2025年10月29日

土岐市下石町の滞在が今日で、まる一年となった(54)

昨年10月28日にウブドを離れ、29日に土岐市に降り立った。

去年の今頃は、これからどう生きていくんだろうと不安と期待だったはず。

ウブドを離れるのも勇気がいったが、34年前の日本を離れる時に比べたら気楽なもんだった。

あの時は、生きて日本に帰ることは考えていないかったからね。


ウブド訪問の第一印象は、ゆっくりとした時が流れていたこと。

人々の歩みも、のんびりしていた。

私ものんびり歩いてみた。

深呼吸のリズムで歩いているんだ、と気づいた。

耳を澄ますと、鳥や虫の鳴き声と風が創る音が聴こえてくる。

ウブドが穏やかに感じたのは、自然のリズムで生活しているからだ。

今、滞在している下石町も、時間がゆっくりと流れている。

BGMは、自然の音。

耳を澄ませば、いつでも聴こえてくる。

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ウブドも下石も、人々はおっとりとしている。

気軽に声を掛けることができるのも嬉しい。

誰もが優しく、対応してくれる。

一年間滞在してみて、日本語の通じる外国で暮らしているような感覚で居る。

34年ぶりに、日本の四季を過ごした。

暑い国、寒い国、雨季のある国、曇り空の続く国、陽が沈まない国etc。

そんな地域に比べると、記憶に残っている日本の四季とは少し変わったようには感じるが、私には、まだまだ過ごしやすい。


ウブドは、観光地としての煩雑さが年々増している。

下石は、年々、過疎化が進んでいる。

発展したウブドを体験し、今は、衰退していく下石を経験しようとしている。
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2025年10月07日

私が愛したウブドは私の原風景だったのか(53)

この頃、私の思考は二分している。

”過去と今”です。

過去は大きく分けて、二つ。

一つは、生まれてから42歳まで(1947〜1990)の日本での生活。

もう一つは、34年間のウブド滞在(1990〜2024)。

今は、帰国(2024〜)してからの土岐市の生活となる。


SNSでは ”過去と今” を投稿しているのですが、過去についてはウブドが中心になっている。

ウブドの記憶は、年々、色あせてしまうから、鮮明なうちに発信してしまえというわけです。

なので、もうしばらくお付き合い願いたい。

そのウブドの発信が、どうも ”昔は良かった” 的な内容が多いのではないかと気がついた。

今が良くないと言っているわけではない。

無意識のうちに、自分が好きだったウブドをアピールしてしまっているのだ。


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(写真提供:中村政広)


私が愛したウブドは、どんなだったか考えてみた。

村を歩くと、そこに暮らす村人の気配を感じる。

道端で闘鶏を愛でる男衆。

門の階段に腰をおろし、ひなたぼっこしながら白髪を抜き合う婦人たち。

気軽に声をかけてくる村人。

すれ違いに投げかける、顔と眉毛を微妙に動かす独特の挨拶。

家寺の祠の屋根が、塀越しにいくつか見える。

色とりどりの南国の花が咲く、塀前の狭い庭。

雨が降ればワンティラン(集会場)の軒下で雨宿り、川となった道を流れるヤシの実などを見て、何時間も止むのを待つ。

畦道の散策は、時として、べべ(あひる)のコミカルな行列や、田おこしに群がるココカン(しらさぎ)の行動に遭遇する。

停電になると使われる、灯油ランプとケロインランプの灯り。

指先で食べる食事や手桶水洗のトイレなど、カルチャーショックの数々。

まだまだあったが、今、思い浮かばない。

こうして並べあげると、私が愛したウブドは私の原風景だったのかも。

心地よい思い出と繋がったのだ。

滞在始めた90年代、知り合った旅人は同感の人が多かった。


年々、これらを感じられなくなってきた。

色とりどりの花が咲いていた、塀前の小さな庭が姿を消した。

塀は貸店舗で隠れ、面影を残すのは屋敷門だけとなった。

ホテルやレストランが建ち、田んぼの風景は見られなくなった。

ウブドの魅力は、年々変わる。

今、どう変わったか考えてみたい。


極楽通信・UBUD」36「メッキされるウブド」https://informationcenter-apa.com/gt_plating.html
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2025年10月03日

男子厨房に近寄るべからず!(52)

職業軍人だった親父の教育方針が「男子厨房に近寄るべからず」だったのと、六人兄弟の末っ子の私に二人の姉は料理作りをさせなかった。

お袋は料理が得意だったのか、どれも美味しかったのを思い出す。

言い訳になりますが、そんなことから、この歳になるまで料理はできないでいた。


ウブドでは「和食・影武者」の女将の好意で、栄養管理の行き届いた美味しい食事を賄っていただいていた。

土岐市に移り住んでから、自炊は必須となった。

味音痴の私の料理は、盛り付けには気を使うが、味覚も栄養バランスも無視した料理。

それでも、美味しくいただいているので、文句はない。


近い将来、ガスコンロを使わない、包丁を使わない生活になるだろうと思っている。

もし事故を起こした時に、スムーズに対処ができないだろうと心配するからだ。

独り住まいの高齢者としては、危険は避けたい。

となれば、食事はおのずとインスタント食品になる。

レンチンできる出来合いの弁当やインスタント食品は、身体が不自由になるまではできる限り手を出さずにおこうと誓っている。

あと数年だ、と予測。

それまでは、料理を作るようにしたい。

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包丁さばきが、危なっかしくなってきた今日この頃。

バイク事故で右手の甲の薬指に近いところが骨折して、未だ金属が入っているので、微妙な包丁さばきができない。

事故前までは、ナイフやノミを使って家具を作っていたのにね。

微妙な力加減ができないし、人参、じゃがいもなどの皮むきもぎこちなくなった。

皮むき器・ピーラーがあることは知っていたが、頼りたくなかった。

なぜか、こんなところに意地をはる、めんどくさいオヤジです。

カレーを作る機会が増えて、ジャガイモの皮むきに古傷が痛み、ピーラーを頼ることを決定。

御用達の100円ショップで、探すことにした。

多種類あったが、包丁のように使えるI字タイプを購入。

念の為、T字タイプも買った。

刃は微妙な角度で、皮を薄く削いでいく。

優れものだった。

もっと早く手に入れればよかったと、ちょっと後悔。

今では、皮をむくのが楽しみになっている。

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2025年09月30日

初渡バリ・思い出の写真一枚集!(51)

フェイスブックのUbud-ianで募集した『初渡バリの思い出に残る写真一枚!』。

あなたの感動・思い出を共有したいと言う思いでの募集です。

16名の友人から、コメントとともに56枚の写真が届いた。

3分40秒のスライドショーを作ることができたので、アップします。

永久保存版です。

画面の切り替えごとに、1名となっています。




コメントの数々も読んでください。

○なにが理由で重度のリピーターになったのか。
たぶん、ウブドの田んぼののどかな光景や、熱帯雨林のジャングル、心優しいバリの人々の笑顔、バリヒンドゥーの文化や芸能、美味しい食べもの、神様や精霊の気配、そして朝の音。
もう、なにからなにまで全部ですね〜。

○逃げるようにいったバリでしたが、そのおかげでこんなに人生が変わるなんて思いませんでした。

○お写真の色あせた感が、バリ島の良さを全て表してる気がする。そんな素敵な写真ですね。

○懐かしい!!このポジネガの現像具合がインドネシアだなーとしみじみ。

○古き良きバリ、懐かしい雰囲気、嬉しかったです。

○2ヶ月間滞在してどっぷりバリにはまりましたw 停電も多くてあの頃の素朴なバリが懐かしいですね!

○ウルウルした経験あるんだよね!

○わかります。私も毎回空港で泣いていました。

○わ、若き自分がいる。。。嬉し切ないなぁ。

○素朴、、いい時代でしたね。

○素敵な動画に参加させて頂きありがとうございました。

Special Thanks:
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2025年09月26日

レンチン鍋を買ったという報告(50)

今更だけど、電子レンジの普及で、家庭料理が画期的に変わったようですね。

進歩したのかどうかはわからないが、便利になったことは確かだろう。

仕事柄、喫茶・レストランの厨房にガスレンジやオーブンレンジ導入することはあった。

その当時(1970〜1980)電子レンジは高価だったのか、扱っていない。


職業軍人だった親父の教育方針が「男子厨房に近寄るべからず」だったのと、六人兄弟の末っ子の私に二人の姉は料理作りをさせなかった。

お袋は料理が得意だったのか、どれも美味しかったのを思い出す。

言い訳になりますが、そんなことから、この歳になるまで料理はできないでいた。

料理は、鍋・釜・プライパンなどを使い、焼く・炒める・煮る・蒸すことぐらいは知っている。

刺身はさばけないが、野菜を切ることはできる。

土岐市に移り住み、必要に迫られて、いろいろと失敗は繰り返してはいるが、なんとか美味しく食べられる物を作れるようになった。

料理作りは楽しくはないが、ルーチンにはなっている。


アパートに入居してすぐに、リサイクルショップで電子レンジを購入(\4,378-)した。

使い方を知らないが、電子レンジがあれば、何でもできる聞いていた。

専用の器を利用すれば、焼く・炒める・煮る・蒸す以外に、炊くもこともできるという。

スーパーやコンビニには、レトルト&冷凍食品が充実し、電子レンジの使い方一つで、料理のレパートリーが増える。

ユーチューブには、豊富なレシピが投稿されている。

電子レンジで料理することを”レンチン”と言うようですね。

時々ではあるが、私も弁当やレトルト食品を温めるのに”レンチン”している。

最初のうちは、ご飯は鍋て炊いていた。

透明の蓋を覗いて、炊き具合を見る。

焦げる匂いを察知して、炊き上がったことを知る。

なんと言っても、飯盒ご飯世代だから。

昭和生まれは、これが美味しいご飯の炊き方だと思い込んでいる兆しがある。


3月頃になって、友人から陶器のレンチン鍋を借りて炊くようになった。

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電子レンジで、ご飯が炊けることが不可解だ。

高周波のマイクロ波がうんぬんなんて、もっと理解できない。

500Wで9分を指示すれば、確認作業をしなくても炊きあがってくれのは、便利だった。

レンチン用の鍋が、百円ショップで手に入れることができるとも教えられた。


たびたび百円ショップに出かけるが、気にかけなかったこともあり、レンチン鍋の存在を忘れていた。

8月に入って、レンチン鍋(\880-)が目に飛び込んできた。

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そろそろ買え!とのお告げか。

便利の誘惑に、逆らえなかった。

断捨離をしているつもりでも、物が増えていく。

現在、この鍋で美味しく炊ける方法を模索中。

と言うことで、今回はレンチン鍋を買ったという報告でした。

最後まで読んでくれてありがとう。
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2025年09月19日

私の替わりに、スマホが熱中症になってしまった!(49)

私の替わりに、スマホが熱中症になってしまった。

新たに入手するために、イオンモールのソフトバンクを再訪することにした。

今日の天気予報は、雨の降らない曇り。

気温も、32度を下回っている。

昨日まで雨は降るし、35度以上の気温が続いた。

これはチャンスだ。

イオンモールは、朝10時開店。

9時出発で、チャリを走らす。

45分で到着。

思ったより早く着いたので、コメダ珈琲でモーニング(\540)。

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読書(瀕死の双六問屋:忌野清志郎)をしているうちに、10時を大幅に回っていた。

急いで、ソフトバンクに。

スマホが、OPPOからnubia S 5Gに、機種が変更される。

購入価格は1円。

数字のマジックを聞かされて、契約を済ます。

なんとかなるだろう。

データの移動に一時間ほどくださいと言うので、昼食時間にした。


電動自転車を見に「イオンバイク」・乾電池チェッカーを探しに「 DAISO」・アクションカメラの価格調べに「Joshin」と店内を徘徊。

その後、とんかつの「とう庵」で弁当を頼む。

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和豚ロースかつ弁当\1,069-。

あっ、スマホが手元にない。

贅沢な昼食を、写真が撮りたかったな。

なんて考えながら、なぜか店内に入れてもらえずに外席で待たされる。

後から来た客は、店内に入っていく。

なぜ・なぜ・なぜ!

「お待たせしました!」とスタッフさんが、袋にいれた弁当を手渡してくれた。

そうか、弁当はブンクス(持ち帰り)なんだ。

だから会計が、先払いだったのか。

また一つ、勉強になった。



昼食時間の一時間が過ぎたので、ソフトバンクに戻った。

スマホを受け取り、弁当を食べにフードコートのようなエリアに移動。

弁当は美味しかったし、写真も撮れたので、満足満足!

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2025年09月18日

人生初で最後になるであろう茶会に参加!(48)

曇り空ながら、降り続いていた雨が止んだようなので、久しぶりにチャリで遠出。

茶室・暮雪庵(ぼせつあん)の写真を撮りたくて、九月(13日・24日)の茶会を覗くことにした。

土岐市北部にある織部の里公園の「洗心苑・暮雪庵」へ、ひとっ飛び。


由緒正しき暮雪庵の説明は、以下、土岐市公式ウェブサイトを引用させてもらいました
平成16年に松坂屋の創業家である伊藤家の別荘「揚輝荘」にあった茶室「暮雪庵」を織部の里公園に移築しました。
建築年代は不明ですが、江戸時代中後期の久田流茶人久田耕甫が揮毫、命名したことが茶室の扁額に刻まれた落款から分かりました。
茶室は、台目三畳松の中板入り。床は、枡床で中柱は赤松。天井は、掛け込み天井で突上窓があり、点前座の上は網代天井。屋根には布袋様が描かれた拝み巴瓦があります。躙口のほかに貴人口を設け、連子窓や下地窓など窓を多くし明るい造りの茶室です。
同じく揚輝荘の暮雪庵庭園より移された千利休由来の「四方仏蹲踞」を創陶園に展示しており、庭には複製を展示しています。
以上。
(「四方仏蹲踞」の蹲踞=ついばいは、茶室に入る前に手を洗うための水鉢のこと。客が低くしゃがんで手を清める姿勢から、この名前がつけられた)


洗心苑の文字も厳かな、扁額の掛かる門を潜る。

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背の高い垣根に囲まれた露地は、二度三度と直角に折れ進み、茶室につながる建物に到着した。

帰り仕度のカップルと作務衣を着た初老の男性が、立ち話をしている。

会釈をしながら横を抜け、受付のテーブルに近づく。

作務衣の男性は、客人を見送ると、私に声を掛けてくれた。

「お茶でも飲みますか?」

「無作法ですので、遠くからでも見学させていただければ」

「作法を知らなくても良いから」と勧められて、人生初の茶会に参加することになった。

男性は庵主のようだ。

建物の玄関に足をいれると土間の奥に三畳間があり、女性の先客が赤い毛氈に座っていた。

彼女の横に並んで腰を下ろした。

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リュックを壁に立てかけるわけにはいかず、土間に置いた。

壁にもたれかかるのも、はばかれる雰囲気がある。

紫の着物を着た娘さんが入室してきた。

私の斜め前に座り、呈茶券をのせたお盆を置き、両手を揃えてお辞儀をした。

参加費5百円をお渡しする。

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しばらくして、お茶菓子が運ばれてきた。

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食べ方にも作法があるのだろうが、わからないので ちょっと気取って口に運んだ。


さきほどの娘さんがが「それでは案内させていただきます」と我々を促す。

いよいよ茶室に誘導されるのだ。

本日、我々の案内人は彼女なんだろう。

「こちらから向かいます」と、玄関と反対側を示した。

そこには、雪駄が用意されていた。

雪駄に履き替えて、庭に降り、敷石の置かれた順路を大きく回って茶室に向かう。

広くない敷地は、巧みに設計されている。

茶室の庭に通じる竹垣の竹扉は、閉まっていた。

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茶室では、もてなすための準備をしているのだろう。

東屋で待っていると、もうひとり女性が加わった。

案内人の娘さんが、竹扉を開き、膝を折って腰を屈めて我々を招き入れた。

一つ一つ形の違う飛び石を、左右の足の運びを確認するようにして進む。

手水舎で、柄杓を使って手を清めた。

この水鉢が「四方仏蹲踞」だったんだね。

いよいよ茶室に入る。

小さなにじり口を潜る。

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茶道に心得のある方には、何書いてんのとイライラしていることでしょう。

ここからの本番の解説は、皆様の想像に任せて、遠慮することにした。

茶室内の写真撮影は禁止なので、土岐市公式ウェブサイトの説明からイメージしてください。

結論を言えば、茶室の空間は、聖なる異次元を感じた。

扁額に書かれた洗心の文字が、理解できたと言っておこう。

茶道は日本の伝統文化のひとつだが、私には縁の薄い文化だね。

住む世界が違うと思ってしまった。

最初で最後の茶席になることでしょう!


洗心苑茶室・暮雪庵
https://youtu.be/4XoW7nGzP5E?si=3HC8BhW4zcJPrFLZ
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2025年09月14日

TVニュースに株価の情報は必要か?(47)

エアコンさんが「外の温度40度です」とメッセージする。

今日も1日外出せずに、部屋でゴロゴロ。


ユーチューブで、 TVニュースを見て思った。

なんで、ニュースで株価を流すのかと。

毎日流していては、ニュースとは言わないゾ。

株は景気の動向がわかるというが、株価以外の情報からでも予想はできる。

興味がある人は、アプリで調べればいい。

高視聴率が取れるほど、株に興味がある人がいるとは思えない。

TVニュースを見ていても、私にはどこで株を手に入れるのかもわからない。

ひょっとすると証券会社かな。

だとしたら、TVは証券会社の回し者か。

全く興味がない私だから、そう思うのかな。

この頃のテレビは、つまらないものばかり流している。

せめてニュースだけでも、まともな内容にしてもらいたいものだ。


株はリスクのある投資だから、ギャンブルでしょう。

TVニュースで、ギャンブルを推奨していると感じるのは私だけか。

こうやって、競輪、競馬、競艇などの公営ギャンブル同様に、広く国民に承認されていく。

ギャンブル依存症になって、生活に支障をきたす人が出ている。

いま一番気になっているのは、大阪夢洲のカジノだ。

世間がギャンブルに無関心になれば、カジノのOPENを容認してしまう。

そんな時勢になるのが怖い!



インドネシアはギャンブル御法度の国。

しかし、国民はギャンブル好き。

でも、カジノ建設は反対している。

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バリ島:闘鶏=タジェン=Tajen

(写真:バリ島・闘鶏=タジェン=Tajen).jpg
バリ島:コチョカンと呼ばれるギャンブル

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2025年09月09日

一人暮らし高齢者の快適な生活を模索中!(46)

ウブドでは、クーラーも扇風機もない生活をしていた。

下宿によっては、蒸し暑い部屋もあったが、あまり気にならなかった。

一年中過ごしやすい気温だが、乾季は肌寒くて、雨季が暑かったのを覚えている。

雨季は、25度から30度。

乾季は、18度から26度で、薄手のジャンパーを羽織ることもある。

「今日は暑いね!」とか「今日は寒いね!」とか言いながら、あまり気温のことは気にしていなかった。

24度以下になると、ココナッツ・オイルが固まるので、そんなもんかと思う程度。


日本はえらいことになっていた。

夏になって、口を開けば「暑い!」しか出てこない。

息苦しい空気の重さを感じる。

換気にと窓を開けると、熱風が入り込んできたので、慌てて閉める。

暑ければ、窓や扉を全開にしておけばいいと考えていたが、そんな生易しい外気温じゃない。

夏が快適だった頃のことを、すっかり忘れてしまった。


暑いにも様々な種類があるのを知った。
夏日=最低気温が25度以上の日
真夏日=30度以上の日
猛暑日=35度以上の日
極暑日=45度以上の日


35度以上になると、スマホに熱中症警戒アラームが表示され、外出を控えるようにとアドバイスされる。

いつからこんな熱帯のような国になったんだろう。

地球の温暖化が原因だと言われている。

いやいやすでに温暖化を通り越し「地球沸騰化」になっている。

個人的レベルの温暖化緩和策は、省エネだ。


我がアパートには、エアコンが設置されていた。

冬は暖房、今は冷房と快適に役目を果たしてくれている。

我が家のエアコンは、設定温度とは違う室内温度と外気温度を知らせてくれる。

「お部屋の温度は27度です、外の温度40度以上です」と女性の声で知らせてくれる。

外の気温が27度をしたまれば、クーラーを消す。

電気料金の節約で、扇風機を購入した。

クーラーと扇風機を併用して、省エネを心がけている。


室外温度が体温以上の日が続く、時には40度超え。

熱中症を恐れて、外出を控えている。

買い物は、気温が上がらない午前に済ます。

先日、掃除機(\5258-)を買った。

これまでの掃除は、チリ取りだった。

チリ取りでは取れない、細かいゴミがあったので購入。

断捨離生活者にしては、思い切った買い物だ。

自動車用のような、小さな掃除機(充電式)です。

狭いアパートなので、これで充分。

広い家だと模様替えを考えて、夜眠れなくなってしてしまう。

現在の私には、最適な広さです。

一人暮らし高齢者の快適な生活を模索中!
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2025年09月06日

長期滞在は、得るものも多いが無くなるものもある!(45)

長期滞在は、得るものも多いが無くなるものもある、という話をしよう。

私のウブド訪問は、カルチャーショックの連続だった。

これは、理解することで慣れるし、ショックも薄れた。

残念なのは、ウキウキ感も薄れていくことだ。

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スマホから通知音がした。

Sujana Baliさんのフェイスブックで、火葬儀礼での奉納ガムランの動画だった。

ウブド王宮の前庭で、遠巻きに鑑賞した時の感動を思い出す。

初めて聴いた時のウキウキした気持ちが蘇ってきた。

なぜ今、感傷的に思い出したのだろう。

ウブドを離れて10ヶ月になるからか、リピートできない設定だからか。


滞在が長くなるに従ってウキウキ感は、興味に変わっていった。

憧れの踊り手と知り合い、ファンから知人になったことで初見のドキドキ感がなくなる。

距離感が近くなるに従って、憧れ感が薄らいでいくのだ。

慣れることで、普通になってしまうのが、もったいと思った。

私は新鮮な気持ちでいられるように、適度な距離を持って付き合うことにした。

遠巻きに観察していた方がドキドキ感は持続する。


私が導き出した結論は、ウブドは観光客として訪れるのが良い。

初バリで経験した思いを、忘れないようにしよう。

いつも新鮮に感じたいのなら、年に数回、年に一度、数年に一度でもいいから、リピーターが理想的だ。

長期滞在をしたとしても、観光客目線でいられるような付き合いをした方が楽しのではと、今は思う。
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