2025年01月07日

ウブドと土岐市の洗濯事情(6)

日本帰国にあたっては、暖房以外にも不安材料はいっぱいある。

スマホの初期ローミングもそうだったが、いざ生活するとなってからの不安。

洗濯に関しても心配だった。

コインランドリーの所在を検索してみた。

数は多くない。

幸いにして、世話になる家の近く一軒ある。

ウブドではワルンの食事代も安いが、もう一つ私にとって助かったのはクリーニング代が安かったこと。

1キログラムあたり1万ルピア、アイロン仕上がりで百円ほど。

週一回2〜3キロを持ち込んで、3百円以内 。


帰国して、コインランドリーを利用してみた。

34年以上前の洗濯機からは、かなりのグレードアップしている。

機種が増え、洗濯物内容によって選択できる対応になっていた。

一番小さい機種は、4キログラムまでで洗濯から乾燥まで。

洗剤込みで7百円だった。

帰国してすぐの段階なので、これで安いのか高いのか判断できないが、この料金なら週一で利用していたウブドの倍の料金ですむ。

アイロンがかかり、綺麗に畳まれて返ってこないのが残念だが。

シワクチャのままで着ればいいのだ。

そう結論を出していたが、世話になる友人に相談すると「長期的に見れば洗濯機を購入した方がいいですよ」と教えられた。

確かに、中古で買えば7百円の何回分かで購入できそうだ。

11月27日、独身男性一人住まい用の洗濯機を中古で購入。

テラスがないので、干す場所はない。

浴室を見ると、換気扇に乾燥機能がついている。

これは助かる!

心配なのは、乾燥機の電気料金だ。


フェイスブックで悩み相談をしたら「浴室の乾燥機は利用しない方がいい!」という意見が大半だった。

私は、多数意見に従うことにした。

晴れた日は、南向きの窓からポカポカの陽が差し込む部屋。

「それなら室内干しで十分です。適度に湿気も出るし」と皆様のアドバイス。

ということで、現在快適な洗濯ライフを楽しんでおります。


ウブドの洗濯事情とクリーニングの変遷の小話はこちらです!
極楽通信「ウブド洗濯事情」
https://informationcenter-apa.com/gt_cleaning.html
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2025年01月05日

なぜ寒くなる時期に帰るのか?(5)

なぜ寒くなる時期に帰るの?

夏に帰って、秋から冬へと慣らしていくのがベストでしょう。

そうなんですよね。

残念なことに、リタイヤメントビザの延長期限が12月初旬だったんです。

そして、延長料金が用意できなくて、ウブドを離れることを決意しました。

ビザが切れるギリギリまで滞在するよりは、冬になる前に帰って、少しでも慣らしたいとも考えた。

11月初旬に、コテツちゃんの娘さんの結婚式がウブドである。

是非参列したいと考えていたが、次から次へと訪れるリピーターの日程に合わせていては、いつ旅立てるがわからない。

思い切って、10月26日出発のエアーチケットを購入した。


帰国計画は、夏頃から始まった。

果たして、私は日本での生活は可能かどうか?

まず、頭に浮かぶのは寒さだ。

日本を離れて34年、寒さの想像が貧弱だ。

キンタマーニ高原での14度に恐れをなした私が、果たして耐えられるのだろうか。


暖房は?

コタツがあればいいか。

私は猫系なので、冬はコタツで丸くなりたい。

厚着して、コタツで寝ちゃえばいいか。

机として使えるしね。

この頃の日本は、コタツの需要は少ないのかな?(ちょっと不安)

囲炉裏や掘りごたつを知る人なんて、もういないのかも。

話はそれるが「居酒屋・影武者」の一号店には、囲炉裏があった。

自在鉤が吊るしてあって、人気のコーナーだった。

火を入れた夜が懐かしい。


もう一つ心配なのが、アパートに風呂があるのか?です。

内風呂がない場合、銭湯が近くにあるか。

友人は「今は、どこでのアパートでも、お風呂は付いているから、心配しなくていいよ」と言ってくれた。

そんな贅沢な話があるものかと疑っている。


幸運にも、心配ごとは取り越し苦労で終わった。

アパートは、エアコン付きで、バスタブまでついていた。
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2024年12月23日

バリよ、日本のゴミ処理に学ぼう!(4)

現在、土岐市で世話になっている友人は現役のイラストレーター。

みんなからは親しみを込めて「画伯」と呼ばれている。

今は亡きお父さんは、陶器の絵付師。

特殊が技術が求められる匠の職人です。

私の寝床確保のために、お父さんの仕事場を整理してくれた。

まだまだ使える道具や、使われなく長年眠っていた物が片付けられていく。

処分するゴミが集められたところで、市の処分場に持っていく。

同居人の男性と私が手伝うことになった。

軽自動車で8回ほど、往復した。

この処理場を見て、日本のゴミ処理は進んでいると感じた。


ついこの間まで滞在していたバリ島は今、ゴミの処理問題に直面している。

私が訪れた1990年から問題になっていたが、一向に改善された様子はみえない。

今回、日本に帰り、土岐市からゴミの処理について学んだ。


市民から行政の一貫した分別ゴミ処理が、街を清潔にしている。

ここに記録に留めて、機会があれば、バリ島にアドバイスできればと思う。

土岐市環境センターを見学してきた。
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ここには、地域で分別されたゴミが清掃車で運ばれてくる。

家庭で出る多量のゴミや、事業から出る一般廃棄物(陶器の町だから、食器や型など)が持ち込まれる。

日本には各地に、これくらいの規模か、それ以上の規模の焼却施設があると言われている。


各家庭による早朝の分別ゴミ
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家庭からのゴミは、燃えるゴミ、燃えないゴミ、資源物、粗大と指定された日と場所に分別して出される。

みんなが少しづつ手間をかけることで、ゴミの問題は解決される。

清掃車が、こうして分別されたゴミを回収して地域を回っている。


役所やスーパー、コンビニなどにも、分別ゴミの投棄ボックスが用意されている
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これは、一般家庭とは別ルートで回収されると聞いている。

市民から行政へと一貫した分別ゴミ処理が、街を清潔にしていく。

清潔な街は、住みやすい街の第一歩。


バリ島9つある県に、こんな焼却施設があれば、今のゴミ問題は解決されると思うのだが。

政府は気が付いているのに、やろうとしないのだろうか?

早く手を打たないと、観光地としての魅力が減速してしまうと心配する。


■追加情報「ポイントカードを利用できる「古紙回収BOX」見つけた!」

こんな取り組み歓迎だね(下石町県道19号沿い・エアーポート77近く)

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2024年12月17日

まずはテント生活から(3)

土岐市の駅前に降り立った時、呆然とした。

大都市でもあるまいに、何を期待していたのかな。

たいてい地方都市の駅前は、こんなもんだということを思い出した。

人口10万人も満たない、54,286人の小都市。

年々人口は減少しているようだ。

乗用車の普及が、拍車をかけているのだろう。


土岐氏は陶器の街として古くからある町、私を魅了するものは残っているはず。

歴史はおいおい勉強していくとして、まずは自然環境を見てみたい。

友人に、スマホで駅に着いたことを知らせた。

和食・影武者の女将由美さんが、セッティングしてくれた海外ローミングが役に立っている。

車で迎えに来てくれる。

不安と期待を織り交ぜた気持ちで、友人を迎えた。

何年ぶりの再会だろうか。

数日前に別れたばかりの友人に会うような、呆気ない対面だった。


仕事が忙しく、私の寝床の確保ができていなく、とりあえず庭でテント生活となった。

こんなことで驚く私ではない。

ヨーロッパでは、駅前でホームレスと一夜を共にした。

温風が吹き出る場所を、譲ってくれた。

オランダでは、運河に係留されたボートにもぐって寝た。

朝方、叩き起こされたが。

トルコではバスに乗り遅れ、港の芝生で一夜を明かした男だ。

野宿でないだけで御の字だ。

3日ほど、小雨が当たるテントで暮らした。

テント暮らしだが、食事は家族と一緒に母屋でする。

6人が同居する大家族だった。

毎晩、心温まる食事がテーブルに並んだ。

家族の団欒は、久しぶり。

良いもんだ!


寝床を確保するために、荷物を片付けをする。

お父さんの仕事場だったところを私に提供してくれる予定のようだ。

着々と、私の住処が完成していく。

どんな生活が始まるのか、楽しみになってきた。
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2024年12月11日

ハノイの夜景を見ながら考えたこと(2)

窓外の夜景を見下ろしながら、ウブドを離れることに未練はないか?と自問した。

まったくないと言えば、嘘になる。

しかし、感傷的になることはない。

誰一人として知り合いのいないウブドに滞在を始めたのは、1990年の5月。

運が良いことに、この村の若者たちは日本語が覚えたがっていた。

日本人旅行者が増え、会話ができることで収入を得られることを知った。

そんな彼らは私を利用し、私は彼らとのコミュニケーションを必要としていた。

信仰・文化・慣習・芸能すべてに興味を惹かれて、34年間の滞在となった。

私の能力では、これ以上習得することはできないだろう。

諦めたのではなく、見切ったのである。


2015年、25年ぶりの日本一時帰国。

この時、ウブドを離れようと考えた。

南米コロンビア・サレント移住計画だ。

*サレントは、コロンビアのキンディオ県の北東にある町で、コーヒー生産で世界遺産登録された観光地。

現地に、ウブドで知り合ったジュンペイさんがいたので、チャレンジしてみた。

観光客としての訪問なら楽しいところだが、残念なことに私の生活には向いていなかった。

ビザ有効期限の6ヶ月で諦め、ウブドに戻ることに決めた。

私は人生に何を求めているのだろう。

生きがいだろうか。

答えは見つかっていない。

生涯旅人『南米コロンビアの旅』を一読いただけると嬉しいです。


あそこに行きたい、ここも行ってみたい。

あんなことをしてみたい、こんなこともやっておきたい。

そんな気持ちは残っている。

今回ウブドを離れる時、それらはすべてを次の人生に持ち越すことにした。

バリの信仰するヒンドゥー・ダルモに輪廻転生という考え方がある。

人は死んでも何度も生まれ変わる。

なかなか天国には行けず、人間界に戻って試練の道を歩むことになる。

それでも、もう一度人間に生まれてきたい。

残りの人生、今世で思い残すことがないように生きたい。


今回、土岐市に移住を決めたのは、友人を頼ってである。

25年ぶりの日本一時帰国の際、友人を集めた歓迎会の幹事を受け持ってくれた彼女です。

この歳になると頼る人のいない移住には、自信がない。

先回の捨て身の日本脱出と違って、今回は大いに戸惑いがある。

これからの日本での生活は、終活になるだろう。

都会でもない、田舎でない、そんな町に住んでみたかった。

そんな私の思いに、アシストしてくれる人物がいた。

つくづく幸運に恵まれた男だと思う。

骨を埋める覚悟で帰国する。

町の魅力を全身で感じてみたい。

終活ではあるが、悔いのない人生にしたいと、老体だが精神は燃えたぎっている。

ウブド生活は私の人生第2章となった。

人生第3章、土岐市生活が楽しみだ。

生きがいは見つかるだろうか?
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2024年12月03日

生涯旅人、最後は日本生活です!(1)

早いもので日本に来てから一ヶ月が経過した。

移住の手続き、アパート探しと入居の準備に時間が取られ、ブログを書く時間が見つけられなかった。

WiFi環境が整っていないのもあるが、環境の変化で自分のペースに戻れていないのも原因だと思う。

11月22日に、アパートの入居。

快適な空間が確保できました。

アパート紹介は、おいおいということで。

ブログはライフワークとして続けたいので、今後ともお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。


帰国日の記録を、覚えとしてメモっておきます。

バリ島デンパサール国際空港まで車で送ってくれたまりこさんと、見送りに来てくれるはずの高木夫婦とお茶をする約束だったが、会えずじまい。

二度とバリでは会えないかもしれないのに。

スマホで連絡が取れないし、時間がないのではと焦る私は、そうそうにチェックインしてしまったのでした。

何と言っても、10年ぶりの飛行機搭乗だから。

搭乗手続きの無人化で、ほとんどがコンピューター対応だと聞いて、インターネット恐怖症の私は恐れをなしている。

毎夜、和食・影武者の大テーブルを囲んで友人たちから、さまざまなアドバイスをもらった。


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チェックインしてからのハードロックカフェ


10月26日(土)デンパサール交際空港 17:30発・ベトジェット(VJ998)

ベトジェット初乗り

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10月26日(土)ベトナム・ハノイ国際航空 21:45着

和食・影武者の女将由美さんが、この日から一ヶ月間、バリで使っていたスマホが日本でも使えるように海外ローミングを繋いでくれた。

ハノイのトランジットでは、アキラさんから餞別でいただいたUSドルでベトナムのラーメン(名前は忘れた)を食した。

バリ人女性が「静岡の息子に会いに行くのですが、日本語ができなくて困っています。名古屋の空港まで手助けしてください」と不安そうに声をかけてきた。

私の方が助けて欲しい心境ですが、初めての日本訪問のバリ人よりは私の方が頼りになるだろう。

「はい、大丈夫です」と答えた。


10月27日(日)ベトナム・ハノイ国際航空 01:35発・ベトジェット(VJ920)

10月27日(日)中部国際空港セントレア 08:00着

バリ人女性の書類作成をお手伝いして、私は顔認証やなんだかんだの不安材料を無事クリアーして到着ロビーに向かう。

私のあとしばらくして、彼女が到着ロビーの出てきた。

彼女が私に小さく手を振るのと同時に、息子さんが駆け寄って行く姿が見えた。

セントレアは、私がウインドサーフインをしていた常滑沖に2005年に完成。

朝食は、コメダ珈琲のモーニングセット。


セントレアから名鉄常滑線で金山駅へ。

30キロ弱のスーツケースとハンドパン(楽器)とリュックを背負っての移動。

日曜日だったので、車内は空いていた。

電車の出発と同時に、スーツケースが滑り出し慌てて取り押さえる。

その後は、両足で挟んでキープ。

生まれ故郷の南区柴田駅を通り過ぎる。

金山駅から中央本線に乗り継いで、土岐駅に。

切符の購入も皆様のアドバイス通りで、スムーズに行きました。

何と言っても、日本語表記なのがいい。

当たり前か!


土岐駅には、友人が迎えに来てくれることになっている。

さっそく、海外ローミングを使って連絡を取る。
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2024年11月15日

34年間付き合ってきた「ウブドの伊藤」を返上!(550)

私のウブド生活は、1990年5月7日から始まった。

その時の話は「ウブドに沈没https://informationcenter-apa.com/ubud-chinbotu.html」が詳しい。

滞在は長期となり「ウブドの重鎮」とか「ウブドのレジェンド」と呼ばれるようになった。

ただ長く滞在しているだけの称号です。


ウブド長期滞在34年間を振り返る今日この頃。

初体験づくしのウブドの生活は、刺激的だった。

毎日が楽しかった。

ウブド好き日本人に恵まれ、たくさんの好意を受けて生きながらえた。
慕ってくれた人がいれば、嫌う人もいる。

同じような長期滞在者には、目障りな存在にもなっていただろう。

私より以前からバリに関わっている人の情報には、敵わない。

バリ人と結婚して住んでいる日本人女性に、知識は追い越されていく。

この頃、私の役割も薄らいできたと感じるようになった。


お金に困ること見なく、時には、バリの神に守られていたかのように運良く生き延びてきた。

コロナ禍は、さすがに神様も手を差し伸べてくれなかったが。

そろそろ引き揚げどきが来たかと2024年10月に、バリ島ウブド村を去ることにした。

「ウブド村帰郷記」は、今回で終了となります。

次にお会いするときは、どんな展開になっているか楽しみです。

長い間、お付き合いありがとうございました!
posted by ito-san at 17:35| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年10月13日

まともな人生を送ってこなかった男の末路だ!(549)

終活は、日本で生活保護を受けようと考えている。

まともな人生を送ってこなかった男の末路。




42歳まで名古屋市暮らし(1947〜1990)。

42歳から34年間のウブド暮らし(1990〜2024)。

「バリ島滞在記・ウブドに沈没」https://informationcenter-apa.com/ubud-chinbotu.html

77歳の喜寿になって老後の暮らしを考える。


ウブドの伊藤に終止符を打って、日本に戻ることを決めた。

野垂れ死ぬ覚悟で日本を脱出したが、死に切れずに帰国。

希望は、象に踏まれて死にたかった。


私のウブド滞在は、観光客の長期滞在と考えていた。

長期に滞在して国籍が取れたとしても、日本人の私がバリ人には決してなれない。

バンジャール(最小単位の集落)の一員になれたとしても、バリ人気質は体得できない。

奉納舞踊に出演させていただいても、信仰心を理解することは難しかった。

「神々に捧げる踊り」https://informationcenter-apa.com/hounou.html

そんな諦めの境地から、常に観光客目線で観察することにしている。

信仰・慣習・芸能など、観察することは豊富にあり、それはそれは楽しかった。



コロナ禍の自粛規制からだろう、私の生活習慣が変わった。

やることがなくなってしまったのだ。

出かけて行くフットワークも悪くなった。

興味が希薄になったのかもしれない。

そんなことで、朝から晩まで寝てしまう。

これは老人化だ。

老後は日本で温泉巡りを楽しみたかった。

残念だが、金欠でその楽しみも叶わなくなりそうだ。

帰国して、生活環境が変われば、興味を持って動き回るかもしれない。

寝ることも大切だが、起き上がって動くことも重要だ。

さて、これからどんな生活が待っているのか楽しみにしている。
posted by ito-san at 17:58| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年09月20日

チャロナラン舞踊劇の見納めは、リノさんの魔女ランダで!(548)

リノさんからメッセージが届いた。

ケチャの踊り手として有名なテガス・カンギナン村のリノさんだ。

9月5日から17日まで続く、オダラン(寺院祭礼)の奉納舞踊スケジュールだった。

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今回のオダランは、大祭なので、連絡をくれたのだろう。

16日のチャロナラン舞踊劇で、魔女ランダをリノさんが演じると誘っている。

久しくオダランに参列していないが、日本本帰国も近いことだし、チャロラナンの見納めにいい機会かもしれない。

スケジュール表には、開演午後8時とある。


9月16日

テガスカンギナン村に、8時30分に到着した。

見納めだから、最初から最後まで鑑賞する意気込みでいる。

と言いながらも、バリ時間のことだからと30分の遅刻。

小さなオープンステージは、すでに満員。

オープンステージは、ケチャの会場になるスペースで、客席はコの字型の階段状になっている。

ガムラン隊はすでに陣取っていた。

オダラン期間限定の祠が建てられて、ステージはさらに狭くなっている。

この寺院では、1998年にオープンステージと境内で、一度ずつ奉納舞踊をさせていただいた。

どちらも反省点の多かった、踊りだったのを思い出す。

もうリベンジも叶わない。

「神々に捧げる踊り」https://informationcenter-apa.com/hounou.html


オープンステージでの鑑賞はあきらめて、外に設営されたスクリーンで観ることにした。

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午後9時開演は、予定どうりか。

御神体バロンが五体奉納舞踊された。

「聖獣バロン(barong)」
https://informationcenter-apa.com/gk_barong.html


テレックの群舞で、チャロナラン舞踊劇が始まった。

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テレックが退場すると、一幕の終了。

二幕は、女官が登場し物語を進行していく。

お姫様と魔女チャロンアランが加わって、物語は展開する。

人気のお笑い三人組が会場を沸かす。

写真を撮ることを忘れるほど、面白かった(言葉はわからないが)。

このあといくつかの幕があるが、説明は省略。


チャロナラン劇のクライマックスは魔女ランダの登場だ。





時間は、深夜1時をまわった。

チャロナラン劇は、まだまだ続く。

奉納舞踊を全編鑑賞する気力・体力がなくなってから久しい。

今回は、最後の鑑賞とになるだろうとの思いで、終了まで残ることにしている。

まずは、腹ごしらえ。

個人的小休止でサテ・バビを道端で食べた後、アクアを買いに。
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ステージでは、シシアンの舞踊が始まった。
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大臣と魔女ランダの終わりなき戦いが終わる。

深夜3時:ススオナンが火葬儀礼が行われる寺院に向かった。

村人が後ろをついて行く。

久々の6時間全編の鑑賞でした。

物語のあらすじは、ここでは説明しないので、それぞれで検索してください!

posted by ito-san at 21:12| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年09月02日

ウブドに行ったら、ムルカット( Melukat)儀礼に参加するといいよ!(547)

バリ島では、伝統衣装(Pakean Adat)に身を包んだバリ人たちが海岸(スガラ=Segara)や川の合流点(チャンプアン=Campuhan)、滝やパンチョラン= Pancoran( パイプから流れ落ちる湧き水)、ベジ= Beji (聖なる泉源)などに供物を持ってやって来て、沐浴する姿を見かける。

この沐浴は、ムルカット(Melukat)と呼ばれるバリ人の信仰するヒンドゥー・ダルマの儀礼であり、慣習の一つでもある。

ムルカット儀礼は、正装していれば観光客も参加できるので、人気の儀礼体験になっている。

供物やお香などが必要なので、できればバリ人の知人かガイドを同伴することをお薦めします。


マディ・クルトネゴロ氏と3月にお会いした時、氏が高僧プダンダの称号を手に入れたことを聞いた。

その時の話は、ブログ「34年目にして、マディ・クルトネゴロ氏と初対面!(529)」に掲載しています。
https://itosan-ubud.seesaa.net/article/502771426.html

今回のブログは、氏が著した小冊子「MELUKAT」を参考に、ムルカット初心者の心得をまとめてみた。

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ムルカットはカウィ・バリ語で、浄化する意味のルカット(Lukat)に由来している(バリ語:Ngicalang)。

無駄な知識かもしれないが、ムルカットに参加する人のことをプナンキル(Penangkil)と言うらしい。

これは、聖地に来るという意味のナンキル(Nangkil)が語源だと言う。


ムルカットは、冒頭に列挙した神聖なる自然の中や、高僧の屋敷グリオ(Griya)で、僧侶プマンク(Pemangkuka)や高僧スリンギ(Sulinggih)から聖なる水ティルタ(Tirta)によって清められる。

ヒンドゥー・ダルマの精神的な活動であり、古代から存在する「魂と心の浄化」を目的とした儀礼で、思考と感覚を清らかに戻します。

特に、ダサ・マサ=Dasa Masaを除去することができる。

ダサ・マサには、次の10種類の不適切な性質がある。

1)Tandri:怠け者
2)Kleda :先延ばしにするのが好き
3)Teja:暗い考え
4)Kulina:人を侮辱したり傷つけたりするのが好き
5)Kuhaka:頑固
6)Metraya:傲慢で嘘つき / 誇張する
7)Megata:残酷
8)Ragastri:姦淫(かんいん)
9)Bhaksa Bhuwana:他人を困窮させるのが好き
10)Kimburu:浮気が好き

不調和、長期の病気、深刻な人生上の問題、不幸、悲しみ、不運、常に悪夢や黒魔術を感じている人々にも、ムルカットは行われます。


バリの暦に基づいた、特別ムルカットに良い日があります。

プルナマ=Purnama(満月)、ティルム=Tilem(暗月・陰月)、カジャンクリオン=Kajeng kliwon(15日に一回巡ってくる)、バニュピナロ=Banyu Pinaruh(サラスワティ=Saraswatiの翌日)などです。

この日以外でも、いつでもできるのがヒンドゥー・ダルマの良いところ。

もっとも重要なことは、プナンキルの心の準備です。

心の準備ができていれば、必ず、良い結果が得られるというわけです。

時間は、朝、午後、夕方に行われる。

新鮮なエネルギーの発する朝が、最もよい時間帯だとされている。

ムルカットの場所では、SekalaとNiskala、または目に見えるもの(現実世界)と目に見えないもの(超自然的なもの)のエネルギーが強いので注意しよう。

これには、無の境地で対処するしかないですね。

私なんかは、なんちゃってヒンドゥーなので、やりたい日時に勝手に瞑想的なムルカットしています。

と言っても、正式のムルカットに立ち会えれば、それ以上に満足感を味わえることは間違い無いです。

グリオでの個人的なムルカットは、儀礼を行う日の決定、特別な供物の準備などがあるため予約が必要になります。

通訳同伴でないと、スリングからのありがたいお言葉も無意味になってしまうので、ご注意注意です。

着替えも忘れずに!



高僧マディ・クルトネゴロ氏推薦のムルカット場8選。

1)ティルタ エンプル・Tirta Empul(Tampaksiring, Gianyar)

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バリでもっとも人気のあるムルカット場。

肉体的、および精神的な不純物を浄化し、マラ(不運 / 悪)を取り除くことができると信じられている。

泉が湧き出る話は、古代史「極楽通信・UBUD / プクリサン川の神話」https://informationcenter-apa.com/kb_pekerisan.htmlをご覧ください。


2)ムングニン・Pura Mengening(Desa Pakraman Saraseda, Tampaksiring, Gianyar)

10個の泉がある寺院で、観光客はその一つを利用できる。不眠症を解消する泉があると聞いている。




3)スバトゥー・Pasiraman Pura Dalem Pingit(Banjar/Desa Sebatu, Tegalalang, Gianyar)

心の汚れによって引き起こされる、さまざまな病気を治療できると信じられている。

魂が汚れていると、滝の水が濁ると言われています。時々、トランス状態で嬌声をあげている人を見かけます。

ムルカット場は、深い谷底にあるので体力に自信のない方は遠慮した方がよろしいようです。




4)ティルタ スダマロ・Pancoran Tirta Sudamala(Desa Sedit, Bebalang, Bangli)

デワタ ナワ サンガ(Dewata Nawa Sang)と呼ばれる高さ約3.5メートルの9つのパンチョランが有名です。

神秘的なものによって引き起こされるさまざまな病気を治療すると信じられており、黒魔術の力をすべて溶かし体内の汚れマラを消すことができる。

3つのパンチョランから始まり、デワタ ナワ サンガ、最後に3つのパンチョランと進みます。

プマンクにマントラを唱えてもらうことができます。




5)テガル ワジャ・Pura Telaga Waja(Banjar Kepitu, Desa Kendran, Gianyar)

碑文や古代ロンタルに記載されている寺院で、一番左のゴア(洞窟)は14世紀、高僧ダンヒャン・ニラルタが住んでいたと場所と言われている。


6)パンルカタン デダレン・Panglukatan Dedaren(Banjar Gria, Bangli)

デダレンとは天使という意味。内面の美しさを目覚めさせる場所と信じられている。


7)パンルカタン スラティ・Panglukatan Selati(Desa Bunutan, Bngli)

8)Pancoran Solas Ring Taman(Bangli Bunutan, Bangli)

9)Pura Luhur Tamba Waras(Tabanan)


参考になりましたか?

この他にもムルカット場は、たくさんあります。

情報をキャッチして、自分に適したムルカット場を見つけてください。

スラマット・ムルカット!

最後に、伊藤さん推薦を一つ足しておきます。

Bali・Pura Tirta Harum ・Melukat @ Bangli

posted by ito-san at 19:47| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする