2024年08月01日

バリ旅行の楽しみ方のひとつに、習い事をするというのがある(543)

ウブドに滞在して、習い事をする観光客は多い。

ガイドブックには「伝統文化に触れる」と小さく取り上げている。

観光客が訪れ始めた1990年頃は、舞踊・ガムラン・バリ絵画・彫刻・バティックなどが主だった。

その後、バリ料理・供物(チャナン)作りなどのバリの日常的なものが加わっていく。

私が主宰していた「アパ?情報センター」では、上記以外にバナナ紙作り・ヤシ砂糖作り・ジャムー作りも開催していた。


個人レベルだったワークショップは、年々、文化教室のように各種教室を開催するところを現われた。

アルマ(アグンライ美術館)の文化教室は、舞踊・ガムラン・バリ絵画・彫刻・バティック・供物作りがある。

レストラン ・ラカレケ」は、定番の舞踊・ガムラン・彫刻・バリ料理に加えて、エッグペインティング・ペーパーペインティング(塗り絵)・コースター編み(ロンタル)・凧作りなどユニークなワークショップがある。

伝統文化以外だと、スパのセラピスト養成所(これは趣味というよりは起業しようと考えている人が参加しているようだ)。

インドネシア語教室。

陶芸教室。

海岸部では、サーフィン教室があります。

この他にも多種あると思いますが、私の知る情報はこんなところです。


最近のワークショップは、シルバー彫金教室が目立つ。

ウブドではこれまで「スタジオ・ペラ=Studio perak」が、唯一で人気だった。

それがこの頃、やけに、シルバー彫金のワークショップの店が増えている。

どこも外人客でいっぱいだ。


今回は「Parallel Universe」のシルバー・ワークショップを紹介したい。

パラレル・ユニバースは、プンゴセカンの集合店舗ガーデン内にある。

作りの始まりから完成まで、ジュエリー作りの完全な体験の旅に乗り出し、自分だけの大切な作品を持ち帰りましょう。

バリ島の伝統的なジュエリー ワークショップは初心者を念頭に置いて設計されており、すべての参加者が歓迎される環境が確保されています。

2.5 時間のコースで、ジュエリー作りに欠かせない基礎および中級レベルのスキルを習得できます。

ワークショップは主に英語またはインドネシア語で行われますが、ご要望に応じて中国語を話す方には中国語でのサポートもご利用いただけます。

創造性が無限に広がる、充実した体験にぜひご参加ください。(webサイドより)

予約制:1日3回(午前10時・午後1時・午後4時)

所要時間:2時間30分

料金:Rp500,000-(シルバー7グラム含む)

隣接のシルバーショップで、原石を選ぶ(加金)こともできる。

https://www.paralleluniversejewelry.com/

動画にしました。
ご覧ください。
カフェ・トピの食事風景は10分あるので、興味のない方(ほとんどだと思うが)パスしてもOKです。



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2024年07月08日

ウブドの繁華街から、ワルンが消えた(542)

衝撃的なタイトルでしょう!

モンキーフォレスト通りに、ワルンは皆無。

ローカルの町・プリアタン大通り、ワルン街道・トウブサヨ村スクマ通りには多数ある。

また、ウブド周辺の村にはワルンが残っているが、ウブド内で見つけることが難しくなっている。

ワルンはローカル専用、レストランは観光客にと色分けされたかのようだ。

ワルン派の私は、日々困っている。


ビスマ通りも皆無だと思っていたら、先日、友人がグーグルマップで人気のワルンを見つけてくれた。

この通りは、中級以上のホテルが多い地域。

社員食堂が準備されているホテルならいいが、ほとんどが設備されていないだろう。

この地域で働く人々は、きっとワルンがなくて困っていると思う。

コマネカ・ビスマの近くにもあると聞いたが、それにしても就業人口に比べて極端に少ない。

家から弁当持参の人もいるだろうが、ほとんどがブンクス(弁当)を購入しているようだ。

私は、ビスマ通りでは、ウブド大通りから入った学校の横手にあったワルンが一推しだった。

だったというのは、コロナ禍の頃から姿を消しているからだ。

他のワルンを探さなかったので、皆無と思い込んでいた。


今回は、友人が探してくれたワルンを紹介したい。

店名は「Warung Ning」。

グーグルマップで場所を確認してください。




店頭のショーケースで、ブンクスを作っていた。
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拡張したのか、思ったより店内は広かった。
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緑の風景から心地よい風が流れてくる。
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それではまとめた画像をお楽しみください。



写真提供は、Norikoさんでした。



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2024年06月28日

バリ人の結婚儀礼の意識が変わりつつある・結婚式場のオープン!(541)

バリ島では、結婚儀礼や火葬儀礼など人の一生に関わる儀礼は、村人のゴトンロヨンhttps://informationcenter-apa.com/kb_gotongroyong.html(相互扶助)で、それぞれの屋敷で執り行わている。

屋敷は、儀礼が執り行なわれるように設計されている。

日本もかつてはそうでしたね。

運がよければ観光客も、そんな伝統的な慣習を見ることができる。

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今回は、そんな古くからの村落慣習がなくなりつつあるというニュースです。

ブラフマ(高僧)階層による結婚儀礼場ビジネスが繁盛している。

繁盛する背景を考えてみた。


観光地として発展するバリは、急速な環境の変化で生活は先進国並みになってきている。

村人の生活は忙しくなり、ゴトンロヨンに時間を割くのが苦痛になってきた。

結婚儀礼場は、村人の力を何日もかけ借りて準備する必要もなく、一連の儀礼と宴会を数時間で終えることができる。

招待客は減るが、予算も縮小できる。

バリ人の金銭感覚も変わりつつある。

供物作りなどの仕事が減るので、女性にはすこぶる評判がいい。

儀礼用の装飾や慣習が薄れてしまう心配はあるが、これが時代の流れだろう。

式場施設会社(リース)も痛手であろう、これも致し方ない。


今回紹介するセレモニーホールは、ギャニアール市のベン(Beng)村に存在する「Taman Prakerti Bhuana」。

結婚式場のグーグルマップ



人の一生に関わるヒンドウーバリの通過儀礼は、マニシヤ・ヤドニヨと呼ばれ、五つに分類されるヒンドウー儀礼(パンチャ・ヤドニョ)の一つである。

マニシヤ・ヤドニヨには、子供の誕生儀礼(Oton=オトン)・削歯儀礼https://informationcenter-apa.com/kb_gigi.html(Musangh=ムサンギー)・結婚儀礼・火葬儀礼https://informationcenter-apa.com/kb_kasousiki.htmlがある。

「Taman Prakerti Bhuana」では、火葬儀礼以外の通過儀礼を執り行っている。


バリ人の結婚儀礼の意識が変わりつつある・結婚式場のオープン!




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2024年06月19日

一年ぶりの銀行で、ATM恐怖症がやらかした失態!(540)

一年ぶりに銀行に行った。

ガラスドアーを引いて中に入る。

居るはずのガードマンの青年がいない。

いつもは青年が要件を聞いて、待ち順カードを渡してくれる。

カードが出てくると思われる機械の前に、誰もいない。

さて困った。

困ってばかりいても先に進まない。

しかたなく自分ですることにする。

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ガードマンは、いつも黒い箱の細い隙間から出てくるカードをちぎって渡してくれていた。

恐る恐るスリット近くのボタンを押してみた。

ジ〜という機会音とともに出てきたカードは、白紙。

機械の故障か?

カードを切り取り、今度は、長押しをしてみる。

ジ〜ジ〜、レシートが出るような音が続く。

長い長い白紙レシートが、吐き出されてくる。

ボタンから指を離さないと、永遠にカードは出てきそうなので慌てて離す。

しばし呆然!

これはヘルプを求めたほうがいいだろう。

誰かいないかと振り返ると・・・・!

待合ロビーに居る全員が、私を見ていた。

一人の男性が近づいてきて「要件は?」と聞いてくれた。

入金したいのですがと伝えると、黒い箱の横にある液晶画面のTeleirの画面を押した。

よく見ると、私でも理解できるインドネシア語の単語が並んでいた。

ジ〜の音とともに76と印字された紙が出てきた。

そう私は、76歳。


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なぜ一年ぶりの銀行かというと。

半年前に、ATMさんに暗証番号のピンの変更を支持された。

しかし、ピンの変更はうまくいかなかった。

その後、ピンの変更が面倒で、出入金していない。

今回は、銀行預金を解約したい。

解約手続きが面倒そうなので、少額を残して出金することにした。

出金がATMでできるのは知っている。

しかし、私はATM恐怖症。

そんなことで、通帳から出金してもらう。

30分ほど待って、ナンバー76が呼び出された。

カウンターでの手続きは順調に見えたが、「ピンナンバーが無効なので変更をしてください」と言われた。

そのピンナンバーの変更が面倒なので、直接来たのに。

「では、また出直してきます」と伝えると、スタッフは通帳と書類を持ってカスタマーサービスのエリアに行った。

優先的に手続きをしてもらえるのかもしれない、と期待する。

戻ってきたスタッフは「しばらくお待ちください」と言って、ほかの業務についた。

これはラッキーかもと、おとなしくベンチに座って待つ。

1時間ほど待って、カスタマーサービスに呼ばれた。

ここでのピンナンバー変更の手続きが面倒だから、通帳記載をお願いしたのに。

何はともあれ新しい五年間有効のキャッシュカードが支給され、面倒な手続きは終了した。

使う予定のないキャッシュカードは、寂しそうに財布に収まった。



どのようにしてATM恐怖症になったかは、過去のブログを読んでいただければ理解していただけると思います。

しかし、読後に倦怠感に陥る可能性があるので、暇な人にしかお勧めしません。

年月日の若い順に読んでいただけるとありがたいです。

2022年07月22日:■徘徊老人・相変わらずのATM恐怖症!(442)
https://itosan-ubud.seesaa.net/article/489983251.html

2018年06月30日:■ATM最終話『祝い再発行!』(207)
https://itosan-ubud.seesaa.net/article/460260076.html

2018年06月09日:■ATMの出金で冷や汗!(203)
http://itosan-ubud.seesaa.net/article/459893003.html

2018年02月13日:■「インドネシアの銀行口座を開設(184)」
https://itosan-ubud.seesaa.net/article/456858525.html



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2024年06月12日

バリの伝統芸能・ガムラン&舞踊についての私心!(539)

1990年5月:ウブドに滞在を始めて、最初に興味を持ったのは、伝統芸能だった。

バリのことにまったく知識のなかった私に、強烈な印象を与えたのは、ガムランと呼ばれる青銅鍵盤打楽器オーケストラとガムランの音に合わせて繰り広げられる舞踊だ。

(ガムランには各種あるが、ここでは説明をはぶきます。各々、検索してください)

最初は、耳をつんざく激しい金属音に戸惑ったが、何度も聴いているうちに、BGMで眠れるほど心地良い音になっていた。

ロジャース・ホームステイから、5分ほど歩いたところにウブド王宮がある。

王宮の前庭では、毎晩伝統芸能のパフォーマンスが公演されていた。

夕涼みがてら鑑賞し、そのあとはセンゴール(夜市)で夕食がルーチンだ。


バリを理解するということは、バリ人を理解することと心得た。

バリ人の生活は、信仰と慣習と芸能が一体となっている。

どれひとつ欠けても、バリを理解することはできないだろう。

それでは、どうすればいいか?

芸能を、観客として鑑賞するだけではだめだ。

舞踊を習うことで、バリの文化を知る手立てになるのではと考えた。

大学の卒業論文に「舞踊レゴン」をテーマにしていた日本女性と知り合った。

レゴンを習っているというので、スグリオ通りのスタジオ・ナタラジャへ見学に行った。

先生のくちガムランで、先生の後ろについて真似をする練習方法だった。

振り付けを覚えたところで、カセット・テープを使った練習になる。

私も習うことにした。

男性が最初に習う踊りは、バリス・トゥンガル。


バリス・トゥンガルを一通り習うと、先生をプンゴセカンの村のコンピアン君に変えた。

奉納舞踊に参加することで バリ人の人生観を垣間見ることができるのではないかと考えるようになった。

人前で顔を見せて(おまけに化粧をする)踊るのは自信がないので、お面をつけて踊るトペン舞踊に挑戦することにした。

この時のエピソードは、極楽通信:バリ島で踊る「神々に捧げる踊り」を覗いてください。
https://informationcenter-apa.com/hounou2.html

舞踊トペンクラス
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バリの伝統芸能は、バリ人の信仰する宗教儀礼に切ってもきれない重要なアイテムである。

彫刻、絵画、ガムラン、舞踊、ワヤンクリット(影絵芝居)などが奉納される。

ガムランの演奏は、宗教儀礼を司る際には、なくてはならないもの。

村では、必ずワンセット所有していて、スカゴン(グループ)を構成している。

村内の寺院祭礼で、年に数度奉納される。

ガムランには、神々を迎える楽曲や神々を慰める楽曲がある。

村人は、寺院祭礼のハレの舞台で演奏、演舞することに誇りを持っている。

同時に、娯楽の一つとしても楽しんでいるようだ。

ウブドの知名度が上がり観光客が増えると、寺院祭礼の奉納舞踊を鑑賞しようとする外国人が参列し、文化の違いによる問題が起こるようになった。

こういった問題をなくすために、奉納舞踊を観光客のためにパフォーマンスとして公演するようになったと言う。

後に、収益が目的となっていく。


ガムランは、村のスカゴン以外には、豪農、王族が所有していた。

豪農、王族のガムランは、娯楽性が強かったと思われる。

ガムラン演奏と舞踊に人気が高まってくると、クオリティの高いグループは他の村の寺院祭礼に呼ばれるようになる。

これは、幾らかの収入になった。

伝統芸能のパフォーマンスで、アルバイトができるようになったのだ。

王族、村以外に、芸術性を追求したプロの集団(サンガール)が旗揚げするようになった。

ウブド、プリアタンでは、王族の力が強くて、サンガールに発表の場を与えなかったという話を聞いた。

そんな時代に、旗揚げしたのがS・T・S・I(I・S・Iの前身)の卒業生で構成された「スマラ・ラティ」だった。

旧態依然システムを打開しようとする、彼らの反骨精神に共感した私は、全力で応援した。

会場が持てない弱小グループの苦労を乗り越えて、今の「スマラ・ラティ」がある。

スマラ・ラティ以外にも、海外からの脚光を浴びるクオリティの高いサンガールは増えている。


I・S・I(インドネシア芸術大学)の教授や生徒による新作が創作され、世に出て行く。

新作は人気が出ると、奉納舞踊でも披露される。

ここでこんな発言はふさわしくないが、私的には新作は好みじゃない。

これは年寄りの意見で、バリ人の若者は新しいものを望んでいるのだろう。

旧態依然のシステムを嫌った私が、新作を拒否してはいけない。

伝統芸能を在続させるのは、時代を担う若者の嗜好を優先しなくてはいけないのは、わかっている。

言いたいことは書いたので、わたし的には満足ですが、読み手の方々には不満足でしょうが、今回はまとまりがないままに終了です。


舞踊ムニエール(知人の家寺で奉納)




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2024年05月30日

食リポについて、考えてみた!(538)

暗闇では、目の前の景色は白黒となり、物には色彩がなくなる。

色を見分けることができないのが、色覚異常(色盲、色弱etc)。

虹の七色は、みんな同じように見えているわけではない。


この頃、不埒なことを考えている。

料理には、本当は味がないのではないか。

記憶やイメージが、味覚を想像してだけかもしれない。

まさか、そんなずはないと思うが。

そう思わせるほど、私は味覚異常だ。


味覚には、甘味、酸味、塩味、苦味、旨味がある。

この基本の五つのほかに、触覚に近い苦味と渋味が加えられる。

これらは、舌や舌の付け根にある軟口蓋の味蕾(みらい)で感じ、味覚神経を通じて脳に伝達されるらしい。

味覚にも、視力のように、人によって幅があるのではないだろうか。

私は、味覚の幅が狭いのだ。

みんながみんな、均一に同じ味を感じていないのでは。

味覚レベルの検査があれば、やってみたい。

きっと私は、ゼロに近かい結果だろうな。

(味蕾とは、舌の表面にあるブツブツとしたもの。赤ちゃんの口の中には約10,000個の味蕾が存在し、成人では約7,000個、高齢者になると約3,000にまで減少してしまうと言われている)

私は、高齢者なので味蕾が減って、料理に味を感じなくなってきているのかもしれない。

義歯の人も味に鈍くなると聞く。

幸い私は、硬い食材も噛み砕く丈夫な歯が揃っている。

健康に産んでくれた両親に感謝です。


ユーチューブで食事風景を撮ることがあるが、味覚音痴を自負している私は食リポ(食べ物リポート)ができない。
(紙媒体でお届けする時は食レポ。映像でお届けする時は食リポ、だって)

自分の勉強のために、検索原稿を多用していることをお許しください。

YouTube・バリ島ウブドに沈没:https://www.youtube.com/@bali75

YouTube・ウブドの徘徊老人:https://www.youtube.com/@user-rq8td7et2




私の食リポは、無言でひたすら食べる。

そんなことから、自嘲気味に食事風景リポと命名している。

動画を見ている人は、私の食べている表情から味を推測してもらうことになる。

料理ができないという致命的な欠点で、調理法や素材についての解説もできない。

恥ずかしい話、鶏肉、豚肉、牛肉を食べた時に区別ができないほど。


今回は、私がもっとも苦手とする食リポについて考えてみることにした。

努力すれば、それなりにリポートができるようになるかもしれないと期待して。

参考に、ユーチューブで食リポ番組を見てみた。

絶品ですね
平坦な味がする
面白い味がする
懐かしいなごみ味
とろりとして病みつきになる
金褐色にパリッと焼けたパン
ピリリと辛い、塩味がきいている
バーベキューの野性味溢れる料理
ほっぺたが落ちそうなくらい美味しい
エビフライの衣がほどよくからんでいる
地鶏の姿焼きが香ばしい香りを漂わせている
海風とレモンが混じったような爽やかな匂い
もちの甘い味に葉っぱがバランスをとっている
噛むとエビと衣の味がお互いに引き立ってあじわい深くなる

一見するとそれらしいことを言っているようで、よくわからない。

こんな、なんのこっちゃコメントでよいのか?

意見を述べず、感覚的な感想を述べるのがリポートなのだと理解した。

ほかに、うまくリポートする言葉がみつからないのも事実だ。

あとは本人が、食べてみるしかないね。


私から私への提案があります。

次の順でリポートしてはどうだろう。

1)まず見た目を説明する=食べる前に感想を述べる
第一印象は大事ですよね。
創作料理の必要以上のアート指向にはうんざりで、どちらかと言えば一膳飯屋の庶民的な盛り付けが好みです。
「美味しそう!」女子はよく言う=食べる前から美味しく感じる想像力は凄い。
想像力が逞しいばっかりに、食べた時に思い描いた味と違ってガッカリしたことはありませんか?
新鮮、綺麗、素材が良い、揚げたて、焼きたて、炊きたて、瑞々しい、芳醇、香り、

2)口の中に入れた時の食感(舌触り)
舌と舌の付け根(口腔内)の味蕾で感じる。
濃厚、とろける、熱さ、冷たさ、スパイシー(辛い味や香りがあることを表す形容詞)
バナナ味、コーヒー&紅茶の味などなどは風味と言われる「臭覚」が関与している
あっさり、こってり、コク、ドロドロ、ふわふわ、ねばねば、プルプル、などの擬態語
ソーダ、ビールなどの気泡

3)噛む(歯ごたえ)
硬さ、柔らかさ、弾力、
ポリポリ、ボリボリ、パリパリ、バリバリ、カリカリ、カリッ、もちもち、などの擬態語

4)喉元を過ぎる
熱さ、冷たさ、 爽やか、つるっと。

次回からの食事動画は、この提案を参考にやってみようと思っています。



あれもこれも説明しようと思っていたのですが、私は、食べている時は口数が少なくなるようです。

「〜のような」誰でも知っているものに例えるのはよいかも。

食べたことのないような物を例えられても困りますがね。

先日読んだ小説で、食リポ風な文を見つけたので紹介しておく。

「独活(ウド)のほろ苦さとシャキシャキした食感、ワケギの甘さ、ホタテイカのこってり濃厚な旨味が、辛子を効かせた酢味噌に包まれて口の中で弾け、最後に溶け合う。まさに大人の味だった。

どこが、大人の味かは理解できないが、こういうのが世間では優れものというのだろうな。



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2024年05月24日

ウブドのトイレットペーパー事情について考える!(537)

先日、下宿近くにあるコンビニエンス・ストアー(以後コンビニ)に行った時のこと。

鼻風邪が長引いているので、トイレット・ペーパーを買い足しに来た。

なんで鼻水でトイレット・パーパーなの、と不思議に思った方がいますよね。

常識ならティッシュ・ペーパーなんでしょうが、私がウブドに滞在始めた1990年にコンビニは皆無で、テイッシュ・ペーパーも普及していなかった。

ウブドにコンビニが開店したのは2003年。

1号店は、モンキーフォレスト通りのデルタデワタ系列のミニマートでした。

そんなきっかけから、私は34年間、トイレットッ・ペーパー派なんです。


すぐに見つかると思ったトイレット・ペーパーが見つからない。

テイッシュ・ペーパー、ウエット・ティッシュ、キッチン・ペーパーの並んだ棚はある。

これまでは、同じ棚に並んでいた。

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コンビニ・インドマレット

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スーパー・クランデイ

店内を二巡しても見つからない。`
 
レジカウンターの近くにいたスタッフに、助けを求めることにした。

「クルタス・ウエーセー(Kertas WC)は、どこにありますか?」

伝わらないので「クルタス・トイレット」と言い換えてみた。

インドネシア語で紙はクルタス、トイレはトイレットかWCでいいだろう。

私の発音が悪いのだろう、何度言っても、わかってもらえない。

なんでわかってくれないの。

スマホの翻訳機能を使って「Kertas yang digunakan di toilet」と言ってみた。

ロールペーパーの巻き取る真似もしてみた。

スタッフは、ジェスチャーで見せる前に理解してくれたようで、ついてくるようにと言うように歩き出した。

ついて行った先は、ティッシュ・ペーパーなどの棚。

スタッフは一目見て「在庫切れです」と言う。

在庫切れって、どういうこと。

トイレット・ペーパーって必需品でしょ。

そこで、はたと気づいた。

バリ人は、トイレットペパーを使わないのだ。

安宿ロスメンでは、水槽に貯められた水を手桶で汲んで、お尻を洗っていた。

そう便器は、座り込みスタイル。

高級ホテルに泊まれば、洋式トイレ(水洗)はあるが、私には縁がない。

近年は、ロスメンでも様式トイレが普及していて、オシュレットではないがホースの先にシャワーのついた洗浄機がついている。

私は、この洗浄機を利用しているので、今でも、紙は使わない。

ウブドは世界的に有名な観光地なので、ホテルやレストランでは洋式便器が普及している。

(ホテル&レストランは、問屋から仕入れているかもしれませんね)

外国からの滞在者の多いウブドのこと、スーパー&コンビニでは、トイレット・ペーパーの在庫は必須。

在庫切れは、仕入担当の管理不足が問われる。

今ではバリ人の一般家庭でも洋式トイレで、トイレット・ペーパーを使っているのかもしれないが、情報蒐集していない。


「いつ入荷ですか?」と聞くと、明日には入ります、というので翌日行ってみた。

入荷していなかったので、ティッシュ・ペーペーを買って帰った。

ティッシュ・ペーパーは、上品すぎて私には似合わない。



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2024年05月18日

【皆さまにお知らせとお願いがございます】

お待たせしました。

皆様、お待ちかねの企画です!

シェア&拡散のご協力、よろしくお願いいたします!

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関 将さんからのメッセージ!

昨年9月に和子さんが無くなった報を頂いて直ぐ、居ても立っても居られなく9月末にバリ島へのエアチケットを購入しました。

お別れ会の1週間後の到着でしたが、伊藤さんらと個人的な送別会的な集まりの際に、和子さん、スウェントラさん、スアール・アグンの想い出の文集的なものを作りたい、という話になりました。

それが発展して、このようなコンテンツを作る運びとなりました。

皆さんからの文章、画像、映像を送って頂けますでしょうか?

以下、案内の文章となります。

【バリ島を、ジェゴグを、スアール・アグンを愛するみな様へ】

ご存知の方が多いと思いますが、「スアール・アグン」創立者であるイ・クトゥ・スウェントラ氏が2018年5月10日に、スウェントラ氏と共にジェゴグ復興に尽力した奥様の和子さんが2023年9月10日にお亡くなりになりました。

このご不幸の間にコロナ禍が重なり、かつてあれほど人気だった「スアール・アグン」の活動も、ここ数年思うようにできていないのが現状です。

多くの日本人ファンを魅了したジェゴグが人々の記憶から消えてしまう前に、スウェントラさん、和子さんご夫妻を偲ぶメモリアルをデジタルコンテンツとして残せないだろうか。

そんな思いから、「ジェゴグ復活ドキュメンタリー制作プロジェクト」を立ち上げました。

そこで、皆さまに以下のふたつのお願いがあります。

@クラウドファンディングにご協力ください

スウェントラご夫妻やスアール・アグンの功績をドキュメンタリー風のデジタルコンテンツとして制作する資金を募ります。ぜひこのクラウドファンディングにご協力ください。 
 
詳しくは、このプロジェクトのクラウドファンディングをご覧ください。

アクセスはこちら。
https://camp-fire.jp/projects/view/756887

●なお、クラウドファンディングのお支払方法は基本的に日本で発行されたクレジットカードかpaypay などのオンライン決済になります。

この方法が不可能な方は伊藤までご相談ください。

A思い出の写真、動画、コメントなどを送ってください

デジタルコンテンツは、ゆかりのある方々へのインタビュー、思い出のコメント、画像・動画などで構成します。

そこで、ジェゴグファンの皆さまにこの企画に参加していただきたいのです。

掲載可能な画像があったら、ぜひお送りください。

思い出のコメントも募集しています。

皆さまから寄せられた素材をコンテンツに活用させていただきます。

詳しくは、このプロジェクトのクラウドファンディングをご覧ください。

アクセスはこちら
https://camp-fire.jp/projects/view/756887

「ジェゴグ復活ドキュメンタリー制作プロジェクト」実行委員

関将

伊藤博史 

中谷薫

西村久美子

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ウブドにラーメン店が増えている! ラーメン専門屋「you & mie」 (356)

ウブドのラーメン屋1号店は、アンドン十字路西南角のオープンした「イダバグース・ラーメン」。

現在、不動産屋「Ubud Property」になっている。

開店年を正確に覚えていないが、「居酒屋・影武者」1991 年に開店したあと、1992〜3 年にオープンした

日本食「漁師」と同時期だと覚えている。

正確な開店年をご在知の方がいらっしゃったら、情報を待ってます。

イダバグース・ラーメンは数年後に閉店してしまったが、餃子が美味しかったのでよく通った。


バリにも、ラーメンに似たものがある。

中国人が伝えたと思われる麺類で、ミー(Mie)と呼ばれている。

もっともポピュラーなのが、ミー・アヤム=鶏肉入りスープ麺(外国人の来店がある店では、メニューにチキンヌードルとある)。

ミーを炒めたものをはミー・ゴレン(焼きそば)で、肉団子(牛肉or魚肉)入りのスープ麺をミー・バッソと言う。

ウブド大通りとハヌマン通りのT字路近くに、デンパサールが本店の「ミー・アヤム・ジャカルタ」は、人気店だった。

ここのミー・アヤムは、スープと麺が別々の器で出てくる。

それをミー・アヤム・ジャカルタと呼ぶらしい。

なぜ、ジャカルタというかわからない。

スープを一口、麺を二口。

麺の器にスープをぶっかけて、3種類目の味を楽しむことができる。

あっさりした味は、私の好みだ。

今はない。
 

「イダバグース・ラーメン」が姿を消して30年ほどがたった今、ウブドはラーメン店の激戦地になっている。



取り敢えずグーグルマップ記載されていた店を紹介します。

●Fu Shou Noodle lub=アンドン通り

●You & Mie=スクマ通りトゥブサヨ

●Mie Kuy Ubud=スクマ通りトゥブサヨ

●En Ramen and Bar Ubud=ハノマン通りパダンテガル

●La-Mien=ゴータマ通りパダンテガル

●KIMI RAMEN=ゴータマ通りパダンテガル

●Ramen Dining Kazumi=ゴータマ通りパダンテガル


私の知る限り「イダバグース・ラーメン」の後に開店したラーメン専門店は「you & mie」。

「you & mie」のオープンは、2018年3月6日。

激動のコロナ禍を過ごし、現在は人気店のひとつになっている。

6年ぶりに、訪問してみることにした。

場所は同じスクマ通りで、以前の店より南下している。

初店より、倍ほど広くなった。

メニューには、オープン当時と同様にチキン・ヌードルと書かれている。

menyu.jpeg

ローカルのミーアヤム味とは一味違い、チョッピリ日本風味でラーメンと呼んでも許せるかなというところ。

当時Rp20,000-だったチキン・ヌードルは、現在(小)でRp35,000-。

会計で、ミネラル飲料+税金で=Rp55,000-だったのは、(大)Rp45,000-の間違いかな。

私はスモールを頼んだつもりだったが、サービスされたのはビッグだったのかな。



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2024年05月14日

プダンダ(高僧)・プマンク(僧侶)の奏でるグンタ(鈴)を求めて!(535)

ウブドを徘徊していると、どこからともなく清んだ音が聴こえてくることがある。

清んだ音の正体は「GUNTA=グンタ」と呼ばれる鈴。

グンタは、聖職者であるプダンダとプマンクがマントラとともに、バリ人の信仰するヒンドゥー・ダルマの儀礼で使用する。

リ〜ン リ〜ン! 澄んだ音色が聞こえると、今、お祈りをしているところだろうと想像できる。

寺院祭礼のお祈りの場に立ち会うと、瞑想的なグンタの音に心が洗われるのを感じる。

境内を長く響き渡る、鈴の音が好きです。

少し、グンタについて説明します。

グンタは、神の武器(神器)一つです。

Nawa Sangga.jpeg

方位はカンギン(東)、神はイスワラ神、・色は白、音はサンになります。


◼️五元論・パンチョ デワォ=Panca Dewa(グンタ「5」、デワォ「神」)
ヒンドウーの教義では、東西南北とその中心という5つの方位が、それぞれの方位に対応する神、神の武器(神器)、色、音、聖数などと結びついた形で、宇宙の秩序原理をなすという考え方がある。

◼️五元論・ナワォ サンゴ=Nawa Sangga
パンチョ・デワォに北東、南西を含めた九元論

◼️十一元論・九元論に上と下の方位を合わせる
ヒンドゥーではもっとも高次の秩序原理。
ブサキ寺院で行われる100年に一度のエコダソ・ルドロ=Eka Desa Rudoraに見られる。


説明が長くなりましたが、それでは本題であります神器グンタを求めてて俳諧の巻。

今回は、グンタを購入したいという、シンギングボール奏者の友人のお供です。

私も興味があったので、喜んで同行した。

クルンクン県スマラプラ市にパンデ(鍛冶屋)階層が多く住む村がある。

Pudak通りの沿道に小さな看板が出ている。




ウブドからバイクで40分ほどで、到着。

看板が出ている家を、軒並みというか、片っ端から訪問する。

グンタを扱うのはほとんどが家内工業で、バリ人のお宅訪問というスタイルだ。

1.jpeg

屋敷内にショーケースを置いて、販売している。

ショーケースには、グンタ以外の神具も並べられていた。

グンタは、クニンガン=Kuningan(真鍮)製で大きさはマチマチで、鈴の直径によって音色が違う。

直径が大きくなるほど、低音になる。

友人は、一つ一つの音色を丁寧に聞いている。

グンタを使ったヨガや瞑想を企画して、選別も真剣だ。


私的には、長く響き渡る音が好みのようだ。

説明はこのくらいにして、あとは動画でご覧ください。


posted by ito-san at 20:40| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする