2023年11月18日

中部ジャワ・ボロブドゥールの旅・最終回(8)

中部ジャワの旅ブログは、今回の第8回で終了します。

お付き合いいただき、ありがとうございました。

最終回は、第7回に続いてジョクジャカルタ観光です。

是非、寄りたかった場所は、クラトン(王宮)前ロータリーの露店市、通称・泥棒市。

骨董品が見たかった。

残念なことに、泥棒市は姿を消していた。

ジョクジャカルタもウブド同様に、古き生活が消え、整理された街に変貌している。


クラトン周辺を散策していて思い出した。

王様の妃たちの沐浴場だったと伝えられる「タマン・サリ=Taman Sari」が、この近くにあったはず。

33年ぶりに訪れてみたいと思った。

王家の敷地内だが、クラトンからは少し離れている。

タマン・サリ遺跡は、小高い丘の上にあるので、遠くからでも見つけられた。

訪れた当時、遺跡は修復中だった。

遺跡の周囲には、色鮮やかなアートバティックを飾った工房が軒を連ね、観光客の足を止めていた。

現在、遺跡は密な民家に埋もれて、見つけにくい。

民家の庭を横切る迷路のような小道を進み、やっと入り口にたどり着いた。

閉館30分前。

瓦礫だった遺跡は修復され、美しい沐浴場になって観光客を迎えてくれる。

見学は、早足になった。

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アートバティック工房は、見かけることができなかった。


バダさんとの待ち合わせの時間が、近づいている。

待ち合わせ場所のジョグジャカルタ鉄道駅は、タマン・サリ遺跡から距離にして2キロほど。

マリオボロ通りの端から端への移動となる。 

寄り道せずに、急ぎ足。

鉄道駅に着くと、スマホに連絡が入った。

駅前の大通りを渡ったところで、ピックアップしてもらう。

待ち合わせに、成功。

こんなことでも、私には難しい課題だ。

今回の旅最後の夕食は、バダさんの友人が経営するワルンに連れて行ってもらった。

私も知っている男性だというが、この日、彼は出勤していなくて会えなかった。

ワルンは「Sate Pak Parung」というサテ専門店。

ジョクジャカルタ市内の市場「 Pasar Lempuyangan」という場所にあった。

サテ・カンビン(ヤギ肉の串焼き)に、こんなにも種類があるとは知らなかった。

バリでは食べたことのないサテを、たらふく食べた。

ごちそうさま。
 
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こうして、中部ジャワの旅は何事もなく終了しそうであった。

高速バスは、一路ムングイのバスターミナルに向けて出発。

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バスは、ムングイのバスターミナル前を通り過ぎて、木造の小さな集会場の前に止まった。

早朝5時、外は小雨。

乾季で、ず〜と晴れが続いていたのに、このタイミングで雨か。

バスから降りる。

ムングイでトランス・メトロ・デワタ(Trans Metro dewata)に乗れば、一直線でウブドに戻れると予定を立てていた。

思わぬ事態に困惑する。

トランス・メトロ・デワタは、国が運営する公共路線バスで、コロナの時期から運行始めている便利な交通手段。

路線を把握していないので、こういうアクシデントがあるとお手上げ。

とりあえず前進しようと、デンパサールのウブン・バスターミナルまで歩くことにした。

雨の中、かなり長い距離を歩いた。

歩き疲れ、雨に濡れ、おまけに眠いので、思考経路がデッドライン。

だからというわけではないが、空港行きのバスに乗ってしまったのである。

最後に、チョンボがあった中部ジャワの旅でした。

・終り・
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2023年11月03日

中部ジャワ・ボロブドゥールの旅・ジョグジャカルタ観光(7)

バダさんの奥さん・リカさんが頼んでくれたグラブモビル(グラブカー)に乗ってジョクジャカルタへ。

帰りはジョグジャカルタ電車駅に迎えに来てもらう約束をしたので、待ち合わせ場所の下見に、グラブカーに駅まで行ってもらうことにした。

ドライバーに「はい、ここです」と言われたのは、駅舎も線路も見えないところ。

どうせ知らないだろうから、適当なところで降ろされた感じ。

しかたがないので、駅舎を目指して前進する。

線路が見えたのは、20分ほど歩いた頃だった。

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えらい遠いところに降ろされたもんだ。

線路の向こう側に見えるのはマリオボロ通り。
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すっかり変貌した「ジョグジャカルタ駅」界隈を徘徊して、待ち合わせ場所を決める。
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機関車の展示場を待ち合わせの目印とした。
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マリオボロ通りは、路肩の露天商が姿を消して、何の変哲も無い街の広い歩道になっていた。

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これでは、マリオボロ通りの名称が廃るのではと、私のガッカリ感が訴えている。

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周辺を徘徊して、写真をパシャリ!
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ジョクジャカル王宮の周辺で見つけたカフェ。

「KUMPENI coffee & ice cream」
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1900年初頭の建物だと考えられる。

元バティック商の屋敷だとのこと。

この界隈、オランダ統治時代のコロニアルスタイルの建物が多い。

近くには、こんな建物がいくつも残っていた。
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この界隈は、住んでみたいと思うほど気に入った!

・続く・
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2023年10月25日

中部ジャワ・ボロブドゥールの旅・田舎を徘徊!(6)

この日は、宿にしている「Kopi Mpat(Kampoeng air Mpat)」の周辺を散策することにした。

まわりは田んぼばかりなので、散歩も楽しい。

以前、バダさんは毎週日曜日の早朝に、スタッフ一同を引き連れて、東方面、西方面、南方面、北方面と毎回レートを変えて2時間ほどの散歩していた。

べべ(アヒル)約100羽の行列に遭遇したり、手土産持参で老人宅を訪問したり、時には河原まで下りたりする。

べべの行列同士のすれ違いは、愉快だった。

数羽が、他の群れに紛れ込んでしまう。

気に入ったべべがいると、ついて行ってしまうのだ。

こうなると、べべ使いさんは大変だ。

群れには、それぞれ独自の目印がつけられているので、見つけることは簡単だが、なかなか自分の群に戻ろうとしない。

そんな愉快な風景が見られることもある。

私も宿泊した時には強制的に連れていかれたが、この頃はその行事もやめになったようだ。

ということで、今回は同伴者の大原さんとジャランジャランです。 


Kopi Mpatの敷地を縦断して、村道を西に向かう。

小さな村に入った。

まず出くわしたのが、オンボロの軽トラック。

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荷台に載った発動機が、元気に唸っている。

発動機は、精米をしていた。

出張精米サービスの軽トラックだ。

精米機の発動機は、自動車のエンジンも兼ねているのかな。


村の中心地と思われる地域に建つ一軒の住居前で、ワルン(露店)が出ていた。

TAKOYAKIの看板。

たこ焼きの文字に反応してしまう日本人。

人気のアイテムとは言え、こんな田舎で見かけるのは嬉しい。

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「インドネシアのTAKOYAKIです!」と言って、Rp1万で売っていた。

もちろん注文しました。

中身が何だったか思い出せない。

タコは入っていなかったのは確かです。

ワルンの女将との雑談で、小休止終了。

再び、暑い陽射しもとを歩き始める。


この村道沿は畑が多い。

今年は、タバコ畑じゃなくて、トウモロコシ畑が目につく。

雑な仕上がりだなと思い農夫に聞くと、このトウモロコシは鶏の餌用と聞いて納得。

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タバコの花は美しいですよ。

Googleで調べて みてください。



道に迷いながら、仏教寺院「ムンドゥッ」まで。

ムンドゥッ寺院の菩提樹の下で、瞑想!

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帰路は幹線道路をひたすら歩く。

暑かった。

そろそろ、ゴジェックを呼ぶ方法を覚えなくちゃいけないな。

お疲れ様でした。

・続く・
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2023年10月13日

中部ジャワ・ボロブドゥールの旅・「Gubung Kopi Borobudur」(5)

この日はバダさんが、午後のお祈りが終わったら施設に子供を迎えに行くまでの時間を利用して、出かけようと言ってくれた。

車を出発させると、目的地はボロブドゥール・Karang rejo村のアグス君家だと教えてくれた。

アグス君には、これまでに数回お会いしている青年だ。

初対面は、Kopi_Mpatだった。

ボロブドゥール観光の今後につい、バダさんとディスカッションしていた。

ボロブドゥール村内観光をワーゲンサファリで案内する若者グループを束ねていて、観光の活性化に力を注ごうとアイデアを模索中。

蛇好きな彼は、捕まえるのが得意で、家にはたくさんの蛇がペットとして飼われていると紹介された。

自宅を訪れた時には、自家製のコーヒーをご馳走になった。

年季の入った伝統家屋に、興味が誘われたことを覚えている。

幸い、蛇の見学は勧められなかった(私は大の蛇嫌いです)。

ボロブドゥール遺跡は、インドネシア屈指の観光地でローカル客が多数訪れている。

また、世界中の観光客にも人気の高いスポットだ。

ユネスコの世界遺産に指定された仏教寺院遺産で、ボロブドゥール、プランバナン公園公社によって運営されている。

以前は、園外からでも全景が見られたが、現在は、入園しない限り遺跡は見られなくなっている。

入園料は現在、外国人大人=Rp362.500- 子供=Rp217.500- 国内大人=Rp50.000- 子供=Rp25.000-

収益は、地元にあまり還元されていないと聞く。

町は遺跡以外の見所はなく、観光客は日帰りでジョクジャカルタなどに移動してしまう。

地元に金銭的な潤いが少ないため、地元の人々には不満があるように思えた。

遺跡以外の魅力作りに力をいれなければならないと考えるのは、理解できる。


アグス君は、コロナ禍の間に新しいビジネスを始めていた。

自宅は、以前訪れた時の雰囲気と違っていた。

雑然と建っていた家屋は、整然とレイアウトされた家屋群に様変わりしている。

家屋群は「Gubung Kopi Borobudur」と銘打って、ビジネススペースとなっていた。

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ヤシ砂糖作りの実演と販売を始めて、観光コースの一つにしていた。
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村人に建物を解放して、各自持ち寄った商品(古き時代の手作り玩具)も売っていた。
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ジャワ音楽の流れる喫茶室もある。
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軽食コーナー。
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スイートのブブール(お粥)
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エスチャンプールやエスブアに入っている砂糖ヤシの内胚乳(kolang kaling)。
バリ語で bluluk 。
歯ごたえは、プニュプニュした弾力がある。
それ自体には味がない。


アグス君は、この活動を村民の協力を得て村全体に広め、村民の利益に繋げようと考えていた。

村人との共存共栄のアイデアは、素晴らしいと思う。

バダさんは、私を一般的な観光に連れて行くのではなく、こうした建設的な活動やユニークなアイデアを紹介してくれている。

・続く・
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2023年10月04日

中部ジャワ・ボロブドゥールの旅・公共バスがなくなってる!(4)

パソコンのキーボードが壊れてしまった。

口に含んだお茶を、霧吹きのように吹いたのが原因だ。

キーボードの取り替えが高額なので、外付けのキーボードを購入した。

しかし、いろんなところに不都合が生じて、作業がはかどらない。

そんな状況の中で、やっとブログを書き上げました。


今回のボロブドゥールの旅は、大原さんが同行している。

大原さんにとっては、30年前に訪れたボロブドゥールとジョクジャカルタの思い出をたどる旅も兼ねていた。 

この日のバダさんは、予約のお客様がいて忙しい。

ということで、2人でボロブドゥールの町へ行くことになった。

乗合バスに乗って行く予定だ。

私は、すでに何度も経験している。

バスに乗ってしまえば、5分でボロブドゥールのバスターミナルに到着する。


先回訪れた時に利用した表示板のないバス停(バスが止まってくれる場所)に立った。

後方に目を向けたが、バスの姿はない。

行ってしまったばかりかもしれない。

バスは、30分おきに通過していたはず。

しばらく待てば、来るだろう。


念のため、目の前のワルンの長椅子に腰を下ろしている男性に『バスは行ったばかりですか?』と聞いてみた。

するとどうでしょう、まったく予想していなかった返事が返ってきた。

「バスは、もう走っていないよ」と言うのだ。

奥にいた女将も頷いている。

そんなはずはない。

たった3年の間に、路線バスが廃止になるなんて考えられない。

私のインドネシア語が通じていないのだろう。

バスを見つけたら乗ることにして、とりあえずボロブドゥールの町へ向けて歩き進めることにした。

1時間も歩けば、町に着く。

帰りの最終バス(午後5時ころ)に間に合えばよいのだ。

賢い皆さんならここで、オジェックとかグラブのサービスを利用することでしょう。

悲しいことに私たちは、そういうことが奥手なんです。

昼下がりの暑い陽射しの中、我々は歩き始めた。


後ろを振り返りながら歩を進める。

この道は直線道路なので、かなり遠くまで見通せる。

バスの姿は見えない。

すでに汗だく。

休憩がてら、大原さんのスマホのプルサを追加するためにプルサショップに立ち寄った。

オーナーらしい女性が接客してくれた。

ダメ元で、オジェックは頼めるかと聞くてみた。

彼女は快く引き受けてくれて、手早くグラブカー手配した。

そして、公共バスについて説明してくれた。

ジョクジャカルタとボロブドゥールを結ぶ路線バスは、1日1台。

この1台が、往復して朝昼晩の3回通過するだけだと言う。

コロナ禍で利用者が減ったと同時に、オジェックとグラブが急速に普及したようだ。

時代は急速変化している。

老人は、そんな変化についていけなくて困惑する。

グラブカーが来るまで、アイスクリームをほうばりながら待つことにした。

こうして、無事ボロブドゥールの町にたどり着いたのでした。

・続く・
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2023年09月09日

中部ジャワ・ボロブドゥールの旅・「エロプロゴ・アート・ハウス」(3)

到着した日の翌日は、ボロブドゥール市内観光。

バダさんが、車を用意してくれた。

もちろん案内もしてくれる。


ボロブドゥール遺跡には、1990年に初訪した。

その後、バダさんが仕事先のジャカルタから移り住むまでの間に4〜5回は訪れている。

最後に訪れたのは、2019年の10月。

2020年の4月からは、移住を予定していた。

3年と10ヶ月ぶりのボロブドゥール訪問。

ストゥーバのある上層部に登れないとか、入場料が高額になったとかの話を聞くので、遺跡見学はあきらめた。


何はともあれ、画家ソニーさんに挨拶だ。

ソニーさんのアトリエに行く前に、今回の旅の私的ミッションをこなす。

知人Kさんの息子さんが、コロナ禍の2年ほど前に始めたという宿を訪れること。

静かな地域にあり、名前は「SAKA Homestay & Cafe」。

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建物が古民家風が高感度。

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私の友人が2ヶ月前に宿泊している。

低価格で、ホスピタリティがよかったと感想を述べていた。

今回はバダさんにお世話になっているが、次回は宿泊したいと考えている。

知人Kさんは日本人女性で、ムンドゥッ寺院近くに居をかまえ、骨董品が展示してあるカフェを営んでいる。

インドネシア・バティックの蒐集家でもある。

あいにく息子さんはいなかったが、カフェスペースでフレッシュなジュースを飲んで来ました。



続いて、ボロブドゥールの村を流れる二つの河が交わる地点にある、友人ソニーさんのお屋敷訪問。

グーグルマップには「エロプロゴ・アート・ハウス=Eloprogo Art House 」で載っている。

ユニークな建物は、何度見ても感動する。

モジャパヒトの語源になったと言われる苦い(パヒット)果物。
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木の名前は忘れた

ボロブドゥールのストゥーパの形は、この葉からデザインされたとソニーさんは言う。
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これも木の名前は忘れた

樹齢何年だろう。
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二本の樹の間に沈んでいく、太陽が神々しい。

写真はないが、2つの大きな岩の間にできるパワースポットを教えてくれた。

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ソニーさんは、広々とした庭の隅々まで案内してくれて、ボロブドゥールに纏わる不思議な話をしてくれた。

語学力不足で、50%も理解できなかったのが残念だった。

・続く・



ユニークな建物は、動画(2018撮影)でご覧ください。
「Eloprogo Art House @ Borobudur ・ Yogyakarta・Jawa Tengah」

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2023年08月29日

中部ジャワ・ボロブドゥールの旅・3年ぶりの「kopi_mpat」(2)

午前8時前後の到着だった深夜高速バスは、途中のバイパスが整備されて、前回より2時間も早い到着予定。

バダさんは「迎えに行くよ!」と言ってくれたが、そんなに早い時間に迎えに来てもらうのが悪いので、私は乗合バスに乗るつもりでいる。

バスが走っていない場合には、ゴジェックかグラブ・タクシーを探するつもりでいた。

深夜高速バスは、停車場に早朝6時に着いた。

高速バスを降りると、バダさんの姿が見えた。

「もう、この時間は起きているから、気にしないで!」と笑顔で迎えてくれた。

今回は、奥さんのリカさんと娘さん(名前が長くて覚えられなかった)も一緒だった。

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3歳と4ヶ月の娘さん。


私が「kopi_mpat」に到着する予定の日に出産したようだ。

手術する必要がある身体で生まれたが、村の産婆さんでは治せない。

産婆さんからは、「手術しないと助からない」と言われる。

病院に電話連絡するが、コロナ禍で外出自粛中。

どこも受け付けてくれない。

「直接病院に行って直談判した!」

なんとか手術ができたと興奮気味に言う。

大変だったことが伝わってくる。


kopi_mpatは、一段とグレードアップしていた。

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(写真:kopi_mpat6)

・続く・
posted by ito-san at 17:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 中部ジャワの旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年08月25日

中部ジャワ・ボロブドゥールの旅・バリ島からジャワ島まで高速バス(1)

2019年12月、中国湖北省武漢市で発生したと言われる「新型コロナウィルス肺炎(COVID19)」が、瞬く間に世界中に広まっていった。

2020年2月に入ると、私の滞在するバリ島ウブドにも影響が現れ始めた。

「在デンパサール日本国総領事館」からコロナ関係のメールが頻繁に届くようになり、対岸の火事と安心していた災難が自分にも降りかかった。

コロナ禍以前からの計画であった、ウブドを離れて中部ジャワ・ボルブドゥール近郊の村への移住は外出自粛で立ち往生した。

外出自粛がゆるくなった時は、すでに3年が経っていた。

2023年7月25日に、77歳の喜寿を迎えた私は移住計画を断念した。

8月に入り、お世話になるつもりだった、友人バダさんの経営する「Kopi Epat」を訪ねることにした。

それは移住の移動ではなく、ジョクジャカルタの小旅行となった。

8月10日から8月17日までの旅の話を、数回に分けて報告します。

お世話になった「kopi_mpat」のインスタグラムです。
https://www.instagram.com/kopi_mpat/


8月10日

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今回は、9月に帰国する大原さんを伴っての爺爺二人旅です。

午後1時30分出発は、1時間遅れで出発した。


バリ島からジャワ島まで、高速バスで行く旅!その壱


バリ島からジャワ島まで、高速バスで行く旅!その弐


バリ島からジャワ島まで、高速バスで行く旅!その参


ギリマヌク(Gilimanuk)港フェリー乗り場

船旅は郷愁があって好きです。

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ドライブインでの夕食
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スマートフォンの充電が足らず、ドライブインでの風景が撮れなかった。

残念!

・続く・
posted by ito-san at 19:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 中部ジャワの旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年08月19日

ジョニーさんの「ワルン・タマン」を探せ!(514)

今はもう、伝説となってしまった中華料理の「ワルン・タマン(Warung Taman)」。

タマン村にあるからワルン・タマンという、わかりやすい店名。

2004年の開業。

ウブド大通りからスリウェダル(Jl. Sri Wedari)通りを30メートルほど北上した左側にある。
(現在、アジアン料理「Hujan Locale」のあるところ)

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美味しくて安くので、オープン当初からウブドの人気店となった。

日本語のメニューがあり、助かったのを覚えている。

私は焼うどんが気になり注文。

ワルン・タマンでは、クエッティオを焼うどんとしてメニューに載っていた。

いつの間にか好物になり、通うようになった。


木製家具のビシネスを始めたのか、店内の椅子&テーブルが自然木に変わった時期があった。

ウブドの東・ゴアガジャ方面で2号店を出店したと言う噂を聞いたが未確認。

2012年12月:閉店

「ゲッコー・ワルン=Gecko Warung」「ジュンデラ・ハウス=JENDELA House(2013年8月5日開店)」
「Hujan Locale」と変遷している。

現在、スリウェダル通りにある「ワルン・タマン」は、バリ人経営のインドネシア料理です。

ここのナシチャンプールも美味しいですよ!



■2015年、クトゥ村に出店。

ウブド大通りからティルタタワール(Jl. Tirta Tawar)通りを15メートルほど北上した左側にある。

「プラノト・ギャラリー」のあったところ。

店名は、「ワルン・タマン」のまま。

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2016年10月末:閉店

フライドチキン「JFC」&「Vege Warung NANO」と変遷。



■数年のブランクを経て、アンドン通り「スーパー・デルタ・デワタ」の手前にあるギャラリーの2階に出店。

その話は、2017年01月20日のブログ「ワルン・タマン=Warung Tamanの移転(112)」をご覧ください。

https://itosan-ubud.seesaa.net/article/446132506.html

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このあと、一時期閉店したが、しばらくして開店。

2019年9月訪問のブログを見つけた。

その後、消息不明となる。

スゥエタ通りで、小さなワルンを営んでいるという噂を聞いた。

それも、いつの間にか姿を消していた。

「ワルン・タマン」のあとの店舗も気になる考えて記しておきました。

記憶が曖昧で、開店・閉店の情報に誤りがあったらお許しください。

正しい情報を、お持ちしております。

ジュニーさんの作ったクエッティオが食べた〜い!

「ワルン・タマン」の復活は、あるか?

(お詫び:写真の一部は、イブウブコさん、その他ブログから拝借しました。許可が得られない場合は削除しますので、お手数ですが申し出くださるようお願いいたします)
posted by ito-san at 18:39| Comment(2) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年08月09日

ボナ村のケチャ(Cak BONA)、復活物語が始まった!(513)

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公演会場は、ボナ村プセ寺院前道路


ウブドの南約6キロ、車で15分ほどの地点にある、竹細工の村として知られているボナ村。

ボナ村は、1930年代ウブド在住のドイツ人画家ヴァルター・シュピース(Walter Spies)の創作舞踊「ケチャ」をパフォーマンスした村。

1960年から、満月暗月の定期公演が開催され、ケチャの村として有名になる。

1986年10月12日、毎夜公演(2会場で交代制)が始まる。

ウブド観光案内所「ビナウィサタ」から、ボナ村への無料送迎バスが出ていた。

1990年代初頭、ウブドにケチャの定期公演が始まると、送迎バスが姿を消した。

ボナのケチャが、衰退していった。

1998年、定期公演の終了。

友人からのコメント。

初めてケチャックを見たのがボナ村でした。

アグンラカバンガローから小さなバンで送ってもらって見たケチャ。

周りは真っ暗。

村の集会所みたいな感じの場所でした。

土の上にパイプ椅子だったような。

道中も、一体どこ走っているのかわからない田舎道。

自力じゃ絶対宿に帰れないという緊張もあいまって、闇の中で繰り広げられるケチャは怖いぐらいの迫力で、作り物とわかっているはずなのに、目に見えない何かを感じざるを得ない感じでした。

こんな感想が、多く届いた。

私も同感!


それから25年が経った。

2023年2月27日、復活の物語が始まった。

公演日:満月
演目:ケチャ、サンヒャン・ドゥダリ、サンヒャン・ジャラン
公演会場:ボナ村プセ寺院前道路
公演時間:午後7時〜午後8時30分

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プセ寺院の背景に、満月が浮かんでくる。

今後の繁栄を期待しています。


注)サンヒャン・ドゥダリで、歌唱の一部に著作権が発生したので音声をカットしました。
posted by ito-san at 14:28| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする