2024年08月15日

バリ島のホームステイって、どんなところ?(546)

1990年、ウブドで最初に泊まった宿は、カジェン通りの1番地「ロジャーズ・ホームステイ」だった。

ロジャーさんの民宿という意味だ。

ウブドの民家の多くが、ホームステイを営んでいる。

門や塀に、宿を商っているとわかる小さな看板が掛かっている。

Rojas.jpg

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ガイドブックに載っていたので、泊まることにした。

当時は、電話も普及していなかったので、直接訪問だ。

現代はインターネットの普及で、高級ホテルから格安ロスメンまで、予約サイトで簡単に申し込みができる。


ところで皆さんは、ホームステイと言うと、どんなイメージをお持ちですか?

アメリカやオーストリアなどの語学留学に見られるホームステイを思い浮かべるでしょう。

私もそうです。

大きな屋敷の裕福な家族が、海外からの留学生や旅行者を迎え入れ、長期で部屋を貸す。

一つ屋根の下で、世話になるホストファミリーと一緒に、ダイニングで食事をしリビングでくつろぐ、家族ぐるみで付き合いだ。

家族との密なつきあいをすることで、その土地の文化や言語を習得する。

私のホームステイの認識は、こんなところだ。


それでは、ウブドのホームステイは、どんな感じか?

まず家の形態が違っていた。

これは私の常識を覆す、最初のカルチャーショックだった。

一戸建てではないのだ。

日本の家屋は、一つ屋根の下で、寝室、茶の間、食堂、台所、トイレ、風呂などが廊下で繋がって配置されていて、庭や駐車場がついている。

バリの場合は、青天井の敷地内に、それぞれの役割の棟が点在している。

これはバリ人の信仰するヒンドウー・ダムモの寺院も同様で、他の宗教のような建物を持っていない(キリスト教徒の教会、イスラム教のモスクetc)。

一番大事な家寺、儀礼が行われる棟、家長の住む棟、家族の住む棟、台所、トイレなどが伝統的なレオアウトで配置されている。

共有空間と個人空間が、屋根のない敷地内に形成されているのだ。

一つ屋根のない一軒家と考えれば、ホームステイに違いない。

私は家長の住む棟で、長期宿泊していた。

ウブドでのホームステイの宿泊は、日々繰り広げられるバリ人の信仰や慣習を垣間見ることができるのが、特権だ。

本人の気持ちしだいで、ホームステイの家族との親交を深めることも可能です。

宿として機能しているので、一泊でも滞在できます。

ホームステイで、リゾートとは違ったウブド体験をお勧めします!


■バリ伝統的屋敷の名称とレイアウト@スバリ村(488)
https://itosan-ubud.seesaa.net/article/498092242.html

家長の住む棟は、カースト外はムテン(Meten)、カーストを有する家ではバレ・ダジョー(Bale Daja)、グリヤ(高僧階層の屋敷)とプリ(王族の屋敷)はバレ・グドン(Bale Gedong)と呼び分けられている。


バリのカースト(kasta=階層)
https://informationcenter-apa.com/kb_kasta.html


このレイアウトは、ヒンドウー・ダルモの宇宙感から来ている。

ブアナ・アグン(大宇宙)とブアナ・アリット(小宇宙)。

ブアナ・アグンは、バリ島の山側の聖浄な方角、海側の不浄の方角、中間に人々の営みのあるバリ島のこと。

ブアナ・アリットは、聖なる方角に家寺、不浄の方角に台所&トイレ、その間に家族の生活がある。

屋敷はこの基本レイアウトを壊さずに、ツーリスト向けの棟を建てて宿にしているのです。


ロスメン以外の宿泊施設の名称には各種ある。
その話は「極楽通信・UBUD」70「ウブド・ホテル事情」で。
https://informationcenter-apa.com/gt_hotel.html

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2024年08月11日

ウブドの交通渋滞を考える!(545)

