようなので、久しぶりにチャリで遠出。
茶室・暮雪庵(ぼせつあん)の写真を撮りたくて、九月(13日・24日)の茶会を覗くことにした。
土岐市北部にある織部の里公園の「洗心苑・暮雪庵」へ、ひとっ飛び。
由緒正しき暮雪庵の説明は、以下、土岐市公式ウェブサイトを引用させてもらいました
平成16年に松坂屋の創業家である伊藤家の別荘「揚輝荘」にあった茶室「暮雪庵」を織部の里公園に移築しました。
建築年代は不明ですが、江戸時代中後期の久田流茶人久田耕甫が揮毫、命名したことが茶室の扁額に刻まれた落款から分かりました。
茶室は、台目三畳松の中板入り。床は、枡床で中柱は赤松。天井は、掛け込み天井で突上窓があり、点前座の上は網代天井。屋根には布袋様が描かれた拝み巴瓦があります。躙口のほかに貴人口を設け、連子窓や下地窓など窓を多くし明るい造りの茶室です。
同じく揚輝荘の暮雪庵庭園より移された千利休由来の「四方仏蹲踞」を創陶園に展示しており、庭には複製を展示しています。
以上。
(「四方仏蹲踞」の蹲踞=ついばいは、茶室に入る前に手を洗うための水鉢のこと。客が低くしゃがんで手を清める姿勢から、この名前がつけられた)
洗心苑の文字も厳かな、扁額の掛かる門を潜る。

背の高い垣根に囲まれた露地は、二度三度と直角に折れ進み、茶室につながる建物に到着した。
帰り仕度のカップルと作務衣を着た初老の男性が、立ち話をしている。
会釈をしながら横を抜け、受付のテーブルに近づく。
作務衣の男性は、客人を見送ると、私に声を掛けてくれた。
「お茶でも飲みますか?」
「無作法ですので、遠くからでも見学させていただければ」
「作法を知らなくても良いから」と勧められて、人生初の茶会に参加することになった。
男性は庵主のようだ。
建物の玄関に足をいれると土間の奥に三畳間があり、女性の先客が赤い毛氈に座っていた。
彼女の横に並んで腰を下ろした。




リュックを壁に立てかけるわけにはいかず、土間に置いた。
壁にもたれかかるのも、はばかれる雰囲気がある。
紫の着物を着た娘さんが入室してきた。
私の斜め前に座り、呈茶券をのせたお盆を置き、両手を揃えてお辞儀をした。
参加費5百円をお渡しする。

しばらくして、お茶菓子が運ばれてきた。

食べ方にも作法があるのだろうが、わからないので ちょっと気取って口に運んだ。
さきほどの娘さんがが「それでは案内させていただきます」と我々を促す。
いよいよ茶室に誘導されるのだ。
本日、我々の案内人は彼女なんだろう。
「こちらから向かいます」と、玄関と反対側を示した。
そこには、雪駄が用意されていた。
雪駄に履き替えて、庭に降り、敷石の置かれた順路を大きく回って茶室に向かう。
広くない敷地は、巧みに設計されている。
茶室の庭に通じる竹垣の竹扉は、閉まっていた。

茶室では、もてなすための準備をしているのだろう。
東屋で待っていると、もうひとり女性が加わった。
案内人の娘さんが、竹扉を開き、膝を折って腰を屈めて我々を招き入れた。
一つ一つ形の違う飛び石を、左右の足の運びを確認するようにして進む。
手水舎で、柄杓を使って手を清めた。
この水鉢が「四方仏蹲踞」だったんだね。
いよいよ茶室に入る。
小さなにじり口を潜る。

茶道に心得のある方には、何書いてんのとイライラしていることでしょう。
ここからの本番の解説は、皆様の想像に任せて、遠慮することにした。
茶室内の写真撮影は禁止なので、土岐市公式ウェブサイトの説明からイメージしてください。
結論を言えば、茶室の空間は、聖なる異次元を感じた。
扁額に書かれた洗心の文字が、理解できたと言っておこう。
茶道は日本の伝統文化のひとつだが、私には縁の薄い文化だね。
住む世界が違うと思ってしまった。
最初で最後の茶席になることでしょう!
洗心苑茶室・暮雪庵
https://youtu.be/4XoW7nGzP5E?si=3HC8BhW4zcJPrFLZ