2025年05月13日

今回は慢性副鼻腔炎(ちくのう症)のチェックです(31)

今日は、人生2度目の耳鼻咽喉科に行った。

1度目は小学校の低学年の頃に、鼻の穴にピーナッツを入れて取れなくなった時。

入れた理由は覚えていない。

鍵っ子で一人遊びをしていて、実験したんだと思う。

何の実験か知らないが。

ピーナッツを取り出そうとするのだが、どんどん奥へ入ってしまう。

縁側でうずくまり焦っていたことは、おぼろげに記憶している。

母が帰って来るのを待って、病院に行ってピンセットで取ってもらった。

これが原因で、右の鼻の穴がちょっと大きい。

今回は、慢性副鼻腔炎(ちくのう症)のチェックです。

ウブド滞在で70歳を超えた頃から、鼻風邪をひくことが多くなった。

昨年末は、アレルギーかと思わせるほど酷かった。

日本に戻ってから鼻水に粘り気があり、時々、血が混じる。

鼻の奥が、ドス〜ンと重い。

ひと月ほど前から、嫌な匂いがするようになった。

鼻が詰まった感覚で寝付けなく、寝不足気味。

症状が出てから6ヶ月。

病院は嫌いだけど、行くしかないと思うほど辛い日々。

そんな時、「蓄膿症で手術した友人がいるよ!」の情報で、さらにビビる伊藤。


重い足を引きずって「ばんの耳鼻咽喉科」の扉を開ける。

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病院内は清潔で、スタッフの対応も優しく、親切、丁寧。

検査椅子に緊張でかしこまって座る私に、先生は鼻鏡、ファイバースコープを使って、わかりやすく症状の説明してくれる。

ファイバースコープの時は「ガンのチェックもしておきますね!」と呟いた。

診断結果を専門用語で言われたが記憶できなかった。

鼻の粘膜の乾燥と理解した。

あっという間に、診察は終了。

おしぼり保温の説明を受け。

ささゆり薬局で、錠剤とスプレー式の薬を渡され。

通院は無し!
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2025年05月11日

バリ犬のウンチクに、お付き合いください(30)

ウブドを訪れ、道を歩いていて、犬に吠えられた経験をした人がいるだろう。

一匹が吠えると、次から次へと犬は門前に現れて吠える。

犬は、テリトリーがあるかのように飼い家の前で吠えて、道行く人を威嚇する。

何匹かで吠えたてて向かってきたり、自転車やバイクで通る人を追いかけたりすることもある。

通り過ぎれば、吠えるのを止める。

バリの犬は、吠えるだけで決して噛みつかないと言われているが、そんなことはない。

実際に噛まれた人もいる。ひとりの時に囲まれると、結構怖い。

犬は、インドネシア語でアンジン(Anjing)、バリ語ではチチン(Cicin)、バリ語の丁寧語でアス(Asu)と言う。

子犬はバリ語でクルッ(Kuluk)と呼ばれる。

バリ犬のルーツは、小さく逞しい身体が特徴のカチャン(豆)犬だと言われている。

バリ島で人間の営みが始まると同じ頃から、カチャン犬は人間と共存していたようだ。

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もう一種類は、バリ島中央部バトゥール周辺に生息する毛足の長い犬キンタマーニ犬。

12世紀から16世紀にかけてバトゥール地域にやってきた中国人が持ち込んだチャウチャウ犬とカチャン犬の混血したのが起源だと言われる。

この他に、バリ・ダルメシアン犬と呼ばれる、白い毛並みに黒い斑点を持った犬がいる。

この犬は、クタに居住していたデンマーク人、ヨハンセン・ランゲ(1839年に居住、1856年死去)がバリに持ち込んだダルメシアン犬がカチャン犬と混血だとされる。

インドネシアへの犬の持ち込みは、厳格な検疫手続きと輸入許可の取得が必須であり、完全に禁止されているわけではない。

しかし、バリ島は狂犬病発生地域と指定されているため、犬の持ち込みには厳しい制限があるようだ。

バリには、愛犬家にとって辛い慣習がある。

バリ人の信仰するヒンドゥー・ダルモの儀礼には、赤茶色の毛並みに、鼻先と尻尾の先が黒い子犬が神への生け贄として捧げられるのだ。

犬を使った諺を調べてみた。

「インドネシア語ことわざ用語辞典」(大学書院)から、特に代表的なものを4つ紹介する。

1)"Seperti anjing dengan kucing"「犬と猫のようだ」(犬猿の仲)

2)"Seperti anjing berebut tulang"「骨を奪い合う犬のようだ」(財産を奪い合う欲張りな人)

3)"Bagai anjing menyalak di ekor gajah"「犬が象の尾に吠えるようだ」(負け犬の遠吠え)

4)"Anjing menyalak tak akan menggigit"「吠える犬は噛みつかない」


「極楽通信・UBUD」34「バリの犬(Anjing)」
https://informationcenter-apa.com/gt_anjing.html
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2025年05月08日

18年前の古い日記(ミクシー)が出てきた(29)

日本に帰った今、ダドンとの日々が懐かしく思い出される。


ダドンと最後の晩餐・2007年04月22日

夕方、*ブンブン・カフェに顔を出すと*ダドンがいた。

「ウー、ウー」と、いつものように、しかめっ面をして、理解できない言葉を発している。

どうやら、来るのが遅いと言っているようだ。

私は、いつものように、とぼける。

ダドンは黒いビニール袋を手にして、これは良い匂いがすると袋を鼻に持っていく。

袋には、噛みタバコが入っている。

噛みタバコを私に手渡すと、ダドンは、もうひとつのビニール袋から「蒸かし芋」を出した。

美味しいから喰えと、芋を掴む。

私は、噛みタバコをするから、あとで食べると断った。

ダドンは、*ボレーの準備を始めた。

私はそれを見て、短パンにはき替え上半身裸になった。

ボレーを塗り終わると、今度は*シリーを作ってくれた。

いつものように、時間は経過していった。

ブンブンの契約は、5月1日で切れる。

店はすでに昨年から閉店しているが、完全閉鎖は4月いっぱいだ。

今日、ワルン・ビアビアの椅子補修がすべて終わった。

私がブンブンに来るのは、今夜が最後になるだろう。

ボレーを落としながらのマッサージが始まった。

マッサージは、いつもになく丁寧で真剣だ。

背中で聞こえるダドンの息づかいが、寂しげだった。

どことなく目頭に力がなかったように感じたのは、私の感傷か。

お祈りの時に使う中国古銭の束を、必ず、家に持って帰るようにとジェスチャーで指示した。

日に日に、荷物が無くなっていくブンブンを見て、ダドンは、閉店に気がついていたのだろう。

ダドンの前に椅子を近づけ、私は「蒸かし芋」をほおばった。

私の美味しいという仕草に、ダドンの顔がほころんでいた。

これが、最後の晩餐になってしまった。

17年前、ロジャーズ・ホームステイに突然現れたダドンは「*魔法使いダドン」として私の記憶に残った。

その後、影武者に現れ、私がブンブンに移動すると、今度はブンブンに現れるようになった。


所在を教えたわけではないが、いつの間にかダドンは、私の側にいた。
ブンブンが無くなれば、ダドンの気晴らしの場がひとつ消えてしまう。

健康が気がかりだが、縁があれば、また、どこかで会えるだろう。

最後となるかもしれない小遣いを渡した。

「さようなら、ダドン」

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ダドンを中心に、右に水野さん、左に洋祐君


*ブンブン・カフェ:https://informationcenter-apa.com/gt_bumbung.html
*ダドン:平民カーストのバリ語で「お婆ちゃん」
*ボレー:https://informationcenter-apa.com/gt_boreh.html
*シリー:https://informationcenter-apa.com/gt_sirih.html
*魔法使いダドンとの出会いは、こちらを読んでください。
「極楽通信・UBUD」ウブドに沈没『 魔法使いのおばあちゃん現れる』https://informationcenter-apa.com/ubud-chinbotu23.html
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2025年05月01日

日本とウブドで外出時の持ち物の変化(28)

ウブドでは、リュックに全財産を入れて出かけていた。

現金・銀行通帳などは、無くなった時に、下宿のスタッフを疑うのが嫌なので、持ち歩くようにしていた。

外国人だから、身分証明のためにパスポートとKITAS(暫定居住許可証)を必ず持ち歩く。

下宿にネット設備がなかった時は、ノートパソコンを持ち歩いていた。

ファイルケース(オダラン情報のコピー用紙・パスフィンダーの地図etc)

筆箱(鉛筆・ボールペン・カッターナイフ・スペアキー)。

薬箱(ボカシ・バンドエード・目薬・リップクリーム・爪楊枝)。

ウブドは歩道で怪我をする観光客がいるので、その時のお節介ボカシ&バンドエード。

単行本&メモ用紙&メガネ。

トイレットペーパー一巻き(よく鼻風邪をひくので)。

モバイルバッテリー。

自撮り棒。

左右のポケットには、エコバックと日本手拭い。

もしかのためのレジ袋と小さな雨合羽。


日本でも、リュックを担いでいます。

身分証明は、当初はパスポートを使用していたが、今はマイナンバーカード。

現金・銀行通帳は、部屋の中に隠していある。

自宅でネットができるようになったので、ノートパソコンは運ばなくなった。

ファイルケースの中身が土岐市の情報パンフレットに変わっただけで、その他はウブド同様に持ち歩いている。

新たに加わったのが、アルミ缶・ペットボトルごみを拾うためのビニール袋と自転車の応急修理用品セット。

ウブドではバイクに乗っていたが、修理屋の数が多いので、何かあれば飛び込めばすんだ。

土岐市で自転車の修理屋が見つからないので、パンクした時の最低限の応急処理ができるようにしている。


ウブドの場合、海外だから緊急時にリュックひとつで移動できるように、日頃から心がけていた。

滞在34年間は、緊張していましたよ。

日本での生活は理不尽に拘束される心配がないので、安心して日常を送っています(冬は寒いけど)。


■写真は、1990年日本から持って出た荷物の一部(もう手元にはない)

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自転車
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2025年04月28日

ウブドの洗濯事情・1990年(27)

ウブドにランドリーがオープンしたのは、1991年頃。
家庭用の洗濯機と乾燥機を揃えたランドリー。
それまでは私も、自分で洗濯をしていた。
電気も満足に普及していなかった時代のこと、ホーム・ステイに洗濯機はない。
これといってすることのない毎日を送っていたので、洗濯は1日のルーチンのひとつであった。
洗濯は、水浴びとトイレを併設したマンディ場で、手もみ洗い。
Tシャツなどは手洗いでよいのだが、ジョーパンのような厚手の衣服はそうもいかないので、バリ式にタイルの床に広げてブラシでゴシゴシとしごく。
衣類が早く傷みそうそうだが、この洗い方は楽だ。
小1時間かけて洗濯を終え、マンディを済まし、テラスでコピバリを飲んでいると昼になっている。

バリ人はというと、川での洗濯が主流だった。
川はマンディ場でもあるので、洗濯を終えると、マンディを済ます。
ウブドの川は、田んぼの水をたっぷり含んだ土色に濁っている。
黄ばんだシャツを着ているバリ人が多いのは、川で洗濯をしているからだろう。
洗い終えた洗濯物は、生け垣にや芝生の上に広げて干す。
バリ人は、洗濯物を不浄な物と考えて、下をくぐることを嫌う。
そんなことからか、物干し竿やロープなどのように下をくぐれる干し方を作らない。
ホーム・ステイなどに泊まっていて、煩わしいバリ人の訪問をシャットアウトするなら、テラスいっぱいにロープを張って洗濯物を干しておけばよい。
洗濯物を畳むときは、虫が入っていることがあるので、まず、はたいてからしているようだ。
私は、Tシャツに大量のアリが入っていたことがあって、困った経験がある。

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ホテルでさえも手洗いで芝生で干していた時代。
ランドリー・サービスをお願いすると、なんと真っ白なブラウスが見事に黄ばんで返ってくる。
川で洗濯をしているホテル・スタッフの姿を目撃したことがある。
長期滞在だと、日本から持ってきた白い衣服はことごとく黄ばみ、シミも目立つようになる。
私が黒のTシャツを好んで着る理由は、ここにある。

極楽通信・UBUD 27「ウブド洗濯事情」
https://informationcenter-apa.com/gt_cleaning.html
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2025年04月13日

こんな時のためにスペヤー・キーを持っている(26)

土岐市図書館で、11日に借りた本は、4冊。

外出時に読みたいので、今回はハードカバーを止めて単行本にした。

初見の作家の本です。

『珈琲屋』の三文字に惹かれて、借りた。

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実はこの日、自転車で図書館に向かう途中、車道から歩道に左折侵入する際、入車角度が悪かったのか、三センチほどの縁石で、激しく転倒。

左手甲に少しの擦り傷と親指付け根の打撲。

右手は捻挫したようだ。

左足スネに擦り傷。

ほかに負傷ない。

自転車運転に慣れてきた6ヶ月目の事故。

”気を引き締めろ!” と天からの啓示か。

曲がってしまったタイヤを、電柱にぶつけて直す。


図書館で本を借りるとき、立ちくらみをした。

事故の後遺症かと心配したが、24度の炎天下での走行だったと気づく。

この時、これからの暑い季節は日中を避け、午前か夕方に走行しようと思った。


自転車に乗ろうとして、鍵がなくなっているのに唖然とする。

どこで落としたのだろう。

図書館でトイレを借りた時だろうか。

そうだ事故の後、途中、堤防で休憩した。

その時、上着を脱いでリュックにしまった。

落としたとすれば、そこだろう。

500mを歩いて戻った。

無い!

図書館のトイレも探してみた。

無い!


こんな時のために、スペヤー・キー(部屋・自転車)を持っている。

スペアキーを使えば、500mを歩くこともなかった。

転倒して、気が動転しているのだろうか。

冷静にリュックの中に探せば、出てくるはず。

家に帰ってから調べてみよう。

気を落ち着けるために、珈琲を呑みにコメダに立ち寄った。

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家に帰って気がついたこと。

鍵は、転倒現場で落としたのでないだろうか?ということ。

捻挫の腫れは引いてきたので、心配無用です!
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2025年04月06日

COVID19が終息して、2年近くが経とうとしている(25)

新型コロナウイルスが終息して2年近くが経とうとしている。

(2023年5月5日:WHO緊急自体宣言終了・25日日本の緊急事態宣言解除)

中国湖北省武漢市で2019年12月に発生した新型コロナウィルス肺炎(COVID19)は、想像を絶する速さで世界中に蔓延していった。

2020年1月30日:WHO・緊急事態宣言

2020年2月に入って「在デンパサール日本総領事館」からのメールが頻繁になった。

そのほとんどがCOVID19に関するニュース。

3月15日、ジョコウィ大統領は、COVID-19の感染拡大とその影響に対応するため、効果的かつ効率的な措置をとることを各政府機関に要請した。

対岸の災難は、バリ島ウブドにも影響が現れた。

海外からの渡航者入国制限のため、ウブドの観光客は壊滅状態。

長期滞在の外国人の帰国が目立ってきた。

多くの店舗が休業&営業時間の短縮を余儀なくされ、モンキーフォレスト通りから観光客の姿が消えた。

人っ子ひとりいない街は、奇妙な映画のワンシーンに似た風景だった。

3月25日、悪霊払いの儀礼「オゴホゴ」のパレードが中止された。

私は、4月1日発の長距離バスで移動する予定でいたが、地域を跨いだ移動の禁止で乗ることができなかった。

5年前、ジャワ島ボロブドゥールに移住計画を立てていたことを思い出す。

4月2日午後6時、バリ・ヒンドゥー教徒は「COVID-19の終息」を願って、島あげてのお祈りを捧げた。

(4月7日:日本政府・緊急事態宣言)

メリハリのない日常と暗雲が漂う屋外に、活力が湧かない。

外出できないだけで、これだけ生命力が奪われてしまうのか。

じわじわと感染者の足音が近づいて来ている気配がする。

大型クルーズ客船で働いていたバリ人が帰郷して、感染者が増えたという噂もある。

そろそろ、身近に感染者が出てきそうだ。

新たな動きは、ナシジンゴの露天や弁当を提供する飲食店が増えたり、凧揚げが流行ったり、ゴジェック&グラブが市民権を得たり。

不幸にもコロナで亡くなったバリ人の火葬が、村では行われなくなり専門の火葬場ができた。

3年半ほどでコロナは終息したが、悪夢の後遺症は、さまざまな形で残っている。

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プンゴセカン通りマスク着用のチェックポイント+消毒

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タマン村入口のマスク・チェックポイント+消毒

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郵便局のビニール・ブラインド

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スーパー・デルタデワタ入り口に設置された消毒ブース

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スーパー・デルタデワタ店内の体温チェックと消毒

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スーパー・ビンタンのレジ前ディスタンス

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スーパー・ビンタンのレジ嬢のフェイスマスク

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スーパー・クランディのレジ嬢のマスクとトナカイの角

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ウブド大通りに出店するナシジンゴの露天
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2025年03月28日

常夏のバリ島に夏という季節はない!(24)

四季のある日本人から見れば、いつも夏の島だが、バリ人には夏という季節はない。

あるのは乾期(musim kemarau=乾燥した時期)と雨期(musim hujan=雨の降る時期)だ。

季節じゃなくて期間と解釈して、季の字を使わず乾期、雨期と表記した。

乾期は5月から10月まで、雨期は11月から4月までと認識していた。

サコ暦(saka)の第11番目の月(西暦の4月頃)Sasih Jiyestha(ジェスタ)で雨期が終わり、第12番目の月(西暦の5月頃)Sasih Sadha (サド)で乾季に入る。

(極楽通信UBUD・サコ暦:https://informationcenter-apa.com/kb_saka.html

現在、地球の温暖化からか境目が曖昧になってきている。


乾季でも雨は降り、スコールが来る。

雨期は確かに雨は多いが、日本の雨期のように一日中降り続くことは珍しい。

第8番目の月と第9番目の月は、強風をともなう大雨が降る期間。

日本の冬季でバリ島の雨期に、ウブドは肌寒く感じる時間がある。

夏好きな私には、一年中が暖かい島は、まさに楽園だ。


ちょっと残念に感じたのは、春夏秋冬の四季がないためか、生活に節目を感じられないこと。

日本には、正月、梅・桜の開花、節句、ゴールデンウイーク、雨季、師走などなど様々ある。

バリでは、乾期・雨期の果物の変化で、大雑把に節目を感じる程度。

私は、大雨が降り始めた時にしか、節目を感じなかった。

バリ人の生活リズムは、バリの暦に基づいている。

彼らは、暦に従う生活で、メリハリを感じていると思われる。

34年滞在していても、この感覚は身につかなかった。


一年中、気温が大きく変わることのないウブドの生活は、心地良いものだった。

長期滞在者だが、日々観光客気分で非日常を謳歌した。

日本人の性か私の気質か、寝てばかりの怠惰な生活は、後ろ指が刺されそうで落ち着かない。

生活のルーティンを工夫して、メリハリのある生活を作って暮らした。

舞踊を習った時期もある、楽器を習ったこともある、流木を拾って作品を作った時も落書きを描いたこともあった。

(落書きの数点をウブドの友人に預けたので、欲しい人は連絡ください。もちろん無料です)

ブログを書いたり、ユーチューブにも挑戦してた。

こうしたルーティンも、充実できなくなっての帰国でもある。

今回の帰国では、ルーティンを作らず、限りなく怠け者になりたいと思っております。

(動画:多分8年前、伊藤さん20年ぶりの奉納舞踊・テガランタン村セナ家の寺院祭礼)


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2025年03月25日

虫歯が欠けた node 歯医者に駆け込む!(23)

ヨーグルトを食べていて、硬い物を噛んだ。

異物混入商品か?と疑った。

取り出した物は、米の形をした3mm×2mmほどの塊が2つ。

熟視して、虫歯が欠けたのだと理解した。

舌で探ると、親知らずの手前の歯に異変。

痛くはないが、放置していて神経に触れることになれば、泣きを見る。

歯痛に悩む日々を想像しただけで、痛みを感じる。

そんなことは、勘弁してほしい。

苦痛嫌いな私は、歯医者嫌いでもある。

清水の舞台から飛び降りる思いで、駆け込んだ。

20年ぶりの歯医者。

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口コミには、親切だと評価が高いです

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観念して椅子に腰を下ろすが、不安は増すばかり。

痛みにビビりな患者は、強がりな表情で医者に対応する。

レントゲン撮影のあと、歯の抜けた部分の説明を受ける。

詰め物が施された虫歯の一部が欠けていた。

「神経を抜かなくても良いね!」と言われて大きく安堵。

新たに埋め物をすることで、手を打った。

麻酔を打って、残った歯を新しい埋め物様にグラインダーで削って整える。

大人だもん・我慢しましたよ。

一週間後の予約をして帰宅。

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2025年03月22日

会うが別れの始めとは!(22)

2006年09月28日のミクシイの投稿原稿が出てきた。

19年経過しても、私の思いは変わっていなかった。


携帯電話もスマートフォンも普及していなかった頃のウブド。

深夜1時30分頃になると、ウブド上空を通り過ぎるの飛行機の爆音が聞こえる。

東京か、大阪か、それとも名古屋へ向かっている旅客機の爆音だ。

知人の少なかったウブド滞在当初、仲良くなった友人が、ひとり、ふたりとバリを離れて行く時は寂しかった。

爆音を聞いて、部屋を飛び出して上空を見上げたことも何度もあった。

日本とバリ、時間にして飛行機で7時間ほど。

近くもあり、遠く感じる距離でもある。


和食・影武者前での別れも多い。

見送られる人は一応に笑顔を見せているが、心底の寂しさは隠しきれないようだ。

涙を見せる人も多い。

もらい泣きをしたこともある。

見送る方も寂しいだよ。

「また来るからね」

みんなのメッセージから《心からバリが好きなんだ》な、というオーラがヒシヒシと伝わって来る。

ズ〜っとウブドに滞在できる、私は幸せ者だ。


「また、来るね!」は、自分の意思で来られるけど・・・

「待ってます!」は、待つしかないのです。

バリ人は、みんなこんな気持ちで待ってたんですね。

私も「待つしかない」気持ちが、少しわかってきた。

わかっているが「また来るからね」の言葉を信じて、私は再会を心待ちしている。


見送ってばかりの私は、今度、この人とはいつ会えるのだろうと考える。

それぞれの理由でウブドを訪れて、それぞれの理由でウブドを訪れなくなる。

「会うが別れの初めとは」

歌のセリフじゃないが、会えば必ず別れがくる。


今夜も、爆音は私の頭上を、ゆっくり通り過ぎて行くだろう。

深夜の爆音を聞くたびに、先ほど別れた知人が乗っているのだろうと想像して、胸を締めつけられる思いをする。

星空の中を流れる小さな明かりは、「私を見つけてください」と言わんばかりのゆっくりした動作だ。

「ウブドが好きなら、みんな住めばいいのに!」

小さな明かりに向かって叫びたい気分だった。

今、この飛行機に、次にいつ会えるか知れない友人が乗っているのだろうと感傷的になったものだ。


みんなが、故郷にでも帰る気分で、立ち寄ることのできる店をと思って作った店が、「居酒屋・影武者」だった。

10年後、20年後にウブドに来ても、同じ場所に、昔の姿のままで影武者が残っていることが、私の夢だ。

私は、みんなを代表して故郷の家(影武者)を守るチチャックのつもりでいた。

影武者に訪れる、みんなのおかげで、私の、これまでのウブド生活が成り立ってきたと感謝している。

今、「和食・影武者」は、女将・由美さんがみんなの帰りを待っています。

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