2023年5月、WHOは新型コロナウイルス緊急事態宣言の終了を発表した。

世界中でコロナの蔓延し、インドネシアは海外からの人の流れが自粛された。

ウブドの観光客が訪れなくなったのは、2020年3月ころからだ。

あれから、4年。

シャッター街と化した閑古鳥の鳴くウブドに、観光客が戻り、通りに活気が出てきた。

散策する人々の姿が見え、バイク、自動車も増えてくる。

日に日に賑やかくなるウブドを見て、嬉しかった。

渋滞さえも嬉しくて、ウルウルした。


2024年8月現在、ウブドの自動車渋滞は日増しに激しくなっている。

今度は、閑古鳥だった頃のウブドを忘れて渋滞を嘆くようになる。

人間って勝手なものだ。


今回は、ウブドの自動車渋滞について考えてみた。

渋滞の原因は、いくつも挙げられる。

バリには、特有の渋滞がある。

ウパチャラ(儀礼)渋滞だ。

寺院祭礼や火葬儀礼の行列です。

これについては諦めるより仕方がないだろう。



交通渋滞の原因は、道路の車両対応がなされていないままに自動車が増えたことだ。

自動車が増えた原因は、バリ島民が裕福になったからだろう。

これは世界各地で起こっていることかもしれない。

それに加え、ウブドは特殊な原因がある。

観光地として人気が上昇続けているウブドに、大勢の観光客が訪れる。

旧態依然の道路状況に、増え続ける自動車は過密状態。

道路は、拡張できる余裕がない。

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大型バスがウブド内に乗り入れていた時期には、乗客の乗降時に渋滞を巻き起こしていた。

これは滞在する欧米人を中心にした「大型バス乗り入れ反対」運動が盛り上がり解決した。

各所に小さな看板が立ち、数件のカフェで無料ステッカーが配られた。


ウブド公設市場の新築工事にあたって、こんな妙案が出た。

大駐車場完備の市場をウブド南部のシンガカルタ村に、新設しようというものだ。

ウブド市場出店者に対する工事中の救済と、渋滞対策の一環として、観光客バスを駐車させ乗客はシャトルバスでウブドを往復する計画。

残念なことに出店者が集まらず、頓挫した。

蛇足だが、出店者はウブド内の小道(カジェン通り、アルジュナ通りetc)で露天を広げて現在に至っている。

「ウブド公設市場」2023年3月完成予定・間に合うかな!(485)
https://itosan-ubud.seesaa.net/article/497210182.html


モンキーフォレスト通り、ハヌマン通り、デヴィシータ通り、ウブド大通りが全面駐車禁止になり、渋滞は緩和されてきてはいる。

ウブド全域駐車禁止を考察する(180)
https://itosan-ubud.seesaa.net/article/456396088.html


しかし、まだまだ渋滞は続いている。

四六時中渋滞しているわけではなく、スムーズに流れている時もあるのです。

日々、渋滞の原因が違っているようだ。

朝夕には、登下校&出勤ラッシがある。

グラブ・カー、ゴーカーの普及も原因の一つだと言われる。

駐車料金を払うのを惜しんで、街中を流す車が増えているのだ。


ボトルネックになっている交差点がある。

プンゴセカン通り+ニュークニン通り、プンゴセカン通りガソリンスタンド+テガス、モンキーフォレスト通り+デヴィシータ通り、ウブド変則十字路、ウブド大通り+ビスマ通りなどだ。

ボトルネックは、交通整理の警察官が出ると、渋滞は解消される。


交差点に信号機を付ければ、という意見もあると思います。

ウブドの信号機第一号は、2001年11月設置のアンドン交差点。

二号機は同時期に、テガスの交差点。

テガスの信号機は、すぐに取り外された。

信号機だとかえって渋滞していたので撤去され、警察官による手信号になった。

それ以来ウブドには、アンドン交差点の信号機だけとなっている。


渋滞は、それぞれの原因が複合しておこしているような気がする。

駐車の車がなくなり、通りの渋滞はなくなったが、駐車場が不備なので自動車で来ている人は大いに困っている。

この問題も解決しなくてはならない。

たくさんの説があり、特定できず、解決策も見つからずです。

今回は情報過多で、いつもより更にうまくまとめることができませんでした・とさ。


ウブドの交通渋滞緩和の将来は?(79)
https://itosan-ubud.seesaa.net/article/440647554.html

ウブド全域駐車禁止?!(172)
https://itosan-ubud.seesaa.net/article/455757565.html

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2024年08月05日

クラウドファンディング終了(8月1日23時59分59秒)のお知らせ!

「スアール・アグン応援クラウドファンディング」への皆様のご支援に大変感謝しています!

おかげさまで、目標の80%を超えました。

少し不足分はあるものの、予定していた計画は全て行なうこととなります。

リターンの件ですが、

2500円コースの方へは、お礼のメッセージと、撮り下ろしウブドの写真を8月中にお送りします。

5000円以上の方へは、MP3やハイレゾ版のダウンロードリンクを8月中にお送りして、コンテンツへのログイン方法等は9月末までにお送りします。

動画インタビューのロングバージョンは、コンテンツ完成以後、1年以上に渡って随時お送りします。

クラウドファンディングは終わりましたが、まだまだお付き合いは続きます。

今後とも宜しくお願いします。


実行委員会
posted by ito-san at 20:06| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年08月02日

ブサキ巡りのバスは走る!(544)

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ウブドに滞在して34年。
ご存知のように、バリ人はインドを起源とするヒンドウー・ダルモを信仰している。

霊峰アグン山の中腹にある、ブサキ寺院を総本山として参拝する。

ブサキ寺院の創立祭は、サカ暦にクダソ月の満月(Purnama Sasih KADASA)から11日間続く。

(サカ暦:https://informationcenter-apa.com/kb_saka.html

滞在始めた当初は、私もブサキ寺院の寺院祭礼には参加した。

ブサキ寺院に関しては、それぞれで検索してください。


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今回、ウブドを訪れている友人からブサキ寺院参拝の誘いがあった。

年内に本帰国を考えている私にとって、嬉しい誘いであるので、参加することを即答した。

1998年にプナタラン・パンデ寺院の奉納舞踊で訪れて以来だ。

(神々に捧げる踊り:https://informationcenter-apa.com/hounou.html

まさに26年ぶり。

最後に素晴らしいチャンスに恵まれた。

友人に感謝!




それにもう一つ、検分しておきたいことがあった。

ブサキ寺院は、1年前(2023年)に大駐車場が完成し、参道も整備されたと聞いている。

なんと、駐車場から寺院前までは(老人・障害者優先で)シャトスバスに乗れると言う。

そう、老人の私は、優先で乗れるのだ。

嬉しくて、「岬めぐり」の替え歌を口ずさむ徘徊老人伊藤でした。

友人とガイドのカデさんは老人じゃないのに、乗れましたよ。




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2024年08月01日

バリ旅行の楽しみ方のひとつに、習い事をするというのがある(543)

ウブドに滞在して、習い事をする観光客は多い。

ガイドブックには「伝統文化に触れる」と小さく取り上げている。

観光客が訪れ始めた1990年頃は、舞踊・ガムラン・バリ絵画・彫刻・バティックなどが主だった。

その後、バリ料理・供物(チャナン)作りなどのバリの日常的なものが加わっていく。

私が主宰していた「アパ?情報センター」では、上記以外にバナナ紙作り・ヤシ砂糖作り・ジャムー作りも開催していた。


個人レベルだったワークショップは、年々、文化教室のように各種教室を開催するところを現われた。

アルマ(アグンライ美術館)の文化教室は、舞踊・ガムラン・バリ絵画・彫刻・バティック・供物作りがある。

レストラン ・ラカレケ」は、定番の舞踊・ガムラン・彫刻・バリ料理に加えて、エッグペインティング・ペーパーペインティング(塗り絵)・コースター編み(ロンタル)・凧作りなどユニークなワークショップがある。

伝統文化以外だと、スパのセラピスト養成所(これは趣味というよりは起業しようと考えている人が参加しているようだ)。

インドネシア語教室。

陶芸教室。

海岸部では、サーフィン教室があります。

この他にも多種あると思いますが、私の知る情報はこんなところです。


最近のワークショップは、シルバー彫金教室が目立つ。

ウブドではこれまで「スタジオ・ペラ=Studio perak」が、唯一で人気だった。

それがこの頃、やけに、シルバー彫金のワークショップの店が増えている。

どこも外人客でいっぱいだ。


今回は「Parallel Universe」のシルバー・ワークショップを紹介したい。

パラレル・ユニバースは、プンゴセカンの集合店舗ガーデン内にある。

作りの始まりから完成まで、ジュエリー作りの完全な体験の旅に乗り出し、自分だけの大切な作品を持ち帰りましょう。

バリ島の伝統的なジュエリー ワークショップは初心者を念頭に置いて設計されており、すべての参加者が歓迎される環境が確保されています。

2.5 時間のコースで、ジュエリー作りに欠かせない基礎および中級レベルのスキルを習得できます。

ワークショップは主に英語またはインドネシア語で行われますが、ご要望に応じて中国語を話す方には中国語でのサポートもご利用いただけます。

創造性が無限に広がる、充実した体験にぜひご参加ください。(webサイドより)

予約制:1日3回(午前10時・午後1時・午後4時)

所要時間:2時間30分

料金:Rp500,000-(シルバー7グラム含む)

隣接のシルバーショップで、原石を選ぶ(加金)こともできる。

https://www.paralleluniversejewelry.com/

動画にしました。
ご覧ください。
カフェ・トピの食事風景は10分あるので、興味のない方(ほとんどだと思うが)パスしてもOKです。



posted by ito-san at 15:41| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年07月08日

ウブドの繁華街から、ワルンが消えた(542)

衝撃的なタイトルでしょう!

モンキーフォレスト通りに、ワルンは皆無。

ローカルの町・プリアタン大通り、ワルン街道・トウブサヨ村スクマ通りには多数ある。

また、ウブド周辺の村にはワルンが残っているが、ウブド内で見つけることが難しくなっている。

ワルンはローカル専用、レストランは観光客にと色分けされたかのようだ。

ワルン派の私は、日々困っている。


ビスマ通りも皆無だと思っていたら、先日、友人がグーグルマップで人気のワルンを見つけてくれた。

この通りは、中級以上のホテルが多い地域。

社員食堂が準備されているホテルならいいが、ほとんどが設備されていないだろう。

この地域で働く人々は、きっとワルンがなくて困っていると思う。

コマネカ・ビスマの近くにもあると聞いたが、それにしても就業人口に比べて極端に少ない。

家から弁当持参の人もいるだろうが、ほとんどがブンクス(弁当)を購入しているようだ。

私は、ビスマ通りでは、ウブド大通りから入った学校の横手にあったワルンが一推しだった。

だったというのは、コロナ禍の頃から姿を消しているからだ。

他のワルンを探さなかったので、皆無と思い込んでいた。


今回は、友人が探してくれたワルンを紹介したい。

店名は「Warung Ning」。

グーグルマップで場所を確認してください。




店頭のショーケースで、ブンクスを作っていた。
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拡張したのか、思ったより店内は広かった。
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緑の風景から心地よい風が流れてくる。
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それではまとめた画像をお楽しみください。



写真提供は、Norikoさんでした。



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2024年06月28日

バリ人の結婚儀礼の意識が変わりつつある・結婚式場のオープン!(541)

バリ島では、結婚儀礼や火葬儀礼など人の一生に関わる儀礼は、村人のゴトンロヨンhttps://informationcenter-apa.com/kb_gotongroyong.html(相互扶助)で、それぞれの屋敷で執り行わている。

屋敷は、儀礼が執り行なわれるように設計されている。

日本もかつてはそうでしたね。

運がよければ観光客も、そんな伝統的な慣習を見ることができる。

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今回は、そんな古くからの村落慣習がなくなりつつあるというニュースです。

ブラフマ(高僧)階層による結婚儀礼場ビジネスが繁盛している。

繁盛する背景を考えてみた。


観光地として発展するバリは、急速な環境の変化で生活は先進国並みになってきている。

村人の生活は忙しくなり、ゴトンロヨンに時間を割くのが苦痛になってきた。

結婚儀礼場は、村人の力を何日もかけ借りて準備する必要もなく、一連の儀礼と宴会を数時間で終えることができる。

招待客は減るが、予算も縮小できる。

バリ人の金銭感覚も変わりつつある。

供物作りなどの仕事が減るので、女性にはすこぶる評判がいい。

儀礼用の装飾や慣習が薄れてしまう心配はあるが、これが時代の流れだろう。

式場施設会社(リース)も痛手であろう、これも致し方ない。


今回紹介するセレモニーホールは、ギャニアール市のベン(Beng)村に存在する「Taman Prakerti Bhuana」。

結婚式場のグーグルマップ



人の一生に関わるヒンドウーバリの通過儀礼は、マニシヤ・ヤドニヨと呼ばれ、五つに分類されるヒンドウー儀礼(パンチャ・ヤドニョ)の一つである。

マニシヤ・ヤドニヨには、子供の誕生儀礼(Oton=オトン)・削歯儀礼https://informationcenter-apa.com/kb_gigi.html(Musangh=ムサンギー)・結婚儀礼・火葬儀礼https://informationcenter-apa.com/kb_kasousiki.htmlがある。

「Taman Prakerti Bhuana」では、火葬儀礼以外の通過儀礼を執り行っている。


バリ人の結婚儀礼の意識が変わりつつある・結婚式場のオープン!




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2024年06月19日

一年ぶりの銀行で、ATM恐怖症がやらかした失態!(540)

一年ぶりに銀行に行った。

ガラスドアーを引いて中に入る。

居るはずのガードマンの青年がいない。

いつもは青年が要件を聞いて、待ち順カードを渡してくれる。

カードが出てくると思われる機械の前に、誰もいない。

さて困った。

困ってばかりいても先に進まない。

しかたなく自分ですることにする。

2.jpeg

ガードマンは、いつも黒い箱の細い隙間から出てくるカードをちぎって渡してくれていた。

恐る恐るスリット近くのボタンを押してみた。

ジ〜という機会音とともに出てきたカードは、白紙。

機械の故障か?

カードを切り取り、今度は、長押しをしてみる。

ジ〜ジ〜、レシートが出るような音が続く。

長い長い白紙レシートが、吐き出されてくる。

ボタンから指を離さないと、永遠にカードは出てきそうなので慌てて離す。

しばし呆然!

これはヘルプを求めたほうがいいだろう。

誰かいないかと振り返ると・・・・!

待合ロビーに居る全員が、私を見ていた。

一人の男性が近づいてきて「要件は?」と聞いてくれた。

入金したいのですがと伝えると、黒い箱の横にある液晶画面のTeleirの画面を押した。

よく見ると、私でも理解できるインドネシア語の単語が並んでいた。

ジ〜の音とともに76と印字された紙が出てきた。

そう私は、76歳。


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なぜ一年ぶりの銀行かというと。

半年前に、ATMさんに暗証番号のピンの変更を支持された。

しかし、ピンの変更はうまくいかなかった。

その後、ピンの変更が面倒で、出入金していない。

今回は、銀行預金を解約したい。

解約手続きが面倒そうなので、少額を残して出金することにした。

出金がATMでできるのは知っている。

しかし、私はATM恐怖症。

そんなことで、通帳から出金してもらう。

30分ほど待って、ナンバー76が呼び出された。

カウンターでの手続きは順調に見えたが、「ピンナンバーが無効なので変更をしてください」と言われた。

そのピンナンバーの変更が面倒なので、直接来たのに。

「では、また出直してきます」と伝えると、スタッフは通帳と書類を持ってカスタマーサービスのエリアに行った。

優先的に手続きをしてもらえるのかもしれない、と期待する。

戻ってきたスタッフは「しばらくお待ちください」と言って、ほかの業務についた。

これはラッキーかもと、おとなしくベンチに座って待つ。

1時間ほど待って、カスタマーサービスに呼ばれた。

ここでのピンナンバー変更の手続きが面倒だから、通帳記載をお願いしたのに。

何はともあれ新しい五年間有効のキャッシュカードが支給され、面倒な手続きは終了した。

使う予定のないキャッシュカードは、寂しそうに財布に収まった。



どのようにしてATM恐怖症になったかは、過去のブログを読んでいただければ理解していただけると思います。

しかし、読後に倦怠感に陥る可能性があるので、暇な人にしかお勧めしません。

年月日の若い順に読んでいただけるとありがたいです。

2022年07月22日:■徘徊老人・相変わらずのATM恐怖症!(442)
https://itosan-ubud.seesaa.net/article/489983251.html

2018年06月30日:■ATM最終話『祝い再発行!』(207)
https://itosan-ubud.seesaa.net/article/460260076.html

2018年06月09日:■ATMの出金で冷や汗!(203)
http://itosan-ubud.seesaa.net/article/459893003.html

2018年02月13日:■「インドネシアの銀行口座を開設(184)」
https://itosan-ubud.seesaa.net/article/456858525.html



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2024年06月12日

バリの伝統芸能・ガムラン&舞踊についての私心!(539)

1990年5月:ウブドに滞在を始めて、最初に興味を持ったのは、伝統芸能だった。

バリのことにまったく知識のなかった私に、強烈な印象を与えたのは、ガムランと呼ばれる青銅鍵盤打楽器オーケストラとガムランの音に合わせて繰り広げられる舞踊だ。

(ガムランには各種あるが、ここでは説明をはぶきます。各々、検索してください)

最初は、耳をつんざく激しい金属音に戸惑ったが、何度も聴いているうちに、BGMで眠れるほど心地良い音になっていた。

ロジャース・ホームステイから、5分ほど歩いたところにウブド王宮がある。

王宮の前庭では、毎晩伝統芸能のパフォーマンスが公演されていた。

夕涼みがてら鑑賞し、そのあとはセンゴール(夜市)で夕食がルーチンだ。


バリを理解するということは、バリ人を理解することと心得た。

バリ人の生活は、信仰と慣習と芸能が一体となっている。

どれひとつ欠けても、バリを理解することはできないだろう。

それでは、どうすればいいか?

芸能を、観客として鑑賞するだけではだめだ。

舞踊を習うことで、バリの文化を知る手立てになるのではと考えた。

大学の卒業論文に「舞踊レゴン」をテーマにしていた日本女性と知り合った。

レゴンを習っているというので、スグリオ通りのスタジオ・ナタラジャへ見学に行った。

先生のくちガムランで、先生の後ろについて真似をする練習方法だった。

振り付けを覚えたところで、カセット・テープを使った練習になる。

私も習うことにした。

男性が最初に習う踊りは、バリス・トゥンガル。


バリス・トゥンガルを一通り習うと、先生をプンゴセカンの村のコンピアン君に変えた。

奉納舞踊に参加することで バリ人の人生観を垣間見ることができるのではないかと考えるようになった。

人前で顔を見せて(おまけに化粧をする)踊るのは自信がないので、お面をつけて踊るトペン舞踊に挑戦することにした。

この時のエピソードは、極楽通信:バリ島で踊る「神々に捧げる踊り」を覗いてください。
https://informationcenter-apa.com/hounou2.html

舞踊トペンクラス
伊藤トペン.jpg


バリの伝統芸能は、バリ人の信仰する宗教儀礼に切ってもきれない重要なアイテムである。

彫刻、絵画、ガムラン、舞踊、ワヤンクリット(影絵芝居)などが奉納される。

ガムランの演奏は、宗教儀礼を司る際には、なくてはならないもの。

村では、必ずワンセット所有していて、スカゴン(グループ)を構成している。

村内の寺院祭礼で、年に数度奉納される。

ガムランには、神々を迎える楽曲や神々を慰める楽曲がある。

村人は、寺院祭礼のハレの舞台で演奏、演舞することに誇りを持っている。

同時に、娯楽の一つとしても楽しんでいるようだ。

ウブドの知名度が上がり観光客が増えると、寺院祭礼の奉納舞踊を鑑賞しようとする外国人が参列し、文化の違いによる問題が起こるようになった。

こういった問題をなくすために、奉納舞踊を観光客のためにパフォーマンスとして公演するようになったと言う。

後に、収益が目的となっていく。


ガムランは、村のスカゴン以外には、豪農、王族が所有していた。

豪農、王族のガムランは、娯楽性が強かったと思われる。

ガムラン演奏と舞踊に人気が高まってくると、クオリティの高いグループは他の村の寺院祭礼に呼ばれるようになる。

これは、幾らかの収入になった。

伝統芸能のパフォーマンスで、アルバイトができるようになったのだ。

王族、村以外に、芸術性を追求したプロの集団(サンガール)が旗揚げするようになった。

ウブド、プリアタンでは、王族の力が強くて、サンガールに発表の場を与えなかったという話を聞いた。

そんな時代に、旗揚げしたのがS・T・S・I(I・S・Iの前身)の卒業生で構成された「スマラ・ラティ」だった。

旧態依然システムを打開しようとする、彼らの反骨精神に共感した私は、全力で応援した。

会場が持てない弱小グループの苦労を乗り越えて、今の「スマラ・ラティ」がある。

スマラ・ラティ以外にも、海外からの脚光を浴びるクオリティの高いサンガールは増えている。


I・S・I(インドネシア芸術大学)の教授や生徒による新作が創作され、世に出て行く。

新作は人気が出ると、奉納舞踊でも披露される。

ここでこんな発言はふさわしくないが、私的には新作は好みじゃない。

これは年寄りの意見で、バリ人の若者は新しいものを望んでいるのだろう。

旧態依然のシステムを嫌った私が、新作を拒否してはいけない。

伝統芸能を在続させるのは、時代を担う若者の嗜好を優先しなくてはいけないのは、わかっている。

言いたいことは書いたので、わたし的には満足ですが、読み手の方々には不満足でしょうが、今回はまとまりがないままに終了です。


舞踊ムニエール(知人の家寺で奉納)




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2024年05月30日

食リポについて、考えてみた!(538)

暗闇では、目の前の景色は白黒となり、物には色彩がなくなる。

色を見分けることができないのが、色覚異常(色盲、色弱etc)。

虹の七色は、みんな同じように見えているわけではない。


この頃、不埒なことを考えている。

料理には、本当は味がないのではないか。

記憶やイメージが、味覚を想像してだけかもしれない。

まさか、そんなずはないと思うが。

そう思わせるほど、私は味覚異常だ。


味覚には、甘味、酸味、塩味、苦味、旨味がある。

この基本の五つのほかに、触覚に近い苦味と渋味が加えられる。

これらは、舌や舌の付け根にある軟口蓋の味蕾(みらい)で感じ、味覚神経を通じて脳に伝達されるらしい。

味覚にも、視力のように、人によって幅があるのではないだろうか。

私は、味覚の幅が狭いのだ。

みんながみんな、均一に同じ味を感じていないのでは。

味覚レベルの検査があれば、やってみたい。

きっと私は、ゼロに近かい結果だろうな。

(味蕾とは、舌の表面にあるブツブツとしたもの。赤ちゃんの口の中には約10,000個の味蕾が存在し、成人では約7,000個、高齢者になると約3,000にまで減少してしまうと言われている)

私は、高齢者なので味蕾が減って、料理に味を感じなくなってきているのかもしれない。

義歯の人も味に鈍くなると聞く。

幸い私は、硬い食材も噛み砕く丈夫な歯が揃っている。

健康に産んでくれた両親に感謝です。


ユーチューブで食事風景を撮ることがあるが、味覚音痴を自負している私は食リポ(食べ物リポート)ができない。
(紙媒体でお届けする時は食レポ。映像でお届けする時は食リポ、だって)

自分の勉強のために、検索原稿を多用していることをお許しください。

YouTube・バリ島ウブドに沈没:https://www.youtube.com/@bali75

YouTube・ウブドの徘徊老人:https://www.youtube.com/@user-rq8td7et2




私の食リポは、無言でひたすら食べる。

そんなことから、自嘲気味に食事風景リポと命名している。

動画を見ている人は、私の食べている表情から味を推測してもらうことになる。

料理ができないという致命的な欠点で、調理法や素材についての解説もできない。

恥ずかしい話、鶏肉、豚肉、牛肉を食べた時に区別ができないほど。


今回は、私がもっとも苦手とする食リポについて考えてみることにした。

努力すれば、それなりにリポートができるようになるかもしれないと期待して。

参考に、ユーチューブで食リポ番組を見てみた。

絶品ですね
平坦な味がする
面白い味がする
懐かしいなごみ味
とろりとして病みつきになる
金褐色にパリッと焼けたパン
ピリリと辛い、塩味がきいている
バーベキューの野性味溢れる料理
ほっぺたが落ちそうなくらい美味しい
エビフライの衣がほどよくからんでいる
地鶏の姿焼きが香ばしい香りを漂わせている
海風とレモンが混じったような爽やかな匂い
もちの甘い味に葉っぱがバランスをとっている
噛むとエビと衣の味がお互いに引き立ってあじわい深くなる

一見するとそれらしいことを言っているようで、よくわからない。

こんな、なんのこっちゃコメントでよいのか?

意見を述べず、感覚的な感想を述べるのがリポートなのだと理解した。

ほかに、うまくリポートする言葉がみつからないのも事実だ。

あとは本人が、食べてみるしかないね。


私から私への提案があります。

次の順でリポートしてはどうだろう。

1)まず見た目を説明する=食べる前に感想を述べる
第一印象は大事ですよね。
創作料理の必要以上のアート指向にはうんざりで、どちらかと言えば一膳飯屋の庶民的な盛り付けが好みです。
「美味しそう!」女子はよく言う=食べる前から美味しく感じる想像力は凄い。
想像力が逞しいばっかりに、食べた時に思い描いた味と違ってガッカリしたことはありませんか?
新鮮、綺麗、素材が良い、揚げたて、焼きたて、炊きたて、瑞々しい、芳醇、香り、

2)口の中に入れた時の食感(舌触り)
舌と舌の付け根(口腔内)の味蕾で感じる。
濃厚、とろける、熱さ、冷たさ、スパイシー(辛い味や香りがあることを表す形容詞)
バナナ味、コーヒー&紅茶の味などなどは風味と言われる「臭覚」が関与している
あっさり、こってり、コク、ドロドロ、ふわふわ、ねばねば、プルプル、などの擬態語
ソーダ、ビールなどの気泡

3)噛む(歯ごたえ)
硬さ、柔らかさ、弾力、
ポリポリ、ボリボリ、パリパリ、バリバリ、カリカリ、カリッ、もちもち、などの擬態語

4)喉元を過ぎる
熱さ、冷たさ、 爽やか、つるっと。

次回からの食事動画は、この提案を参考にやってみようと思っています。



あれもこれも説明しようと思っていたのですが、私は、食べている時は口数が少なくなるようです。

「〜のような」誰でも知っているものに例えるのはよいかも。

食べたことのないような物を例えられても困りますがね。

先日読んだ小説で、食リポ風な文を見つけたので紹介しておく。

「独活(ウド)のほろ苦さとシャキシャキした食感、ワケギの甘さ、ホタテイカのこってり濃厚な旨味が、辛子を効かせた酢味噌に包まれて口の中で弾け、最後に溶け合う。まさに大人の味だった。

どこが、大人の味かは理解できないが、こういうのが世間では優れものというのだろうな。



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お待たせしました。
皆様、お待ちかねの企画です!
シェア&拡散のご協力、よろしくお願いいたします!
詳しくは、このプロジェクトのクラウドファンディングをご覧ください。

アクセスはこちら。
https://camp-fire.jp/projects/view/756887
動画は、コロナ禍でのオンラインライブ(2021年9月26日)練習風景です。

posted by ito-san at 22:48| Comment(1) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする